吹雪の曇り空

「え? ……え、あっ。……、…………」

 走馬灯。

 最近の部活動内外で起きたあらゆる出来事が、吹雪ふぶきの脳内を駆け巡っていく。

 パート練習とか。定期演奏会の打ち合わせとか。

 役職の引き継ぎがなされた後、自分は大したポジションに就かなかったことを吹雪はさほど気に留めなかった。むしろ部長や大変な役回りが巡ってこなくてラッキーくらいの、いたく軽い気持ちで。

 しかし振り返れば振り返るほど、初めからそんなものに選ばれるはずもないと思い至る節があまりに多過ぎて、水崎みずさき先生に反論するどころか返す言葉も見当たらない。絶句した。

 勝手だったのは自分のほうだ。吹奏楽が団体競技で、当時の酒井さかい先輩がみんなのムードメーカーであったなら、今の自分はいったい何者であろうか。「孤高のソロプレイヤー」か?

 ──そんな格好良さげな異名はちっとも格好良くないと、吹雪は正気を取り戻した。


「もちろん、みんなも佐倉さくらくんのソロをいつも楽しみにしているし、進路のことも応援してると思うんだ。睦ヶ峰むつがみね志望だってことも、そろそろ周知されているんじゃないかな? 中本なかもとさんも、きみが最近は受験の準備に忙しくしていて、きっとこれからはもっと忙しくなるだろうと理解しているはずだよ」

「……っ、あ……」

 意地悪な言葉ばかり連ねていると思っていた水崎先生は、むしろ極力吹雪を傷付けないよう配慮に配慮を重ね、必要以上に慎重に言葉を選んでいたのだと吹雪は悟った。

 最後の最後で気付いてしまっただけに、その配慮がひしひしと伝わってきて、全身のありとあらゆる関節がズキズキと痛んだ。

「まあ、夏コンが終わるまでにじっくり考えてみて」

 吹雪の思い詰めた表情で、伝えるべきメッセージが正しく伝わったと認識したのだろう。水崎先生は普段の優しい微笑みを取り戻し、教科書片手にすっと席を立つ。

「僕も応援しているよ、佐倉くん。うちの部から音大合格、ゆくゆくはプロの演奏家が輩出されるなんて、とっても素晴らしいことじゃないか。定年退職の間際にそんな生徒が出たなら僕も鼻が高い」

「……」

「どうかよろしく頼むよ。部活動の領域よりもっと高い場所を目指すきみにとっても──たかが学校の部活動でも、きみと同じくらい一生懸命に音楽に取り組んでいる子たちにとっても、互いの将来を思いやれる活動と有意義な選択を心がけるように」

 そこまで言うと水崎先生は、のっそりとでも速やかに進路相談室を歩き去った。

 どんな説教よりも厳しく辛い進路指導に、吹雪はがっくりと肩を落とし座り直し、長らく呆けていた。もう一度これまでの部活動を繰り返し、自分がしてきた言動を反芻して絶望する。



(……どうしよう)

 そういえば、名古屋で対面した詠人えいとには、ひとつ聞き逃したことがあった。

 どうして吹奏楽部を途中で辞めたのか、、、、、、、、、、、、、、、、、

 かつては吹雪も、ピアノを一度投げ出している。今は部活動でサクソフォンに触れ、新しい音楽生活が始まって、菜穂子や現代音楽とも出会って……これがない生活など考えられない。ノーミュージック・ノーライフというやつだ。


 ──本当に?

 いつしか自分の中で、ノーミュージック・ノーライフのうち『音楽Music』の内訳が変容してはいやしないか。

 菜穂子なおこやすごい先輩たち、新しい音楽の世界に取り憑かれると、それまでずっと一緒に音楽をやってきた、ずっと前から同志であったはずの部員たちを、知らぬうちに蔑ろにしていたのではないか。


「……はは……」

 吹雪は机に突っ伏し、力無く自嘲した。

 よくもまあ恥ずかしげもなく城安じょうあんひがしのエースを自認できたものだ。なんなら他の部員たちには、自分はとうにエースどころか、仲間としてさえ認識されていないかもしれないのに。

