第10話 最悪の二択

 弓を引き絞る。

 矢が放たれる。


 放たれた矢は黒くきらめいて複数に拡散し、周囲を取り囲む暗殺者たちの脚をうがっていった。


 間違いなく【魔法弓師】。

 けれど、初めて会った時に剣を持って立ち回った姿は、低く見積もっても【下級剣士】のものだった。

 潜在スキルが複数あるというのは、ありえない。誰もが生きる指標とする潜在スキルは、一人に一つだけしかない。だって、いっぱいあったら人生に迷ってしまう。神はそんな残酷なことをなさらないし、そこまで人に期待してもいない。


 じゃあ、あいつは、なんなのか。


「いや、キリがないね。これ、学園が手引きしてるんじゃないの?」


 それはない。もしも学園がエリカを第二王子に引き渡すなら、こんなまわりくどいことをする必要はないからだ。

 しかし不正入学者にしてはたしかに多すぎる。ということは出入りの業者に偽装でもしたのだろうか。だけれど、業者に偽装して刺客を送り込んだと知られれば、二度とカリバーン王国とは取引してくれなくなるだろう。あの第二王子とその母親といえど、そこまで見境のないことをするだろうか?


 ……いや、すでに、かなり、見境はない。

 今さら連中の『常識』に期待するのはやめたほうがいいだろう。


「エリカさん、残念なお知らせがある」

「なによ」

「僕もそう長くは戦えないし、相手の数が予想の五倍ぐらいいる。蹴散らしきれない」

「……」

「だから、お願いがあるんだ。結婚してくれ」

「………………はあ?」

「教師として、君に学園を卒業するまでの時間を与えてあげたいと思っている。そのためには、僕か、僕でなくても先天スキルを二つ持った者との結婚が必要になる━━というのはさっき、すりあわせた通りだと思うけれど」

「……でも」

「それ以外に何か方策があるなら聞くけど、猶予はないよ」


 とはいえ戦うナギはまだまだふらついてもいないし、魔法矢も尽きそうな感じはなかった。

 長く戦えないのは【燃焼】のような消費増大スキルが理由ではないらしい。


 あるいは、嘘か。


 やはり何か目的があって結婚を取り付けようとしているのか?

 エリカ・レッドハウンド・ソーディアンという人物について客観的に考えれば、たしかに輿入れするだけの価値には事欠かない。家柄、権力、財力、あと見た目もそれなりに自信がある。


 違う。

 違う、違う、違う。


 疑っているのは疑わしいからではない。受け入れられないのは受け入れ難いからではない。


「それでもあたしは、アンタを信じられないのよ……! これだけ力を貸してもらって、いい人だって思うのに、信じられないの!」

「……」

「きっとあたしが本当に困った時に助けを求めたら、アンタだって目を逸らすんでしょ!? きっとそうよ……! なんでここまでしてくれるのか、どうやって納得したらいいの!? 人の信じかたがもう、わからないの!」

「理は説いた。僕が提示できるだけの君の助けになる理由は提示し終わった。単純に気になってしまって見過ごせないっていうのも、バラそう。だから僕は、君を助けられる理由をあれからも探して、見つけて、ここまで追跡してきた」


 弓師、狩人、暗殺者系の潜在スキルには、追跡という技能がある。

 ナギが本当に【魔法弓師】であるならば、かなりの追跡能力を持っていることだろう。追いつけたことの理由としては、充分だ。


「でも、君はまだ足りないと言う。というか今は『本当に困ってる時』じゃないのかな……僕はけっこう、君の助けになれていると思っているところなんだけれど」

「そう、だけど」

「まあそういうこともあるんだろうな。正しいと思っている姿になれないように。身勝手を認めながら追放するように。理屈では納得しながら気持ちで引っかかるように、そういうことも、あるんだろう」

「……」

「これにいちいち付き合って心の底からの納得をしてもらおうと思うと、殺し合いになるんだよね。妹の時に学んだよ。だから、僕は、君の納得を待たないことにする」

「……え?」

「君をさらって結婚しに行く。いやなら本気で抵抗してくれ」


 ズダダダダ! という音を立てて弾幕を張ると、ナギはエリカを肩にかついでその場から逃げ出した。


「ちょっ、あの、今、汗かいてて……!」

「それ気にする? というか、学園で結婚する時ってどこに行けばいいの?」

「だいたいの手続きは学園ギルドでできるけど」

「わかった」

「あっ!?」


 言わなきゃよかったと思ってももう遅い。

 ナギは跳躍を繰り返すような歩みで路地裏をあっというまに抜けて、大通りにたどりついた。

 ナギの肩にかつがれたエリカの視界に、暗殺者たちが立ち止まる姿が見える。連中は表通りまで追ってくることはできない。まあ、きっと、表通りは表通りで、学生に偽装した者が潜んではいるのだろうけれど。


