中本新部長の慧眼
♫
「で、何?」
「……ええと……」
初めは軽い気持ちで付いてきた
椅子に座り机に肘付き、彼女なりに心当たりを探ったのか、
「ほう、なるほど」
扉の近くで立ち尽くす吹雪に中本も真剣な顔を作ってみせた。
「分かっちゃったから先に言ったげる。──ごめんなさい、丁重にお断りします」
中本は何を分かっちゃった気になっているのだろうか。
「ぶっちゃけ告白っしょ? この中本様に告りにきたんでしょ?」
中本は何も分かっちゃいなかった。吹雪が顔を真っ赤にして否定すると妙に嘘っぽく見えてしまい、状況をこじらせる。
「やだよ、気持ち悪い。誰が付き合うかよ。お前みたいな急に踊り出したり、合奏中に大暴れしてるようなキショい男」
「いくらなんでも言い過ぎだろ! ……じゃなくて、マジでそういう話じゃないんだって」
「なんだ違うのか。じゃあ何よ?」
「……あの、さ」
しばらく口の中で舌をモゴモゴ転がしてから、吹雪は中本の胸中を探った。二年に進級して以降、おそらく部内で誰よりも吹雪に手を焼いてきたであろう同級生に。
「僕、もう部活辞めたほうが良いかな?」
中本はその場で固まった。吹雪がそんなことを言い出すなど、愛の告白よりも想定できなかったのだろう。
「……は? どゆこと?」目をまん丸にし声を上擦らせて、「え? 部活辞めるの?」
「え、や、だから……その、雰囲気悪くしてるかもなって……定演の打ち合わせとか、パート練とかめっちゃサボったし……」
なぜか吹雪までテンパっている。衝撃告白で混乱したのは中本のほうであり、頬杖を止め姿勢を正す。
「別にサボったわけじゃないでしょ?
ここで吹雪は、水崎先生と交わしたやり取りを中本に余さず伝えると決断する。
吹雪の説明でどれほど正確に事情を伝えられたか定かではないが、少なくとも部内での進退に本気で思い悩んでいることだけは理解されただろう。
「ぼ、僕は……本当は辞めたくないけど。でも、みんなにはこれからもっと迷惑掛けるかもしれないし。合奏も、レッスン始まったらちょくちょく休むかもしれなくて……」
「ふーん……へえ……」
話の途中で、中本は視線を吹雪から窓の外へと移した。納得しているのかしていないのか、しきりに頷いているその心中がいまいち掴めない。
「い、今は中本が部長で、色々仕切ってるわけで……あの、なんていうか、今の僕をどう思ってるかなって……」
「逆に聞きたいんだけど」
中本はぶっきらぼうに質問を投げかけた。
「吹雪が吹部を辞めたくない理由って何? それか続けたい理由でも良いんだけどさ」
「え、っと、それは」
吹雪は慎重に言葉を選ぶ。
ソロコンに出たいから──と真っ先に答えれば、いかに自己中心的かを自供するようなものだろう。現に
だが、中本は吹雪の返事を待たなかった。
「……
「えっ?」
「あれさ、あたしもめっちゃショックだったんだけど。てか、ぶっちゃけムカついたんだけど」
今度は吹雪が意表を突かれた。遠くでまじまじと中本の横顔を見つめる。
「酒井先輩とは中学も一緒だったし、ピアノ弾けるのも国公立目指してんのもなんとなく知ってたけどさ。急に辞めるとかあり得ないでしょ。何勝手に辞めてんの? 大事な役職持ってて、サックスも他に二年生いなかったのにさ」
「そ……そんな言い方しなくても」
悪口の行き先が水崎先生だったならまだしも、思いも寄らない飛び火に、吹雪はついその場にいない先輩を庇ってしまう。
「仕方ないだろ、あれは。先輩にも自分の大事な用事……受験勉強があったわけで」
「だから何? あの人こそ無責任じゃん。散々みんなや先生に愛想振りまいて、あたしら一年にも良い顔してきたくせに。吹雪のことだって、ソロコンとか、いかにも私がお世話してますみたいな先輩風吹かせてたじゃん。なのに、いきなりそういうの全部ほっぽり出すってことはさ。あの人にとっては吹部も、あたしらのことも所詮その程度だったってことじゃない?」
まるで予想だにしなかった本音を耳にした。
自分もしっかり者で周りへの面倒見も悪くなかった中本が、吹雪や同級生へのイジりじゃなく、上級生をこれほどボロクソに言う姿は初めて目撃する。
「ごめん、言い過ぎたわ。今のは忘れて」
「い、いや……」
「吹雪って本当はあたしよか、酒井先輩みたいな大和撫子がタイプだもんね」
違うとすぐに否定できなかった自分に腹が立つ。吹雪は顔をぐしゃりと歪めた。
「で、吹雪が辞めたくない理由ってそれ?」
夏の真っ白な雲の形に動物を当てはめながら、中本も吹雪の本心を探る。
「ええと……なんでそう思うんだよ? まだ何も言ってないだろ」
「いや、だってねえ。酒井先輩が辞めて一番割り食ったの、吹雪でしょ?」
吹雪の沈んでいた心が、ずっと曇り空みたいにモヤがかかっていた心が鮮明に晴れていく。
あの日、水崎先生には言い返せなかった言葉が、正しく伝えきれなかった本音が、中本の口から語られた。
「言うてもあたしはパートが違うからさ。ムカつきはしたけど半分は他人事っていうか。けどお前は違うじゃん。
的外れだったらごめん、と中本は再度断りを入れた。吹雪は違うと言い返さなかった。
「ま、吹雪が本気で辞めたがってるなら、あたしたちは今度も止めらんないだろうけど」