 ふらふらと部屋を出る間際、吹雪はちょっとだけ水崎先生に八つ当たりした。

 こんな説教、こんな進路指導、こんな新発見はせめて夏コンが終わってからにしてもらいたかったものだ。



   ♫



 さらに時は流れ、八月。

 城安じょうあんひがし高校吹奏楽部の夏コンは水崎先生の予言通りに、あっけなく県大会で幕を閉じた。

 かといって部内の雰囲気は暗くなり過ぎず、気が抜けてもおらず、お盆休みを控えた最後の練習日でも、再来月の文化祭を見据えたポップス曲の譜読みが早くも開始されていた。

「じゃ、今日の合奏はここまで。怪我や病気に気を付けて、楽しい夏休みを過ごしてください」

「ありがとうございました‼︎」

 水崎先生は指揮台を降りればすたすたと音楽室を出ていく。

 あの進路指導から二週間ほど経っているが、あちらから進路の最終決定を急かす素振りはまるでなく、どうやら吹雪が自ら判断を下し、話すのを待っているようであった。なんだかんだ言っても、最後は本人の意思を尊重するということだろう。

 当の吹雪はいまだに悩み続け、部活動との関わり方を決めあぐねている。

 もし仮に退部するのであれば、それを顧問以上にいち早く明かすべきはサクソフォン・パートだろう。お盆が明ければ、冬のアンサンブルコンテストへ向けた話し合いも始まっていくはずだ。

 何より、春休みの酒田先輩の二の舞になるのだけは御免だ。定期演奏会じゃ、開演前のロビーコンサートで一緒に『ルパン三世』吹くって約束したはずなのに。


(や、でも……なんて話を切り出せば……)

 吹雪はちらと、解散したばかりの音楽室を様子見した。

 ひとたび己の失態に気付くと、芋づる式に次々と新しい発見ばかり掘り起こされるもので、実はもう何週間もサクソフォン・パートの面々とは、業務的な連絡以外で顔を合わせていなかったのだ。夏コンという特大イベントの最中だったにも関わらず。

 他のパートも、同級生の何人かは早々に楽器を片付け帰る支度を整えていた。一年生にはまだ楽器を持ったまま駄弁っている生徒もいるが、二年に相談せずして後輩にいきなり話しかけてどうなるというのか。


 ──怖い。

 部活を辞めようか迷っていると明かした時、彼女たちはどんな反応をするだろう。酒井先輩みたく引き留めるだろうか。

(いや。……僕に、酒井先輩みたいな人望はない)

 やっと辞めるんだ。どうせパート練にも来ないし居ないほうがありがたい。いつも先輩ばかりソロ吹いててずるい……。そんな、まだ言われてもいないさまざまな台詞が吹雪の頭を支配し、蝕んでいく。



 青い顔した吹雪が着席したままうつむいていると、肩をポンと叩かれて振り返る。

 肩に手を乗せた中本の指先が、吹雪の頬をえぐった。


「お、引っかかった」

「……今時、男子の間でも流行ってないぞ」

 吹雪の呆れ声に中本はにへらと笑う。

「なあに黄昏てんの? さては夏休みも楽器くらいしか遊び相手がいませんってか?」

「……余計なお世話だ」

 自己肯定力がうんと下振れを起こしている吹雪には、中本のしれっと人を傷付けるイジりに突っ込む心の余裕もない。

「あたしはね〜、これからペットのみんなでスタバの新作飲んで〜、お盆は家族で静岡の実家帰って〜、来週はジャニーズのライブ抽選当たったから東京行って〜……」

 中本のジャニーズ談義はうっかり捕まると長い。

 これ以上夏休み自慢を聞かされる前に撤退しようと席を立ちかけた吹雪は、

「……そのスタバ、今すぐ行かなきゃ売り切れるやつ?」

「は? 何、吹雪も飲みたいの?」

「ちょっと話があるんだけど」

 相談相手をサクソフォン・パートから中本・新部長に切り替えた。中本は少しだけ呆気に取られていたが、場所を変えようと吹雪が提案すれば、

「本当にちょっとなら良いけど? みんなをあんまり待たせたら悪いし」

 口ではそう言いつつ本人は特段嫌な顔を見せるわけでもなく、楽器を手離した吹雪の後を、同じく手ぶらでホイホイと付いてくる。

 内容が内容なだけに他の部員には聞かれたくないと、音楽室と同じ階の誰もいない教室を選ぶ。空き教室でも風を通すために窓は開けてあり、中本のポニーテールがサアとなびいた。

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