第64話 金色の海を往く

 カリーナは深く突っ込まれると困るいくつもの設定を身にまとっている。

 ぶっちゃけてしまうと身にまとう設定はなんでもよかった。こだわりはなかった。ただ、体にどうしても染みついた磯臭いにおいが少しでも薄れればいいと思っていただけだ。


 カリーナの人生は生まれからずっと海に囚われている。


 猟師の家で生まれて、潜在スキルは【針子】。

 都会の商店などで生まれていれば服飾デザイナーにでもなれたかもしれないそのスキルは、漁師町においては網やマストの補修係として大変喜ばれるものだった。


 スキルには『血の継承』というものがあるようで、漁師町に唐突に【農民】が生まれるということはまずない。少なくとも、カリーナの生まれ育った町に出たという話は聞いたことがなかった。つまり代々【針子】の家系。過去から今までチクチクチクチク……


『将来はウチの船を継いでくれよ』


 先天スキルは生まれた時には判明するし、幼いころからずっとそう言われて育った。

 網元あみもと━━その地域の漁業組合の代表にもそのように期待をかけられて育ったし、もともと船を継ぐべく教育されていた兄もなんの未練もなしに『将来、自分の家の船を継ぐ者』としてカリーナを扱った。


 漁師としての人生がここに保証されている。


 それがどうしてもイヤだった。


 生理的に気持ちが悪いと思ってしまったのだ。

 生まれた時からもう死ぬまでの道が定まっていることには閉塞感と気色悪さがあった。

 でも、みんな、そうは思わない。スキルというのは道標みちしるべで、従うのが当たり前だからだ。


 だからカリーナが『将来が決まってしまっていること』に気持ち悪さを覚えるのは━━

 知らない誰かが、勝手に自分の人生に手をつけてくる、その『手』の生温かさにぞっとするのは、自分がおかしいからだと彼女は考えた。


 そこで彼女は、『本来の自分』という概念を思いつく。


 本来の自分。今の自分は【針子】と船のオーナーになるためにあるような先天スキルを持っているけれど、それはこの肉体や人生に絡みついているだけのものであって、この胸の中にある魂と呼ばれるものには、『そちらの人生』があったのではないか━━


 この人生に、なじめない。

 魂の持つ適性が違うから。


 そう考え始めると少しばかり救われたような気持ちになった。

 みんなが『当然』というように信じ込んでいるものを、自分だけが信じられない━━その状況は申し訳なかったし……

 家族や町のみんなの『善意』をおぞましく感じてしまって、とてもこの町で生きていけないような気持ちになってしまったからだ。


 だから【針子】が判明する前の、先天スキルだけがわかった状態だったカリーナは、『真実』について探求した。


 漁師町で生まれて船乗りになるためにあるような先天スキルを持っていて、周囲の人は優しく、兄も本来彼が継ぐはずだった船を横取りしようとしている妹をかわいがってくれる。

 網元を始めとした町の漁業組合は彼らなりの『親しさ』でカリーナに接してくれるし、その将来を嘱望してくれている。


 これほどいい状態なのに、『うざい』『気色悪い』『暑苦しい』『話が通じない』『だるい』しか思えないのは、おかしい。

 だからきっと、自分の『真実』……『魂の姿』は、漁師ではないのだ。


 では、なんだろう?


『温かい』人たちに『将来の名漁師だね!』『そろそろ、お父さんの船に乗せてもらえたのかい?』『将来はうちの息子をもらっておくれよ!』と『優しく』接してもらうのは苦痛だった。


 だからカリーナはぎこちない笑顔だけ浮かべてそれらの人々に対処しながら、頭の中では常に『魂の姿』について考え続けた。


 たぶん『魂の姿』は、こうまで漁師になることや、漁師の人たちを気持ち悪く感じてしまうのだから、きっと山とかの、海に縁のない、漁師なんていう人種を見たこともない場所で育ったのだろう。

 あるいは彼らを『平民』というくくりで見てしまっているのかもしれない。

 あと当たり前のように言いつけられる手伝いは嫌いだし、網の補修などうまくやってしまって『また頼むよ!』なんて言われるのはイヤでたまらなかったし、何より何回か『頼むよ!』を経るうちに、いつの間にか『手伝って当然』みたいに扱われているのははらわたが煮えくりかえるほど理不尽だとも思っていた。

