第55話 その後の話

「素晴らしい。聖女騒動の時に神官が大挙して押し寄せたのは、軍事演習だったというわけですね」


 学園長ヘルメスが手中に収めたワイングラスには、彼にしか見えない光景が映っている。

 それは学園都市西門あたりに布陣する大量の神官戦士団であり、彼らは『何かあった時』にはすぐさま対応できるように、臨戦態勢の様子で待機していた。


「それで?」


 薄暗い部屋の中から学園長に向けて声がかけられる。

 ややハスキーで、微妙に疲れたところのある女性の声。


 学園長がワイングラスから視線を外して声の方へ向けると、よく磨かれた重厚なふうあいの執務机の向こうに、白衣の美女が立っていた。


【女神】ハイドラ。

 学園の養護教諭だ。


 疲れ果てた黒髪の美女はヨレた白衣のポケットに手を突っ込んだまま、にらむように学園長を見ている。

 その視線が問いかけているのは『自分がここで待機を命じられている意味』だ。


 学園長はにっこりと黄金の瞳を細めてうなずく。


「神殿はね、世界を巻き込んで学園都市を滅ぼすつもりなのです。その動きは昔からありましたが、ここ十年はおとなしかった。しかし今また、動きが活発化してきている」

「……だから私に、神殿をどうにかしろと? 【女神】の箔を使って?」

「いいえ。それは無理です。あなたに派閥闘争はできないでしょう」

「そうだな。私は政治向きではない。だから早めに本題に入れ」

「どうして私の話し相手はこうも性急なのでしょうね?」

「あなたの話し振りが迂遠だからだ」

「では手短に。学園都市は神殿を滅ぼしますので、その後に放り出された信者の救済をあなたに依頼します」

「あなたの話し振りは『停滞』と『全速力』しかないのか!?」

「私はよくしゃべるタイプのコミュ症なので、あまりいじめないでください。この人格のせいですれ違いと勘違いに事欠かず、滅ぼされかけたぐらいなのですから」

「問題だと思っているなら改善の努力をしろ!」

「第一に、学園都市というのは『レアスキルを持った若者を大量に取り込み、新しい技術を各国に伝導し、教育まで施す新参者の集団』です。これが伝統と格式ある神殿にとって非常に目障りなのはわかりますね?」

「わかるが……」

「学園都市創立十年ほどのあいだ、神殿から影に日向に嫌がらせを受けていたのは、この『特異性』ゆえです。しかし二十年も経つころには攻撃もなりをひそめた。というより、学園都市が各国に返した人材が、学園都市への攻撃に対し苦言を呈するようになり、神殿は動けなくなった」


 学園長ヘルメスは黒革張りの椅子に背中をあずけ、無意味にぐるりと一回転した。


「なんだ今の動きは」

「第二に、学園都市が各国で受け入れられたあと……」

「…………」

「神殿は『競合する信仰を受ける勢力』として学園都市を敵認定した。そうして『学園都市信仰』から『神殿信仰』への宗旨替えを人々に迫りました。だが、これは無意味だった。なぜなら、教育と信仰は両立するからです。そもそも我々は信仰を捧げられる集団ではない。こうして神殿からの第二次攻撃も失敗に終わりました」

「……そろそろ本題に入ってくれる感じかな?」

「ずっと本題のつもりですが……まあ、そうして第三次が現在です。これまでどれほど攻撃しても学園都市は滅びなかった。しかし今までの攻撃は『武力制圧』ではなかったのですが……最近、神殿から学園に武力を差し向けるフットワークがやけに軽いのはわかりますね?」

「そうだな。あまりに好戦的なのでどうかと思う」

「これね、現在の神殿のトップ……ようするに聖王せいおう猊下げいか君から、私への私怨・・が理由なのです」

「………………は?」

「いろいろと学園都市を滅ぼす『神殿としてのメリット』はあるでしょう。ですが学園都市もだいぶ世界に根を張ったものですから、『滅ぼすメリット』と『存続させるメリット』は、悪く見てもイーブン、むしろ滅ぼすコストを考えれば共存共栄がいいぐらいの感じでしょうね。けれど、神殿の最終目標は私の殺害であり、しかも、私の大事なものすべてを破壊し尽くしての尊厳陵辱のちに殺害です」

