INTERLUDE 雪解け

雪解けの冬

 年が明ける。


 城安じょうあんひがし高校では、授業が再開するなり息継ぐ暇もなく、週末に控えた『大学共通テスト』へ向けた最終調整に追われていた。

 地元の進学校らしく受験への本気度は計り知れず、教室は授業中であろうとも放課後であろうとも、机へしがみつくように生徒たちがノートへシャーペンを走らせている。

 昨年の昼休みは、吹雪ふぶきとランチを囲って歓談にいそしんでいた中本なかもとも、その休み時間でさえ吹雪や他のクラスメイトと机を突き合わせることはない。

 話に聞けば、中本は京都のとある私立大学を第一志望にしているそうで。


「なんで京都なんだ?」

 いつだったか、吹雪はたずねてみた。

「京都ええやん」なぜか関西弁で答える中本。「人生いっぺんでも良いから住んでみたいやん。現地人に『ほなおおきに』って言われてみたいやん」

 要は、愛知県内で生涯を過ごすつまらん人生は送りたくないというわけか。それにしたって東京じゃなくて京都なんだ。アイドルオタクなのに?

「そっちの推しはもう卒業したんだわ。……じゃなくってよ」

 中本は軽く手を振り、

「あの大学、吹部が超強豪なんだって。吹雪も知ってるっしょ?」

「いやまあ……え? あの吹部、入る気でいるのか?」

 真の狙いを聞き出せば吹雪は仰天した。

 あそこの吹奏楽部は、ちまたの私立でよく想像するようなサークルノリじゃない、さながら自衛隊の音楽隊よろしく精力的で熱狂的な活動をしていることで有名だ。

 夏コンの全国大会も常連で、この界隈にいてあの学校名を知らない者はまずいない。


「当たり前じゃん。なにお前? 馬鹿にしてんの?」

 中本は口を尖らせる。

「あたしみてーなクソ雑魚じゃレギュラー無理って? なんなら入部がお断りされるって言いてえのか、ああん?」

「ざ、雑魚じゃないだろ中本は。部長だし、ソロコン出てたし……」

 慌ててフォローする吹雪だったが、そもそも中本は気に留めていない様子で、

「良いんだよ、別に補欠でも。ただほんのちょっとでも上手い奴と、やる気ある奴が集まってるところにいて、ほんのちょっとでも長く楽器続けられたら良いなってだけ」

 単語帳を片手に、にかっと笑いかける。

「お前もそういうクチでしょ、吹雪? 今に見てろよ。あたしも次は、吹雪とおんなじ──全国のステージで、トランペット吹くんだかんな」


 吹雪もつられて照れたように笑い返す。

 ああ、その通りだよ中本。

 僕も中本も、ここにいるクラスメイトや、かつて部員だった仲間たちとはこの先、離れ離れになっていくのかもしれないけれど。

 楽器を続けている限り──なにかしらの形で、音楽に触れ続けている限り。

 きっと僕らは、またどこかのステージで会えるんだ。



 吹雪の次なるステージは、すでに決まっていたけれど。

 いずれ来たる将来への大雑把な期待を抱いていた吹雪であったが、まさかそんなステージと、春を迎えるより早く巡り会ってしまうとは──



   ♫



「まさか推薦で受かっちゃうとはこっちも思わなかったからさ」

 とは、昨年最後のレッスンでの詠人えいとによる弁。

「学校のみんなが受験勉強頑張ってる裏で、サボらせてもアレだし、ひとつくらいコンクールにでも出れば? とか思ったんだけど……さすがに準備が追いつかないな」

 詠人はそう言って、吹雪へ一枚のポスターを掲げる。

 それは、安城市内のとあるホールが毎年主催している、地元向けの小さな発表会みたいなイベントだった。

 もちろん吹雪も断る理由なんかない。

 すぐさま発表会へ申し込み、年を越さないうちに演奏曲目を決め、本番当日──翌年の二月中旬たる今日まで、長らく練習に励んでいたのだ。

 伴奏者には大いに悩んだ。吹部での同級生は言わずもがな、後輩たちも自分のアンコン・ソロコンに精を出している最中で、秋音も睦ヶ峰芸大の一般入試にて、ピアノの実技受験リベンジ、、、、に燃えている。

 よって、吹雪が頼ったのは、副科ピアノとソルフェージュの面倒を見てくれた花村はなむら先生だ。


『その日なら都合付けられるわよ〜。なにやるの?』

 吹雪は怖々と演奏曲目を告げる。

 その中には、かつてソロコンで爆奏した菜穂子楽曲『ソロ・ドゥ・サクソフォン』も含まれていた。

 おそらく、この曲があったせいで、ソロコンは伴奏を花村先生に断られたのだが……。

『あら、菜穂子ちゃんの曲もやるのね?』

「は、はい……」

『良いわよ〜! 菜穂子ちゃんの楽譜、久しぶりに見てみたいわねえ』

 あっさりと承諾されると、それはそれで拍子抜けしてしまう。

 ともかく伴奏者の確保にも成功し、吹雪は満を時して、およそ半年ぶりの本番へと臨んだ。



 人前で、それもひとりでサクソフォンを吹くのは、本当に久しぶりだった。

 吹奏楽部で夏コンに出場し、文化祭でのステージを最後に部活動を去った後は受験モード。

 そもそも、ひとりでステージに立つ機会が、あのソロコンと推薦受験くらいしか与えられてこなかったのである。

 その発表会は、別に堅苦しい雰囲気じゃない。演奏する楽器も音楽のジャンルも、年齢層もバラバラな、目に見えてアットホームで内輪感漂う催しであった。

 吹雪みたくソロで楽器演奏する子もいれば、主婦のゴスペル合唱団とか、老人たちのオカリナ同好会とか。

 客席も人が常にまばらで、吹雪や特定の出場者へ強い関心を示すような客層も居そうがない。客というか、会場をうろつくほぼ全員が、出演者もしくはその家族とかだっただろう。


(はは。こんなとこでナオコ・ムカイの現代音楽ぶっぱなす僕って……過激派?)

 実を言えば、彼女の音楽を彼らへ布教するつもりで、息巻いて勇み足で会場に乗り込んできた吹雪であったが。

 全体の雰囲気がこれでは、そっちの野望を果たすのは難しいかもしれない。

(まあいっか。これが僕の新しい音楽人生、その第一歩ってことで)



 いよいよ出番が近付いてくる。

 吹雪は花村先生と一緒にリハーサル室へ向かった。

 ここへ来る前にも、発表会全体プログラムはひと通り確認してきた。

 その時、ぴたりと吹雪の目を留めたとある名前。

 出演者名、学校名、演奏曲目、出演順──吹雪の直前。

 リハーサル室へ向かう途中、廊下でその人物とすれ違う。吹雪はドギマギし、己の本番に対する緊張とはまた違った感情を隠せないまま、

「え……演奏、頑張ってください」

 と上擦らせた声で激励の言葉を投げかけた。

 その人、、、は薄布のハンカチーフを片手に、派手な柄のドレスとかじゃない、花村先生みたいにスラッとした漆黒のワンピース姿でくるりと吹雪へ振り返り、

「ありがとう。吹雪くんも頑張ってね」

 にこりと晴れやかに、少しだけ早く到来した春みたいな柔らかい声で返事する。

 そのまま軽やかな足取りで舞台袖へ消えていったのを、吹雪は足を止め静かに見届けていた。






 その二人──酒井さかい先輩と吹雪が、次に言葉を交わしたのは、互いの本番が終わり、すべての演奏プログラム済んで解散した後であった。

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