 たぶん『魂の姿』は働かなくてもよかったんだ。だからこんなにも、みんなが一生懸命に精を出している『立派な労働』が嫌いなんだと思う。


 だからきっと、『自分』はお姫様なのだろう。


 そしてきっと、幽閉とかをされていたんだと思う。


 人々が当たり前みたいに『お前はずっとここにいて、ここで婿をもらって、毎日朝早くに漁に出て、帰ってくれば魚を並べて商人に卸して、網を縫い、マストを縫い、いつの間にか地元の誰かと結婚して子供を二、三人産んで、日差しを浴びながら街暮らしのお嬢さんの倍も三倍も早くしわくちゃになって、そして死んでいくのだ』という生き方を前提に接してくるのがイヤでたまらなかった。

 これはもう、普通のイヤさではない。すごくイヤだ。閉じ込められて、周囲が言葉の影に『前提』みたいにふくませるその人生を歩むのは、殺意がたぎるほどイヤだ。


 だから『魂の姿』も幽閉されていて、そういう生活に嫌気が差していたのだと思う。


 カリーナの中で『真実』はそのように年を増すごとに形成されていき、そうして自分でもそれを信じようとした。

 もちろん町の中ではそんな様子は見せられない。あの人たちはカリーナの『魂の姿』を知れば、それを間違いだと糾弾し、不理解を示し、あるいは病気だと思い、みんなしてカリーナの魂を殺そうとするだろう。

 だから、ずっと、心に秘めてきた。


 そうしてずっと心に秘めて死んでいくのだと思っていた。


 潜在スキル鑑定が終わった日に、神官から『学園都市には行くのかな?』と当たり前のように問いかけられて、反射的に『行きます』と答えて、人生は変わった。


 カリーナは『魂の姿』で振る舞ってもよくなった。

 受け入れられることはそれほどなかったが、それでも『魂の姿』を削り殺そうという人はいなかった。


 学園都市はあらゆる土地からレアな潜在スキル持ちや先天スキル持ちが集い、そういう、才能に恵まれた若者たちは、なんというか……が強いのが当たり前で、その我を否定するのが争いにつながることをよく知っていたのだ。


 だからカリーナは『魂の姿』のままに振る舞うことができた。


 地味だったくすんだ金髪を整え、整え、伸ばし、伸ばし、きらめくお姫様みたいな髪にした。

 最初に支給された制服を布を足し、色を染め、時間をかけて改造してドレスみたいにした。


 シミやそばかすの多かった肌は気をつかうことで真っ白になっていった。

 カリーナは今の自分の姿が好きだ。だって、自分で作り上げた、自分の望む通りの姿なのだから。


 でも、心は海に囚われている。


 いつかあの閉鎖的な漁師町に帰るのだろうと思っている。

 なぜなら、自分のスキルは漁以外でどう活かしたらいいかわからないからだ。


 簡単に言ってしまえば『船を操作するスキル』。


 船団を指揮し、その集団に最高効率の動きをさせるスキル。


 ……もしもこの世にまだ戦争があり、海戦などというものがあればどこかの将軍として名を馳せたかもしれないけれど、『五年で帰るから』という約束を実家としてしまった以上、そしてそれを破る強さがない以上、きっと漁師として、そのうち網元にでも祭り上げられるであろうスキル。


【提督】とは、最初から海に生き海に死ぬ、船を操るだけの先天スキルなのだ。


 ……だというのに。


 修学旅行の往路で唐突に始まった追いかけっこのせいで、とてつもないものを見せられている。


 二頭立ての馬車が二台。

 馬車室の壁と壁に剣を突き刺して強引につなげて、一台にされてしまった、二台の馬車が……


 空を、飛んでいた。


「……ありえませんわ」


 カリーナは馬車室の中で立ち上がって、身を乗り出した。

 すでに短い草の生えた原ははるか遠く、追いかけてくる神官の集団はぐんぐんと引き離されている。


 馬たちはそれが当然であるかのように空を踏み空を駆け、背後からおいすがる夕陽さえも引き離さんとする速さで、どんどんカリバーン王国へと向かっていた。


 カリーナはそれが、【提督】スキルによるものであると、なんとなくわかった。

 わかってしまった。


 だから、二台の馬車をつなげてあいだに立つ御者に━━ナギに、詰め寄る。


「ありえませんわ! 馬車が空を飛ぶなど!」

「このスキルは、『自分の艦隊を望む通りに操作する』というスキルだよね」


 やはり同じ先天スキルを持っているのだ。

 だが、


「馬車を飛ばすスキルではないと思うのですけれど!?」

「いや、でもさ、よく確認して欲しいんだけど━━別に『船』の形状については特に指定がないよね?」

「………………」

「だったらこっちが船と定めれば、それは船になるのでは?」

「め、めちゃくちゃな……!」


 めちゃくちゃだが。

 めちゃくちゃすぎるが。

 確かに、『船』とあるだけで━━

 ━━漁師町で育った自分にとって、『船』というのが、一本以上のマストがあって、先から尻までに一本の竜骨が通った、あの形状の、水に浮かぶ、木製のものだというだけで━━


 たしかに、形状を指定するような要素は、どれほどスキルと向き合っても、見当たらない。

 けれど!