「何をしたらそこまで恨まれるんだ」

「それがわからないのです。行動を見るとめちゃくちゃ私怨としか思えないのですが、私には人様に恨まれるようなことをした心当たりがない」

「そういうところだなとは思うが」

「まあ、こういったケースではたいてい私が無意識に人の逆鱗を引っこ抜いてしまったのだろうなと思うことにしていますが、それはそれとして、恨まれた挙句に生徒まで危険にさらされるとなればもう、滅ぼすしかありませんね。ナギ先生風に言うならば、『理論を尽くして感情に訴えかけて、それでもわかりあえないなら暴力に訴えるしかない』という感じでしょうか? こうだったかな、どうかな」

「半端なモノマネは人の神経を逆撫でするからやめた方がいいぞ」

「ご忠告痛み入ります。以降気をつけましょう。で、滅ぼすので、滅ぼしたあとにはよろしくお願いします。幸いにも【女神】が一人、【聖女】が二人、協力のあてがあるので、そこまで難しくはないでしょう」

「すでに私を勘定に入れてるのはやめてくれ。一言言ってからにしなさい」

「ご忠告痛み入ります。それで、協力してくださいますか?」


 ハイドラは眉間に寄ったシワを揉みほぐす。

 そして深く深く、深く深く深くため息をついて……


「『あの場所』の無事を保証してくれる限り、私はあなたの味方だよ」

「なんだか人質をとっているようで申し訳ないですね……」

「あなたは発言を全部精査した方がいい。その調子だと一時の怒りで私まで敵に回りかねないぞ」

「ご忠告痛み入ります」

「この『響いてない』感じ!」


 学園長と話すたびにやりきれない思いが募っていく。

 転職したいが他にあてもないのでここにいるしかないだろう。


 ……【女神】は神殿に戻ればきっと、すぐにでも聖王に据えられるほどのスキルだが。

 ハイドラはあの場所を好まない。好む場所はもう、思い出の中にしかなくて、いずれそれも風化していくのだろう。


 時の重さが彼女の肺を押し潰し、また、長い長いため息をつかせた。



 深い夜はかがり火によって照らされている。


 学園西門に布陣する神官戦士団の前に、一人の老人が立った。


 十文字槍をたずさえた禿頭の人物。老齢に見合わぬ筋骨隆々の体躯を持つ、神官服の袖を『たすき』で縛ってまとめたその男は━━【槍聖】ジルベルト。


 彼がたった一人で神官戦士団の前に立った時、戦士団には動揺が走った。

 ……戦士団は中級以上の神官スキルを持つ者で構成された不死身の集団だ。

 それが幼いころからともに育った仲間たちと隊伍を組み、潜在スキルごとに一団としてまとまり、連携訓練も重ねた。


 不死身にして精強なる、神に仕えるつわものども━━


 彼らは自分たちが世界最強だと信じている。そう信じるに足るだけの鍛錬も積んでいる。


 だというのに、老人がたった一人目の前に立っただけで、揺れたのだ。


「退け」


 しわがれた声は大きくなかったというのに、すべての戦士の耳朶じだを打った。

 声が、姿が、あまりにも重く、大きい。

 それは実際の重さや大きさではない。彼の背負った『歴史』とでも言うべきものの重圧だった。


 からん、ころん。


【槍聖】ジルベルトが好んではく、木製の特殊な靴が音を立てる。

 ただ一つの十文字槍をたずさえた老人がゆったりと歩み寄ってくるだけで、全軍が半歩、後退する。


 からん、ころん。


 一糸の乱れもなかった隊列が乱れ、もはや誤魔化しようもないほどの動揺が全軍に駆け巡る。

 ……たとえば彼らが聖王猊下から『待機』以外の命令を降されていたならば、こうまで動揺はしなかっただろう。

 目的を━━『敵』を正式に定められ、その撃滅という聖務せいむを指示されていたならば、この集団は信仰によってゆるがぬいわおと化すことができる。


