菜穂子をオトす方法

「あーもー、しゃらくせえ!」

 中本なかもとはなんの断りも入れず、吹雪ふぶきのリュックサックの中身を漁り始める。

「え、ちょ、何してんだ!」

 吹雪が不穏を悟るよりも早く、同じく何かを悟ったクラスメイトの男子がすかさず吹雪を羽交い締めにする。

 スマホを抜き取った中本は、慣れた手つきでSNSを開く。こういう事があるから、パスワードロックって面倒がらずにちゃんと付けておかなきゃダメなんだなと吹雪は猛省した。

「な〜か〜も〜と〜ぉ⁉︎」

むかい菜穂子なおこ、向菜穂子……あ、今年のクリスマスって何曜? 月曜? じゃあイヴのほうが良いかな? まーいいや、どっちも誘っちゃえば」

「中本さん止めてえ、超止めてぇ⁉ お願いします何でもしますから!」

 ようやくスマホを取り返したが手遅れだった。


〈十二月二十四日か二十五日、ナバナの里でイルミネーションイベントやるみたいですよ! 一緒に行きません?〉


「ナバナ⁉︎ 名古屋ナゴヤですらねえ!」

 すぐ送信を取り消そうとした矢先に、幸か不幸か既読が付いてしまう。吹雪は教室の床でのたうち回った。

「うわあああああっ! 何やってんだ中本おおおおおっ!」

「ナガシマと伊勢いせ神宮で悩んだんスよね〜」

「いきなり三重みえはハードル高くないかな〜、なかもっちゃん? せめてオアシスのスケートリンクあたりだよ〜」

「お〜その手もあったか。つか既読付くの早くね? 実は脈アリだったんじゃね?」

「どっちも高いよ! フジヤマ級のジェットコースターだよ! もうほぼ告ってるレベルじゃんこれ? おおおおお前ら他人事だと思ってえ!」

 菜穂子から来た返事も早かった。


〈ごめん。どっちも用事ある〉


 バタンッ!

 泡を吹いて倒れた吹雪を、中本たちは憐れみの瞳で見下ろしている。

 本当にやんどころない用事が入っていたのか。大学生だからアルバイトの可能性もゼロじゃないし……あの先輩のバイト姿とか想像できないけど。もしくは家族か、普通に睦ヶ峰の人たちとの付き合いかもしれない。

 それとも、まさか、本当にどこぞの陽キャに先を越されてしまったのか。詠人えいととかつばさとか、なにげにチャラい男との縁が強い菜穂子のことだ。まったくありえないとは言い切れない。

 吹雪はそれからというもの、午後の授業はまったくの手付かず、抜け殻のような日々を過ごしハロウィンも素通り、翌週末の詠人のレッスンはぼろぼろの結果となったのであった。



 だが、吹雪の凍り付いた心を溶かす灯火となったのも菜穂子である。

 十一月を迎えてまもなく、下校時間を見計らってか、ベッドに倒れ込んだ吹雪のズボンがブブブと震えを起こす。吹雪はスマホを見るなり跳ね起きた。

「先輩っ⁉︎ ど、どどどどういったご用件でしょうか!」

『……あー……』

 上擦った声に大した反応も見せず、菜穂子はなぜか数秒ほど黙ってから躊躇いがちに話を切り出してくる。

『お前、クリスマスってまだ予定空いてる?』

「……えっ」

『できれば前日も。岡崎おかざきの幼稚園でクリスマスコンサートやるんだけど、頼んであったサックスの奴が一人ドタキャンしやがって。……お前、出ない?』

 断る理由などあるはずがなかった。

 詳しいスケジュールは文面で伝えるという旨まで伝え終えると、菜穂子はそそくさと電話を切る。真っ黒な画面を見つめたまま、しばらくぼうっとしていた吹雪は、

(あーね……あーね! 菜穂子先輩ってやっぱそうだよね!)

 一方的に理解者を気取り、何度も納得したように一人で頷いてはベッドへバタリと仰向けに倒れ込んだ。

 やはり彼女はどこまでも音楽第一だ。普通の女子大生ではない。ハロウィンやクリスマスなんて浮かれたイベントに興じていられるほど、暇なアーティストではなかったのだ。

 そしていずれは──この吹雪ぼくも。


(練習しよ)

 吹雪は楽器ケースから金色のフォルムを取り出す。譜面台はいつだって部屋の中で開いたままだ。

 向菜穂子を本気でオトしたくば、デートや告白よりも練習あるのみ。



   ♫



 十一月半ば。


 イチョウの葉が吹雪の肩をかすめていく。

 土曜日の昼下がり、卸したてのコートを羽織り、勇み足で名鉄東岡崎ひがしおかざき駅の改札を抜けた。

 ハンバーガー屋の店内をきょろきょろと見渡せば、ボサボサ頭はすぐに見つかる。見慣れたアーキ色パーカーも、外の秋模様でひときわ趣が滲み出ているような気がした。

「お、お待たせしました!」

「うるさいわ」

 テーブル席で声を弾ませ深々と会釈すれば、菜穂子は低めた声とともにしかめ面をする。

 着席していたのは菜穂子だけではない。吹雪も先週遊びに行った睦ヶ峰文化祭の屋外ステージでジャズバンドを組み、脚光を浴びた男の姿もあった。──林翼だ。

 菜穂子の向かい席で鎮座する翼の隣には、吹雪が一度も話したことのない女性もちょこんと腰掛けている。

 ゆるゆるふわりとウェーブがかった黒髪に、褐色のロングスカートを履いた女性はいかにも女子大生といった風貌で、身なりに頓着しない菜穂子と向かい合っていれば、図らずも橙の艶やかな唇が目立つ。

「えー、高校生?」

 吹雪の学ランを見るなり真っ先に上がった女性の声色も華やかで、雪のように柔らかい。

「ナオちゃんの後輩? え、受験とかだいじょーぶなの?」

「お前、ナオの話まともに聞いてないだろ。もう推薦で受かってるんだって」

「あー、そっかあ。今年一人受かってたもんねー。おめでとー」

 女性はパチンパチンと、のんびりした拍手を吹雪に贈る。

 調子が掴みづらい独特な立ち振る舞いで、吹雪はようやく、この女性が翼と並んでステージに立っていたジャズバンドのサクソフォンだと認識する。ステージ上では終始翼がマイクを握っていて、女性はひたすら演奏に徹していたから全然気が付かなかった。

「そっかー、推薦で受かってたのってナオちゃんの後輩だったんだあ。すごいねえ」

「私の後輩ではない、別に」

「えー、そうなの? じゃあ何繋がり? ご近所さん? 音楽教室のお友だち? ……あー! もしかして彼氏さん?」

「めんどくさ。もう後輩ってことで良いわ」

 こめかみに皺を寄せ、菜穂子が諦めたような返しをする。

 あのドギツイ菜穂子が飲まれつつあるほどにマイペースを極めた女性を、吹雪は不思議そうに凝視していたが、翼に促されたことで慌てて菜穂子の隣に着く。テーブルには乱雑にチキンナゲットとフライドポテトが広げられていた。

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