SECTION.11 吹雪の春:ようこそ睦ヶ峰芸大

ようこそ睦ヶ峰芸大

 愛知県立睦ヶ峰むつがみね芸術大学──入学式。



 美術学部・音楽学部あわせておよそ千人足らずの全校生徒が集いし、丘の上の学び舎。

 道端では桜舞う季節。

 長らく着ていた学ランやセーラー服を脱ぎ捨て、気持ち新たにした芸術家の卵たちが、この春も全学科で二百人ほど校舎へ足を踏み入れた。


 佐倉さくら吹雪ふぶきもそんな新入生の一人だ。

 実家の安城あんじょうから校舎がある長久手ながくてまで、およそ一時間の道のりを両親が車で送ってくれる。

「やっぱり大学の近くに住まわせたほうが良いのかしらねえ」

 丘を登っている間、助手席で吹雪の母親が呟く。

 吹雪は後部座席で卸したての黒いスーツにドギマギし、ネクタイが曲がっていないかをバックミラーで何度も何度も確かめていた。

「電車だと片道二時間らしいぞ」

 ハンドルを握った父親が、自転車がいくつも立ち漕ぎし、車をさあっと追い抜いていく姿を眺めている。

 車道は佐倉家と同じような送迎車で渋滞しており、ブレーキを少し離してはすぐに踏んでを繰り返す。

「みんな、授業が終わってもずっと練習室に籠もって楽器練習するんだろ?」

「アンサンブルの合わせも入るよ」

 吹雪はリュックサックの中身を覗き込み、

「練習とかレッスンとか合奏とか。音大生は夜が本番って、先輩たちみぃんな言ってる」

 入学が決まった段階で、ずっと両親へ相談していたことを改めて口にする。

「もう少ししたら、やっぱり一人暮らしさせてよ、母さん、、、

 あえて母親にのみ頼んでいるのは、父親はとっくに吹雪の実家離れを承諾していたからだ。

 だが、母親のほうは息子が安城あんじょうを離れることをいまだに渋っていた。

 生活費が高いだとか、吹雪に身の回りのことがつつがなくこなせるのかとか、一度実家を出たらとうぶん帰ってこないのではとか、親としてのありとあらゆる懸念や思惑が母親の中で渦巻いていたのである。


「夜なんて、どうせバイトばっかりするんじゃない?」

 やはり母親は消極的な姿勢だ。

「吹雪は周りに流されやすい性格だもの。ほら、サックスで睦ヶ峰行くってなった時も……──」

 冬頃より幾度か聞かされてきたセリフに、吹雪は眉をひそめる。

 過去の事実改竄をされるのも心外だ。睦ヶ峰芸大への進学を勧めてきたのは、他でもない自分たちではないか。

「片道二時間で通ってちゃ、そのバイトだってままならないんだけど?」

 吹雪は不満を隠さず、

「僕だって、周りに相談しながら、自分のことは自分でいろいろ考えられるよ。頼りになる先輩も、先生も、睦ヶ峰にはいっぱいいる。母さんは、一人暮らしのなにがそんなに気に入らないのさ」

「そうだよなあ。吹雪、もう大学生だもんな」


 父親は適当に頷きながら、車をロータリーで停める。

 帰りは電車に乗るつもりでいるため、両親の見送りはここまでだ。

「じゃ、頑張れよ」

 車を降りた吹雪へ、両親はあたたかな声を掛けた。

「入学おめでとう吹雪」

「おめでとう。行ってらっしゃい」

「うん。行ってきます」

 吹雪は足早に両親のもとを離れていく。すぐ後ろでも送迎車が詰まっていた。

 スーツジャケットを羽織った新・大学生は、新品の大きなリュックサックに。


 ──睦ヶ峰芸大が生んだ『サクソフォン・スター』にして吹雪の師匠、貝羽かいば詠人えいとのサインが書かれた、アルトサクソフォンの楽器ケースを堂々と背負っていたのだ。



   ♫




 入学式は大ホールで行われる。

 学科ごとに着席する列が定められており、吹雪はドギマギした面持ちで『管楽器専攻』と張り紙された席のひとつに腰掛けた。

 瞬く間に周りの席が埋まっていくと、その緊張は図らずも膨らんでいく。

(この辺にいる子は、全員管楽器なんだよな……)

