第54話 賢者と呼ばれた獣



 ローズは目を見開いて、首を振った。

「カイムの芯核の位置を確かめただろう。同じだよ」


 首を何度も振る。

「俺がヴァイゼの前脚を上げさせるから、その隙に・・・」

「で、できません!できるはずがないでしょう!」

 ローズは声を荒げて立ち上がった。


 しかしフェルは動じず、静かに言った。

「お前は魔獣狩人になるんだろう?だから、俺とヴァイゼに付いて来たんだろう?」

 ローズが唇を噛む。

 フェルはふっと、力を抜いて笑った。


「・・・ここに居並ぶ兵士たちの力を借りれば、簡単なんだろうな。だけどな、ローズ。俺は、お前と二人でヴァイゼを救ってやりたい」


 ヴァイゼは全身を震わせると、雷鳴かと思わせるほどの、雄たけびを轟かせた。

 それは辺りの空気を波立たせ、その場に居た人間の身体を、掲げていた盾を、ビリビリとうならせた。


 猛る魔獣に向かって、兵士たちは一斉に弓を引き絞り、槍の穂先を向ける。

 マリウスがそれを止めに、刃の前に出ようとするが、付いていた近衛兵がそれを許さない。

 半ば強引に、マリウスを盾の壁の内側へと引きずり込んでしまった。

 王城を護る衛兵たちにとって、何よりも護るべきは君主であり、この城なのだ。


「待てっ!撃ってはならぬっ!弓を下げるのだっ!」

 攻撃の制止は、思わぬところからあった。

 盾の内側に居たサイモンが、兵士たちをかき分けて出て来た。


「あれは神託のグリフォンなのだっ!神がエルーガを愛でられている証なのだっ!撃ってはならぬ!何があっても撃ってはならぬ!縄を持て!捕らえて厩舎に縛り付けておくのだ!」

 サイモンは身振り手振りを交えて、大声で命じた。

 しかし、それが無謀な命令であるのは、誰の目にも明らかだった。

 動かない兵士たちに、サイモンは苛立ちを募らせる。


「早く捕らえよっ!貴様ら、宰相である私の命令が聞けぬというのかっ!」

 ぐるりと囲んだ盾の向こう側に向かって、サイモンは腕を振り上げて叫ぶ。

 その時。


「サイモ・・・!」

 フェルの声と、サイモンの腕をヴァイゼの嘴が捕らえたのが、同時だった。


「ひあっ!」

 その場に悲鳴だけを残して、サイモンの身体は一瞬で放り投げられる。

 兵士たちの頭上を越えたはるか後方で、地面に落下する鈍い音が響いた。


 すぐに、何名かの兵士たちが救助に向かう。

 どうやら命はあるようだ。


「・・・あんな奴でも、一方的にヴァイゼが殺したとあっては、寝覚めが悪い」

 兵士たちによって搬送されて行くサイモンを見ながら、フェルが呟く。


 その服の裾を引っ張る手があった。

 ローズである。

 案の定とも言うべきか、泣きながら震えていた。


「もう・・・もう・・・ヴァイゼが人を傷つけるのは・・・嫌です。ヴァイゼだって・・・嫌なはずです。・・・こんな・・・こんな・・・」

「うん」

 フェルが頷く。


「だから・・・だから・・・わたし・・・」

 懸命に涙を拭って、ローズはその震える手で槍を掴む。

 その手に、フェルの手が重なる。


「大丈夫だ。・・・夜になる頃には、四人で月を見ている。俺とヴァイゼとローズとカイムとで、焚き火をしながら菓子を食べよう。そしてそのまま、ヴァイゼに寄りかかって眠るんだ・・・」


