吹雪の才能
音楽に限らず、人は『未知』と出会った時、往々にして本能で行動を起こすものである。
己が未知を認めるか、認めないか。
認めたとて、目前に広がる新しい
(そもそもこいつの脳内辞書には、『遠慮』とか『躊躇う』なんて言葉は載ってないかもね)
(何年だっけ、こいつ? ……三年なら
来たる三月の試験日と受験に必要な準備をリストアップし、脳内でスケジューリングしている間も菜穂子はその胸を躍らせずにはいられなかった。
心中でのみ踊るならまだしも、いきなり本当に踊り出す演奏者とは初めて遭遇したのだ。
音を引き出せなかったが上の奇行とはいえ、普通あんなパフォーマンスはできない。もし仮に菜穂子が「踊れ」と指示しても、大抵の演奏者は困惑しその場で立ち止まってしまうだろう。
菜穂子にはすでに確信があった──吹雪は間違いなく、下手だろうと不恰好だろうと「
素質。
練習や経験の積み重ねではなく、生まれ持った素質。
教科書通りに、先生や先達者が言った通りの演奏さえ続けていればまず間違いは起こらないクラシック音楽じゃなく、これまでに培ってきた固定観念や伝統的思想からの脱却、そして革新を求められる現代音楽のステージでこそ本領を発揮し得る素質。
そんな力を、吹雪の奏でた音から感じたのである。
出会って三日で自分のために楽譜をよこせとのたまってきた男子高校生の、唯一至上の音楽を本能的に追い求める、その熱は本物かもしれない──。
「……う、ん〜ん?」
マウスピースから口を離し、吹雪が悩ましげに首を曲げた。
「何?」
「歌うのもアリ、っすか?」
「駄目。まずは楽器で表現しろって言ってるじゃん」
純粋無垢な真顔でたずねられると、菜穂子は即答し、向きかけていた吹雪への興味をすんっと直す。──あ、こいつ単に即興の引き出しが無いだけか。
ただし、踊りに次いで「歌」という発想がすぐさま出てくるあたり、やはり吹雪からは直感的に
「ええ〜っ⁉︎」
「歌とか踊りとか、パフォーマンスに頼り過ぎだってば! お前さてはあれでしょ、吹部でも一人だけ合奏中に体揺らしまくって暴れまくって目立ちたがるタイプでしょ」
「目立ちたが……ち、違いますって! だから体が勝手に……」
吹雪が図星を突かれて顔を真っ赤にしても、菜穂子の冷たくあしらう態度は温度を変えない。絶対零度を演出しながら、
「お前やっぱ早いとこ個人レッスン受けた方が良いって。つーか、何年?」
「う、受けます。もちろん受けたいです! ……あ、あの」
学年を聞いた途端、吹雪はとても不安そうな目を菜穂子へ向けた。
「先輩は何年生なんですか?」
「は? いや、お前が何年かって聞いてるんだけど。……二年」
吹雪の脳内電卓にマッハの速度でスイッチが入った。
カタカタ、自分は二年で菜穂子先輩も二年。カタカタカタカタ、現役で睦ヶ峰に合格したら入学した時点で菜穂子先輩はもう四年。──じゃあ、
「ま……
ガタガタ。
来たる大学受験に、吹雪が今まででもっとも危機感を抱いた瞬間だ。奥歯を鳴らして震え上がっているところを菜穂子もはやし立ててくる。
「だーかーら私じゃなくてお前だよ! 今何年生かって聞いてんの!」
「二年ですよ二年! うわーやばいやばいやばい、もし落ちたら先輩が卒業しちゃうじゃないですかあ!」
「ふーん、二年ね。二年か……まあ睦ヶ峰なら二年あればギリなんとか……」
「絶対一発で受かりますから! 現役で受からなきゃ睦ヶ峰行く意味ないです。浪人とかありえない……あっ、それか先輩が留年してくださいよ!」
「は⁉︎ 何言ってんだお前、ふっっっざけんな‼︎」
留年──今しがた謹慎処分を食らっているだけあって、その単語は菜穂子の密かな焦りを沸騰させ、思っていた数倍の声量で怒鳴らせた。
その怒声すら聞こえなくなるほど混乱しきっていた吹雪は、またしてもその場で踊り狂う。今度は足だけでなくサクソフォンを抱えた指先も動き回っていて、小さくて丸っこいキーをカタカタと小気味良く叩いた。
菜穂子はそんな光景に、どういう脈絡なのか自分でも分からなかったが、かつて通っていた
ルロイ・アンダーソン作曲『タイプライター』──吹雪の忙しなくて大袈裟なリアクションの数々を表すにぴったりだ。
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