サクソフォンの恋人



   ♫



 岡崎城天守閣がよく映る画角で、ゆりはインカメモードのスマホを向ける。

「はい、!」

 パシャ、と乾いた撮影音。

「そこはだろ」

 すかさずツッコむつばさ

「俺、ライヒよりライリー派」

「えー。だってテリー・ライリーはサックスの曲少ないもん」

「現代音楽の系譜の話すんなら、ミニマル行く前にピエール・アンリでしょ? それかもっと遡ってエリック・サティ」

「あっはは! ナオちゃん小難しっ」

 吹雪ふぶきは終始顔をしかめた。

 この睦ヶ峰むつがみね生たちが写真の掛け声ごときに、なにで盛り上がっているのか、さっぱりわからない。


「あっっっはははは!」

 撮った写真をスマホで見るなり、ゆりは晴れやかに笑う。

「ナオちゃん写真うつり悪ぅ」

「うわ、まじだ。えねー」

「うっさい。自分の写真嫌いなんだわ……二階堂にかいどうさん」

 菜穂子なおこは釘を刺すように言った。

「絶対インスタとかに載せないでよ」

「えっ」

「載せたら肖像権侵害で訴える」

 図星をつかれたように頬を膨らませるゆり。言い訳がましくも小声で、

「……ナオちゃんはもーちょっと、睦ヶ峰内外にナオちゃんのかわいーところを発信したほーが良いと思いますぅ」

「確かに」

 そう忠言垂れれば、翼も同調するように頷いた。

「しけてんねー……なあ吹雪」吹雪の肩へ馴れ馴れしく手を置く。「吹雪後輩もそう思わね?」

「え、あー……えっとお」

 吹雪はしどろもどろになりながらも答えた。

「ぼ、僕も、不特定多数に自分の顔晒されるのはちょっと……」

 嘘ではない。インスタなんてもちろんやってないし。

 単純に菜穂子が、もう少し周囲の人間とうまく関わり合いになってほしいという話であったなら、吹雪としても先輩たちに共感差し上げたかったところだが。


「マジしけてんなーお前ら!」

 翼は呆れた声を出す。

「SNSは遊びや趣味じゃねえんだ。音楽家にゃあ、立派な広報ツールだかんな?」

 ぶつくさ文句を言いつつ、ようやく諦めた翼とゆりはツーショットを撮りに吹雪と菜穂子の元を離れた。

 雰囲気悪くしたらどうしようと懸念し、吹雪は菜穂子へ、

「す、すみません菜穂子先ぱ──」

「良いんだわ、あれで」

 菜穂子は眉をひそめていたが、その実、肩の荷が降りたみたいにリラックスしていた。

「私には余計なお世話だし、本番終わった時点でもう用済みなんだから、あいつらはあいつらでさっさと解散して、デートでもなんでもすりゃあ良かったんだわ」

「え? ……あ!」

 つれない物言いの中に潜んだ『デート』というワードに吹雪ははっとする。

 いや、ここまでの彼らの雰囲気で、吹雪もなんとなく察しはついていたけれど。

 もしかして菜穂子が、早くに解散したがっていた本当の理由って……。



「……やっぱり、そういう関係だったんすね。あの二人」

「見たまんまでしょ」

 二人には決して聞こえない声量で確認を取れば、菜穂子はむすっとした顔色ひとつ変えず、

「他にアテがなくて、こんな時期に誘った私が悪いのは認める」

 小さくため息を吐いた。

「なぁにがピアノはあたしが弾けだ。なぁにがサックス二本も要らないだ。しょーがないでしょ? ……翼かゆりか、どっちかしか連れてこないとはいかない」

「はー、なるほど」

 吹雪は拍子抜けした。

 周りの人間のことに関心なさげだった彼女が、同級生に対して影ではそんなふうに気を使っていたなんて。

(あれ? じゃあ、去年の定期演奏会でグラズノフ吹いたっていうサックスの先輩も……!)

 あちゃあ、と同時に後悔もする。

 あの演奏会は途中で引き返してしまったから、詠人えいとにも勧められていたプログラムを聞きそびれていたのだ。

 いつか、またなにかの機会でゆりのグラズノフもお耳に入れてみたいところだ。



   ♫



 急に。

 心の中でもやっとした感情が渦巻く。

「……ええと、じゃあ……」

「なに?」

 吹雪は少し言い淀んだが、思いついてしまった以上、その言葉を口へ出さずにはいられなかった。

 コンサートでのありとあらゆるしくじり、ゆりのフォローを走馬灯のように思い出しつつ。

「じゃあ、むしろ今日は僕が要らなかったカンジっすかね? はは」


 菜穂子は顔を上げ、吹雪をまじまじと見据えていた。

 それはいったいどんな感情なのやら。なんだよくわかったな、ド下手くそな自覚あったのかとか。ラストといい『くるみ割り』といいてめー出だしポカやりやがったな、ゆりが助け舟出さなかったら詰んでたじゃんとか。ムーンウォークなんて聞いてないわ、調子乗んなクソガキとか。

 吹雪はその薄い唇から放たれるあらゆる罵倒を想像したが──

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