第11話 学園都市へようこそ
学園ギルド受付。
「あら先生、どうされました? 道に迷われましたか? じゃあこのあとシフトが終わるのを待っていただいて食事でもしながらご案内を……え? 違う? なんですか? もう一度。……ああ、はい。結婚ですね。……結婚!? ………………結婚!?」
めちゃくちゃおどろかれた。
どうにも先ほど転居届を受け付けてくれたお嬢さんは、夕方から各種手続き窓口担当になるらしい。きっとそうだろう。ナギが来た途端に他の受付担当者の肩を叩いて無理に窓口担当を代わったようにも見えたが、気のせいに決まっていた。
「あの、入学初日で学生と結婚する教師、前代未聞です」
だろうと思う。
「……はあ、それで、お相手……あらエリカさん。どうされました? 主に髪。っていうか髪ばっさりしてません? え? エリカさんがお相手? エリカ!? なにしてんのお前!?」
「知り合い?」
「クラスメイト」
「あ、じゃあ僕のクラスなんだ。よろしくね」
「あ、はい。よろしくお願い……できるか! 歳下の担任が来た初日にクラスメイトと結婚とか明日からどういう顔して授業受けたらいいって言うんですか!? 配慮してよ! 私の感情に!」
「僕の勤務開始は来週からだよ」
「そういう話をしてんじゃねーんですわ!」
落ち着いて大人びた人だなと思っていた受付嬢だったが、こうして話してみるとかなり愉快な人だった。
やっぱり仕事中……『学園クエスト』の最中には、そういうペルソナをかぶるのだろう。素の顔はまた違っているのだ。
受付嬢がいちいち巨大なリアクションをするのでさすがに上司らしき人が来て奥へ連れて行ったあとは、つつがなく手続きがすんだ。
とはいえやっぱり前代未聞らしくてある程度のおどろきはあったのと、あとは……
「ソーディアン様、このおかたの潜在スキルは【スカ】ですが、よろしいのですか?」
こういう確認があった。
スキルは血に継承されると言われている。それもまあ、どういう理屈でそうなるのかは解き明かされていないものではあったけれど、自分の結婚相手に【スカ】を選ぶ人はまずいない。というか、【スカ】自体がまずいない。
しかしそこは問題がない。エリカとの結婚はあくまでも第二王子にあきらめさせ、エリカの実家が政治工作をする時間を稼ぐためのものだ。
いわゆる『白い結婚』というやつになるのだろうか。とにかく『スキルが継承される』心配はしなくていい。二人のあいだに子ができるわけでもあるまいし。
だからエリカもあっけらかんと「かまわないわ」と応じて、そうして今度こそすべての手続きは終わり、エリカとナギは晴れて夫婦となった。
そのあと、もう一つ、確認をされた。
「式はどうされます?」
「手配してくれるんですか?」
「学生結婚をするかたも多いので、そういうサービスはございます」
学生というのは十五歳から二十代半ばぐらいまで続くし、貴族であればもう十二歳ぐらいで婚約しているのが普通なので、たしかに学生結婚というのは珍しくないのだろう。
ナギの前世の価値観からするとちょっと引っかかるものがある気はするが、前世はあくまでも『記憶』でしかないものだから、『そんなものか』とすぐに受け入れることができた。
「式はやらなくていいわよ」
「そりゃそうだよね」
かくしてエリカとナギは夫婦になる。
とはいえ帰る先は別々だし、学園ギルド前でわかれることになりそうだ。
だから、夕暮れ時の大通りを横目に、ちょっとだけ立ち話をすることになった。
「実家に手紙を出すわ。先天スキル二つを持った人と結婚したって言えば、王子もあたしをさらったりしないと思う。それに、学園都市の規約にのっとった結婚だし、これをどうにかしようと圧力をかけたら、学園も力になってくれると思う」
「じゃあ別に先天スキルの数は関係なくって、学園の仲立ちで結婚できるなら誰でもよかったのでは……」
