第20話 舞台へ

「こらこら、待ちなさい。どこに行くつもりだ?」

「……どこなんですか?」

「君ね、聖女さんがどこにいるかぐらいは聞いてから行きなさいよ」


 というわけで着席。

 あたりにはなんとも締まらない空気が流れた。代わりに緊張感も悲壮な空気もどこかに消えて、エリカの顔は多少和らいだし、アリエスとハイドラはあきれたような笑顔を浮かべた。


「聖女さんは十三地区五番街の南東にある公会堂で今は『会議中』だよ。地図を手帳に送っておこう」

「殴りに行ったら逃げられません?」

「急に行けば大丈夫だろう。というか、まあ、学園長が……うん。きっと待ち構えているんだろうなあと思う。君かエリカさんを……」

「ちなみにハイドラ先生はどうします? 僕を止めたりします?」

「【女神】の【占い師】だぞ? 君を止められると思うのか? だって君の先天スキルの片方、どう聞いたって戦闘スキルじゃないか」

「ああ、【文字化け】のほうですね。そっちは別に戦闘スキルではなくって、ただ……」

「言わなくていい。……理解しないか? 私だって、敵に回ることがある。君の【文字化け】は間違いなく切り札だ。信用できる人以外には明かさないほうがいいよ」

「僕の【文字化け】の中身は【複写copy】という、人のスキルをコピーするスキルです」

「話聞いてなかったのかなぁ!?」

「スキルは使用すると一定時間後に消失します。教導しても消えます。コピーには対象とのある程度の会話が必要で、一人から一回ずつ、潜在スキルと先天スキルをコピーできます。ただし【教導】を行えば、教導された人にスキルが定着して、それは消えません。たぶん、一人に一回までで、潜在スキルのほうしか教導はできませんけど」

「止まれ止まれ止まれ! ああもう全部言ってしまったな!? 君ねぇ、私は敵になるかもっていう話を今していたよね!? おいそれと信用するんじゃあないよ!」

「ハイドラ先生は、エリカさんに選択肢を提示しました。追い詰めるような物言いだったけれど、それは誠実で真摯に感じました。あなたは人のために労力を割ける人であり、現実を教えた上で選択肢を提示できる立派な大人です。信用に足ります」

「…………」

「アリエスさんはちょっと暴走気味で危ないこともしますけれど、友人のために、あるいは顔も知らない人のためだって、駆けつけられる人です。そういう人を信じられないなら、きっと他の誰をも信じられません」


「……」


「そしてエリカさんは……約束があるので明かしました」


「……あの……え? あたし、約束があるからっていうだけ? なにか、二人みたいに、その……」

「でも君、理由つきでも『信じてる』って言われると怖がる人じゃないか……」

「こ、怖がったりしない……ことは……その……ないかもしれないけど……」

「怖がらせるようなことはしないよ。だって妻だから。大事にしようと思ってるんだ」

「……い、や、そ、れ、は……! あ、アンタねぇ!? 地元にアンタを刺したい十二人の女がいるわよ! 絶対!」

「でも、貴族の結婚ならこういうものじゃないかな。なにはどうあれ、妻になった人、夫になった人は大切にする。経緯はなんであれ、一生をいっしょに過ごす人なんだから。まあ僕らの結婚は期限付きだけど」

「アンタやっぱ貴族でしょ!?」

「だからその家で過ごしてただけの平民だってば」

「でもアンタのその━━」

「僕を信じて待っててほしい、って言ったら、待っててくれる?」

「ぶ……」

「?」

「ぶわぁーか! バーカバーカ! バーカ!!!!!」

「え? なんだろう。病気?」

「バーカ!!!!! もう知らないわよ! 知らない! 本当に知らない! ふんっ! バーカ!」


 ナギは困り果ててハイドラを見た。病気ならば【女神】の技能でどうにかしてもらえると思ったからだ。

 ハイドラは目元を片手で押さえて笑っていた。


「……まあ、行きたまえよ。彼女はこっちでどうにかする」

「そういえば僕の行動は先生と敵対してます?」

「ソーディアンさんをけしかけてうまいことしようと思ってたので、君とは敵対の予定だったんだが、同僚に信頼されたら応えないではいられないんだ。君のバックアップにつこう。頭と心臓だけは無事で帰っておいで。手足なんかいくらでも復元してやるから」

