吹雪の幼なじみ
♫
言うまでもなくソロコンは、高校生の『
しかし『
──そういうツテが、『
〈伴奏は
部員からはことごとく伴奏を断られ、そもそもこの学校に可能性のある伴奏者が存在しないとすぐに悟った
〈は? なんで? 嫌だけど?〉
菜穂子はいつもの三段活用で断ってきた。だが今回はそこで議論が途絶えるのではなく、
〈悪いけど、在学中は作曲以外の仕事は受けないことにしてるから〉
と追記でダメな理由が添えられてくる。どうやら菜穂子は自分の音楽活動に高いプライドと強いこだわりをお持ちなようだ。
吹雪は菜穂子に伴奏を頼むのは諦めたが、なおさら下手なピアニストに声は掛けられないともう少し追い縋って、
〈じゃあ誰か伴奏者紹介してくれませんか?〉
もしかすれば
〈
いやいやそうじゃなくてと返信しかけるも、途中で思い留まる。もしかしたら、オーキャンの一件で芸大生と顔を合わせづらくなっているのではないかと直感したのだ。
その花村先生も電話にはすぐ出てくれたが、もともとレッスン漬けの毎日で忙しい人だ、コンクールの伴奏を引き受ける余裕まではないと謝られてしまった。
正しくは、伴奏ではなく菜穂子の曲がやっていられなかったのかもしれない。『スカラムーシュ』なら、本番さえ予定を空けられれば快く了承してくれただろう。
花村先生はずっと面倒見てきた菜穂子がどんな曲を書くのか知っていて、そんな彼女が紹介してきた吹雪に話を振られたものだから、おおかた事情に察しが付いてしまったのだ。
(そんなにいっつもドギツイ曲ばっか書いてるのか、この先輩……!)
何も吹雪だけに書いているわけじゃないと思い知らされる。
他に誰がやるんだこんな曲、と嘆く反面、きっとやる人はきっちりやってのけているのだとも慄いた。
吹雪にとっては菜穂子が暫定一番の作曲家だけれど、菜穂子にとってはそうじゃない。
吹雪の一番でも、吹雪が一番じゃない。
きっと菜穂子はいつだって、吹雪でも誰にでも同じように、自分にとって一番だと思う楽譜を書き続けているんだ。
(あ〜、ちくしょう……!)
自転車を走らせ、田んぼのど真ん中をひた走りながら叫び出したくなる。
吹雪は初めて、自分が
ほんの少し遠回りしているような錯覚に陥るだけで息が苦しくなる。
早く三年生になりたい。早く入試を受けて、合格して、睦ヶ峰芸大に入って、早く菜穂子と同じ学校で、同じ舞台で、同じ音楽をやりたい。
(だからこそ、まずはこのソロコンを頑張らなきゃなんだろ……!)
家の前で思い切りブレーキをかける。
ちょうど仕事から帰ってきたらしい母親が玄関の鍵を開けようとしていて、キキ──ッ! とつんざくような車輪の音に驚いて振り返った。
「そんな乱暴な運転したらダメよ吹雪! 転んだらどうするの」
母親のよく通る高音が空まで飛んでいきそうだ。
「ご、ごめん」
「楽器吹けなくなったら困るでしょう? せっかく
近所の幼なじみで、彼女の話は吹雪が音楽教室を辞めても両親の口からたびたび聞かされる。ピアノコンクール全国大会で入賞したらしいとか、
どうしていまだに秋音の話をするのか、吹雪はいつも深く考えないようにしていた。別にわざわざ又聞きせずとも、連絡は時々取っているわけで。なんなら両親も知らないであろう元カレとの顛末もたびたび本人に愚痴られたわけで。
ただの世間話をしているに過ぎないかもしれない。それなら別に良い。だが、春休みに音大を勧めてきたあたり、もしかすれば内心では秋音と同じようにピアノを続けてもらいたかったのかもしれない。
(そうか。……秋音と同じ志望校なのか、今)
楽器は違えど、思わぬ形で秋音との縁が再び繋がった。人生何が起こるか分かったものじゃないなと達観しつつ、吹雪は自転車を庭に停めた。
「母さん、ごめん。用事あるからメシはちょっと待って!」
「はいはい。父さんもすぐ帰ってくるから早く降りてきなさいね」
吹雪は二階の子ども部屋へ駆け込む。
そうだ、秋音が居たではないか。同じ大学を目指す彼女なら、じゅうぶんに菜穂子の難曲を弾きこなせる可能性を持っているんじゃないか?
ただ技術的に弾けそうというだけではない。秋音は吹奏楽部でもばりばりにレギュラーで活躍している。日頃から妙に小難しい曲ばかり演奏してレパートリーにしている、あの
ピアノが上手くて現代音楽にも耐性を持つ、近所の希少な高校生……。考えれば考えるほど、秋音以上に適任はいなかった。
♫
吹雪はベッドの上であぐらをかき、文章を半分ほど打ちかける。文字だけだとひどく簡素で淡々としていて、なんだかあまり事の重大さが伝わらないような気がして、
(や。こういう時は直談判だろ!)
