SECTION.10 ミュージック・イルミネート

大学生の雑談

 電話越しに菜穂子なおこの話を聞くだけではいまいち要領を得なかった、クリスマスコンサートの全容や吹雪ふぶきを誘うに至った経緯は、つばさの流暢な喋りによって次第につまびらかになっていく。


 そもそも菜穂子にコンサートの話を持ち込んできたのは、『竹の子幼稚園』という菜穂子自身が卒園した施設の園長らしい。

 卒園してからもたびたび発表会に呼ばれ、ピアノを弾きに行っていたのが小中学生くらいまで。それ以来は幼稚園に足を運んでいなかったが、菜穂子が音大生になったことをどこかで聞きつけたらしく、実家に電話が掛かってきたことで、応対した母親がなぜか勝手に承諾してしまったのだとか。

 娘になんの断りも入れずにオッケーする菜穂子の母親も正直どうかと思うが、母親いわく、去年もクリスマスの頃には実家に戻ってきたので問題なかろうと。


「問題大アリだわ!」菜穂子はテーブルに両肘を付き頭を抱えている。

「大学にいるうちは作曲以外の仕事はしないっつってんのに……」

「じゃあ断れば良かったじゃん」

 翼はバニラシェイクに突っ込まれたストローをぐるぐると意味もなくかき回す。

「しかも仕事じゃなくてボランティアだし。クリスマスなんて、俺ら音大生にとっちゃ一番の稼ぎどきよ? ハナから休むつもりならまだしも、ほぼノーギャラのコンサートに出たがる奴なんかいないって」

「無理。あの園長には世話になってるし、あの辺じゃめっちゃ顔利く人だから、その、頼まれたら迂闊には断れない……」

「ご近所付き合いも大変っすねえ」

 苦々しい顔でうつむく菜穂子。さては幼児だった頃に色々やらかしているんだろうか。

 そして単身でのコンサート主催は心許ないと考えた菜穂子は、しぶしぶ翼に泣きを入れる羽目になったのだが、その翼の顔利きによってどうにか押さえておいたサクソフォニストのうちの一人に「やっぱり行けない」と振られてしまい、現在に至る。

 そのプレイヤーが行けなくなった理由は、やはり羽振りの良いクライアントによる別のクリスマスコンサートとの予定被りだとか。

(むしろ、翼さんとこっちの先輩はよく引き受けてくれたなあ)

 菜穂子に奢られたオレンジジュースをすすりながら、吹雪はちらちらと女性を盗み見る。

 ボランティアに等しいコンサートという意味では、結果として高校生の吹雪に白羽の矢が立ったのも頷けるだろう。

 なら、もう一人のサクソフォニストはどうして──。


「おい、ゆり、、

 翼は女性の柔らかそうな黒髪頭に躊躇いなく手を置く。

「来年からはお前も、この高校生くんの後輩だぞ」

「あー、そっかあ」

 女性は勝手に触られても少しも嫌がる素振りを見せず、両手を顔の前で合わせながら興味深そうに吹雪を見つめた。

「男の子がサックス来るのって久しぶりかも。でも残念ー。来年って、もう私たち四年じゃん。一年しか学年被らないねえ」

「お前はそのまま院に行くっつってたろ? ならあと三年は睦ヶ峰じゃん」

「えー、行きたいとは言ったけどお。まだ決めてないっていうかー、たぶん受験しても落ちるっていうかー」

「いや受験それは頑張れよ。ていうか受験生に向かって落ちるとか言うなよ。……あ、そっかこいつもう受験生じゃなかったわ」

「えへへー」

 吹雪どころか菜穂子すらもそっちのけで、翼と女性は二人で勝手に喋り続けている。


 ──なんだ、このふわふわした先輩は。

 文化祭のステージで楽器吹いていた時とは印象が百八十度も違うではないか。ごりごりにフラジオを効かせながら、渋くて超絶格好いいソロを吹いていたはずだけれど。

 女性と目が合えば、つい逸らしたくなってしまう。吹雪は決して人見知りではない。話し方といい雰囲気といい、彼女がどことなく、かつて世話になった吹奏楽部の先輩に似ている気がしたのだ。

