第65話 剣と剣
「ところでエリカさん、関所を飛び越えそうなんだけどどうしようか」
夕暮れが背後から迫りきて、草原は金色に染まっている。
あたりにはただ風の流れる音だけがあった。
そして前方斜め下には関所があった。
関所というのは通常、貴族領土と貴族領土を隔てる場所に存在する。その領主の警戒心、あるいは下心━━ようするに『通行料』をせしめたい気持ち━━によって領内での数は増減するが、絶対に『領土と領土のあいだ』には存在するし、領土をまたぐ際に意図的に関所を無視するのは重罪にあたる。
当然ながら貴族領と貴族領のあいだにある関所を無視するだけでも最悪打首までありうる重罪なので、国家と国家のあいだにある関所を無視するのは、もう少し昔であれば一族郎党根絶やし級の重罪であった。
そして国家の玄関口たる関所は堅牢であり、一つの砦を中心に据えた、三重城壁を持つ都市兼要塞となっている。
その要塞に正規の入り口を無視して上空から突っ込んでいく馬車があるらしい。
もちろんナギたちの乗る馬車だ。
「……いや相談されても困るんだけど!? 降りなさいよ!」
こういうわけのわからない状況に対して反応がいいのがエリカの特徴だが(長いこと暗殺者を差し向けられていたりしたため反射神経がいいのかもしれない)、さすがにこの状況では反応がワンテンポ遅れた。
すでに関所の方では大騒ぎになっており、よく通る兵士の声で「そこの馬車……馬車? 馬車! 止まれ! 止まれ!」というのが聞こえる。
ナギは『上空から滑空してくる馬車』に大騒ぎを始める関所の声をBGMにしながら、エリカへと振り返った。
「着陸のためにはちょっと距離が必要で、今すぐ急降下はできないんだ」
「どうしてあらかじめ着陸の準備をしておかなかったの!?」
「いや、逃げるのに必死だったのと、カリバーン王国関所までのあそこからの距離がわからなくって」
飛行という行為は着陸ポイントと離陸ポイントが用意されており、その二つのポイント間の距離をしっかりと把握し、そこにきちんと着陸できる訓練を積んだ操縦士が、しっかりとコンセンサスをとって着陸時刻と地点をあらかじめ確保した上で、人々が『上空を舞う物体は不審なものではない』ときちんと認識している世界で行って、初めて騒ぎをもたらさない『移動手段』になる。
ここは剣と魔法のファンタジー世界。
馬車は飛ばない。
当然、着陸のための場所もない。
「旋回! 旋回とかしなさいよ!」
「この地点から旋回を始めると馬車の後部が城壁にぶつかる」
「もっと早く相談して!?」
「これでも最速での相談なんだよね……」
ここより以前の地点で高度を落とすわけにはいかなかったし、スキル補正があっても高度をふくめた三次元的な操縦は神経を使うものだった。
よってナギとしては最速だが、まあ、『理論上最速』ではない。もっと運転に慣れた人なら、もっと早い段階で『そういえば着陸……』と思いつくことができただろう。
意外とカリバーン王国関所までの距離が近かった、というよりは。
思ったより速度が出てしまって、結果的に王国までの距離が縮まった、と言うべきだろう。
馬車が出していい速度ではない。おそらくナギの前世における『飛行物体』へのイメージがかなりの速度補正を出している。
「ソラ、転移魔術は?」
「移動中のこの大きさの物体で、しかも生物が複数人となると無理ね」
「このあいだはかなりの人数を転移させてなかった?」
「あれは『ナギさんのそばにいる連中をどかして』『自分がふさわしい場所に立つ』魔術よ。あなたのそばの連中と自分の位置を入れ替えるしかできないわ」
「ええ……なぜそんな使い勝手の悪そうな……」
ソラ的には『ナギのそばに自分がいるのは当然』という狂信的な思い込みがあるので、転移とかいう奇跡を成し遂げるのには都合のいい条件付けなのだが、相変わらず実の妹が自分を婿に据えようとしていることを知らないナギには理解が及ばない事実だった。
「っていうか城壁が目の前なんだけど! ぶつかる! ぶつかる! 話してる場合じゃないでしょ!?」
「あら、エリカさん、わたくしとナギさんの会話に嫉妬?」
「言ってる場合か!? アンダーテイル領の人間は度胸の据わり方がおかしいんじゃないの!?」
アルティアとかリリティアとかも学園都市の直前に住んでいた場所はアンダーテイル領になる。
度胸の据わり方がおかしいというか、『おかしい』という感じだ。
さてこうしているあいだにもナギはもちろん減速と着陸を試みているわけだが、馬車二台の馬車室に剣をぶっ刺して無理やりつなげた四頭立ての空飛ぶ馬車は、その乱暴で強引な見た目同様、加速と上昇は得意だが減速と下降は苦手らしかった。
馬たちは荒ぶりながら空を駆け、これは【中級騎士】と【提督】をもってしてもどうにもこれ以上御すことは難しそうだった。
「ぶつかる! ぶつかる! 前! 城壁!」
レオンの裏返った悲鳴が響いた。
国境関所砦を囲む街、を囲む三重城壁の一番外側がすぐそこに迫っている。
堅牢な石壁は国家の威信をかけて築き上げられたものであり、そこにぶつかれば馬とジョルジュ、あとレオンあたりはひとたまりもないだろうし、ナギは無策に当たれば死ぬ。
「半端に下降を試みないでいっそ上昇して駆け抜ければよかったね」
「今言っても遅いけどね!」
エリカがキレている。
キレられてもしょうがないミスなので、ナギは所持スキルの中から使えそうなものを探してみるが……
それより早く。
「エリカ、
城壁の物見台から、低くよく通る男性の声がした。
