ドギツイ作曲家たち
♫
十二月二十四日、日曜日。
コンサート前日のリハーサルに出かけようと、部屋で身支度を整えていた
〈健闘を祈る!〉
そのたった一文で、なんの健闘だよ──と朝から苦笑いする。
とっくに終業式も済んで何日も会っていない中本だが、今日明日で
まあ、頑張らなければならないのは確かだ。
(健闘するさ。菜穂子先輩との──初めての、
======================================
竹の子幼稚園『むつがみねクリスマスコンサート』
ルロイ・アンダーソン『そりすべり』
ウェールズ民謡『ひいらぎ飾ろう』
ジョニー・マークス『赤鼻のトナカイ』
チャイコフスキー『くるみ割り人形 〜ムカイ・ナオコのロシアン・キャロル・アレンジ』
======================================
一ヶ月ほど前、プログラムが固まった時に吹雪は大学生たちへたずねてみた。
「コンサートという割には曲数少なめじゃないですか? 『くるみ割り人形』以外は、どの曲も結構短いですし……」
「それはね〜吹雪くん」誰よりも的確に答えてくれたのはゆりだ。
「本当だったら子どもの集中力って、十分や十五分も保てばじゅうぶんなんだよ〜。一緒に歌ってもらったり、手拍子したり体を動かしたりしながら、ごまかしごまかしで頑張って二十分って感じ? 三十分は長いかも。なんなら『くるみ割り人形』と『そりすべり』の二曲でも足りるくらいで。だから、今回はちょっと欲張っちゃったかな〜」
「へえ……そういうもんスか」
誰が欲張ったかと言ったら当然、菜穂子と翼の作曲科コンビだろう。
特に、現代作曲家二人で新作を書き下ろすと翼が急に言い出した時は吹雪も驚いた。合作というのも随分珍しく聞こえるのに。……あと一ヶ月と少ししかないんだぞ?
ゆりも自分では欲張りだと言いつつ、翼の提案を取り下げさせようとはしなかった。
吹雪もゆりも、薄々勘付いてはいたのだ。その予想もつい先週、楽譜がSNSでpdfデータとなって送られてきたことで的中する。
──ピアノのパートが『連弾』になっていた。
たぶん、いや間違いなく、最後だけで良い、無理矢理にでも菜穂子に人前でピアノを弾かそうっていう翼の粋な計らいだろう。
(うーん……菜穂子先輩的にはありがた迷惑なんだろうけど)
家を出て、電車に揺られている最中も、吹雪は『ミュージック・イルミネーション』の楽譜を眺めている。
急遽決まった新作だったからか、本番一週間前まで楽譜が手元に来ず、どんな曲かもまったくわからないでいたから、譜読みもギリギリで正直演奏が間に合う気がしていない。
と、いうか。
演奏どころか
(終止線……どこ……?)
曲の終わりを知らせる記号が、楽譜を最後まで見ても書かれていないのだ。というか、素人に毛が生えたような吹雪でも、その音楽があきらかにジ・エンドしていないと見て取れるくらいにラストが中途半端だ。
──もしかして、そういう曲なのか? 終わりなき音楽だから? 現代音楽ならではなオチだからそういう曲ですってか⁉︎
てか、菜穂子先輩。え、この特徴的な手書きはきっと菜穂子先輩ですよね?
高校生ごときがこんなお伺いを立てるのは大変恐縮ですが、心なしか手書きの音符が、いつもよりもちょっぴり、いや若干、いやかなり雑じゃ〜ありませんか?
そして昼下がり、幼稚園で落ち合う面々。吹雪の顔を見るなり、菜穂子がむすっとした顔でずんずんと歩み寄っていき、
「……
と、さほど悪びれていなさそうになにかを手渡してくる。
吹雪の嫌な予感も面白いくらいに当たった──終止線がちゃ〜んと引かれた、『ミュージック・イルミネーション』のクライマックスだ!
「え。……え?」
「あ〜、やっぱラスト担当したのってナオちゃん?」
思考停止したまま『
「えっとお、パート譜は?」
「
たずねると、やっぱり菜穂子は平然と答えた。
「スコア見て吹いてもらうか、どーしても必要だったら自分で書いて」
「……え?」
「パート譜で換算すれば二十小節ちょい、多くて四段とかっしょ」
そのくらい余裕っしょ──と開き直りはなはだしい菜穂子へ、吹雪もゆりも言いたいことはひとつだ。
余裕だと本気で思ってるなら、ちゃんとパート譜も用意してくれ!