着信を入れる。
この時間に出てくれるかどうかは怪しかった。
『……何?』
やや長めに待たされたものの、秋音は電話にちゃんと出てくれた。電車や屋外にいる様子もなく、それほど雑音も聞こえてこない。
「ええ、っと……今忙しい?」
『別に。まだ練習室だから』
「あのさ……秋音に頼みたいことがあるんだけど」
吹雪がいつもよりもうんと畏まった態度で、
「今度のソロコン、秋音に伴奏頼めないかなって……」
『なんであたし? 自分とこの部員に頼みなよ』
要件を話せば、秋音は淡々とした声で返してくる。
『あたし、
さすが
かといって、吹雪も易々と引き下がるわけにはいかなかった。
「今年はスゲー難しい曲を選んでてさ、うちの部員じゃ誰も弾けないんだよ。でもめっちゃ格好良くて、なんていうか……そう、
演奏難易度についてはあえて伏せなかった。そこを隠したところで、楽譜を渡した後に怖気突かれても困るからだ。
何より、吹雪としても生半可な気持ちで引き受けられてはまずかった。引き受けてくれないのも同じくらいまずいのだけれど……これが上を目指す者のジレンマというやつか。
『……ふうん』秋音の声色は変わらない。
『なんて曲? 作曲家は? ユーチューブに動画ある?』
しまった、と吹雪は顔をしかめる。ここが最大の関所だったか。
吹雪も決して例外にあらず、演奏者の大半は新しい曲を譜読みする際、動画やCDでその音源を探す習性がある。どんな感じの曲で、難しいのか、速いのか、練習ではどこから手を付けたら良いのか、先達者の演奏を聴くことで手っ取り早く測りたいからだ。
出来立てほやほやの楽譜にもちろん音源があるはずもない。
「じ、実は……ソロコンのために新しく書いてもらった曲で……」
『……へえ』吹雪がしどろもどろになったのに対し、秋音の声はなぜかトーンが上がった。
『誰に書いてもらったの?』
「
『吹雪、作曲科に先輩いたの?』
またもしくじった、と吹雪は額を手で押さえる。秋音もあのオーキャンで一緒に新作発表会を見ていたではないか。しかも菜穂子のアレもがっつり目撃している。
『それで作曲科のやつ行きたいって言ったの? なんで先に言わないのよ。で、誰? あの本番にも出てた?』
「でっ、出てないよ!」
テンパるだけでなく嘘まで吐いてしまった。本能的にその先輩が菜穂子だと伝えるのは危険と察知したのだ。
「とにかく、今年はこの曲でソロコン全国行くから! ていうか、今年こそ全国で金賞獲るために書いてもらったようなものだから! なあ、一緒にやろうよ」
『……全国、ねえ』
呟くなり秋音はスマホの向こう側で沈黙した。
彼女自身がさまざまな全国大会を経験しているからこそ、そこへの出場が吹雪の中でも目標ではなく前提となっている部分は、印象点をそれなりに上げたんじゃなかろうかと打算しつつ。
それでもダメと言われてしまった時に備え、吹雪は色々な口説き文句を頭の中でかき集める。
♫
『……あのさ』
秋音は口を開いた。
『なんで全国行きたいわけ』
「へ?」
『気まぐれで吹部入ったら、たまたま一年で全国行けて調子乗ってるの? それか、内申書にソロコン全国金賞って書けるから?』
声を聞けばすぐに分かる。秋音はぐんとテンションを下げていた。その昔、泣きじゃくりながら彼氏と別れたという報告を受けた夜と同じくらい。
次は何を失敗してしまったかと吹雪が脳内反省会を開いている場合ではなく、
『ねえ吹雪。そのノリだとさ。もしソロコンで結果出なかったり
「へっ? ……な、なんで」
『だってピアノは辞めたじゃん。全然練習してこなくて先生に怒られて、コンクールも全然ダメでさ』
「い、今はちゃんと練習してるよ! いつの話してるんだよ、お前」
不意打ちじみた秋音の追及に吹雪は戸惑う。小学生の頃の話を今更持ち出してくる意味が分からない。
「今はとにかく、結果出すことを考えれば良いだろ? 伴奏やってくれて結果出たら、お前も内申書に書けるかもじゃん。何か問題あるか? 僕、今はちゃんと本気だから──」
『あたしだってずっと本気よ!』
秋音の悲鳴みたいな怒声。これも吹雪には幾度となく聞き覚えがあった。
自分がどこで彼女の心の地雷を踏んでしまったかは、次の告白ではっきりすることとなる。
『あたし、決めてるの。
「……はあっ⁉︎」
素っ頓狂な大声を出してしまい吹雪は慌てて口を塞いだ。近所迷惑だと母親に注意されないよう下の階に気を配りながら、
「な、何言ってるんだ……辞めるなよ! お前はずっとピアノ続けてただろ」
『だから辞めるのよ! そう、一度もピアノ辞めなかったし、毎日練習してたし、全国くらいあたしも散々出てるわよ!』
「そ、そうだよな? だったら
『
ああそれか、と吹雪は目まいした。
秋音にとっての最大の地雷だ。どういうわけだか秋音は、第一志望だった
(や、でも……ええ? それと僕のソロコンって関係ある? まあ言われてみれば内申的には……? いやいや、ソロコンの結果がそのまま受験に出るわけじゃないし……ええ〜っ?)
反論してやろうかと思ったが、今回ばかりは自分が伴奏をお願いする立場だと思い直し、吹雪は大人しく秋音の話に耳を傾ける。
『別に彼氏のために
「そ……ん」
『そういう世界なんだよ、あたしたちが居るのって。ピアノを続けてる限りこれからもずっと、何度も同じ目に遭うんだよ。だから、あたしはもう嫌。
「ま、まだ一年もあるだろ。お前なら受かるって」
『だからなんで上から目線なの? ムカつく。超ムカつく! なんで吹雪まで
「や……それはさあ、えーと……ううん……」
半ば八つ当たりみたいな罵倒に、吹雪は返す言葉が見付からなかった。
好きじゃないはずは無かったし、かといって好きだと答えたところで嘘だと決めつけられさらに追撃が降ってきそうだし、だいたい楽器変えてハマったならそれも別に良いじゃん、と喉まで出かかった反論を何度引っ込めたか分からない。
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