イルミネーション
「……『くるみ割り人形』」
ほら来た!
「ち……った」
「はい?」
下を向いてボソリと口ずさまれても、外の観光客の喧騒でよく聞き取れない。
吹雪が何度か聞き返すと、
「……超良かった」
表情とはまったく合っていない感想を述べた。
吹雪は目が点になる。なんだその意味不明なリアクション。その顔はむしろ、ズタボロだった時にするやつでは……。
「よ、良かったですか? え、まじですか?」
少しだけ図に乗って、
「もしかして僕、上手かったですか⁉︎」
「上手くはない、別に」
──ズコォッ!
その場でつまずきそうになった吹雪にも構わず、菜穂子はどこか腑に落ちない顔をして。
「……リハはそこまででもなかったけど」
褒めているわりには、不服そうに吹雪へ探りを入れた。
「なんかあったわけ? リハと本番じゃ、お前だけ別の音楽やってたんだけど」
どうしよう。ゆりの口添えがあったと正直に話すべきだろうか。
吹雪がそう悩む暇もなく、
「令和のチャイコって感じだった。……うん」
ステージ上に颯爽と現れた、七変化のサクソフォンを懐古するみたいに菜穂子は呟いた。
「ちゃんと『くるみ割り人形』だったわ」
まるで、それまでは『くるみ割り人形』じゃなかったみたいだ。
そんなにも自分の書いた楽譜と、演奏家たちが実際に出している音が噛み合っていなかったんだろうか? それにしては、菜穂子はリハーサル中も、昨年の定期演奏会ほど絶望の表情は浮かべていなかったが。
(でも、やった……!
吹雪は内心ガッツポーズを掲げる。
つい図に乗って、薄々考えていた本音を口走ってしまう。
「『くるみ割り人形』、僕、菜穂子先輩のピアノでも聴いてみたかったです」
「別に
返事が早い。よほど自分の手では弾きたくないらしい。
「や、翼先輩もめっちゃ上手かったですけど……」
菜穂子が上機嫌なうちにと、吹雪は彼女を持ち上げる。
「『ミュージック・イルミネーション』の、菜穂子先輩の激しいピアノ聴いちゃったらそりゃあ期待しちゃいますよ! 先生たちも超褒めてたし。なんていうか、ええっと、翼先輩のピアノって……しっかりクラシックって感じじゃないですか」
「お前、翼ディスってんじゃん」
しまった。表現がいささか直接的だったか。
だが菜穂子は翼の批評自体に意義を申し立てるつもりはないようで、
「……よくわかったね。翼のやつ、チャラ男のくせして、音楽になった途端急にお利口さんになるんだわ」
「え……そう、なんですか? 文化祭のステージとかは超ノってましたけど?」
「クラシックはクラシック、ポピュラーはポピュラーって線引き付け過ぎなんだよ。……まあ、下手なピアノ科よりかはずっと弾けてるから別に良いけど」
菜穂子は思い出したように、ずいと吹雪の鼻先を指差す。
「つーか、お前らがマシだったのは『くるみ割り人形』だけだから! 特にラストなんかド下手くそだったから!」
「え……ラスト……は、はあ」
「まともにやれてたのは二階堂さんだけだね! あれは絶対、どこかしらで再演するからね?」
吹雪は反論こそしなかったが、菜穂子の最後の説教にはモヤモヤした。
あれに関しては、文句言われる筋合いないんじゃない? だってラストの楽譜もらったのが昨日なんですけど?
楽譜を早く寄越せよ! ──なんて乱暴なクレームは、まさか偉大なるナオコ・ムカイ大先生には言うまい。
♫
そうこうしているうちに、翼とゆりが引き返してくる。
「あー、遊んだ遊んだ! そろそろ帰るべ」
翼がそう伸びをする頃には、いつのまにか空は赤くなっていて、まもなく岡崎の土へ陰りをもたらしている。
十二月の時が進むのは体感よりもうんと早い。暗くなる前に解散をしようと、一同が駅を目指していた時だった。
──わあっ、とあたりで歓声が上がる。
翼の隣を歩いていたゆりも、
「うわ〜、綺麗ぃ!」
とすかさずスマホを取り出し、カメラでその光景を映し始めた。
通りは終始人で溢れかえっていて、夜が更ける前に一斉点灯したイルミネーションによって、そのざわめきを一気に強める。
吹雪も足を止め、ほうと、白銀の明かりを眺めていた。
「…………たし」
えっ、と吹雪は振り返る。
隣をずっと進んでいた菜穂子が、吹雪の数歩後ろで立ち止まり、
「イルミネーション見たいって、ラインで言ってたし……」
決して目を合わさないまま、そう呟いた。
彼女がなんの話を始めたのか、はじめはわからずきょとんとしていた吹雪だったが。
〈十二月二十四日か二十五日、ナバナの里でイルミネーションイベントやるみたいですよ! 一緒に行きません?〉
〈ごめん。どっちも用事ある〉
気付いた瞬間、吹雪もさっと正面へ向き直した。
とても合わせる顔が無い。今彼女と目線を交えようものなら、心を通わせるばかりか、ひとりで遥か先まで突っ走って行ってしまいそうだ。
それに、だって、あの時のチャットは……──
(違うんです、先輩)
──
何度も言いかけて、踏み留まる。こういう時だけ、足がぴくりとも動かない。
季節柄、今頃はあらゆる食卓で丸焦げになっているだろうニワトリにも小馬鹿にされそうな、己のチキン野郎っぷりに、白い息をふうっと吐き出した。
代わりに口をついて出たのは。
「──僕も、来年から睦ヶ峰生ですね」
「そうだね」
菜穂子は吹雪の背中へ、再びそっけない声を振りかけた。
「おめでと」
「あざす」
吹雪は小さく鼻をすする。
──ありがとうございます、こんなに素敵なクリスマスプレゼント。
これで僕は、やっと、あなたと同じステージに立てそうです。
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