『ミュージック・イルミネート』



   ♫



 案の定リハーサルはひどい有様だった。

 演奏の出来もさることながら、全曲を通している間もリハーサル終わってからも、主に菜穂子なおこつばさの作曲科コンビが事あるごとに喧嘩していて、なかなか練習が進まないのだ。

「なぁにアコーギグを拡大解釈してんの⁉︎」

 菜穂子が『くるみ割り人形』の楽譜を手の甲ではたく。

「勝手なこと弾くんじゃないわ! Rit.リットAccel.アッチェレも書いてないでしょうが。んなテンポの揺らしかた、吹雪と二階堂にかいどうさんが付いてけるわけないっしょ? ラフマニノフじゃあるまいに。一からロシア・ピアニズムを勉強し直せ!」

「じゃーもーナオが弾けって!」

 翼も負けじと、ピアノの譜面台に置かれたパート譜を指で小突く。

「ここだってどーせ、元のオケ譜を鵜呑みにして適当にフォルテって書いただけだろ? ピアノ版との比較検討きちんとやってますかー? やってねーんだろーなあ」


『くるみ割り人形』はもともとバレエを踊るために作られたオーケストラ曲で、のちにチャイコフスキー本人を含め、様々な作曲家がピアノ・ソロにアレンジしている。

 翼に言わせれば、同じ曲、同じ箇所、同じ音であっても、オケかピアノかで記すべき強弱や速度の記号がまったく変わってくるはず──らしい。

 その主張に吹雪ふぶきは舌を巻いた。そもそもナオコ・ムカイ版なんてほとんど原型を留めていないのに、翼はよくもまあ律儀に、原曲とアレンジを比べられるものだ。


「ヴァイオリンのフォルテとピアノのフォルテは別物なんですぅ。そこんとこ考慮されてない楽譜の言うことは真面目に聞かなくて良いと思いますぅ」

「うっさい! 目の前にいるアレンジャーが直せっつってんだから、ガタガタ言わずに直しなさいよ!」

「あのう、菜穂子先輩……」

 おそるおそる吹雪が挙手する。お前も文句あんのかと菜穂子に凄まれれば、びくと肩を震わせつつ、

「実はこのアレンジ、僕もいっこだけ気になってて」

「ちっ。……何よ」

「『くるみ割り人形』って……や、僕の勘違いなら別に良いんですけど」

 翼やゆりの顔色も伺いながら。

「金平糖とかタランテラとか、いろんな曲入ってるじゃないですか。組曲だから。僕、くるみ割りで一番有名なのって、てっきり『花のワルツ』だとばかり……」

「……あっそ。で?」

「で、なんで『花のワルツ』はこのアレンジにはまったく入ってないのかなって……え、入ってないですよね?」

 ゆりが即座に力強く頷いてくれたから、思い過ごしではないと吹雪も自信がつく。どうやら図星だったらしく、菜穂子はむすっとしたままだ。

 尺の都合で全曲入れられないのは理解できるが、なにもわざわざ有名どころを抜かさなくても……とは吹雪もうっすら考えていたのだ。組曲の中でも大トリだぞ?

「ええと、先輩? なんで『花のワルツ』ハブいたんですか?」

「あのワルツが一番クッソつまんないから」

 ──怖いもの聞きたさに聞いた僕が悪かったです!

 チャイコ大せんせー! うちの菜穂子パイセンがごめんなさーい!



