第16話 王城の塔



 それからすぐに出発の準備が始められた。


 ヴァイゼの翼を持ってすれば、今夜遅くにはリンデンに到着できるようだが、途中で一泊して、明日の朝に到着できるよう調整するとフェルが決めた。


「その方が仕事を始めやすい。一泊と言っても野宿になるからそのつもりで」

 あらかじめローズに断りを入れる。


 ローズはもちろん、野宿など初めてだったが、

「大丈夫です」

 と、答えるしか無い。


 大通りから裏路地に至るまで、様々な店に入って、フェルは必要なものを買い揃える。

 ローズは付いて廻るのが精一杯で、それらが何に必要なのか聞く暇も無かった。


 最後に、さっきローズが入った古着屋にも寄った。

 そこではマントを求める。


「リンデンはここより寒いから、着ておいた方がいい」

 と、ローズの分も買ってくれた。


 そういえば、フェルのマントはバーチ家のバルコニーに置いて来てしまったのだ。

 あの時、かけてくれたマントの温かさを思い出す。


 偶然だとフェルは言った。

 確かにそうだったのかもしれない。

 でも、連れて行って欲しいという願いを聞いて、引き返してくれたのは、偶然では無い。


 自分の切なる願いを、聞き届けてくれたのだ。

 光の見えない暗い沼底から、明日への希望が見える場所へ連れ出してくれたのだ。


 だから、報いなければとローズは思った。

 いつか必ず報いなければ・・・と、思った。



 買いこんだ品物をヴァイゼに積んで、準備は完了した。


 フェルは、ローズのベルトに金具を付ける。

「これを鞍に繋いでおくんだ。落下防止になる」

 なるほど、朝に付けていた革紐よりは安心できそうだ、とローズは思った。


 もしかして、自分が同行するから買い物が多かったのだろうか。

 この金具も、さっき道具屋で買ったものだ。


 フェルは何も言わない。

 だからローズも何も聞かずに、今朝、着地した場所までヴァイゼと並んで歩いて行った。


 良い風を待って、ヴァイゼが大きく羽ばたく。

「上がるぞ」


 ヴァイゼの声に、ローズは金具を鞍に繋いでから、カイムがしっかり肩に留まっているかを確かめた。

 そして今朝、言われた通りの姿勢で上昇に備える。


 走り出したヴァイゼは、その速さのまま空へと駆け上がった。

 あっと言う間に町の風景が小さくなって行く。


「少し高く飛ぶ。ローズ、大丈夫か?」

「は、はいっ!」


 ヴァイゼに返事するローズの声は、上ずっていた。

 やはりまだ、空の上は頼りなくて怖い。

 ローズはなるべく遠くを見るようにして、恐怖心を押さえた。


 踏みしめる大地の無い怖さはあっても、見渡す風景は美しい。

 ローズは向かって右側の方に、キラキラとした光が、大きく広がっているのを見つける。

 それは平らで果てしなく、はるか遠くで、空に溶けてしまっているようだ。


「あれは海だ」

 フェルの答えに、ローズは声を弾ませる。

「海!あれが海ですか!わたし海を見るのは初めてです!」


「ブレイド湾だ。船が見えるだろう、港がある」

 陸地にえぐられた湾の上を、帆船が行き交うのが見える。

 穏やかに凪いだ海面が、陽を反射させてまぶしく輝いていた。


「なんてきれい・・・」

 ローズは思わず感嘆の声を上げた。


 港から筋を引いたように、内陸へと道が繋がっていた。

 それを辿ると、陸地はだんだんと高くなって行く。


 小高い丘の頂上には、二つの塔を持った巨大な城がそびえていた。

 その城を中心に、下へ広がるように、沢山の建物が並ぶ大きな町がある。

 町と城は、まるで、ドレスの裾を長く引いた、貴婦人が立っているように見えた。


「ずいぶん大きなお城・・・」

「あれはエルーガ王城、国王が住まう城だ。下に広がる町が、王都だよ」

 答えたのはヴァイゼだった。


「国王様!グリフォンに乗っている王様ですね」

 ローズの嬉しげな声に、フェルが笑う。


「ローズはそればっかりだな」

「だ、だって、グリフォンが好きな王様なら、嬉しいと思ったから・・・」


 赤くなりながら、ローズは懸命に理由を語った。

 それでもフェルは笑いを止めない。

 だからローズは少しムキになって、城の二つの塔を指した。


「国王様はグリフォンが好きなのよ。ほら、お城の塔のてっぺんにグリフォンの飾りが付いているじゃないですか!」

「えっ・・・?」

 フェルの笑いがピタリと止んだ。


「・・・見えるのか?あれが」

 王城はフェルたちの居る上空からはかなり距離があり、実際に見える大きさは、片手に乗ってしまうくらいのものだ。


 塔は天を突き刺すように尖っている様は分かるが、その天頂に何があるのかを識別する事は難しい。


「あ、あれっ?そう見えたと思ったのに・・・」

 威勢の良かったローズの声が、急にしぼみはじめる。

 そんな主人をなぐさめるように、肩の上のカイムが頭を摺り寄せた。


「そういえばフェルさん、カイムを売ってくれって来た人と、グリフォンをお城に持って行くような話をしていましたね」

 フェルは遠い城を見据えたまま答えた。


「国王やその親族に子が生まれる時、グリフォンを献上する慣習があるんだ。もっとも生きた本物は入手するのが困難・・・」

 そこまで言って、フェルは言葉を途切らせる。

 そして、振り向いて肩越しに、ローズと小さなグリフォンを見た。


「かんしゅう、って何ですか?」

「・・・・」

「・・・フェルさん?」

 黙っているフェルに、ローズはいぶかしげに顔を寄せた。


 フェルはハッと我に返って、

「あ、ああ、そうだな」

 と、脈絡の無い返事をする。


「慣習とは、昔から行われて来た事をいうのだよ。エルーガ王家はグリフォンを守護聖獣しゅごせいじゅうとしているので、そういった慣習があるのだろう。とはいえ捕獲するのは簡単ではないから、置物などの代替品を献上する事がほとんどのようだ」

 代わって説明したのは、ヴァイゼだった。


「ああ、馬番のベンさんから聞きました。『グリフォンに選ばれし者・・・』ええっと、何だったかしら・・・」


「『・・・神託の王なり』だ」

 フェルがローズの後を受ける。


「しんたくの・・・王なり・・・?」

 言葉の難しさに、ローズはうーんと、唸った。


「『グリフォンに選ばれた者は、神に選ばれた王だ』という意味だ」

 答えはヴァイゼがくれた。

 フェルは黙って、じっと王城を見据えている。


「グリフォンが神様に代わって、国王様を選ぶのですか!やっぱりグリフォンはすごい魔獣だったのですね!見直しました!」

 感心しきりのローズに、今度はヴァイゼが笑い出した。


「これは愉快だ。ローズのグリフォンへの愛情は、国王さえも膝を着く事だろうよ。そう思わないか、フェル」

 大きく笑うヴァイゼにつられて、

「・・・ああ、その通りだな」

 フェルも身体の力を抜いて笑った。


「さあ、先を急ごう」

 ヴァイゼは大きく翼を羽ばたかせると、追い風を捕えて加速させる。


 高台にそびえる城は、どんどん遠く小さくなって、やがて見えなくなった。





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