第8話 理由

「ごめんなさい。あなたが『詐欺師』か『いい人』か判断がつかないの」


 エリカはとても真剣な顔をしていた。


 それは出会ってから今までナギにずっと見せていたような、負けん気が強くてすべてに対してトゲトゲしく当たるような苛烈な顔ではなく、どこか戸惑うような、あるいはナギを気づかうような表情だった。


 路地裏の入り口から聞こえる表通りの喧騒は相変わらず遠いように感じられるけれど、話しているあいだにランチタイムも落ち着いたのか、先ほどまでより小さくなったのはわかった。


 世界そのものが自分たちから遠ざかっていくような錯覚━━この感覚にナギは覚えがある。

 たくさんの先生をつけられていたナギにはほとんど暇がなかったけれど、たまに出かけたり、あるいは貴族のたしなみとして同年代の御令息、御令嬢などと顔つなぎをすることもあった。

 そういう場で人と会話した時に、何か甚大な発言ミスをしてしまって、相手に『何を言っているんだろう』という顔をされたことがある。その時が、こんな感覚。世界に自分は一人ぼっちであるかのような、そういう『遠ざかる感じ』がするのだ。


 だからきっと、自分の発言は今回、何かを深刻に間違えたのだろうとナギは思った。

 そう思ったから、ナギは考えた。どうすれば理解してもらえるような説明ができるのだろうか、と。

 自分の発言について弁解するというのは、ナギにとって十五年間ずっとする機会があり続けたことだ。今回もいつものように、そうした。


「……まあ、突然『結婚しよう』は迷惑だし、不審だよね」

「もちろんそれは、そうね。でも、そういう問題じゃないのよ」

「どういう問題? ……ああ、いや、言葉にならないなら、それでもいいんだけど」

「……とにかく、あなたの申し出は受けられないわ」

「そうだね。『詐欺師』かもしれないし、信用できない。詐欺師は頼れない」

「『いい人』はもっと頼れないわよ」

「どうして?」

「逆にあなた、出会ったばっかりなのに、暗殺者が出張るような事態に自分から首を突っ込んできて、巻き込まれた事件に他国の王族がかかわってるとわかって、それでも問題解決のために自分の人生を切り売りし始めたら、どう思うの?」

「……解決のための道筋がそれしかないなら、そうするしかなくない?」

「都合がよすぎて怖いのよ、アンタ」


 その時にエリカの瞳に浮かんだのは、敵意とはまた違うものだった。

 強いて言うなら、彼女の言う通りに『怖い』だろうか。ただし、『剣を持って殺しに来る相手が怖い』とか『おばけが怖い』とかではなくって、もっともっとおぞましいものに向ける恐怖であり、畏怖だった。


「悪いけどあたし、『誰か都合のいい王子様が現れて自分を助けてくれるんだ』っていう夢からはとっくに卒業してるの。自分を救えるのは自分。それから、生きていく中で自分が『信じてもいい』って判断した人。アンタはあたしじゃないし、あたしが信じた人でもない。今日出会ったばっかりの、知らない人よ」

「僕の命も狙われるだろうから、っていうのは、僕が協力する理由として納得できない?」

「『今、この場を切り抜けるために協力する理由』としては納得するわ。でも、『この場を切り抜けたあとも戸籍に負債を抱え続ける決断をする理由』として納得できないのよ」

「……難しいな」

「たぶんアンタ、そうやって誰かが困ってる時に無制限に手を出す人なんでしょうね」

「そんなことはないと思うけど」

「いいえ、そうよ。自分にひどいことした相手にだって、困ってる様子を見たら『助けになりたい』とか思って手を貸すのよ、アンタは。心当たりあるんじゃない?」

「……」

「嫌いなのよね、無制限になんでもかんでも与えようとしてくる人。あたしを見下してるみたいで」

「……そんなことはないんだけどな」

「アンタが『いい人』なのはわかるから、忠告してあげる。アンタ自身は見下しているつもりがなくっても、アンタの行動が人を見下してるのよ。これならあたしの体が目当てとか言われたほうがまだ信じてみようかなっていう気になるわ」