中本は雲を数えるのを止めて、
「辞めたくないんでしょ? じゃあ良いじゃん。水崎先生もお前が思ってるほどマジでは言ってないって。教師が言っておくべきそれっぽい話を適当にしただけじゃない?」
「え……で、でも、みんなは」
「何を一丁前に気ィ回してんだか知らないけどさ。吹雪にサボられて迷惑だとか、部活辞めろとか別に誰も思ってないから。てか、サボってるわけじゃないってみんな分かってるから」
真顔で吹雪と向き直ると、吹雪は所在ない両手を胸の前でいじり、いまだ深刻そうな表情を浮かべている。まったく調子が出てこない吹雪の、そんな顔が中本には一番意外だった。
「ていうか今更でしょ。吹雪が変な奴なのもどっか頭おかしいのも協調性ないのも最初からだし、仕切りとか絶対向いてないし。まさか多忙ごときで部長やら副部長やらに選ばれなかったと思ってる? はっきり言ってねーよ。お前だけは全員目線でねーよ、別の意味で」
「……おい……」
「あっさり楽器上手くなったり全国行ったり、それで調子乗って音大行くとか言われてもさ、こっち的にはふーんそっか頑張れってくらいで」
「おいテキトーか。……その言い方じゃそもそも興味ないってか?」
「うん。実はね」
なんだそりゃ、と吹雪は脱力した。中本は言葉に変なフィルターをかけないから、嘘や遠慮も含まれていないと鈍い吹雪でも容易に推し量れたし、話していると「じゃあなんとかなるか」いう楽観的な気分にさせられる。
受験との両立という根本的な解決には至っていなくとも、同級生に厄介者扱いされてないという事実だけでじゅうぶんに吹雪の強張っていた心は
♫
「……ふーん。へー。そっか」
吹雪が教室を去ろうとシューズに力を込めかけると、中本は最後の最後で意味深な相槌を打った。
「まあこっちは、酒井先輩と一緒で半分他人事だからさ。でも、吹雪ってそうなんだ。ちょっとホッとしたわ。そいつはあたしも知らなんだ。覚えとくよ」
「な、何が」
「お前、そんなに吹部のこと大事に思ってくれてたんだね」
その言葉は、中本が人知れず募らせていた諦観を表していただろう。
吹雪のことを見放し諦めていたのではない。これまでに音楽室で起きたひとつひとつの積み重ねが生じさせた、中本自身の心のヒビだ。
一度は信用していた先輩に裏切られ、部長を任されたところで夏コンの成果は例年通り奮わず、数少ない実力者だった吹雪も、万が一自ら辞めると言い出したところで、まあそういうこともあるかと簡単に引き下がってしまうような。
そういったいろんな諦めの気持ちを、吹雪の相談によって、中本のほうこそ今しがた思い直したような。
「県も抜けらんないような部活でも、音大行くつもりでも、お前はちゃんと最後まで続けたいって思ってくれてるんだ」
「……あ、たり、前だろっ‼︎」
吹雪の中で押さえ込んでいた何かが決壊した。
逆ギレとも違うぐちゃぐちゃした感情を抑えきれず、吹雪は両手を痙攣させる。
「続けるに決まってるだろ! ああそうだよ、好きだよ、吹部! 県だって来年は抜けるよ、絶対! 今度は
「ああそう。分かった、分かったってば。おい泣くなよ」
「中本も勝手に諦めるなよ! お前部長だろ! 全国行きたくないのか⁉︎」
「ああ行きたいね。当たり前じゃん。でもあたし一人でどうにか出来る問題じゃないからね、そこばっかりは。だから、じゃあそっか。そういう話なら頑張るわあたしも。エースがやる気になってくれたみたいだし」
吹雪のぐちゃぐちゃになった顔で困ってしまったのか、中本はおどけるように肩を上げた。
「つーか、だったらお前さ。もうちょっとパート練付き合えよ。せっかく上手いんだから。自分のパートだけ吹けてればとりあえず良いやとか思ってたんじゃないの、ぶっちゃけ?」
「ごめん。それはごめん! 次からはちゃんと付き合うから!」
「マジで頼むよエース。プロになるんでしょ? てか、プロに教わるんでしょ、これから。こっちも全国出たいんだから。夏コンもアンコンもソロコンもみんな全国行きたいに決まってるんだから、吹雪が早いとこプロの技術盗んでうちらにも流してよ、色々さ」
「うん、分かった。ごめん分かったよ……!」
『青銅の騎士』の一件も、中本には初めからすべてお見通しだったらしい。吹雪は腕で涙を拭い、何度も頷く。
──もっと早く伝えれば良かった。
長らく同じ音楽室で過ごしていたのに、吹雪と水崎先生、そして中本新部長とでは、見えている景色がまったく違っていたのだ。
二人きりの時間が長引いたことで、スタバを待ちきれなくなったトランペット・パ―トの面々が興味本位で教室をのぞいてしまい、
「うぇえっ⁉︎ 吹雪くんが泣いてる⁉︎」
「泣かせた! 中本先輩が吹雪先輩泣かせた!」
などと騒ぎになり、お盆が明けて部員が再集結する頃には噂がほぼ全員に知れ渡っており、あることないこと憶測が飛び交い、あげくの果てには「部長が吹雪に告られて盛大にフってガン泣きさせた」という、夏休みのちょっとした事件にまで発展してしまったのであった。
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