第54話 リリティア・グリモワール
「……いや、しつこすぎだろ」
レオンは悪態をつくように述べるけれど、そこには隠しきれない『恐れ』があった。
ワディという長身痩躯の神官は、『不気味で、恐ろしい』。
倒せないわけではない。
何をしても通じないというほど隔絶した実力差もない。
攻撃は痛く、厄介だが、『一撃でもクリーンヒットを許せば敗北につながる』というほどには絶望的ではない。
比較対象が【槍聖】だからかもしれないが、こうして長々戦っていると、嫌でもわかったしまう。
レオンの中にあの夜ほどの恐怖はないのだ。【槍聖】の穂先と対峙した時ほどの、泣いて叫んで逃げたくなるほどの重圧はない。
勝てない相手ではない。
だが、この神官は、ただ『いくらやられても決してあきらめない』というだけで、こちらの心をくじきにかかる。
血まみれの顔面。純白だった神官服は汚損しひどいありさまになっている。
いびつに曲がった腕が『ぐぐぐ』ともとのかたちに戻っていく様子は、何かよくわからない化け物が、本来人間のかたちをしていないシルエットを必死に人型に押し込めているような不気味さがあった。
倒せそうな相手だった。
だが、倒しても倒しても、終わらないだけ。
背中を向けて逃げるには、周囲にある人混みもあいまって厄介に感じられる。『打倒して逃げよう』というように考えてしまうともう相手の術中なのだろう。『倒せるが打倒できない』。
……『殺す』という以外にない。
レオンが怯えているのは、自分の中にその選択肢が持ち上がり、誘惑的にささやきかけてくるせいでもあった。
荒事に巻き込まれることの多いレオンではあるが、人殺しを犯したことはない。
この世界はナギからすれば『中世』という感じだけれど、形成されている倫理観は決して無法というわけではない。
むしろ、スキルという絶対的な指標があるぶん、殺人や窃盗に関しては、忌避する人が『現代』より多いぐらいではないだろうか?
すなわち、スキルで殺人を肯定されていなければ、人は人を殺さない。
スキルで窃盗を肯定されていなければ、人は人から盗まない。
【闘士】というスキルは戦うためのものではあった。だがそれは殺人を肯定しない。
なぜなら殺人を肯定されたスキルには『暗殺者』というものがある。その暗殺者とて倫理観や法によって無制限の殺人を許されるわけではないのだから、暗殺者でない他のスキルがどうして人殺しを許されようか?
……倫理観にはある程度の個人差、状況による解釈幅があるが、おおむねこの世界の人間はこのように考える。
ならば、今の状況はどうか。
仮にワディが【槍聖】のように圧倒的に強ければ、殺すつもりでかかる必然性が生まれるだろう。
あるいはワディが周囲にいるギャラリーを巻き込むように動けば、相手を殺してしまうかもしれなくとも必死に止めねばならないだろう。
もしくはレオンやナギを完全に無視して『白い少女』を狙うならば、それもまた、余計なことを考えている場合ではなく、結果として『死なせるような攻撃』をしてしまうことになるはずだ。
だが、ワディは無視できるほど弱くはないが、殺人を決意させるほど強くない。
ギャラリーを利用して『
少女だってたまに視線で牽制するだけで、今この場で狙ってくるようなことはしていない。
だというのに、レオンの頭の中で、『殺害』という選択肢がどんどんふくらんでいくのだ。
恐ろしい。
倒しても倒しても復活し、痛みや流血などまったく気にした様子もなく、いくらでも立ち上がり挑みかかってくるあの巨人が恐ろしい。
勢い任せにできず、きちんと考えた上で『殺害』という選択肢がだんだんと存在感を増している事実が、恐ろしい。
……神官戦士の真の恐ろしさは、彼らが死ぬまで止まらないことであり。
神官戦士と相対した者に、『殺人』という禁忌について悩ませることである。
……どちらかが圧倒的強者であれば起こりえなかった膠着がここにある。
「先生、逃げるのは━━」
レオンの生来の気弱さが鎌首をもたげ、そんな問いかけを発しようとしたその時だった。
不意に、周囲を囲んでいたギャラリーが消え失せた。