 同じ授業、同じレッスン同じアンサンブル、同じブラスやオーケストラ。

 同じ音楽を奏でていくであろう、同学年の仲間たち。

 彼らの顔ぶれを、吹雪は誰一人として知らない。

 というのも、吹雪は推薦入試で睦ヶ峰に合格しており、つい先月まで続いていた一般入試での合格者が大半だった彼らと直接顔を合わせる機会は、これが初めてだったのだ。


 そして、管楽器専攻サクソフォン科の入学者は──二人、、


 定員がそもそも二名だったサクソフォン科において、うち片枠を吹雪が早くにかっさらってしまったがために、今年の一般入試では、実質たったひとつの合格枠を日本全国の高校生サクソフォン吹きで争うという、なんとも熾烈な受験戦争と化していた。

 その過程を、吹雪も専用サイトでなんとなく知っている。

(受験者数十二名、合格者数一名……ってなんだよ⁉︎ 倍率やっば!)

 もしも推薦で受かっていなかったら──と、想像しただけで吐き気がする。

 すなわち、今日この場へ姿を現すのは、吹雪の同級生にしてその受験戦争を勝ち抜いてきた、正真正銘の猛者なのだ。

 ここにいる、誰かが──。

(どんな子なんだろう。もう来てるかな……?)

 吹雪はちらちらと、あたりを盗み見ていた矢先。



 どかっ!

 空いていたすぐ左隣の席へ乱暴に座る音。

 いろんな話し声が混ざり合って、騒がしくも厳かな大ホールの空気をぶち壊すような。

「やー、間に合った間に合った!」

 軽快に明るくはずんだ、女の子の声。

 びくりと肩を跳ねさせた吹雪が、おそるおそる隣の席へ視線を移せば、

「いきなり寝坊するか思たで〜! やあっぱ、おっきなアラーム鳴る目覚まし、買うてこなあかんなあ!」

 およそテレビやラジオ番組でしか聞き馴染みのない方言。

「せっかく名古屋来たんやし、きっちり大学生デビュー決めたろーて、めえっちゃネットで調べまくって髪型厳選しとったんが裏目に出てもうたかな〜。ま、しゃあないわ! なな、来週の初ブラスは、絶対こ〜んな女子高生みたいな髪にしてこおへんさかい、よう見とき!」

 バシ! と。

 吹雪の肩をなんの遠慮なしに叩く、茶髪ツインテールの女の子。

「……えっ」

「てか、自分、、、入学式やのに楽器持ってきたん? いやどこで吹くつもりやねん。ガイダンスも新歓も明日やろ? 今日はここの練習室も使わしてもらえへん思うで?」

 黒スーツにスカートパンプスという、ビジネススタイルが全然似合わない次元で喋り倒している。化粧っ気もなく、確かに女子高生がスーツに着られているような様相だったが。

 吹雪はきょろきょろする。──え、この子今、僕に話しかけているのか? たぶんそうだよな?

 ていうか、

「え……と」

「なあ、自分、愛知の人? うち、入試でいっぺん来たっきりやねん。今度美味しい店とかおしゃれなカフェとか連れてってーや。やっぱ華の大学生ゆうたらカフェやろ? ほら、なんやったっけ? 名古屋がモーニング発祥なんやったっけ」

「モーニングはおそらく一宮いちのみやかと……あと、ここは名古屋じゃなくて長久手です」

 かろうじてそう答えつつ、なおも喋り続ける彼女へ、吹雪はおそるおそる。

「あの……はじめ……まして?」


 もちろん初対面ですよね? 初対面に決まってる。

 いや万が一初対面でなくとも、僕はまったく身に覚えがございません。

 ましてや、知り合いなんか──こんなイカつい、、、、大阪JKの隣人、いるわけないです。

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