 だが、状況が確定するまで待機せよというだけの命令では、【槍聖】の圧力に耐え切れるものではなかった。


「ランサー公爵家が背後に敵を通すことはありえん。退け。我が足音が鳴り響くうちに、撤退せよ」


 ランサー公爵家。

 カリバーン王国三大公爵が一つ。『いかなる敵も通さぬ槍衾やりぶすま』として名を馳せた国防のかなめ


 ……からんころんと鳴り響く。

 一歩一歩、近づいてくる。


 戦士団はただ一人の老人の背後に、槍を並べた数万の軍勢を幻視した。


 ……その時に戦士団に伝令が駆けつけたのは、いわゆる『神のご加護』というものだったのかもしれない。


 早馬で駆けつけた伝令に何かを耳打ちされた指揮官は、すぐそこに迫る【槍聖】から顔を背けるように背後の戦士たちに告げた。


「全軍撤退せよと聖王猊下のお達しだ!」


 ……安堵の空気が広がったのは見間違えではないだろう。


 それは撤退していく戦士団が広げた空気であり……


【槍聖】ジルベルトのひそめるようなため息もまた、原因の一つだった。


「……『威圧だけで追い払え』というのは、さすがに無茶がすぎる」


 なんらかの手を回していたなら、先に言ってほしかった。

 ジルベルトは笑顔で無理な要求をしてくる学園長の顔を想像して、肩にこもった力をわずかに抜いた。



「じゃあ、記憶はあったってことかよ」


 すっかり閑散としてしまった駅前にレオンたちはおり、変なオブジェを背負うようにしながらことの顛末について話し合っていた。


 ナギは学園長と連絡をとることはできなかったが、連絡なしで警備部の人が来てワディを回収していった。

 凍えるような黒い鎖はワディに巻き付いたまま動きを封じていたので、フェニクス警備保障とか名乗った小柄な子たちが、細長いワディを四人ぐらいで肩に担いで運んでいく光景は、なんていうかこう、シュールだった。


 そうして誰もいない駅前で始まったネタバラシの中で、大きなトピックスは二つ。


 ソラの扱った『位置置換魔術』。

 そして、『実は記憶喪失ではなかったリリティア』。


 レオンが特に反応したのはもちろん後者であり、リリティアは「ごめんなさい。学園長の入れ知恵」と告げて、「まァ学園長の入れ知恵ならしょうがねェか……」と話はまとまったのだった。


「いやでもよォ、そしたらなんていうか、俺を頼る必要なくねェか? もっといるだろ、頼りがいのありそうな人。学園長とかそばにいたメイドさんとかよォ……そっちの彼女なんて【魔神】で侯爵様だろ? 俺とは比べものになんねェぞ、マジで。人選ミスだよ」

「ミスじゃない」

「……いや、まァ、結果的によかったからよかったけど」


 そう、リリティアがレオンを頼ったのは、確固たる目的があってのことだった。

 無表情にじっとレオンを見ながら、リリティアは母の言葉を思い出す。


『リリィ、お父さんはいい男でしょう?』


 お父さんは『いい男』というか『いい人』という感じなので、リリティアには母の言わんとすることがよくわからなかった。

 だからか、母はこう、補足した。


『普段どんなに頼りなく見えてもね、自分の危機の時に迷わず助けてくれるのは、いい男なのですよ。あなたがもしもそういう男を見つけたら、決して逃さず、捕まえておきなさい。そういう人はあなた以外にとってもいい男ですから、先んじて自分のものにしておくのですよ。いいですね』


 これが母が父を選んだ理由。

 そして……


 グリモワールの女肉食獣と呼ばれるほど苛烈で果断で『強い』女の中でも、歴史に名を残すレベルの肉食である母からの英才教育。


 リリティアはレオンを逃さない。

 肉食の遺伝子は確かに彼女の中に息づいているのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る