それは音楽か、テロリズムか
バチィイ────────ンッ‼︎
二本目の弦が断ち切られる。再び鍵盤との二重奏、不協和音が鳴らされる。
譜面台に楽譜は置かれていない。即興という名目で適当に鍵盤を叩いただけだと、最初の一音目では思っていた。だが違う。吹雪は二音目で気がついてしまった。今のはとても当てずっぽうに叩いて出るような響きじゃ無い。おそらく菜穂子は最初から、あの弦を切った時この和音を鳴らすと心に決めてあったのだ。
菜穂子の脳裏には今も楽譜が描かれている。ただの思いつきで起こした破壊行動じゃあ決して無い。彼女は紛れもなく曲を演奏している。彼女の彼女による彼女のための、最高のパフォーマンス真っ只中だ。
ここからの展開は、走馬灯でも見たかのように鮮明な記憶が残っている。
三音目に差し掛かった時、壁際で騒いでいた何人かがついに菜穂子へ駆け寄った。やはり弦を切るなんて話は誰も事前に聞かされていなかったのだろう。菜穂子は三音目では足のペダルをしっかりと踏み込んでいて、乱雑に鈍く光る響きの中から、繊細な余韻のみをこの部屋に残そうといたって真剣な顔をしていた。そういう余韻のことを、ちまたでは『
その余韻が完全な形で浮かび上がることは無かった。大人たちに腕を押さえられ、腰を引かれ、椅子からペダルから、ピアノから次第に引き剥がされていく。
菜穂子は激昂していた。本人と周囲の怒声が入り混じり、誰もが取り乱し過ぎていて言葉のすべてを吹雪の位置から聞き取れはしなかったものの、菜穂子は最後、確かに「私の音楽の邪魔をするな」と叫んでいた。
当然パフォーマンスも発表会も強制終了。スタッフや教授たちが会場内外を右往左往し、菜穂子が絶叫も聞こえなくなるほど完全に退室させられるまでは、客への対応や状況説明すらままならない状態が続いた。
──私の音楽の邪魔をするな。
客たちもひたすら唖然とする他なかったけれど、
「怖っわ。あんなのもうテロじゃん。犯罪じゃん」
いいや違う、テロでは無い。はたから見れば確かに、どう視点を変えたってテロだと言い表すしかなかったかもしれない。
けれど菜穂子は、彼女にとってはあれはテロじゃない。音楽をしていた。ピアノと会話していた。客になにかを訴えかけていた。
吹雪はもう一度膝を見た。『私は見ている(I'm Seeing)』──ああ、確かに。
この曲だけは、あの音楽家だけは、どの曲よりも誰よりも、その名に相応しい音を聴かせてくれていた。彼女に、僕も見ました──と、直接伝えてみたかった。
(……最後まで聴きたかったな)
会場からの退室をスタッフに促され秋音に急かされても、吹雪はしばらく喪失感に
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