第53話 『言ってやりたいこと』

「おお、おお、なんたる試練でございやしょう。幼い少女の身に降り、その両親の愛まで利用して我らをお試しになるとは。これが我ら人への問いかけだと理解していなければ、あまりの哀れさに拳が止まってしまいそうでやす」


 父とはぐれたあと、おそろしく背の高い神官に襲撃された。


 リリティアは必死に逃げた。ようやく必死になることができた、とも言う。

 暗闇の中で生気を宿さず輝く紫色の瞳が自分をとらえ、周囲から神官戦士の怒号が聞こえ、なんとしても殺すのだという殺意をリアルに向けられて、ようやくリリティアは、現状に対する実感がわいてきたのだった。


 母を置いて。

 父とはぐれて。


 だというのにさっぱり危機感がわかなかったのだ。

 きっと、学園都市に行けば何の不都合もなく再会できるのだと、そう思っていたのだ。


 これまで生きてきた『平穏』と地続きの明日はまだ進む道の先にあって、場所こそ変わるかもしれないけれど、また新しいかたちになった『平穏』が続いていくのだと思っていた。


 黄金のさざ波を立てる麦穂が収穫されても一年後にはまた波立つように、自分の人生も『いろいろあったけれど、また来年は元通りになる』と、そう思っていた。


 けれど、月明かりの下で本気の殺意を向けられて、理解させられた。


 あの日々はもう失われた。


 自分はいつの間にか、当たり前にあると思っていたものを手放していて……

 それは、自分がどう立ち回ってもどうしようもなく、手放すしかない……


 運命、だった。


「こいつぁ、すさまじい」


 暗闇の中に浮かび上がるような神官服。

 その両腕がかすむたびに、何かがリリティアの体をかすめる。


 リリティアは石でも投げられているのかと思っていたが、それは神官戦士の振るう、鋭く重く、そして間合いの長すぎる拳だった。

 極限まで予備動作をなくし、放ってすぐさま引くことによって素早い連打さえ可能になる、神官拳法における『掠め打ち』と呼ばれる技法。


 この打撃は『当たる』ことが前提のものだ。速すぎて避けきれない。

 それでも腰も入れず体重もかけない『牽制』に分類される打撃だからこそ、この打撃を使われても『防御をしながら主導権を握る』という戦術をとることが可能になる。


 だが、人なみ外れた長駆に【上級拳士】の補正まで乗った『掠め打ち』は、軽く速く間合いが長く、隙を生じず連打が可能で、そして必殺の威力を持つという『あり得てはならない打撃』になってしまっていた。


 それが容赦なく十歳の少女を襲うのだから、少女はすぐさま肉塊になるだろう。


 ……だが、そうはならないのだ。

 すべての打撃はなぜか紙一重で逸れるのだ。

 あるいはリリティアがなんでもないところにつまずいて危ういところで回避したり、どこからか飛んで来た矢が都合良く拳の軌道とぶつかって、二つともがリリティアに当たることなく逸れるのだ。


 一つ一つは『あり得ないでもない偶然』。

 それが幾度もとなると、『怖気立つほどの奇跡』。


 リリティアは奇跡に生かされていた。


「さすが『魔王』。これだけやっても殺せやせんか。……ああ、残酷だ。かわいそうに。こんないたいけな子供を依代にするなどと……すぐに解放してやりやしょう。両親を操り、幼子を操り、我らに試練を課すスキルに、今すぐ人の力を見せてやりやしょう」


 ……リリティアを生かす奇跡はおそらく、スキルだ。


 それはわかる。何か奇跡的なことがずっと起こり続けているなら、それは運勢によるものではなくって、そういうスキルが自分にあるからだというのは、わかる。


 わかるのだけれど。


 あの神官の、まるでスキルの方が自分の体を動かしているような口ぶりが、どうにもカンに障った。


 両親が自分を逃したのは、両親の意思だ。

 自分がこうして生き延びようとしているのは、両親の願いを感じ取った自分の意思だ。


 だというのに、すべてをスキルが操っているかのような口ぶりは━━



「オイ、クソ兄貴。寄ってたかって子供をいじめてんじゃねぇよ。殺すぞ」



 リリティアが我慢しきれず口を開く前に、誰かがリリティアと神官のあいだに立ちはだかった。


 それはミニスカートの……たぶんメイド服? を着た、女の人のようだった。


 神官は大きな手で顔を覆って、声を発する。


「なんと! まさか我が不肖の妹までも、スキルが試練として操るとは……」


「相変わらずくだらねぇこと言ってんな。死ね。……おい」


 メイド服の人はリリティアの方を振り返らなかったけれど、その声は確かにリリティアへ向いていた。


「真っ直ぐ走れ。門は開いてる」


「立ち塞がりやすか、学園都市。結構。わたくしどもの信仰が試される時でやすな。永劫の試練と永劫の進歩を。たとえ親兄弟がスキルに操られようとも、我ら『試練派』はそのすべてを乗り越え、人の強さを神に示し続けやしょう」