「つーか、ナオせんせー」

 翼もさっきから随分と、虫のいどころが悪そうだ。苛立ちを隠さないまま、ピアノのペダルを意味もなくキコキコ踏んでは離してを繰り返している。

「さっきのMCもなんだよ、ありゃあ? もっと声張れ! 笑え! その怖いお顔で幼児を泣かす気か? んなサンタさん、日本にも欧米にもいないっつの」

「あーもーマジでうっさい! 本番はちゃんとやるわ」

「リハでできないことは本番でもやれませーん。もーMC代われよ。俺でもゆりでも、吹雪でも。あーそっか、ナオせんせーはサンタさんじゃなくてトナカイさんか。トナカイと言えば『赤鼻のトナカイ』も鍵ハー、、、の音程悪くね?」

 ──うっっっわ。

 実はサックス勢もちょっとだけ困ってたことを、いとも容易く指摘してのける翼パイセンの度胸よ。

「鍵ハーはこっちじゃ音程変えらんないわ。サックスのほうが合わせてよ」

 はは、と乾いた笑いが吹雪の隣で聞こえた気がした。たぶんゆりだ。

 菜穂子の鍵盤ハーモニカは小学校の授業で使ったのであろう楽器をそのままの状態で持ち込んでいて、あくまでも教育目的で使う子ども用のそれは、サックスやヴァイオリンと同じ土俵に立てるクオリティの楽器構造をはじめからしていないのだ。

 それでも翼の追撃は止まらず、

「『そりすべり』もタンバリン、ビミョーにリズム合ってねえよ。おたくこそ、ソルフェの授業再履修したらいかがですかー?」

「んだと、翼てめえ──」

 もっと菜穂子の怒りを買うような言葉を投げつけたことで、口論がさらにヒートアップしかかった時。


「────もーいいっ!」

 キンとつんざく悲鳴に、一同が視点を集める。

 険悪な雰囲気に堪らず叫んだゆりが、誰よりも切羽詰まった顔で、

「くるみ割りはもういいっ! MCも後でゆっくり考えて! 笑顔の練習はおうちで鏡の前でやって! 今ここで練習しなきゃヤバいのはラストの曲なんだってばっ!」

 ブチギレたら菜穂子も翼も、申し訳なさそうに頭をかいたり下を向いたりする。

 ゆりの言う通り、もっとも演奏がおぼつかないのは『ミュージック・イルミネート』だ。園長先生がとても寛大な人だったから、午後はたっぷり時間使わせてもらって、大部屋を練習に貸してもらえたけれど。

 特に、作曲者であるはずの二人のピアノ連弾がまずかった。互いに自分の担当パートは弾けていたようだが、いざアンサンブルしてみるとズレまくっていて、全然息が合っていないのが吹雪でもわかる。

 そういう吹雪も吹雪で、自分がちゃんと吹くことに必死過ぎて、四人で合わせていると周りの音が聞こえなくなる瞬間も多々あった。けど、不思議なことに音の壁は崩壊しない。サクソフォン二本はちゃんとハモったり、メロディの受け渡しもスムーズにこなせていて──


(はっ? そ、そういうカラクリか!)

 吹雪は自ら気が付いた。

 ずっと前から、ていうか最初から、仮に吹雪がタイミングを間違えていたとしても、ゆりが吹雪の演奏に協調し、無理矢理にでも帳尻を合わせていてくれたのだ!

 申し訳ねえ。あと一日でも、直せる限りは頑張って直します。

 でも……やっぱり……睦ヶ峰生ってすげー!


「とにかく、バサもナオちゃんも! せめて連弾のソロはちゃんと合わせておいて?」

 ついにはピアノへ駆け寄り、具体的な練習箇所の指示まで出し始めるゆり。

「ここと、ここと、ここ! 最後のグリッサンドは、ほんとにテンポ通りにやってくれなきゃサックス途中から混ざれないよ! 吹雪くんが困るでしょう⁉︎」

 自分が──ではなく吹雪が。

 そのセリフがよほど効いたのだろう、渋々いがみ合いを止めた作曲科コンビが、連弾パートだけでの練習を始める。

 ここまで二時間くらい、ぶっ通しで立ったまま吹いていたから吹雪も自覚しないうちにへとへとになっていた。

「ほんっとごめんね吹雪くん。うちの睦ヶ峰生が……」

「い、いえ。僕こそすみません、全然合わせらんなくって」

「そんなことない! 吹雪くんはよく頑張ってくれてるよ〜。……ね、私たちはちょっと休憩しよっか。サックスだけで練習できるよう、園長先生に他に空いてる部屋ないか聞きに行こ?」