「そっ、そもそも、船は飛びません!」

「ああ、うん。だからそこは謝らないといけない」


 ごうごうと高い場所の風を受けながら、ナギが振り返る。


「空を飛ぶものを、船と表現する地域の出身なんだ」

「…………」

「だから、僕にとって船は空を飛ぶし、水の上を奔るんだよ」


 ありえるはずがなかった。

 だが、だが……


 学園都市トリスメギトス。

 異常文明都市。


 あそこにある建造物、流通する商品、そもそも生徒手帳の機能。どれをとっても、『今までどこにもなかったもの』だ。


 今までどこにもなかったものを、まるで本当にどこかにあったもののように創造してしまえる人はいる。


 あの学園長があれらをどこかで見ていたとしたって、その学園長が見たものを生み出した人はいるのだ。


『船が海を奔るものだけだと、誰が決めたのか?』

『空を奔る船があって、何が悪いのか?』


 ……ああ、まったくもってその通り。

 真実との向き合い方妄想が足りなかったと恥じるべきだ。


 カリーナはナギのように、『当然』みたいな顔をして妄言を吐けない。

 そして、妄言を心の底から信じ込んで、こうして現実にしてしまうことも、できなかった。


 本当に、修行もうそうが足りなかった、と恥じるべきだ。


 恥じるべきと認識したからには、『改善』すべきだろう。


 カリーナは笑った。

『お姫様』のように、高飛車に笑った。


「たしかに、わたくしの『前世』でも、空を飛ぶ船はありましたわね」

「え、そうなの?」

「ええ、もちろんですわ。でも馬車を二台並べただけのものを船と言い張るのは少しばかり強引すぎますわね。わたくしの知る『空飛ぶ船』は━━一万人の人が暮らすお城なのですわ!」

「そいつはなんていうか、コロニー的なやつだね……」

「コロニー! そう、そういう名前だったように思いますわ! わたくしはそこのお姫様だったのです!」

「宇宙世紀出身の人なのか……いやこれは……どうなんだ、どっちだ?」


 ナギが困惑しているあいだにも、馬車は空を駆けていく。

 後ろから追いかけてきた夕陽が、遠く地上の草原を金色に染めあげ、長く伸びた影を落とした。


 神官たちはもう、はるか後方にいる。

 すでに追走はあきらめたようだった。……それはそうだろう。空を飛ばれては、手出しが難しい。カリーナは連中の目的とかさっぱり知らないけど。


「……懐かしい潮の香りがするような気がしますわね」


 カリバーン王国の関所が見えてくる。

 さっそくソーディアン領に入るけれど、まだまだ海までは距離があって、潮風など香りようもなかった。


 だというのに、懐かしいものを感じる。


 ……カリーナは海に囚われていた。


 今、どうやらそれは、自分の研鑽もうそうが足りなかったせいなのかもしれないなと思えた。


 船が海を奔らなくてもいいじゃないか。

 そう決めつけていたあの町に、空飛ぶ船で帰ったら、兄は、両親は、網元は、いったいどんな顔をするだろう?


「……わたくしも船で空を舞いますわ」


 それは決意表明のようなものだったが、ナギの耳には届いたようで「それはいいね」という言葉が返ってきた。

 なのでカリーナは微笑み、そして、馬車室にいるクラスメイトに話しかける。


「だからエリカ、わたくしにゴージャスな船をプレゼントしてくださる?」

「いや、なんでよ」


 船は高いのでカリーナのお小遣いでは買えないのだ。


 ……まあその。

 妄想を実現しようと思うと現実が立ち塞がってくるのはいかんともしがたいのだけれど……


 終着点が『船で空を飛ぶ』ぐらいに夢のある話なら、この現実もそう閉塞感のあるものではないような、気がする。

 それはそれとして、やっぱり船は高いのだけれど。

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