「ね、ねえ、ちょっと、本気なの!? ちょっと!」

「教師としては、学生に学園生活を楽しんでもらいたいものだろう?」

「教師が学生と結婚しようとすんな!」

「でも僕、エリカさんより歳下だし」

「そういう問題じゃ━━っていうか降ろしなさい! 降ろせ!」

「だから抵抗しなってば」

「あたしが疲れ果ててる時を狙ったくせに!」

「狙ってないよ。というか」


 そこで、ナギは止まった。


 気づけばそれなりの高さの建物の上にいた。

 夕陽が差し込み始めたその屋上……というか『建物の屋根の上』は、それなりの広さの建造物のおかげで周囲の視線からは守られている。


 かつがれているあいだにそこそこ回復したので、飛び降りて人混みにまぎれるぐらいはできるだろう。

 でも、エリカは、そうしなかった。

 このまま担いで運んでしまえば終わったはずのナギが、わざわざ自分を降ろして向かい合っているから、話ぐらいは聞こうと━━


「君の負けなんだよ、エリカさん」


 ━━聞こうとしたことを、秒で後悔した。


「いきなりなんなの!?」

「事実だ。君は負けてる。第二王子の手勢に負けた。僕にもこうして負けてさらわれそうになってる。君は、誰にも勝てなかったんだ」

「……」

「でも、君は誰に負けるかだけは、選べる。僕か、第二王子か」

「……最悪の二択じゃない」

「一択じゃないだけマシでは?」

「二択の片方が言うと説得力があるわね!」

「『教師として生徒を守りたい』とか、それっぽい理由を提示してはみたけれど、僕はたぶん、そんなのはどうだっていいんだ。たまたま出会った君がたまたま困っていて、たまたま僕が助けになれそうだったから、たまたま助けようと思った。それだけで、大した理由はない」

「本当に最悪だわ」

「でも君は、王子か僕か、最悪の二択のどちらかを選ぶしかないんだよ。だって、力を示せなかったんだから」


 ひどい論法だ。まるで詐欺師。

 他に選択肢はあるはずだ。たとえば、ここで力尽きるまで戦うとか、あるいは自害してやるとか。

 ……あったんだ、その選択肢は、ずっと前から。

 でも、それを選ばなかった。だから今はもう、二つしか選択肢がない。


 どちらの妻になるか。


 どちらの最悪を選ぶか。


「アンタになんの得があるのよ」

「さんざん説明したと思う。『僕に実利はない。強いて言うなら気になったことが一つ解消される』。それが僕がこの件で得るものだよ」

「理解できないわ」

「しなくていいよ。理解できない大きな力に負けるなんて、『人間あるある』だろう? 僕の潜在スキルなんか【スカ】だよ。おかげで人生がめちゃくちゃで、とても楽しいんだ」

「……はあ? 【魔法弓師】でも【中級剣士】でもなくって?」

「そうだな、僕との結婚を選んでくれたら、そのへんの事情についても話そう。僕が君に与えられるものは、僕の秘密と、それから、学園で過ごす時間だよ」


 頭がおかしいと思う。

 本当に、本当に、本当に、なんの得もない。与えてばかりの『いい人』。優しいだけの人。


 でも、彼には力があった。

 どうしようもなく、力があった。


 力があれば、優しさは成立する。


「……もう一つ条件をつけていいかしら」

「なに?」

「髪、短くしていい?」

「いいよ? まあ、綺麗な髪だからもったいないとは思うけど、髪型ぐらい君の好きにしたらいいんじゃないかな」

「『妻としてあるべき姿はこう』とかないの?」

「どうせ君が学園を卒業するころには終わる契約だし、特に何かを要求するつもりはないよ?」

「アンタ」

「何?」

「本当に頭がおかしいわ」


 エリカは魔法剣を顕現させる。

 力が足りなくて、ほんの短いナイフ程度にしかならない。

 けれど充分だ。


 長かった髪を、肩口でばっさりと切る。


 髪はまるで重さがないように風に吹かれて、その途中ですっかり燃え尽きて消えてしまった。


「あなたのプロポーズ、お受けします。悪女と聞こえたソーディアンのレッドハウンドではございますが、どうぞ、よろしくお願いいたします」


 エリカがうやうやしく頭を下げる。

 ナギは「うーん」とうなって、


「そういうのはいいんだけどな」

「せっかくやったんだから、空気読んで付き合え」


 蹴っ飛ばした。

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