思わず絶句する。
それはレオンのみの反応ではない。ワディもまた、「は?」などと『思わず』といった様子で声を発し、周囲を見回していた。
しかし彼らの視界にあるのは都市の明かりで煌々と照らされた駅前の景色だけだった。
『変なオブジェ』、石でも土でもない硬い地面。周辺はロータリーのようになっているが、ナギの知識において必ずそこにあるはずの『自動車』は一台たりとも存在しない。舗装された地面には美観最優先の色とりどりの石でできた石畳がそこらにあって、駅前の景色をいっそう華やいだものにしていた。
昼も夜も学生でごったがえす、十三区画一番街の経済的要衝。
そこが今、まったくの無人で━━
「『太陽は堅牢な鎖によって地平に引きずり込まれる』」
ワディの足元が光ったかと思えば、そこから伸びてきた鎖が彼の全身に絡みついた。
度を超えた長身の痩躯は折れんばかりの力で締め付けられ、彼をその場に縫いとめる。
━━魔術。
それも、ただ一節の詠唱でこの馬鹿げた拘束力。おそらく【魔術聖】、いや、ともすれば……
その呪文の主人をワディがいち早く発見できたのは、位置関係の問題だ。
人工の明かりによって輝ける夜の中で、その少女は、本来世界にあるべき暗闇を人型に押し込めたかのようにそこにいた。
ナギのかたわらにいつの間にかいたその少女の容姿とスキルを、ワディは知っている。
「【魔神】のおでましでやすか」
ソラ・アンダーテイルは星がまたたくように微笑を浮かべると、ナギの真横で優雅にカーテシーをした。
「『少女引き渡し』にまつわる神官側の全権代行はあなたでよろしかったかしら? ワディ神官」
当然のように始まる交渉。
ワディが血まみれであることも、それがナギやレオンとの戦いの経過であることも、この少女は気付いているのだと思われた。
それでも交渉をする。
つまり━━もう、戦いは、終わりなのだ。この少女が出てきた時点で、ワディの敗北が確定したのだ。
これから始まるのは戦後処理であることを確信しつつ、ワディはそれでも弱みを見せずに「へぇ、左様で」と応じた。
ソラは美しくうなずく。
「グリモワール王国の決定をお伝えいたします。『魔王』リリティア・グリモワールについて、わたくしどもはその出自とスキルについて認識し、これを重く受け止めた上で、彼女の成長に期待することといたしました」
「……正気で?」
「ええ。『王女アルティアの娘が魔王であることは内々に処理してやるから、神殿に協力して学園都市を一緒に攻めよう』という提案ですが、却下させていただく運びとなったようです。こちらが王より賜った証文となります」
一枚の紙が広げられる。
距離はあったが、ワディはそこに書かれている文字をしっかりと捉えた。
たしかにソラの言うようなことが書かれている。つまり、正気とは思えない。
「……今一度問いかけやすが、正気でございますか?」
「今一度回答いたしますが、正気の決断です」
「『危機を恐れてすぐに倒す』でもなく、『神の試練と受け止めて乗り越える努力をする』でもなく、『神の決定なのだからと破滅を受け入れる』でもなく……『成長に期待する』? ……ありえない。そいつぁ
「腹を割ってお話しいたしますわ。この決定について、わたくしは経緯はおろか、そもそもそこにいらっしゃるお方が保護対象の少女であることも、ましてやその正体が『消失』の王女であらせられるアルティア様の御息女であることも、この手紙で知りましたの。腹に据えかねることに、わたくしはただのメッセンジャーでしかありませんのよ」
「……つまり、あなたに説いても無駄、と」
「ええ。説法はよそでやってくださいな、お坊様」
「……神殿も一枚岩とは言えやせんが、学園都市を攻めようってぇのは、『神殿』からの提案でやす。そいつを突っぱねることの意味が理解できているたあ思えやせんぜ」
「そうかもしれません。王家の首脳にいらっしゃる方々は、『魔王』の脅威について忘れ、現在も『それ』をうまく認識できない状態のようですから。身内贔屓を抜きに語るのであれば、ワディ神官のおっしゃることが正しい可能性はございますわ」
「ならば」
「しかし」