「哀れなモンだな。身内が異世界転生者異常者に振り回されてる様子を見せつけられるってのは……クソがよ! あたしもハタから見たらそう見えるんじゃねぇか!? あのクソジジイぶっ殺すぞ!」


「妹が急にキレたでやす」


 何やら逼迫し始めた状況を置き去りにして、リリティアは走った。

 メイドの言う通り、学園都市の南門は開放されている。そこを通り抜け……

 しかしメイドはすべての神官を止められるわけではなさそうだった。

 一番リリティアに肉薄していた背の高い人は追ってこないが、いくらかの攻撃がリリティアに向けられ、その攻撃を放った人たちは都市内に入り込んでいるようだ。


 攻撃はどれも『奇跡的に』リリティアには直撃しなかったが、かすめた矢が、爆ぜる魔術が、リリティアから力を奪っていく。


 ついに硬い地面の上に倒れたリリティア。


 そんな時……



「うわ、また行き倒れてる女の子を見つけちまった……」



 すごく嫌そうな声が降ってきて、手を差し伸べられた。

 のちに『レオン』という名前だと知ることになる青年との出会いだった。



 記憶喪失のフリをした。


『魔王』というのが自分のスキルだというのはなんとなくわかったが、事情の全部を理解しているわけではなく、説明できない。

 また、下手に事情を話して巻き込んでしまうのは嫌だった。だって、行き倒れてる人にあっさりと手を差し伸べるなんて、いい人に決まっている。いい人に迷惑はかけたくない。

 それには『記憶がない』が都合がよかった。説明を省けるし、しつこく聞かれても『記憶がないんです』で済ませられる。

 結果としてしつこく聞かれることはなかったけれど。


 リリティアはそうして保護された。


 ……途中で自分を追いかける人たちの動き方とか、服の色とかが変わった気もしたが、そこを気にかけてもなにもわからない。

 レオンとナギという二人に守られてとにかく学園長にわたりをつけたあと、知っている事情を説明した。


「なるほど、素晴らしい。君は君の機転で記憶喪失を装った。ならば、そのままがいいでしょう。君は何も知らない。その方が色々と都合がいい。状況が落ち着くまで、下手に正体を明かさない方がいいでしょうからね」


 学園長が何を考えているかはわからない。

 だが、彼には何かの計画があるようだった。リリティアの方には腹案もないし、あの追手集団をどうにかしてくれるならば、任せるしかないだろう。


「ですが教育者として、若者の希望ぐらいは聞いておきましょう。将来の夢に沿った学部を世話するのも」


 わけのわからない長い話がしばらく続いて、それはどうやら、こういう意味の問いかけだったらしいと、ちょっと整理の時間を必要としてから理解する。


 つまり、学園長はこう聞いているのだ。


『何をしたいのか』


 追手集団をどうにかしたあと、何がしたいのか。

 だからリリティアはこう答えた。


「お父さんとお母さんに会いたい」

「なるほど。それ以外では?」


 一考さえした様子もなく学園長は他の願いをたずねた。

 リリティアはこの時に、もう二度と両親に会えないのかもしれないと察した。

 だから、リリティアは次なる願いを口にする。……怒りに、絶望に、もしくは悔しさに任せて、素直な願いを、口にするのだ。


「一言、言いたい」


 言ってやりたい言葉がある。

 神だなんだとわけのわからないものが全部を差配しているみたいなことを言うあの連中に。

 両親の犠牲が神の思し召しだとか思っているらしいあの連中に。

 ここまで自分が生き延びたのがすべて、わけのわからないものの意思だとでも言うかのような、あの連中に、言ってやりたいことがある。


 リリティアは『言ってやりたいこと』を口にした。

 学園長は黄金の瞳を細めて「素晴らしい」とつぶやいた。


「君の言葉は我が学園の理念でもあります。最高の舞台を用意しましょう。君の人生の主演は君に他ならない。……だから、『その時』が来るまで、あまり言葉を発しない方がいい」

「それは、なぜ?」

「私と会話をしていてわかりませんか? 言葉というのはね、発すれば発するほど軽くなるのですよ。君はとびきり重い言葉を繰り出しなさい。リリティア・グリモワール君。学園は君を歓迎しましょう」


 それから学園長が死んだり【槍聖】に追いかけられたりする。


 そして運命的にまたあの人に助けられて……


 ついに。


『その時』が、来る。

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