イカつい新入生



   ♫



 睦ヶ峰芸大サクソフォン科は、全学年合わせて八人。

 その全員が顔を合わせたのは入学式翌日、管楽器専攻の全体ガイダンス。もちろん、その中には岡崎おかざきのクリスマスコンサートで吹雪が散々お世話になった、二階堂にかいどうゆりも混ざっている。


 また、ガイダンスの前後では、吹雪が他の科の同期と話す機会もちらほらあった。

 三十人足らずの管楽器専攻新入生で、男子生徒は吹雪含め、たったの五人だ。

 クラリネット、ホルン、トロンボーン、打楽器、そしてサクソフォンの五人。

 正直、寂しいなあ──とは思う。

 吹部時代より、男子の肩身が狭くなる環境にはそこそこ慣れてきたつもりだったが、芸大に入ってもなお、そういった環境だけは大して変わらないのかと、失意をも覚える。


 いや。

 吹雪がそういったダウナーさに陥っている要因は、実のところ男子の少なさではない。

 入学式で出くわして以降、常に眼球をえぐるほどの光オーラを全身で放ち、マシンガンが弾切れる気配もなく、延々と吹雪へ喋り倒してくる、関西弁のイカつい隣人こそがすべての元凶なのだろう。

「大阪から来ました〜、能年のうねん伊月いづきでっす!」

 ガイダンス終わりの某イタリアン料理店にて。

 サクソフォン科の新入生歓迎会でも、その隣人は猛威をふるった。

「へえ〜、大阪かあ! めっずらしい」

 上級生の一人が手を合わせる。どうせ内心では、「いやいやどこからどう見ても大阪じゃん」とか考えているに違いない、と吹雪は密かに毒づく。

 なお、サクソフォン科の上級生たちも全員が女子だ。

「なんで睦ヶ峰来たの? 大阪の子って、だいたいみんな京都のほう行くよね〜。それか東京」

「そないなこと、先生と校舎の雰囲気に決まっとりますやん!」

 伊月はパン! と両手を大きく叩いた。

「うち、大阪のごっつううるさくて忙しない感じ、めっちゃ苦手なんです」

 ──うぅううう、嘘つけえ⁉︎

 昨日も今日も、僕の隣りで誰よりも忙しなく口動かしてますけど⁉︎

「ほら、睦ヶ峰の校舎って、山に囲まれてますやろ? 他のガッコより集中して練習できそうな雰囲気やないですか〜!」

「へ〜、そっかあ。確かにねえ」

「それに、ほら、やっぱサックス言うたら、あれですやろ?」

 あたかもサクソフォン界の常識──現に常識ではある。芸大・音大生で知らない人間はまずいない。プロの業界で万一にも知らなければ、そいつはまもなくモグリ確定だ──といった具合で。