 ローズは泣き顔のまま、クスリと笑った。

「飴をたくさん、買わなければなりませんね」

「そうだな。酒樽一杯分くらいは、買わないとだな」

 フェルも笑った。


 そして、

「行くぞ」

 ローズに自分の槍を渡して、フェルは別の槍を両手で持った。

 鉄の柄の槍である。

 使い勝手を確かめるように二、三度振ると、フェルは盾の向こうの兵士たちに、声を張り上げた。


「これから我らの為す事に、一切の手出しは無用と心得よ!」


 それは、魔獣狩人としては尊大すぎる物言いだった。

 だが、全ての兵士が逆らう事なく、構えていた武器を下ろした。

 マリウスはその光景に、羨望の視線を向ける。


「・・・皆、分かっているんだ。彼が何者で、何を為そうとしているのかを」

 そう、誰にも聞こえないほどの声を漏らした。


 フェルはゆっくりと、ヴァイゼの正面へと歩み出る。

 ローズもそれに付いた。


 赤い澱んだヴァイゼの瞳が、二人を捕らえる。

 フェルは、鉄槍をヴァイゼに向けて構えた。

 しかしヴァイゼは低く唸るだけで、一定の距離以上、近づこうとしない。


 フェルはフッと息を吐いた。

 思った通りだった。

 自分に危害を加えようとする者にしか、攻撃しないのだ。


「ダーヴィッドのように初手から本気で行かないと、お前を動かす事すらできないって訳か。お高いって言われても、否定はできないぜ、なあ、ヴァイゼ」


 だが、それならばまだ助かる。

 リンデンのドラゴンのように、全てを薬に奪われていないのならば、元にもどせる。

 そう確信した。


 フェルはもう一度間合いを取り直すと、構えた槍をヴァイゼに向けて繰り出した。

 ヴァイゼの喉元へ向けて、渾身の一撃。

 穂先はグリフォンの羽毛を飛び散らせ、空を切る。


 身を翻して避けたヴァイゼの、傷ついた翼にもう一撃。

 バランスを崩されて、横倒しになったヴァイゼの腹めがけてさらに一撃。


 ヴァイゼは地面で身体を一回転させて避け、その弾みを利用して、鉤爪をフェルめがけて繰り出した。

 後ろへと跳んだフェルの、腿が裂ける。


 見ていた者たちの息が漏れた。

 この間、ほんの数秒。

 まさに息つく間もない攻防だった。


「フェ、フェルさん、怪我を・・・!」

 血の滲む脚を見て、ローズが声を上げる。


「大丈夫だ。それよりローズ、俺が合図をしたら、俺とヴァイゼの間に潜り込んで、あいつの芯核を衝け。思いっきり衝くんだ」

 フェルはヴァイゼに対して、油断なく鉄槍を構えて言った。


「で、でも、加減をしないと芯核を潰してしまう・・・」

「いや、思いっきりだ。いいか、機会は一度きりしかない。どんなに我を失おうとも、最大の急所への打撃を、二度許すはずは無い。そうだろう、相棒!」


 その声に反応して、ヴァイゼが大きく吼える。

 翼を広げて跳び、鉤爪をフェルに振り下ろした。

 それをフェルの鉄槍が弾く。

 甲高い音が辺りに響いた。


 ヴァイゼは翼を広げたまま身体を低くして、鋭くフェルを見据える。

 どうやら、フェルを敵と認識したようだ。

 それを見て、フェルも再び対峙する構えを取る。


「・・・魔獣狩人の修行をしてた頃、お前を稽古台にして、魔獣との戦闘訓練をしていたのを思い出すな。あの時も手抜きしなかったよな、お前は」


 その言葉がどう届いているのか。

 ヴァイゼは赤い目でフェルをねめつけている。


「思えば、お前には助けてもらってばかりだったな。命も、心も。お前が居たから、俺は今まで生きて来られたんだ。・・・だからヴァイゼ、一度くらいお前を助けさせてくれよ」


 ヴァイゼは空が裂けるような咆哮を放って突進し、前脚を立ち上げて鉤爪をフェルの脳天から振り下ろそうとする。


 それは、フェルが待っていた瞬間だった。

 振り上げられた鉤爪の指の間を狙って、槍の穂先を滑り込ませる。

 指の股をかすった穂先が狙うのは、赤く濁った瞳だ。


 それを察知したヴァイゼのもう一方の鉤爪が、させまいと穂先を握る。

 フェルの鉄槍を、両方の鉤爪が絡め取った。


「だあっ!」

 フェルは力を込めて両腕を高く伸ばし、槍を押し上げた。

 ヴァイゼの前脚が高く持ち上がって、無防備な胸が晒される。


「今だっ!」

 フェルの叫びに、ローズはヴァイゼの身体の下に滑り込んだ。

 狙うはヴァイゼの芯核。


「ここっ!」

 気合の声を上げて、ローズの繰り出した槍の石突は、ヴァイゼの右側の前脚の付け根を深く穿った。


 辺りが静まり返る。


 誰もが固唾を呑んで見守っていた。

 この一撃が利いていなければ、用心深いヴァイゼは、二度と前脚を上げる事はしないだろう。


 鉄槍を握ったヴァイゼの瞳は、赤いまま見開かれている。

 低く唸りを漏らしながら、嘴の端が笑ったように見えた。

 そして鉤爪は更に力を増して、鉄槍を握り込む。


「・・・足りなかったか」

 フェルの苦い呟きが、呆然とするローズの頭に降る。


 ダーヴィッドは剣を抜き、弓兵は再び弓を引き絞った。

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