SECTION.8 1秒でオトすソロ・ド・コンクール

積雪のソロコンクール

 行く年来る年、二月頭。

 ついに迎えた冬のソロコンクール西三河南地区大会当日で、出場者たちを襲ったのは文字通り『吹雪ふぶき』だ。


「最悪」

 マフラーを風で暴れさせ、頭に雪がまだ残っている秋音あきねが、会場で受付を終えてもつらつらと悪態の言葉を並べ立てている。

「マジ最悪なんだけど。なんで今日に限って雪降るわけ? あたし年末のピアノコンクールでも雪降られたし、先週のソロコンも電車止まって遅刻しかけたんだけど? ツイてないにも程があるでしょ」

 秋音は風ヶ丘かぜがおかの生徒が出場する西三河北地区大会にも参加していた。音大ピアノ科志望の人気者は、これがソロコンでは最後の本番というわけだ。

「知らないよそんなの。雪女なんじゃない、お前」

「あんたが雪男なんでしょ、吹雪だけに」

「今日は間に合ったから良いだろ? 会場が安城あんじょう市内でツイてるじゃん」

「ギリギリでしょうか!」

 どんなに外気が冷えていようとも、秋音の脳天が煮えたぎるのは相変わらず一瞬だ。

「吹雪があと一回だけ通すとか言い出すからでしょ⁉︎」

「だからごめんって。菜穂子なおこ先輩、これ本当に来てくれるのかなあ」

「言っとくけど、練習番号ディー弱起アウフタクトがいっつも揃わないのはあたしじゃなくて吹雪のせいだからね⁉︎ あんたが勝手に突っ走るからでしょ。ラスト三小節のアルペジオだって……」

「ごめんってば! 本番は気を付けるよ」

 秋音と初めて一緒に練習したのは年明けまもなくだった。

 やはりというかさすがというか、菜穂子が書いた楽譜は高校生二人には途方もなく手強いボスモンスターみたいなもので、合わせはバラバラ、最後まで通しで演奏するのも困難といった悲惨さだ。

 ソロコンに四分という時間制限が設けられているのも難点である。場合によっては曲全体のテンポを落とすか、曲の一部分をカットするという選択も取れるところを、菜穂子が親切にも四分想定で書いてくれてしまったために吹雪たちは一つの逃げ道を塞がれてしまった。

(まあ……結局カットはしちゃった、、、、、、、、、んだけどさ……)

 今度こそ全国金賞、一等賞などと息巻いていた自分が恥ずかしい。なんだったら秋音のほうがよっぽど忠実に、楽譜と真剣に向き合えているかもしれないくらいで。


 ──これが、ずっと音楽を続けていた人間とそうでない人間の違い、かもしれない。

 楽器に向かっている間の集中力。出来るまで練習を続ける根気。より早くより効果的に上達する練習の、経験則に基づいたノウハウ。演奏家に求められる能力の何もかもが、秋音は今の自分を大きく上回っていると痛感させられる。

 吹雪には何もかもが不足している。彼女に振り向いてもらうには、認めてもらうためには何もかもが。



 吹雪たちが会場に着いたのは、そろそろ午前の部が終わるだろうという時間。

 ロビーで高校生がたむろしている中、何気なくソファを見た吹雪は、そのボサボサ頭に目を輝かせた。

「菜穂子先輩!」

 背後からの大声にびくりと肩を震わせ、菜穂子はまん丸な目を吹雪へ向ける。菜穂子はコンビニのサンドイッチを頬張っていた。

「おはようございます! もう来てたんですね」

「うるっさいわ……」

 満面の笑顔で駆け寄ってくる吹雪よりも、周りの中高生たちの目線を気にした菜穂子は遠慮がちに声を出す。

「ちょっと早めに来ただけ。この天気じゃ交通網が死ぬのは時間の問題でしょ」

「そう……ですよね。雪の中来てくださってありがとうございます」

 久しぶりに見た菜穂子は変わらずむすりとした顔で、逆に吹雪はホッとした。ここで急に笑顔でも見せられようものなら多分ゾッとする。竜巻でも飛んでくるんじゃなかろうか。

 すると、菜穂子に負けじと愛想ない顔を浮かべている秋音が、

「おはようございます、むかい先輩」

 スクールバッグから楽譜を抜きがてら、社交辞令もほどほどに確認を取った。

「練習番号ジーのあれ、本当にカットして大丈夫だったんですか? まあ、当日にいきなり『やっぱりやれ』と言われてもこっちは困りますけど」

 吹雪は秋音のことも少し不安になった。

 もしや幼なじみの吹雪だけでなく、高校でも菜穂子や誰が相手だろうと、いつもこんな風にズバズバと物を言う女子高生をやっているんだろうか。

「……ああ、別に良いよ。タイムオーバーで失格になったらお前たちが困るでしょ」

 落ち着いた声色で答えた菜穂子が、特段機嫌を損ねた様子はない。ツンツン・デレなし仲間として、案外ウマが合う二人なんだろうかと吹雪は胸を撫で下ろす。


 それとも。

 菜穂子は本当に、別に良い、どうだって良いと内心思ってしまっているのだろうか。

 定期演奏会の秋以来、吹雪は一度も菜穂子と直接顔を合わさなかった。もちろんソロコンのことでSNS上では何度も相談に乗ってもらったけれど、録音した吹雪の演奏は時々聴いてもらったけれど、返事は短くあっけなく、心なく、誘っても秋音との合わせには結局一度も来てはもらえなかった。

 今日も、どこか大人しい感じがした。単にぶっきらぼうなだけで、彼女にとっての平常運転であるはずの「ドギツイ」が鳴りを潜めている感じの。

 つくづく、ソロコンでは時間に追われっぱなしだ──と吹雪は唇を噛む。時間制限の問題だけじゃない。凍っているのは外の地面だけじゃない。

 作曲家・菜穂子の心が死ぬのも、時間の問題だというのか。


「せ……先輩! 今日はよろしくお願いします」

 吹雪は深々と頭を下げる。

「精一杯演奏させてもらいますから、その……最後まで! ちゃんと聴いていってくださいね。終わったら感想も教えてください。ええと、その、帰らないでくださいよ!」

 菜穂子には定期演奏会の件をずっと黙っている。実は自分も名古屋に居たと勘付かれないよう、吹雪は自分なりに無い頭振り絞って言葉を選んだ。

「あっそ。まあ頑張れ」

「頑張ります! 本当、勝手に帰らないでくださいよ。僕は絶対感想聞きますからね。先輩が帰ったって、ラインでも電話でも、家まで寮まで行って感想聞きますから──」

「しつこいわ。分かったってば」

 吹雪は秋音に腕を引かれ、半ば連行されるような形で菜穂子の元を離れた。

 その光景が秋の、翼に引き摺られていった自分と重なってしまい、菜穂子は決まりが悪そうに顔を背ける。

(……誰がガキだ、バカ)

 菜穂子は今更この場に居るはずもない翼へ毒づく。

 何も自分だって好きでツンケンしているわけじゃない。他人に媚び売って愛想笑いするのもそれはそれで癪だけれど。

 ただ、二十歳にもなって高校生に気遣われている自分のみっともなさには、さしもの菜穂子もつくづく嫌気が差してきたのである。

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