「『東の藤堂とうどう、西の田所たどころ』って言いますやろ? うち、サックスで大学行くんなら絶対、西の田所のお弟子さんになるって心に決めてましてん」

「あっはは! わかる〜」

 吹雪にも手に取るようにわかる。上級生が伊月のペースに呑まれて、早くも相槌マシーンと化していたことに。

 この隣人の独壇場に、吹雪が入り込む隙間などなさそうに思えた。貸切の店内、テーブル席の中央を陣取っておきながら、吹雪は縮こまり俯くのみだ。

 そろそろ上級生たちには、あの吹雪が控えめで人見知りな、シャイボーイに見えてくる頃合いじゃなかろうか。


「ええっと……桜吹雪、、、くん? だっけ?」

 ようやく話を振られ、吹雪ははっと顔を上げる。

「は、はい!」

「男子もサックスじゃあ久しぶりに来たね〜。しかも推薦組。どこの子?」

「愛知です!」

 吹雪はどぎまぎしながら懸命に口を動かす。

「ええと、城安じょうあんひがしっていう、普通科の……」

「吹雪くんはねえ」

 急に口を挟んできたのはゆりだ。ガイダンスでも新歓でも、にこにこと淑やかそうに微笑んで沈黙を貫いてきた彼女が、吹雪に注目が集まる瞬間を見計らっていたかのように。

「あのナオちゃんの後輩なんだよ?」

「ナオ?」

「そ。向菜穂子ちゃん!」

 店員がピザを大皿で運んでくる。

 上級生たちがこぞって吹雪を凝視し、しばらく黙り込んだ。


「え……まじで?」

 相槌マシーンと化していた先輩の一人があきらかに声色を低め、

「じゃああさ日野ひの──」

「違います違います! 誤解です!」

 吹雪はつい声を張ってしまう。

 あんな超弩級進学校出身者と同じ頭脳の持ち主だなどと思われてはかなわない。

「菜穂子先輩とは高校も、住んでる町も全然違くって……」

「でも、ナオちゃんに太鼓判押されてるのは間違いないでしょ? 私、もう吹雪くんとバサとナオちゃんの四人で幼稚園行ってクリスマスコンサートとかやっちゃったもんね〜」

 なぜか自慢げに語るゆり。

 テーブル席の空気がみるみる変わっていくのを、敏感に嗅ぎ取ってか、

「ナオ先輩……何科の人ですのん?」

 伊月はこてんと首をかしげた。

「睦ヶ峰じゃ、そないに有名な先輩ですか?」

 ああ有名だろうよ。ただし悪い意味で。

 どうか大阪の襲来者たる伊月だけは、菜穂子の噂を知らないままでいて欲しいものだ。

「ソロコンでも、ナオちゃんに楽譜書いてもらったことあるんでしょ?」

「はあ⁉︎」

 ガタン! と机が揺れをきたす。

「あの向菜穂子が委嘱いしょく⁉︎ 高校生に⁉︎ ……えぐっ」

「ぱねえ……さすが推薦で受かるだけのことある……」

「え、愛知ってことは、楽器のレッスンも名古屋のへんで受けてたの? 誰に教わって……ってかもしかして、ピアノとかソルフェージュとかも向先輩が先生だったり……?」

 戦々恐々とした雰囲気に気圧されているのは吹雪のほうだ。

 恐るべし向菜穂子。日頃より、どんなドギツイ印象を彼ら睦ヶ峰生へ植え付けているのやら。

「や、ピアノとソルフェージュは菜穂子先輩に先生を紹介してもらって……楽器のレッスンも、なんていうか、菜穂子先輩のツテっていうか……」

「まじかあ。でも向さんって、言うほどツテ持ってるかなあ?」

 その見立てについては大正解だ。よくわかっているじゃないか。

 だがしかし、菜穂子へ向かってちゃっかり失礼な上級生たちである。


「で、誰よ?」

「ええと……ここの卒業生の貝羽かいば詠人えいとさんっていう──」

「「かぁいぃばぁえぇいぃとぉ⁉︎」」


 今日一番のどよめきが上がる。伊月はきょろきょろと、絶句した先輩たちの顔を眺めた。

「……え、どなたですのん? 東の藤堂でも西の田所でもなく?」

「『睦ヶ峰の貝羽』だよ!」

 その場で立ち上がってしまった上級生の一人が、

「伊月ちゃん、この名前だけは覚えておいて。うちのサックス科……いや管楽器専攻……いや睦ヶ峰生で知らなかったらモグリだよ」

 ──後輩たちにどんな印象持たれてるんだ、あのサクソフォン・スターは⁉︎

 本当に在学中は全校女子生徒の半分を抱いたんじゃないか、ってくらいの盛り上がりようであった。


「はぁああ。そないにすごい先輩がおるんですかあ」

「まーじで⁉︎ 向先輩と貝羽先輩に挟まれてたの、佐倉さくらくん⁉︎」

「やっばあ。今年の一年、超イカついわあ」

「ねね、ソロコンの楽譜、今度見せてよ。てか、絶対ムズかったよね? 楽譜真っ黒っしょ⁉︎」

「は、はい。激ヤバだったっす!」

「そんな若い身空で、現代音楽どころか向菜穂子楽曲に手を染めてしまうとは……あ、あのさ」

 相槌マシーンだったのは、ゆりと同じ四年の先輩だった。

 吹雪の隣の席を陣取ったかと思えば、神妙な面持ちで、

「ここだけの話、どうだった? ぶっちゃけ、もう懲りちゃった? 向さんの楽譜やるのは」

 その問いかけに目をぱちくりとさせた吹雪は、

「えっ? とんでもない!」

 シャイボーイみたいな挙動が嘘のように饒舌となる。

「菜穂子先輩の楽譜、ハンパなくムズいですけど、同じくらい、いやそれ以上にハンパなくカッコいいです! 演奏の上手さじゃなくて、あの曲のカッコよさにソロコン全国まで連れてってもらったと言っても過言じゃないです。睦ヶ峰入ったら、いろんな曲を吹いてみたいし、菜穂子先輩の曲なんかはもー全部、僕がやりたいくらいっす!」

 四年の先輩も、他の上級生たちも、人が変わったみたいに語り始めた吹雪を唖然として見つめていた。ふふっ、とゆりも含み笑いをこぼす。

「まじかあ……がっつり信者だったかあ」

「ネタ抜きにイカついじゃん佐倉くん。もしや向菜穂子の追っかけか?」

「まさかもなにも、がっつりナオちゃんの追っかけだよお」

 ゆりのダメ押しじみた証言で、もう一人の四年の先輩は起立し、ぎゅっと吹雪の両肩を掴んで見下ろしてきた。

「よしきた! 男に二言はないね、佐倉くん?」

「え? ……は、はい!」

「今月末、校内で作曲科四年のオケ曲の演奏審査があるんだけどさ。佐倉くん、あたしの代わりに向菜穂子のオケ曲、乗ってくれない?」


 吹雪は理解が及んでいないような表情を返す。

 血相を変えたのはゆりだ。自分も慌てて立ち上がり、

「ちょ、ちょっとお! いきなり一年生にオケの乗り番押し付けるとか……ていうか、クリスマスコンサートもドタキャンしたじゃん」

 ──あ、この先輩だったのか。

 他のコンサートに浮気したとかいう、菜穂子への不義理者は。

「だってえ、他に譜読みしなきゃいけない楽譜いっぱいあるしい」

「オケ……オーケストラ?」

 吹雪は次第に顔色を変えていく。その表情は、厄介ごとを押し付けられて迷惑がっている後輩のそれではなく、むしろ晴れ晴れとした空で照りつけるお日様みたいな満面の笑顔で。


(……ナオコ・ムカイの、オーケストラ⁉︎)

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