「もしかしてハイドラ先生も『いい人』では?」

「知らなかったのかい? だからいつも苦労しているんだ」


 白衣の美女は静かに笑う。

 その笑みに先ほどまでの疲れ切った様子はなかった。

 ……訂正。ちょっとしか、なかった。



 学園都市トリスメギトスで夜をすごしたのはたった一度だけで、それも夜の入り口に少し立ったぐらいのものだ。

 しかしそれだけでもわかる。この学園都市は夜だろうが深夜だろうがある程度以上の活気があって、人通りが完全に途絶えるということがまずない。

 市街は街灯と店の明かりで真夜中でも輝き、自転車駅は自転車道に沿って一定間隔で明かりが灯り、真夜中の通行さえも可能だろう。

 そもそもこの都市に住まう学生たちはみな運動神経がいい。レアな潜在スキルはそれが【占い師】のような戦闘向けでないものでもある程度の運動能力補正があるのだ。鍛えていなくても、ナギの前世におけるアスリート並の身体能力の者ばかりだろう。体力だってある。若い。夜中まで遊びまわらないはずがない。だからこの都市は眠らない。


 その眠らない都市が深い眠りについていた。


 五番街の街灯はすっかり消え去り、人の気配がみじんも感じ取れない。


 あたりは暗い。……たった一つ、ナギが目指す公会堂へ続く道を除いて、あらゆる照明が落とされていた。


「……想定されているっていうか、準備されてるんだよなあ」


 誰かの手のひらの中で転がされている感覚。

 ここまでの舞台を整えられるのだから、学園でも有数の権力者━━というかまあ、学園長なのだろう。


「本当に何がしたいんだ……」


 その目的はわからないが、今、したいことはわかる。


 用意された順路を進んでいく。

 びょうびょうと吹き付ける風はあまりにも冷たく不気味だった。気温はコートをまとうほどではないが肌寒い。それでもナギはシャツのボタンを二つ外して、カフスまで外して袖まくりをした。


 この道を進んだ先に何が待ち受けているのか、予感できたから。


「ウッザ」


 立ち塞がる者がいた。


 まだ暗い。まだ灯されていない。広い道の真ん中、商店と商店のあいだに立つその人物は、かろうじてシルエットが見えるだけだった。

 ふわりとふくらんだスカート姿。

 メイド服を着た、ガリガリに痩せた、長身の女性。


「あのさぁ、アタシはいいんだ、アタシは。聖女たらいうのがここにいようがいまいが、誰があいつをぶん殴ろうが、戦争になろうがなるまいが、マジでクソどうでもいいんだわ。どうせアタシはぶん殴るだけだからよ」


 ばっ、ばっ、とライトがナギから女性の方向に向けて、順番に灯っていく。

 この差配をしている者はよほど演出好きらしい。

 そしてその演出に心底ムカついているように、メイドは舌打ちをした。


「でもよぉ、聖女を守らなきゃならねぇんだわ。学園長の命令だからよ。っていうか、ぶん殴るならさっさとやらせろってんだよなァ? アタシは━━話が早いのが好きなんだよ」


 ついにライトが灯って、女性の姿があらわになる。

 紫の髪に紫の瞳。

 左まぶた、左耳、唇の左側には、たっぷりと銀色のピアスがついている。


 濃いクマの上にある目は剣呑そのものの様子でナギを見ていた。

『にらんでいる』という感じではない。ひどくつまらなさそうに、これから潰すアリでもながめるように、見ていた。


「一つだけ忠告すんぞ。下手に動くなよ。苦しむ羽目になっから。オマエ、【教導】と【スカ】だろ? 【拳聖】に勝てるとか夢見てねぇよなぁ?」

「改めて自己紹介を。僕は昨日付けで教師としてお世話になることになったナギです」

「知ってるよ。理事会だからテメェのスキルについてもな」

「実は【文字化け】も持ってます」

「…………いやそれは知らなかったわ。あのクソ、わざと隠してやがった……っていうか言うんじゃねぇよ! 隠せ! ギリギリまで! 勝つ気ねぇのか!?」

「【文字化け】もそうですけど、スキルはその真の名前を知らないと能動的アクティブな使用はできませんよ?」

「いやアンタ読めるだろ? なんせ学園長の『ご同輩』だとかいう話だもんなあ」

「ああ、なるほど。だからここは新宿とか東京みたいなんですね……」

「話が早いのは好きだぜ。まあテメェは殺すけど」

「殺すところまでやるんですか?」

「すべてアタシの裁量に任せるんだとさ。あのクソジジイからぶん殴ってやりてぇわ」

「じゃあ、僕もそうします」

「━━ハ。いいね、目が覚めてきた。殺し慣れてんのか?」

「いいえ。ケンカもしたことないですよ。前世ではね。でも……そういう、常識とか、倫理とかを踏み越える瞬間こそ、『自由になった』って気がしませんか?」

異世界転生者異常者が。死ねよ」


 メイド服の女性、ラミィの姿がかすんで消えた。


 ナギも所持しているスキルを使用する。


 不気味な風がびょうびょうと吹き荒ぶ中、無人の都市で二人の拳がぶつかり合った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る