第13話 受付嬢アリエス

「君はエリカさんに連絡をとって、どこかでデートでもしていてくれ。間違ってもこの件を察知されないように」

「……連絡?」

「連絡先の交換をしてないのか!? 夫婦だろう!?」

「すいません、それはどうやるんですか?」

「ああ……」


 ハイドラは頭を抱えてしまった。

 そういえばこのナギという男、本日が入学初日だったのだ。学園ギルドでの案内は受けていると思うが、マニュアルにある以上のことを説明するかどうかは受付担当の個性によるだろう。というより、ほぼしない。たぶん教員免許の機能については冊子を渡してそれでおしまいだ。


 そしてその冊子を読む時間はなかっただろう。何せ荷解きをして日用品の買い出しに出ようとしたところでこの有様なのだから。


「教員免許および学生証が通信機の役割をするという話はされたな? その機能だ。というか私と連絡先を交換してくれ。頼む」

「美人の先生と連絡先交換をするのはなんだかドキドキしますね」

「思い出したように普通の感性で話すのをやめてくれないか!? 混乱する! ……はい教員免許を出す。はい顔画像の念写された面をこっちに向けて。そうだ、偉いぞ。そこに私の教員免許をタッチするから動くなよ。そうだ、動かなかったな。偉いぞ。はいおしまい。手帳部分に私の連絡先が念写されたので、なにかあれば私の連絡先に指で触れて強く念じてくれ。それで通話できる」

「わかりました。ありがとうございます。ところで僕、すごく幼児扱いされてませんでした?」

「君の世話か幼児の世話かを選べと言われたら、私は幼児の世話を選ぶね。なにせ被害の規模が想像できる範疇におさまるから」

「僕、何かしましたっけ?」

「外国の王族と問題を起こしている外国の公爵令嬢と結婚とかしたかな」

「なるほど。しかし幼児のもたらす被害、なかなか想定を超えてきますよ」

「そういう話をしたいんじゃあないんだよ。というか国家レベルの問題を起こす幼児はそうそういな……ああ君、侯爵家育ちだったものな。いるか、国家レベルの幼児の知り合い……とにかく君はエリカ・ソーディアンさんを適当な理由をつけて連れ出せ。外泊してもかまわないから西門方面には近づけるな。事態が沈静化したら連絡するからそれまではがんばれ」

「外泊と言われても……というか今日会ったばかりの女性と外泊というのはいささか問題では?」

「今日出会ったばかりの生徒と教師が結婚するより問題はない。というかそれに比べたらたいていのことは問題がない」

「しかしやんごとなき事情もありましたので……人生にかかわる問題が」

「今回も人の人生にかかわる問題なんだ」

「聖女亡命でしたっけ? それがエリカさんの人生とどう関係が?」

「エリカさん以外の人生に興味はない?」

「ありますけど」

「じゃあ大量の神官と学園都市理事会と生徒とカリバーン王国に所属するけっこうな数の人の人生にまつわる問題だと思って動いておくれ。いいかな? いいね? じゃあそういうことで!」


 ハイドラは『異論は聞きたくない』という様子で走って教職員宿舎を出て行ってしまった。

 残されたナギは、「あ」と止めようとしたが、遅かった。


 だから一人残された、他に気配のない宿舎のロビーでつぶやく。


「……エリカさんの住んでる場所も知らないんですけど……」


 連絡先も住所も知らない、仮面夫婦。



 とはいえノーヒントということもない。各地区の各番街にはそれぞれ生徒用の宿舎があって、特にこだわって自分の住処か商店でも購入していない限りはそこにいるのが普通だからだ。だから十三地区十三番街付近の生徒用宿舎を当たればいい。

 しかしその情報は持っていても、そこまでの道はわからない。

 地図を見ればわかるのだけれど、ナギは昼の件ですっかり迷子になる自信をつけてしまっていたし、今回は緊急っぽいので確実な手段をとりたかったからだ。


 なので学園ギルドをおとずれた。本日三度目だ。


 長いカウンターのある役所のような空間は夕暮れの終わり時だからかさほど人がいなかった。

 ちょうど今がシフトの切り替えのようで、スタッフルームからぞろぞろと人が出てきては「お疲れ様でした」なんて言いながら学園ギルドの建物を出て行こうとしている。ここは役所のようだが二十四時間営業らしい。


