音の魔法使いたち



   ♫



チャイコフスキー 作曲(むかい菜穂子なおこ 編曲)

『くるみ割り人形 〜ムカイ・ナオコのロシアン・キャロル・アレンジ』


 クリスマス・イヴにひとりの少女が贈られたのは、強靭なあごでクルミが割れるくらいしか取り柄のない、妙ちくりんで少々不細工な『くるみ割り人形』。

 しかし、その夜に繰り広げられる、夢かおとぎ話かもわからぬ世界での戦いに巻き込まれた少女が見たのは、ねずみの大群へ果敢に挑む人形の軍隊と、それを指揮するくるみ割り人形の勇姿。

 やがて戦いを終えたくるみ割り人形は姿形を変え、少女にとっての王子様となる──。



 夢という歪な世界に誘われているからだろうか?

 菜穂子がアレンジした行進曲はどこかぎこちなく、足並みが微妙に揃っていない。

 ポロン、ポロンとこぼれ落ちていくリズムを、子どもたちは気味悪がるどころかむしろ面白がっているように吹雪には見えた。


 不思議だ。

『そりすべり』や『ひいらぎ飾ろう』でも子どもたちはいたく楽しげに演奏を聴いていた。

『赤鼻のトナカイ』では一緒に歌って、ステージの演奏家たちと同じ音楽をシェアしていた。

 だが、今は。

 その場の雰囲気に流されているだけじゃない。クリスマス気分に浮かれているだけじゃない。が奏でる音、その一挙手一投足に集中しているようだった。



 彼らは、ちゃんと聴いている。

 佐倉さくら吹雪ふぶきの音を──向菜穂子の音楽を、誰よりも真剣に聴いている。



 そう気付いた時、吹雪まで音楽の波に乗り始める。

 ロシア音楽の先駆者チャイコフスキーに、ロシアからアメリカへ拠点を移し、当時のクラシック音楽界に革命をもたらしたストラヴィンスキー。そして、令和の邦人作曲家ナオコが、時代や国を超え、今、岡崎の地にてセッションする。

 彼女ら全員のを、たった昨日受け継いだばかりのサクソフォニストが──トナカイのツノを頭に付けたまま──妖精から、どこか不格好な兵隊へと生まれ変わったみたいに。


「ワア」

 ひとりの男の子が、小さな感嘆をあげる。

 彼には、絵本の中の人形がそっくりそのまま現れたかのように映ったのかもしれない。

 今の吹雪は子どもたちにとって何者であろうか。トナカイか、人形か、兵隊か。

 何者であっても構わない。

 吹雪はサクソフォンを吹き鳴らしている限り、何度でも、何者にだって生まれ変われるのだ。


 変幻自在なのはサクソフォンだけではない。

 小瓶に詰められた金平糖を弾き飛ばしていくみたいに、ピアノが丸まっていた音をピンと尖らせた。

(──っ! やばい!)

 ノリノリだった吹雪が、そのピアノでひっと緊張をたぎらせる。

 その小節は一瞬でフォルテからppピアニッシモへと音量を下げなければならなかった。つばさは昨日のリハーサルで「生楽器が物理的にそれは無理だ」と文句垂れていたが、菜穂子は最後まで譲らなかった、いわく付きの場所だ。

(やっべー……忘れてたよ)

 かろうじてひとりだけ爆音を出す羽目はまぬがれたものの、ブレスをし直したせいで若干他のパートとタイミングがずれてしまう。

 吹雪はちらと、壁際でひとり演奏から抜け、腕を組んでステージの様子を眺めているであろう菜穂子の顔色を伺った。その場で静かにブチギレられてたらどうしよう、と不安げに。

(あれ?)

 菜穂子は怒るばかりか、どこかぼうっとしているようだった。

 ステージへはもちろん視線を送り続けているが、もっと遠い景色を見ているみたいに、はるか虚空をぼんやりと眺めていて──。



 吹雪も誰も知らない。

 ボサボサ頭の、少女と呼ぶにはいささか見栄を張り過ぎているであろう彼女が。

 本番の最中だというのに、あたかも自分自身が絵本の中の少女で、そのステージ上に、王子様の顕現を夢見たかのようであったとか、ないとか。



   ♫



 結局、『くるみ割り人形』は表面上では何事も起こらずに演奏を終えた。

 演奏中にいろいろとすったもんだ起きたのは、やはり大トリである。


向菜穂子、はやし翼 作曲

『ミュージック・イルミネーション』


 子どもたちの集中力は凄まじく、コンサート序盤とは打って変わってしんとなり、ひたすらステージに釘付けだった。

 騒がしかったのは吹雪たちの内情だ。

 危うく出だしが遅れそうになったり、リハーサルで予想していた通りのヤバめな箇所がちゃんとズレたり、ついにはパート間の連携が取れなくなりかかったり、迷子になったり。

 演奏が止まったらどうしようと、ハラハラする暇さえ与えてもらえなかった瞬間が何度あったことやら。


 だが、吹雪が音の迷路に差し掛かるたび、あるべきルートへ引き返させてくれたり、正しい分岐点まで連れ出してくれたのはいつだってもうひとりのサクソフォニストだった。

 ゆりは今までにくぐり抜けてきた修羅場の数があまりに違いすぎる。

 翼も翼で、もう楽譜と違くってもいいやと言わんばかりに、もし分岐点を間違えたとて強引にピアノをかき鳴らした。こういう頭の柔らかさは、菜穂子よりもうんと優れている。

 どうにかこうにか合流を重ね、都会の豪華イルミネーションにも遅れを取らないほど、ありとあらゆる音色おんしょくの電飾を点けたり消したりを繰り返してきた音楽家ご一行は、息切れ切れとなりながらも『終止線ゴール』まで完走することが叶ったのだ。



 最後の音を吹き切ったゆりが、

「ありがとうございましたー!」

 上気した頬でそう叫ぶなり、わあっと今日一番の歓声と拍手が飛び交う。

 彼らはいったい、何のパフォーマンスを見たつもりでいたのやら。音楽か、それとも音楽家たちのドキドキワクワクフルマラソン大会か。

 吹雪はひとり静かに苦笑いする。

(これも現代音楽の醍醐味……なんちゃって)

 当然、現代音楽とは──なかにはそれ自体をコンセプトとする楽曲もあるであろうが──本来はそういう楽しみかたをする音楽ではない。


 ともかく、ひとつだけ確かだったのは。

 このステージに立っているのは、誰もが等しく、音を自由自在に操る『魔法使い』だということだ。

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