 聖人みたいな笑顔を取り戻した(取り繕ったともいう)ゆりに誘われ、吹雪はサクソフォンと楽譜の束を持って大部屋を出ていく。背中越しにまたしても菜穂子の怒声が聞こえた気がするが、今回ばかりは振り返らないでおいた。



   ♫



 園長先生は快く、年中の教室を貸してくれる。ついでにお水まで持ってきてくれた。

「にしても、先輩たち……」

 水を飲みながら、

「自分で弾かなきゃいけない楽譜ってわかってて、自分で音符書いておきながら……」

「ほんとにね〜。もうちょっと簡単にしておいてくれたら良いのに」

 吹雪がぼやくと、ゆりも眉を下げて肩をすくめる。あの二人を叱咤して以降、堪忍袋の尾が切れたままなんじゃないかと吹雪は少し様子見していたのだが、すっきりした表情を浮かべていることから、いつまでも怒りっぱなしではいないつもりらしい。

 ほっとする吹雪へ、ゆりも当事者がいないところで密かにフォローを入れる。

「まーしょうがないね。二人は演奏のプロではないから」

「は、はあ」

「私も、楽譜もらったときはもうちょっとイケるかなーと思ってたんだけど。なかなかそう調子良くはいかないねえ、あはは。……でもね、吹雪くん」

 ゆりはサクソフォンを机へ置き、『ミュージック・イルミネート』の楽譜を広げる。


「楽譜来たのはぶっちゃけギリギリだったけど。この曲は合作というだけあって、共通コンセプトというか、二人でシェアしてる先行作品がちゃんとあるんだってさ」

「先行作品……元ネタってことですか?」

 吹雪も隣でのぞき込むように楽譜を見た。

 新しい音の世界を追い求める現代音楽にも、音楽の先達者、音の先駆者はつきもの。特に今回は二人で担当を割り振っているのだから、曲全体のテーマがきちんと揃っていなければ音楽として破綻してしまうだろう。

浜松はままつで国際ピアノコンクールがあるんだけど……吹雪くんわかる?」

「へえ、浜松で? 有名なんですか、それ」

「超有名。小説のモデルにもなってるくらいで」

 ゆりはスマホを取り出し、動画サイトを開き始めた。

「そこのコンクールの予選大会では毎回、現代作曲家が書き下ろした課題曲が必ず用意されていてね? みんな、絶対にそれ弾かなきゃ駄目なの」

「え、絶対?」吹雪は恐れを為したように声を振るわせる。「だって絶対ムズいですよね? 向き不向きとかもありそうで……」

「得意不得意なんて言ってらんないよー、一流のプロになろうと思ったら。国際大会だし」

 そういうものなのか、と吹雪は表情を引き締める。さすが演奏家のプロの卵──菜穂子みたく「コンクールで一番を取る決め手は曲」とは、いきなり言い出さないあたり。

 プロを志し、より高みを目指す演奏家たちにとって、現代音楽は超絶技巧と遜色ないくらいに、一度は突破せずして避けられない壁のひとつなのだ。



 吹雪はゆりと一緒に、動画サイトで公開されていたピアノコンクールのある課題曲を聴く。密度が高い和音を鋭く叩きつけ、神出鬼没なスケールが息継ぐ暇もなく繰り返されていた。

 聴いていて目から鱗が落ちるようだ。ピアノの音ひとつ、それも『音階スケール』なんて音楽の基礎中の基礎みたいな並びだけで、これほどバリエーション豊かにいろんな感情表現が可能だったのか。

(うーん……確かに、『ミュージック・イルミネート』もこういう響きが出そうな箇所あったかも)






_____

「楽曲紹介」のページを更新しました。

https://kakuyomu.jp/works/16817330651917302788/episodes/16817330660323882483

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