 酒井さかい先輩──ある日突然、音楽室から姿を消してしまった人。



 吹雪が二人との距離感を掴めず困っていることに気付いたのだろうか。針も通さないような鈍い刺激を手の甲に感じ、吹雪は飛び跳ねるように菜穂子を見た。

「おい後輩。とりあえず自己紹介しとけ」

 パーカー姿と顎で女性を指し示す仕草も相まって、まるで菜穂子がヤンキーみたいだ。

「あ、はい! えっと、さ、佐倉さくら吹雪です!」

 吹雪は慌てて頭を下げる。自己紹介も何も、着席してからもう四、五分は立っているような気がするが。

城安じょうあんひがしってところに通ってます!」

「へー、どこそれ? 愛知? ていうか、桜吹雪、、、って可愛いねえ」

 女性は心浮き立つような軽い声で喜んだ。

 名乗りを上げるたびに綺麗だとか覚えやすいだとか、なにかしら物珍しげな反応を受けるけれど、可愛いと言われたのは初めてかもしれない。

安城あんじょうじゃね? たぶん」

「安城? どこ?」

「名古屋の近く。前にコンクールで会館行ったろ?」

「ふうん? そうだっけ。そうだったかも」

 翼に言われてもピンと来ていないらしい。──ちなみに、安城は言うほど名古屋から近くはない。


「私、二階堂にかいどうゆりって言いますー。よろしくね吹雪くん」

 ゆりもお辞儀をし返してきたので、吹雪はつい再び頭を低くしてしまう。

「ゆり先輩、よろしくお願いします! ええと、愛知の人じゃない感じですか?」

「うんー、私、岐阜の人」のんびりした調子で答えられる。「加賀美かがみ高校ってところ」

 岐阜の加賀美というのは吹雪も聞き覚えがあった。普通科と音楽科がある高校で、睦ヶ峰芸大へ入学してくる生徒の出身校としても比較的多く名が挙がってくるところだ。

「あれ、そういえば翼先輩は、ええと、どこの人でしたっけ」

「あー俺? めっちゃ名古屋。友永ゆうえい学園のピアノ科」

 友永も地元の人間なら知っている私立校だ。確か東京に同じ名前の音楽大学があるのではなかったろうか。──ちなみに、名古屋育ちなら安城を名古屋付近だと県外の人に吹聴するのは、なんとなく遠慮して欲しい。本当になんとなくだが。まず隣接すらしていないし。


「やっぱり音高出てる人が多いんですね」

「いやあ、管楽器と作曲はそうでもないっしょ」

 感心するように吹雪が頷くと、翼はなんでもなさげに片手を舞わせた。

「むしろ朝日あさひ普通科卒ってほうがカッコよくね? なあ、偏差値七〇越えのナオせんせー?」

「別に? それ校内全生徒の最大値でしょ。私はそんなに成績よくなかったわ」

「うわーやな奴。朝日野の平均値は県内の最大値だろーが」

「……お前、最大値の意味知ってる?」

「あっはは、二人とも面白っ! なんか頭良さげな話してるねえ」

「……あ、あのう」


 吹雪は先輩たちの顔を交互に見比べ、かなり早い段階から思っていた本音を口にせざるを得なくなった。もぞもぞとテーブルの下で足を動かしながら、

「ええと、その、コンサートの話は……?」

 できる限り申し訳なさそうな顔を作りながら本題を切り出すと、菜穂子が隣で力強く頷いたような気がした。

 その言葉を待っていたと言わんばかりの勢いで、

「とりあえず、メイン曲のアレンジは完成したから。残りのプログラムをさっさと決めよ」

 乱暴気味にテーブルの食器を脇へ追いやり、自分のトートバッグから楽譜を抜き出し広げていく。

 文字も楽譜の音符もすべてが手書きだ。きっと菜穂子が書いたのだろう──ただ、表紙には吹雪でも知っているタイトルが記されていた。


 チャイコフスキー 作曲

 組曲『くるみ割り人形』より





_____

キャラクターリストに「二階堂ゆり」を追加しました。

https://kakuyomu.jp/works/16817330651917302788/episodes/16817330660322991481

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