「……巻き込みたくなかったのよ、誰も。先天スキル二つ持ちって条件を出せばたいていの人があきらめるでしょ」
「もしかして今までも結婚を持ち出してくる人がいたの?」
「アンタが初めてに決まってんでしょ!? 普通ありえないからね!? 他国の王家にケンカ売るようなことするの!」
「ケンカを売ったつもりはないんだけどな……でもまあ、なにかあれば、買うつもりではあるけど」
「…………あのね」
「はい」
「……ありがとう。それから」
「……」
「学園都市に、ようこそ、先生」
エリカは綺麗に笑って去っていく。
長かった髪は肩口ぐらいまで短くなっているけれど、そのきらめきは夕陽を受けて、長い時よりもまばゆく感じられた。
◆
学園のどこの番地でもない区画にその建物はあった。
内装は古い洋館なのだけれど、あらゆる窓には目張りがされていたし、いつでも重苦しいカーテンが閉じられており、外が見えない。
その真っ暗な部屋の中で、ソファに腰掛け、片手にワイングラスを持った男が、空のグラス━━最初から何も注いでいないグラスをくゆらせ、声を発した。
「素晴らしい」
男が何かを味わうように閉じていた目を開く。
それは暗闇の中で爛々と輝く、黄金の瞳だった。
「素晴らしい。素晴らしい。素晴らしい。ソーディアン君は試練を乗り越え、一つ成長したようです。いいですね、若者が苦境を乗り越えて成長する姿は。教育者にとってこれに勝る喜びはありません。本当に素晴らしい……」
男が再び目を閉じ、かぐわしい酒でも味わうように「んんー」と声を発した。
そして、
「ねぇラミィ、君もそう思いませんか?」
「は? ウザ。そんでもってキモ」
部屋の隅っこに、紫色の暗い光がともっていた。
そのそばでソファに寝転がっているのは、メイド服を着た目つきの悪い少女だ。
左目、左耳、唇の左がわには銀色のピアスがいくつも身につけられていて、メイド服姿だというのにだらけきってやる気のない姿とあわさって、大変に『不良』という感じだった。
その不良メイドは、主人である男に言葉少なに最大限の罵倒をしたあと、
「学園長」
そう呼びかける。
男は「なんでしょう?」と嬉しそうに応じた。
「その性癖丸出しのド変態トークをメイドにぶちかますところ、どうかと思いますよ。なんらかの罪に問われますって」
「しかし、成長する若者というのは素晴らしいものです。私はねラミィ、そのためにこのトリスメギトスを創り上げたと言っても過言ではないのですよ」
「キショ」
「ははは。君は相変わらず手厳しい」
「いやアンタ統治者でしょ。暗殺者に中隊単位で侵入されておいて『成長する若者は素晴らしい』とか言ってる場合じゃないでしょ。職務怠慢なんじゃないですか? そろそろ死ねよ」
「いやあ、君に職務怠慢を注意される日が来ようとは! いいですねぇ。成長していますねぇ。素晴らしい!」
「で?」
「うん?」
「わかってるのに『何の話?』みたいに対応するのやめてもらっていいですか? めんどくせぇんで。侵入を許した暗殺者への対応ですよ。まさか放置?」
「ラミィ、若者の成長に必要なのが何か、わかりますか?」
「はよ本題に入れやジジイ」
「そう! 『悪役』ですよ! 若者には『正義』と信じられる信念が必要です。しかし、正義というのはあやふやで、自分の中で確固たるものにするのは難しい。そこで、『悪』の出番なのです。悪との戦いこそが、若者の正義を、信念を成長させ、確固たるものにしていく……」
「そろそろ殴っていいですか?」
「ソーディアン君は、この事件を乗り越えました。つまりもう、『悪役』の出番は終わりです。終わった問題が忘れたころに再び噴出するというのは、美しくない。解かれた問題は糧になるべきであり、のちのち足を引っ張ることは許されない。そう思いませんか?」
「はっきり言えや。殺すぞ」
「お引き取り願ってください」
「どうして一言ですむような話をグダグダ長引かせないでいられないんですか? 人と話すの初めて?」
「知らないのですか? 校長先生の話は長いものなんですよ」
「異世界の話をされましても」
ラミィと呼ばれた不良メイドが「よっこいせ」と立ち上がる。
ガリガリに痩せた長身がゆらめき、濃いクマの上にある濁った紫の瞳が『学園長』のほうへ向いた。
「つまり、ぶっ殺していいんですか?」
学園長は黄金の瞳を細めてにっこり笑う。
「それが君の糧になるならば」
「はっきり言え。テメェからぶん殴るぞ」
「すべて君の裁量に任せますよ。君がどう決断し、どう行動するか……それもまた、成長に必要なのです。若者が成長するのなら、若者の糧となる『悪役』もまた成長をしなければなりませんからね。我々『理事会』は、すべての若者に試練を与えるべく研鑽を積まねばならないのですよ」
「アタシがなんだかんだ言いつつも話を全部聞いてからツッコむのに甘えてねぇか? 短くまとめる努力をしろっていつも言ってんだろ?」
「私に嫌気がさしましたか?」
「ずっとさしてるわ。さしっぱなしだわ」
「では、私のもとを去りますか?」
「はぁ。ウザ。クソ。キモ。ゴミ。……行ってきますわ学園長。明日の昼までには戻りますんで」
「ええ。なんだかんだ言いながらも帰ってきてくれる君を、頼りにしていますよ」
◆
ナギの新居は教員用の宿舎で、それは実家を思わせる二階建ての広い建物だった。
とはいえこの建物全部が一人の持ち物というわけはなく、建物全体が『寮』であり、その中には他の教員と使う共用スペースがあり、『自室』というかたちで専用スペースが確保されているらしかった。
いわゆるシェアハウス方式というのか。まあ寮だしそんなものだろう。
ナギがカバン片手に建物に入れば、天井の高い、いくつもソファがあるロビーに、一人、教員らしき人がいた。
その人は白衣を着た気だるげな雰囲気の美女で、ふわふわした長い黒髪の陰からナギを見ると、ため息をついたあとにこんな声をあげた。
「こらこら。ここは生徒の来る場所じゃないぞ。迷子の新入生か?」
「初めまして。『十三番街』で特別クラスを受け持つことになったナギという者です」
「はぁ? ちょっと教員免許見せて」
片手を差し出すのでナギは近寄って行って免許を見せる。
白衣の美女は免許証とナギを何度か視線で往復したあと、教員免許を投げ返して、額に手を当てて天井をあおいだ。
「カイエン・アンダーテイル侯爵の息子さんか。本当に来るとはね」
「いえ、僕は……」
「私は『事情を知ってる』側だよ。まあ『事情』の発生を知ったのがつい昨日だけれど……カイエンとは同級生でね。私らが通っていたのは学園都市じゃあなかったが」
「え、父と同い年なんですか?」
「いや、私は歳下なんだ。グリモワール王国の貴族学校には飛び級で入ったからね」
「飛び級ってありうるんですか? 学校に入るには潜在スキル鑑定が必須だと思うんですけど」
「うん。潜在スキルを早めに鑑定されたから」
あっけらかんと言ってのけるが、それは宗教上ありえないことだ。
十五歳になるまで潜在スキルを鑑定しないというのは聖典にはっきり記されたことであり、それに
だが。
たった一人だけ、そういう特別扱いをされた人がいたと、歴史の授業で教わった気がするし━━
彼女の先天スキルはたしかに、『その人物』のものだった。
「……【女神】」
「やめてくれ。その先天スキルは私の人生に数ある汚点の中でももっとも恥ずかしいものだ。それとも歳上のお姉さんに羞恥プレイを強要する趣味が? カイエンの息子にしては攻めた性癖じゃないか」
「そんな趣味はないです」
「ともあれ、君の事情を知るのは、学園長と、私と、あと数名というところだ。誰も知らないと逆に困るからね。まあ、私は知りたくもなかったが」
「あはは……」
「それと喜ぶといいよ少年。私がいわゆる、君の『直属の上司』だ。出身国が同じなのと、カイエンとの知己ということで押し付けられた。まあ給料分は働くつもりがあるので、困ったことがあれば聞くといい。その代わり、君の話も聞かせてもらうが」
「僕の話ですか?」
「ああ。とはいえ、授業の感想なんかいちいち報告されても困るがね。学園公認の行動についてはおおまかに私まで情報が来ることになっているから、学園ギルドを通した話はしないでもかまわない。欲しいのはそれ以外だよ。【文字化け】持ちの君の行動を知っておきたいんだ。どう考えても面倒ごとの種だから」
「じゃあ先ごろ僕が生徒と結婚した話ももうご存じですか?」
「は?」
「さすがにまだか」
「その話はくわしくしなさい」
ばんばんとテーブルを叩かれた。向かいに座れということなのだろう。
荷解きをしたい気持ちもあったが、そういう空気でもないのでナギはソファに腰掛ける。革張りだが、どうにも合皮のような感触がある。この世界では本革より貴重なもののような気がするけれど、学園都市には普通にあるものなのだろうか。
ともあれ隠すべきこともないように思ったので、ナギはエリカとのあいだにあったことを包み隠さずに報告することにした。
妖艶で気だるげな美女という様子だった白衣の女性の顔はだんだんと苦々しくなっていき、うつむき、最後には両手で顔を覆ってテーブルに両肘をついてしまった。
「神よ……」
「そこまで……?」
「本当にカイエンの息子か? ずいぶんと攻めた人生を送ってるじゃないか」
「いえまあ、成り行きで」
「成り行きで生徒と結婚するんじゃあないよ。あと少年、事実が成り行きだったとしても、結婚の経緯を問われて『成り行き』と答えるのはやめなさい。それはクズ男の第一歩だ。いいね」
「肝に銘じます」
「よろしい。まあなんだ、カリバーン王国の王家事情をはじめとして聞きたくない情報がいくつもあったが、私は君の正体がバレないよう配慮しろとしか言われてないからな。うん。ヨシ。今からでも遅くないから教員やめて帰りなさい」
「なぜ」
「私の胃が大変なことになるからだ」
「ポーションいります?」
「少年、君は私の先天スキルを知っているんだろう? だったら今のは冗談だと理解しなさいよ」
【女神】。
それは神官系の最上位スキルであり、あらゆる加護と治癒術を使いこなす先天スキルだ。
たいてい『職業スキル』と呼ばれるものは潜在スキルとして現れるのだけれど、神官系だけはこうして先天スキルとして現れる。
「まあ、君に教員をやめて帰ってほしいのは本音だが、残るというなら給料分は補助しよう。さしあたってはそうだな、君は己の行動について、週に一本、レポートにまとめて私に提出しなさい」
「公務について省いたら報告すべきことなんかないと思いますけど……」
「訂正だ。公務もふくめ、どんなに細かいことでも記してまとめなさい。君は目が離せない。くそ、カイエンの息子だからつまらない男だと油断していた私の落ち度だ……少年、こういう判断ミスを重ねて人は大人になっていくんだよ」
「肝に銘じます」
「素直でよろしい。頼むからそのまま素直に問題を起こさず過ごしてくれよ。まあ君の担当するのは『問題児クラス』なのだが」
「そうなんですか?」
「しょっぱなから大変な問題を抱えた子と出会っただろう? そういう子を詰め込んでいるんだよ」
「なぜ一箇所に集めたんですか」
「公務員はね、問題ごとが嫌いなんだ」
ようやく顔を覆う手をどけた女性の顔は真剣そのもので、だからナギはつい笑ってしまいながら、こう答えた。
「僕はわりと好きですよ、問題ごと」
「うん。向いてるよ、問題児クラスの担任」
頼むから大人しくしてくれ、と念押されて、解放される。
……これがナギの教員生活一日目にあったことだ。
なかなか大変で、なかなか順調な滑り出しだと、ナギは思っている。
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