「いや、君は美人だと思うよ、本当に」

「フォローを始めないでくれる!? あたしがフラれたみたいになってるじゃない!」

「……とにかく、僕の動機に納得できないから、手は借りられない、と」

「…………そうよ! 公爵家と顔つなぎがしたいとか、あたしとの結婚がそもそも目的だとか、そういうことを言ってくれたほうがまだマシ」

「君と結婚したい」

「もっと感情込めて言え」

「うーん、でもほら、僕ら出会ったばっかりだしな……君のこともよく知らないし……」

「だから結婚とか言い出すのがおかしいって話をしてんでしょうが! アンタ今までよく無事で生きてこられたわね!? 絶対あんたを刺したい女が一人か二人いるはずよ!」

「『四肢をもいで人形にしてあげる』と言われたことはあるな……」

「気持ちはわかるわ」

「その気持ちが僕にはわからないんだよな……腕がなくなったら頭を撫でてあげることもできないじゃないか」


 その時にエリカが浮かべたのは『あ、こいつダメだ』という顔だった。

 ナギはその顔に気づいたから、補足する。


「それを言ったのは妹だよ?」

「なんの釈明になってると思っての発言なの……? ああもうダメ! アンタと話してると頭がおかしくなりそう! とにかく、あたしが全部解決するから、アンタは大人しくおびえて過ごしなさい! 学園ギルドに『なんだかわからないけど襲われました』って言えばかくまってもらえるから! もうついて来ないでよね!?」

「その『学園ギルド』はどこなんだい?」

「そこの通りをまっすぐトリスメギトス中心に向かって歩いて行けば右手に大きな建物が見えるから、そこよ! いい!? 変な路地に入ったり! 太陽を見ながら方角を確認したり! 人に誘われたり助けを求められてもふらふらしないこと! まっすぐ学園ギルドを目指しなさいよ!?」

「幼児のお使いみたいだ」

「幼児並みなのよアンタが!」

「まあ、ここまで固辞されたら、『わかった』って言うしかないよね。最後の悪あがきだけど、君が『学園ギルド』に頼んで保護してもらうわけにはいかないの?」

「……トリスメギトスの公営組織に、『私の祖国が大量に暗殺者を密入学させました』ってバラせって? この学園都市と敵対しかねないそんな情報を?」

「僕がバラしたら?」

「あたしは学園を追放になって、めでたく王子のもとに行くことになるわね」

「わかった。黙っておくよ」

「そうしてちょうだい。この件は忘れて、二度とかかわらないで。アンタには……あたしを助ける理由なんか、ないんだから」


 エリカが路地裏の方向へ消えていく。

 ……たぶんだけれど、ああしてひとけのないところへ行って暗殺者をおびき出して、全部倒そうとしているのではないだろうか。

 ナギが出会ったのも、その最中だったのだと思う。


 たしかに真正面から戦えばエリカは負けない。それは、雑踏の中で薬を嗅がせようとしてくる暗殺者を警戒し続けるより、よっぽど勝算がある選択だ。

 ただ、彼女の先天スキル【燃焼】がその作戦に暗い影を落とす。想像以上の人数を送り込んでいるカリバーン国第二王子は、あきらかにエリカの弱点を知った上での人海戦術をとっているのだ。このままでは王子の作戦勝ちになるだろう。


「というか、学園は侵入者について把握してないのかな……」


 だとしたら警備がザルすぎる。

 この状況は『黙って見ている』という様子があった。これだけの市の運営機関が無能であるはずがない。無能に見えるとすれば、そのほうが統治に都合がいいからだろう。


「……まあ、僕にはもう関係ない話……ん?」


 地面に視線を落とせば、そこには手のひら大の手帳のようなものが落ちていた。

 生徒手帳だ。

 エリカのことを記した免許証みたいなものが顔写真? つきで表紙にある。写真というものがこの世界にあると聞いたことはないので、それによく似た技術か、あるいは学園都市オリジナルで写真機を生み出しているのかも……


「『落とし物を届けに』っていうのは、さすがに、追いかける理由としては弱いんだろうな」


 ポケットに入れて、学園ギルドに届けることにした。

 当のエリカが自分を遠ざけようとするなら、これ以上かかわることはできない。たしかに、エリカと自分とは、なんの関係もないのだ。少なくとも人生を切って渡すほどの絆はないのだろうし、動機もない。


 でも、助けられないことが、口惜しい。

 なんでこんなに助けたいんだろう? 彼女に惚れた? わからない。違うと思う。公爵家も関係ない。前の世界の価値観なのか、それとも侯爵家生まれだからか、爵位に恩を売ることにも熱心になれない。