その人物はマントを羽織って美しい真紅の鎧を身にまとった大柄な男性だった。
立ち姿に異様な重厚感がある。だが、決して肉厚というわけでもない。むしろ細身寄りで均整がとれた体つきをした、背の高い美丈夫といった様子だった。
燃えるようにきらめく真っ赤な髪を後ろに撫でつけたその人は、見事な装飾の
その眉間に深いシワの刻まれた顔立ち。
不機嫌そうだがそれでも美しい、真っ赤な瞳━━
そして、
「何かにつかまってなさい!」
エリカが即応し、魔法剣を抜く。
そして振りかぶる構えは、城壁の物見台に立つ男性と、ほとんど同じだった。
瞬間、こちらの魔法剣と、あちらの片手剣が振り下ろされる。
どういう趣向の行為なのかは、すぐにわかった。
エリカの魔法剣が長く伸ばされ、城壁の物見台に立つ男性の剣と打ち合わされる。
すると、これまでずっと前進を続けてきた馬車が、空中で静止したのだ。
つまり、剣と剣が打ち合う衝撃で、馬車の前進を止めたのだ。
「……いや、剣をぶつけて止めるとかどういう発想?」
冷静になったのか、いろいろありすぎてオーバーヒートしたのか、レオンがやけに静かにつぶやいていた。
たしかにありえない発想だった。もっとこう、いろいろやりようはあった気がするし、きっとあとから考えれば思いつくのだろうが……
今、この時。
『唐突に空から四頭立ての馬車がせまってきた』という状況で、真っ先に『剣を使ってどうにかしよう』と考える、剣に寄りすぎた思考。さらに、それを可能にする技量と力。
なによりエリカによく似たその見た目━━
剣と剣がぶつかって勢いを殺しているうちに、馬車はゆっくりと下降することができた。
馬たちもすっかり足を止め、ナギたちはついに夕暮れに追い抜かれる。
目の前には関所の出入り口があり、普段は番兵がいるであろうそこには、避難したのか、今、誰もいない。
そして。
馬車が四台も並んで通れそうなその出入り口……国境門からゆっくりと、先ほどの男性が出てくる。
夕陽を受けてきらめく真っ赤な髪を持つその男性の歩む姿は非常に堂々としたものだった。いきなりわけのわからない事態にわけのわからない方法で対応したとは思えないほど、落ち着いていた。
その人物は短い草を踏みながら馬車に近づいてくると、そこに乗る人物を見回して……
「君が、ナギという者か」
「アッ、いえ、俺はレオンです」
「では君か」
「ジョルジュです」
「なるほど」
……今のやりとりのあととは思えないほどいかめしく、重苦しい表情でナギを見つめる。
だいたい、彼が誰なのかは予想がつく。
だからナギは、胸に手を当てて軽く目を伏せて、略式礼の姿勢をとった。
「唐突のことで馬車の上から失礼いたします。私がナギと申します。ソーディアン公におかれましては……」
ご機嫌麗しく、という言葉が社交辞令でもなかなか出せないような不機嫌顔なので、ナギはつい言葉に詰まった。
ソーディアン公、すなわちカリバーン王国三大公爵家の一角、『剣のソーディアン』。そこを統べる当主。すなわち━━
━━エリカの、父親。
その名も高き『コンラート』━━『千の剣のコンラート』。
カリバーンの貴族はその功績や生き様によってミドルネームをもらうことがある。『サウザンドエッジ』というのはエリカの『レッドハウンド』と同様に、彼の剣術のすさまじさからつけられた名前だった。
コンラートは眉間にググッとシワを寄せて、ナギをにらみつけ……
「社交辞令は不要。君のことはエリカからの手紙で聞いている」
「……それはなんというか」
「で、あるならば、私は君にお礼を申し上げねばならない立場にある」
「いえ、そのことについては私の方からご相談しなければならないことが……」
「お礼を申し上げねばならないが、それはそれとして、決闘を申し込む」
「はい?」
「エリカの夫となる者の実力を知らねばならんのだ。二度とあのようなふざけた男にエリカをあずけるわけにはいかんが、あいにく、私は剣を交える以外での人となりの見極め方を知らぬ無骨者ゆえに」
「あの、そのことでお話が」
「ひと足先に決闘場で待つ。ではな」
「いえですからエリカさんとの婚姻のことで」
しかしコンラートは言うだけ言って去ってしまった。
ナギはエリカを振り返る。
エリカは顔を覆っている。
「……ああ見えてその、多くの物事を一気に処理できない人なのよ」
「ああ、うん……」
いっぱいいっぱいだったので言うべきことだけ言って去ってしまったらしかった。
ちなみにここは学園都市ではないので決闘は成立する。
そして貴族からの決闘の申し出を断る権限は平民にはなく、ナギは現在平民だ。
さらに場所まですでに用意してあるということなので、ソラとエリカのようになあなあで流すこともできそうにない。
「……もしかして大変なことになってない?」
ナギはつぶやいた。
エリカは「ごめんなさい」と謝った。
ちなみに修学旅行生たちのカリバーン王国到着は予定より一日早いので、あのお父さんはずいぶん早くからスタンバイしていたということになるのだが、そのことに突っ込む思考リソース的余裕は、この場の誰にもなかった。
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六章終了
第三部で動くキャラクターたちの顔見せでした
次回七章もなるべく早めにあげようと思っています
しばらくお待ちください
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