(ドギツイ! 菜穂子先ぱ……いやパイセン! あんた、違う意味でドギツイって!)
吹雪は幼稚園の玄関前で、渡された最後の楽譜に目を血走らせる。
今日はもうリハーサルだぞ⁉︎ リハってのは基本、全プログラムをMC込みでぶっ通しで演奏する行為のことを指すのであって──
「つーか、ナオ」翼が今更思い出したように。「MCの文章考えてきた?」
菜穂子はさも当然のように答えた。
「今からだけど? リハやりながら考えれば良くない?」
──ドギツイってば!
おまけにしっかり楽譜は難しい。初見させる気あるのか? 初見でなくとも、明日までに吹けるのかよこんなの? しかもソロじゃない、四人で音合わせてアンサンブルとして成り立たせなきゃいけなんだぞ、明日には!
そもそも。
先月の時点で激ムズ必至と思われていた菜穂子アレンジ『くるみ割り人形』だったが、先週もらったばかりの新曲『ミュージック・イルミネート』は、わずか三分程度の短い曲でありながら、その激ムズを軽々と超えていた。
なんたって、ソロパートが難しいというよりもアンサンブルが難しい。
細かい連符が延々と続いていき、んでもって楽器から楽器へとメロディを受け渡していかなければならないので、ひとりで黙々と練習するだけでは到底追いつかない、何度も合わせして四人で練習することにこそ重きを置かれた楽譜だったはずで。
こんなラスボスが控えていたんなら、『そりすべり』やら『赤鼻のトナカイ』やらの可愛らしいアレンジよりも、こっちの制作をうんと優先して欲しかった。
菜穂子パイセン。それに、翼パイセン、あんたもだぞ。
おたくら、これをたった一週間でやれと⁉︎
──もしかして、可能なのか? 睦ヶ峰生だから? プロ志望、現代音楽のプロフェッショナルだから可能ですってか⁉︎
(睦ヶ峰生……ヤベー!)
恐れおののく吹雪だったが、どうもラスボスの襲来で顔をしかめていたのは睦ヶ峰志望の高校生だけではなかったらしい。
「ナオせんせー、高校生もいるんだから、もーちょい頑張って早めに仕上げてやらなきゃダメですよう」
茶化し気味に、実のところそんなに深刻だと考えていない様子の翼へ、
「バサだって、楽譜来るの遅い時は遅いよ……」
ひどく低いテンションで、ゆりがボソリと不平を垂れる。
「文化祭の時も、三日前にオリ曲増やすっていきなり言い出したのバサじゃん」
そのタレコミで吹雪はすぐさま理解した。
菜穂子は菜穂子でこれが初犯ではないし、翼も翼で過去にやらかしているのだ。それも、一度や二度じゃなさそうだ。
なんなら、他人に実害が及んでいないだけ、オーキャンのグランドピアノ破壊事件のほうがまだマシなレベルか?
「吹雪くん」
そんな顔もできたのかってくらいにダルそうな表情を作り、ゆりは忠告した。警告の域まで出かかっていただろう。
「ナオちゃんやバサと一緒にお仕事するって、こういうことだからね」
「はい……?」
「前日まで楽譜が来ない。当日リハからのぶっつけ本番。それか、本番近くなってから楽譜が変わったり、作曲家の気が変わって楽器が増えたり。初見で吹かされる小節だっていっぱいあるかもしれない」
へえ、いっぱいなんだ。最後の数小節とかじゃないんですね?
さてはゆり先輩……とっくに経験がお有りで⁉︎
「だから早いうちに慣れておくんだよ、吹雪くん。ソルフェージュが苦手とか初見じゃ吹けないとか本番緊張するとか、そんなこと、今に言っていられなくなるよ。──作曲の子と仲良くしている限り、この先ずっと、こういう本番が続くから……ね?」
吹雪はその場で泡吹いて倒れたくなった。
さすが睦ヶ峰生……いや作曲家……いや
真っ当な演奏家なら裸足で逃げ出すガチでヤベー奴らだ! 自分が呼ばれる前にドタキャンしたというサクソフォニストが正しい判断だったかもしれない!
なにより、ご覧ください、このヤベー奴らの顔を。
少しも反省する素振りがございません! 翼先輩のほうがいささかわざとらしく申し訳なさそうにしておりますが、あれ、絶対演技です! 来月には懲りずに、また同じ罪を犯す軽犯罪者の顔をしております!
どうしましょう、中本(引退したから元)部長。
僕、今までで一番……ていうか初めて、菜穂子先輩が嫌いになりそうです!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます