第9話 すでに負けていた少女
人生にケチがついたのはいつからだろう?
エリカはすぐに思いいたった。
たぶん顕在化したのは十二歳のころ、婚約破棄をされたあの日だ。
してもいないことでなじられた。こじつけのように文句を言われた。そもそもさしたる会話もなかった第二王子が、『エリカはひどいことばかりを言って僕を追い詰めたんだ』と涙ながらに訴え、『そこを彼女が救ってくれたんだ』と聖女を持ち上げ、さらに『その彼女のことまでエリカはさんざんにいじめた!』とつなげた。
たぶん一流の劇作家に台本でも書かせたのだろう。流れるような訴えは第二王子の誕生日パーティーにいた人たちの耳目を釘付けにし、唐突に始まった小芝居を前に固まっていたエリカに反論の隙を与えてくれなかった。
たとえば、斬りかかられたなら。
きっと対応できたはずだ。エリカはそもそもソーディアン家本家の娘だから、将来は国王陛下の剣になるべく鍛錬を積んでいた。
十二歳の自分はもちろんまだどんな潜在スキルを持っているのかわからなかったけれど、スキルは血で継承されると言われているのだから、【剣聖】か、そうでなくとも【上級剣士】か、そういうものになるだろうと思って鍛えていたのだ。
だから、王子が十二歳になる誕生日パーティーで、もしも弁舌ではなくって剣によって婚約破棄を言い渡されていたならば、きっと対応できたはずだ。
近衛兵にだって負けない。たとえ勝てなくてもただではすまさない。エリカはソーディアン家の『尚武の心』を確かに継いだ令嬢だった。
でも、これは。
反論できないまま、どんどん悪者にされていく。黙っていると『黙っているということは、真実を認めるということだな!』と利用される。そうじゃない。そうじゃないのに何も言えない。
実際に聖女だってエリカにいじめられていないことはわかっているはずだ。王子に肩を抱かれて戸惑っている彼女は、その先天スキルからイメージできる通りの優しい性格をしている。エリカとも交友があったし、エリカが悪くないときっと言ってくれると━━
目を、逸らされた。
第二王子と公爵令嬢に板挟みにされたのだから仕方ない、なんていうのは事情をあとから知った他人の意見だ。
エリカにとっては『人生の大事で友人と思っていた人が助けてくれなかった』というだけの話。
こうしてエリカは悪者にされ、第二王子との婚約は破棄された。
悪い評判が流れた。社交界であからさまに無視されるようになった。
けれどいいことが二つあった。一つはもちろんあの第二王子との婚約がなくなって、将来はあんなのの妻にならずにすんだこと。
もう一つはこの騒動のおかげで、『それでも味方でいてくれる人』と『何かあれば裏切る人』が明確になったことだ。
家族が味方だったのもいいことだろう。婚約破棄をした第二王子について国王へ直訴し、謝罪を要求した。
国王も敵というほどではなかった。ただ、今代の陛下は、第二王子を溺愛する側室の言いなりだった。
謝罪はなかった。
そもそも謝られても嬉しくなんかない。名誉を回復させなければならないのは理解しているけれど、それは『理解している』というだけだ。傷ついた心を癒すものではない。
『どうぞ、お幸せに』だなんてすれ違った聖女に言ってやったこともあった。その瞬間は気持ちよかった。でも、あとからすごく後悔した。彼女だってどうしようもなかったのはわかっているから。わかっていても、許せないことはあるのだけれど。
そうして十五歳になって潜在スキルを鑑定してもらい、【魔法剣士】であることがわかった。
先天スキルと合わせると『すさまじい一撃を放てる代わりに、一撃離脱以外の作戦ではてんで使えない』というものだった。
はからずも婚約破棄の日に王子に言われた『それでは王家守護として立ち続けることができないのではないか』というのが予言みたいになってしまって、少しだけ嫌な気持ちになった。
でも、もう関係のないことだ。
もちろん仕事でかかわることはあるだろうけれど、陛下だって敵ではない。第二王子からそれとなく離してくれるぐらいの思いやりと人事権はあるようだし、それでもダメなら国外に出て仕事を見つけたっていい。
だというのに、過去が襲いかかってきた。
第二王子が復縁を求めてきたのだ。
案の定、というか、あの婚約破棄騒動がずっと引っかかっていたのは、聖女側もそうらしかった。二人はうまくいかなかった。
……そもそも、聖女は誰にでも優しい。彼女の優しさは第二王子にだけ向けられるものではなくって、それを第二王子は理解していなかった。
そうして聖女は神殿に入り、第二王子の目がこちらに向いた。
ふざけんな、と思った。
お前があの日引き取ったゴミだろうが。お前がきちんと責任をもって処理しろ。
うまくいかなかったからってこっちに回すな。もう、あんなものとかかわりたくなんかないっていうのに。