 ナギは道を開けて出て来る人の邪魔にならないようにしながら建物の中に入ろうとするのだが、そこで手首をつかまれた。


「先生?」


 視線を向ければ、そこにいたのはナギの案内を担当してくれた受付嬢にして、生徒のアリエスだった。

「アリエスさん」と言いながらナギは彼女との会話について考えをめぐらせ、


「今、仕事終わり?」

「あ、はい。先生はどうしてここに? エリカとの離婚手続きですか?」

「いや早すぎるでしょ。三年は様子を見ようと思ってるけど……」

「別れる予定があるんですか!?」

「まあエリカさんが学園を卒業するころにはその予定だよ。そういう契約だから……ええと、ほら、婚約者除けだよ。エリカさんの身分は知っている……と思っていいよね?」

「カリバーン王国の偉い人ですよね。偉ぶらないから忘れそうになりますけど。いや偉ぶってるのかな……なんていうかエリカは、『ツン』なんですよ」

「ああ……」

「……え、待って、待って、ということは先生、結婚してるのにフリーなの? しかも一見結婚してるの?」

「一見というか結婚はしてるけど」

「それはほらぁ! あれでしょ? 偽装! 学園の教師として侯爵の推挙で入ってくる若き先生がフリー!? しかもその情報を知ってるのは私だけ!? これすごいことですよ! 私以外には絶対にバラさないように!」

「なんだか今日はやけに口止めばかりされる日だなあ……ああ、ところで、ちょっと急ぎの用事があって、ここには道をたずねに来たんだよ」

「道とか私にたずねてくださいよ! というか私の理想の男性像とか聞いてください! 権力の後ろ盾があって教師などの職業に就いていて将来が安定している若くてかわいい系のイケメンです! 歳下が好みです! よろしくお願いします!」

「そうか。いい人が見つかるといいね。……ああ、案内は確かに、アリエスさんに頼むのがいいのかな。君、今から帰るところだろう?」

「いえもう外泊もできますが!」

「外泊するとなると案内をお願いするのもご迷惑になるかな……」

「超帰ります!」

「じゃあ君たちの宿舎まで案内してほしいんだ。エリカさんに用事があって……」

「別れ話?」

「いや、デートのお誘いだけど」

「クソがよ! ……なんでもないでーす。うふ。でも先生、エリカをデートに誘うということは、なにかしらの特別な理由があるんですよね」

「……なぜ、そう思ったのかな?」

「偽装結婚でしょ?」

「まあそうだけど。でもほら、なんていうのかな、偽装とはいえ夫婦なんだからデートの一つぐらいしたい……まあ僕の意思で誘うのかと問われるとちょっと言葉に詰まるな」

「脅迫!? 許せねぇよエリカ! わかりました。私が先生をお守りします! 私、潜在スキルが【スカ】でも気にしませんから! 平民なので! 血の継承とかクソだと思ってます! よろしくお願いします!」

「つまり案内をしてくれるってこと?」

「ええ、ゆりかごから墓場までご案内しますよ!」

「それは心強いな。じゃあ、お願いするよ」

「わかりました! アリエス、十七歳です。出身はグリモワールの『トリスメギトスすぐそばの村』で、一家は羊飼いをしています。両親ともに健在で、兄が一人いるので、実家を継ぐようなことにはならないと思います。学園都市で事務員として生きていく将来設計がありますが、卒業後はフレキシブルな対応が可能です。よろしくお願いします」

「あ、うん。そういえば個人的な自己紹介がまだだったね。僕はナギ。教職員で、出身は………………」

「アンダーテイル侯爵領では?」

「まあ、そうだね。そこ以外に考えられないよね。うん、アンダーテイル侯爵領です」

「アンダーテイル侯爵領、いいですよね。よく知りませんけど。あとトリスメギトスと比べてしまうとどこも田舎ですけど、でも私、自然豊かな土地も好きなんで!」

「まあ戻ることはないとは思うんだけどね。可能な限り教職は続けようと思ってるかな、今は。まだ勤務初日だし、厳密には勤務始まってさえいないし……」

「トリスメギトス最高ですよね! ここで暮らしちゃったら壁の向こうは全部田舎っていうか!」

「あの、そろそろ案内をいいかな?」

「おまかせあれ! ささ、こちらですよ!」


 アリエスが元気に手を引くので、ナギの足取りも元気にならざるを得なかった。

 夕暮れ時の大通りは夕食を求める人でごった返しているけれど、アリエスがずんずん歩いていくと、その謎の迫力のせいか道がどんどん開いていく。


(そういえば、彼女も僕のクラスなんだよな)


 問題児クラス。

 しかし羊飼いの家に生まれた、少なくともギルド事務員までできるぐらいの社会性がある彼女が、いったいどういう問題を抱えているというのか……


(まあ、わかった時には助けになろう)


 栗色の髪を見ながらぼんやりそんなことを思う。

 ……夕暮れ時は、今にも終わりかけていた。

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