ソラはちらりと黒い瞳を横へ向けた。
そこには、真っ白い少女━━リリティアがいる。
視線のぶつかり合いは一瞬。
ソラはワディに視線を向けて、微笑む。
ただしその微笑みは、これまで浮かべていた優雅なものではなかった。
……ワディの頭によぎったのは、物語に出てくる『グリモワールの女』だ。
かの国の女は、気が強く、高潔で、そして、目標を定めたならば迷わず……
邪魔をする者に対して、苛烈なことで知られている。
「非常に個人的な感想で申し訳ないのですけれど、愛し合う家族を無理やり引き裂いてまで回避したい『世界の破滅』などはありえません。あなたたちがリリティア様を確保するためにとった手段について、わたくしは大変遺憾に思っております。これはアンダーテイル家および領民の総意と思っていただいて結構ですわ」
「……世界の破滅でやすよ」
「それは家族愛より優先されません」
「…………正気でやすか?」
「そもそも、『自分たちが介入しなければ必ず世界が破滅する』という態度はいかがなものでしょう? 少々、我々を見下しすぎではありませんか?」
「しかし『魔王』はそういうスキルでございやす。放っておけば必ず世界が破滅するスキルでございやす。神のご意志で人の肉に降臨し、人を魔王たらしめる現象でございやす。そこに愛だのなんだの……」
「ずっと、言いたいことがあった」
リリティアが口を開く。
レオンが、ナギが、ソラが、ワディが、そちらを見る。
無口でぼんやりして、自分の意思なんかないような少女はもうそこにはいない。
色素の薄い、美しい、真っ白い少女には、今、『意思』の力がたぎり、長身痩躯の神官をにらみつけていた。
「私は『
「そいつぁ勘違いでやしょう。あなたは哀れな『魔王』でやす。神が選んだ依代でやす。なぜなら、スキルは
「違う。
宝石ではなく人間で、花ではなく人間で、スキルがどうあれ人間だ。
母の願いを思い出して泣きそうになった。
でも、ここで泣くわけにはいかないと思ったから、こらえて、にらみつけた。
リリティアの言葉は━━
「いえ、あなたは『魔王』でやす」
ワディには、響かなかった。
これだけの想いを込めても、この男の信仰を揺るがすにはたりなかった。
……リリティアには、力がない。
だから、
「私はスキルを乗り越えて、私が『人間』だって証明する」
「……心情的には認められやせんが、状況的には引き下がるしかないでやしょうな。それで」ワディの視線はあっさりとソラへ戻った。「わたくしを殺しやすか?」
ソラは攻撃的に鼻を鳴らす。
「ナギさんに生かされていた分際でずいぶん強気ですわね。その安い挑発で我々がそのようなことをするとでも?」
「ああ、理解されていやしたか。確かにご想像の通り、わたくしの死は大義名分になりやす。……残念だ。『少女の確保』も『
あっさりと口にされた目的は背筋が寒くなるものだった。
レオンは『殺そうと思わなくてよかった』と自分のヘタレに感謝する。
ナギは、
(そこまでしようとしてたのか)
なんとなく『学園教師』が『公式訪問した神官』を殺してしまうのがまずいことは理解していたが、さすがに世界大戦までは読み切れず、内心でおどろいた。
おどろいて、ソラの視線が自分に向いていることを知る。
……そういえば、この場には『学園側』と言える存在が教師であるナギしかいない。
だから、ワディのこれからの処遇については、ナギが告げるべきなのだろう。そう思って口を開く。
「あなたは学園法を犯しましたので、これより規定に基づき拘束し、事実関係を検めたうえで学園長から適切な処分が降されるかと思います。ご協力願えますか?」
「ご協力も何も、わたくしはこうして縛られちまって、動くこともかないやせん。煮るなり焼くなり、殺すなり、好きになさってくだせぇ」
「ご協力ありがとうございます」
それだけ言って、ナギは教員免許で通話を開始する。
連絡先は学園長。
昼ごろにハイドラが通話を試みた時には出なかったが、果たして、今は……
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