……エリカの気持ちは、ずっと聖女へ向いていた気がする。
あの日責められるエリカが助けを求めたのに視線を逸らしたあいつ。婚約者におさまっておきながら土壇場で神殿に助けを求め、無関係な立場になってしまったあいつ。
誰にでも優しいあいつは、誰をも見下している。
すべての人の問題を解決しようと熱心なあいつは、そこまでの力がなくって、その結果として無数の『尻拭い』が発生する。
力のない優しさはただの迷惑だ。
だからエリカは力をつけ続けた。でも、政治的な力はなかった。どれほど剣技を極めたところで、自分の身一つ守れやしない。
いっそ、あの第二王子に屈してしまえば、楽なのかもしれない。
間違いなく権力はある。財力だって、あるだろう。『人間的に許容できない』という一点さえ除けばあいつはすべてを持っている。
ただ、その一点がどうしても引っかかって、気づけばトリスメギトス学園都市に逃げ込んでまで復縁を避けている自分がいた。
負けたくなかったのかもしれない。
剣術においては上位の潜在スキル持ちと戦ったって勝つほどの自負がある。でも、政治とか、人間関係とか、そういうものを相手に、ただ一本の剣は悲しいほどに無力だった。
いや、戦いにおいても、無力かもしれない。
「っ、はぁっ……はぁっ……はぁっ……! あの、バカ王子……! いったいどれだけの手下を送り込んでるのよ……!」
学園都市は大通りを行くぶんには番地さえ知っていればまず迷うことはない。
しかし学生の自治に任せすぎた弊害か、大通り以外の場所は建物が好き放題に建てられたりして、迷路のように入り組んでいる。
不法入学者たちの吹き溜まりとも言われる学園の暗部がここにあって、それはこういう荒事を行うのに都合のいい『統治の死角』だ。
ここに暗殺者たちをおびきよせたところまでは、計算通り。
路地から路地からわらわらわいてくる人数も、想定のうち。
そして、人数差に圧殺されそうになるのは━━悲しいことに、予想の通り、なのだった。
どうして、自分は一人で戦い続けられないのだろう?
【燃焼】の先天スキルはたしかに強力だ。でも、こうやって戦力を逐次投入され続ければ、疲れ果てて、体がすぐに動かなくなってしまう。
ポーションによる回復はしている。けれど、追いつかない。あまり動き回らずに戦おうとしている。けれど、消耗は抑えきれない。
先天スキルは呪いだ。望むと望まざるとにかかわらず、生きかたを勝手に決めてしまう。
どうしようもないものがエリカの人生を絡め取っていく。
鍛えても鍛えても自由にならない、家柄の限界、才能の限界、努力の限界。圧殺されそうになりながら踏ん張ったって、それは絶対に来る『負け』の時をほんのわずか後ろにおいやることしかできない。
高層の建物が並ぶ学園都市の路地裏には、強い強いビル風が吹いていた。
きらめく真っ赤な髪がはためいて視界をさえぎる。邪魔だ。どうしてこんなに長く伸ばしてしまっているのだろうかと考えて、
「……あはは……」
笑ってしまうような事実に気づいた。
「そっか、あたし━━『もしも負けたら必要になるから』、髪を切らなかったんだっけ」
王子の妻として王室に入る時には、古い格式に従うことになる。
その中で女性は髪が長いことを求められていた。だから、そうなってもいいように、切らなかった。
……最初から、予想していた通りなのだった。
逃げ切れるわけがない。冷静に要素を並べてしまえばどうしたってあらがいきれない、最初から決まり切っていた人生。
【燃焼】持ちの【魔法剣士】が一人で地元を離れた場所に逃れるしかない状況に追い込まれた時点で、敗北は確定していたんだ。
だからこれは、ずっと。ずるずる、負けを引き伸ばすだけの、こしゃくな時間稼ぎにしかすぎず……
エリカを取り囲む暗殺者たちの包囲が狭まってきている。
強く吹き付ける風にあらがう力さえ、もう残されていない。
膝をついて、地面に手を置く。とっくに魔法剣の維持もできていない、ただの、無手で無力な少女がそこにいた。
だから、迫り来る暗殺者たちを止めることができたのは、彼女の力ではなかった。
ズダダダダ! と降り注いだ魔法の矢が暗殺者とエリカとを壁のように隔てる。
全員が射手のほうへ視線を向けた。
高層の建物の屋上から、魔法弓を構えた人物が降ってくる。
……気づけばビル風が止まり、凪の時間がおとずれていた。
「なんでよ」
エリカが汗まみれの顔でたずねれば、そいつは穏やかに笑って、こう答える。
「紹介が遅れて申し訳ない。僕、君のクラスの担任のナギです」
「……は?」
「『生徒を守る』っていうのは、ここに立つ理由になるかな」
もう、なんと言っていいか、わからない。
だからエリカは、これだけ、絞り出した。
「立ってから言うな、バカ」
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