 ただ『助けたいな』という漠然とした思いがあるだけで、たしかにこれは、エリカからすれば不可解なのだろうなとそう思って、笑ってしまう。


 路地から出て、光差す大通りへと進んだ。


 喧騒が一気に圧力を増して全身に叩きつけるようだった。ランチタイムがすぎたとはいえ、学園都市の大通りはアンダーテイル侯爵領のお祭りぐらいの人通りがある。

 もしも前世を経験していなければ、この若者だらけの通りのにぎやかさに参ってしまって、酔うか、疲れ果てるかして、一歩も歩けなくなってしまっていたことだろう。


「というか、住む場所の確保もまだじゃないか」


 すべて学園ギルドに行ってからだ。


 エリカの案内は確実だった。言われた通りに路地やキャッチを無視して進めば、二階建ての、入り口の大きな建物があり、そこには『学園ギルド』という大きな文字と、『クエスト斡旋』『学園案内』『各種手続き』という施設の用途が小さい文字で書かれている。


 中に入ると役所のような雰囲気の場所で、長いカウンターにはそれぞれ担当する相談の看板がかかった窓口があり、その中で比較的空いている『転居届』というものに目をつけた。

 たぶん時間帯がよかったのだろう。学園都市に入った時にたくさんいた『新入生』の姿がない。彼らは朝に学園都市に入ってすぐ窓口に直行したのだ。トラブルに巻き込まれたおかげで行列に並ばずに済んだ。


 アンダーテイル侯爵からの手紙を渡せば手続きはほとんど何もすることなく済んだ。

 いくつかの書類に名前を書くと、宿舎の場所と、これからの出勤スケジュールと、生活費などについての説明がなされて、それで終わりだ。

 よりくわしいことを聞きたいようなら後日直属の上司との顔合わせが設定されるのでそこで、ということらしい。

 あと教員免許をもらった。手帳型ではあるがこの本体は表紙になっているカードであり、いつのまに撮ったのか、ナギの顔写真? があって、教員番号や担当クラスなどが記されている。先天スキルは記されていないが、潜在スキルは【スカ】と堂々記されている。


 受付の女性はナギがずいぶん若い教師であることや、潜在スキルが【スカ】であることにちょっと手を止めるような様子もあったけれど、それでも最後まで笑顔で丁寧に接客してくれた。

 話してみると彼女もまた学生であり、この学園都市は本当に上層の上層以外は全員学生、警備をするのも学生、裁判をするのも学生なんだとか。自治が行きすぎているように思うが、そのぶん中枢にいる学生は優秀なのだと教えてもらった。


 優秀。

 ……ナギは暗殺者に襲われたことを言おうかどうしようか迷っている。


 たぶん保護してもらえるだろう。でも、それは、エリカの問題についてかかわる権利を永遠に放棄するのと同義だ。

 悩んでいると、そういえば彼女の学生証を拾ったことを思い出した。


 受付嬢に「あの、これ拾ったんですけど」と差し出すと、「あら」というおどろきのあとに学生証書を検めた受付嬢が、こんなことを聞いてくる。


「どうされますか?」

「え? それはもちろん、彼女に返してほしいんですけど……何か?」

「ああ、そうでしたね。まだ教員免許と学生証の見方について説明が不足していたようです。この番号なのですけれど……」


 ナギの教員免許とエリカの学生証がテーブルに並べられて、顔写真の横にある番号を指し示される。

 そこまでされたらもう、言葉での説明はいらなかった。


「僕が彼女に直接返します」


 そう告げると受付嬢は「わかりました」と微笑みのまま応じて、


「学園側で学生証と持ち主との魔力波を照合することもできますので、もしも一週間が経っても返却がなされなかった場合、学生証の着服とみなされますのでお気をつけください」

「着服してどうするんです? ……ああ、財布とか通信機の役割もあるんでしたね」

「それと、かわいい子の画像が転写された学生証を売る不逞の輩もいますから」

「はあ、なるほど」

「ナギ先生も気をつけてくださいね」

「? まあ、売りませんけど……」

「そうではなく、あなたの教員免許も狙われないように」

「そういえば身分証の役割もありますもんね。教員の身分証はたしかに利用価値が高そうだな……」

「そうではなく、先生はかわいいので」

「……ははは。ありがとうございます」


 軽い冗談を言い合って、ナギはその場を離れた。


 学生証を返す理由ができてしまったし━━


 エリカを助ける理由も、できたから。

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