第21話 通話

 暗闇の街を舞台に行われるピンボールだ。ぶつかって火花を散らしてすごい勢いで跳ねていく。

 地形の破壊はもはや気にされていなかった。お互いに気にする余裕がない。なにせ店だの道だのをかばおうと相手の拳をまともに受ければ、こっちの体がイカれてしまうのがわかりきっている。


 だから技巧をこらして相手の拳を、蹴りを逸らしていく。逸らされた衝撃は空を伝って破壊を撒き散らした。地面が抉れ、家屋が倒壊し、ビルが半ばから折れてすさまじい音と震動が立った。


 これが、【拳聖】同士の戦い。


「おいおいおいおいおいおい、マジかよテメェ! どういう先天スキルだァッ!?」


 互いの決定打は逸らしていた。相手の攻撃に直撃したことはお互いに一度もない。なぜなら【拳聖】の硬気功があろうが【拳聖】の拳はその『気の護り』さえとおって相手の中身を破壊することもできる。


 それでも、すべての衝撃を逸らしきれるわけではない。


 相手の拳を受けた前腕、逸らす際にわずかにかすめた手のひら、蹴りを肘と膝で挟み殺した余波、あるいは震脚の揺れさえもが、わずかずつ互いの体にたまっていく。

 力の九割は技術で逸らせた。

 だが残り一割で山を割るのが【拳聖】。


 硬気功が直撃に対して無意味だとわかりながらも解けない理由がこれだ。攻防の中でたまっていくダメージはそれだけで生身を簡単に破壊する。

 だから気を練りながら相手の攻撃をうまく逸らさなければならない。そのために相手が動いてから対処したのでは遅すぎる。前の一撃が触れた瞬間に次の一撃を読む。聴勁ちょうけいと呼ばれる技巧による擬似的な未来予知の精度が生死をわかつ。


 その精度はスキルの『習熟度』により保証される。


 まったく同じ潜在スキルのみを持った者同士が戦った場合、決着がつかないのか?

 否だ。

 もちろんわずかな気象条件やコンディション、戦術的判断などが勝敗を分けるケースはある。だがそれ以上に明確に勝敗を分けるのは『スキル習熟度』だった。


 すなわち『スキルにどれだけ向き合い、鍛錬を怠らなかったのか』。 

 剣士ならどれだけの時間を剣を振ることに費やし、剣の振り方に向き合ったのか。魔術師ならばどれほど魔力を練り、発し、作り上げた呪文にどれだけの物語を封じ込めることができたか。


 そして拳士ならば、どれだけの功夫クンフーを積んだか。


 どれほど人を殴り、どれほど『人を殴ること』だけ考え続けられたか。


 それが勝敗を分ける。


 その差は互いの負傷状況によって目に見えるかたちで現れていた。


 ラミィのほつれ、破れかけたメイド服。拳からにじむ血。口の端から垂れる血液に、だらんと垂れ下がった、おそらく脱臼しているであろう左肩。


 対して、ナギの左腕はちぎれて、体もあちこちいびつに腫れ上がっている。

 折れている骨も一本や二本ではないだろう。残った右拳だって、指がぐしゃぐしゃになっているし、体重を支えているのが右足だけなところから、左足がもう使い物にならないというのがわかる。


複写copy】の弱点。

 スキル習熟ができない。


 もちろん普段から剣を振ったり、あるいは拳でなにかを打ったりし続けていればスキル使用時に多少の有利な補正がかかる。

 だが、『ただ一つのスキル』と普段から向き合い、本気で鍛えてきた人には及ばない。

 なんでもできる。ゆえに、すべてが偽物。

 それこそがナギの、本人も自覚している弱点だった。


 ……そうだ。本物に勝てない。

 スキル鑑定が終わったばかりの相手と互角に撃ち合うことはできるだろう。しかし、きちんとスキルと付き合い続けた人に、その人のスキルを用いては勝てないのだ。


 だが、ナギには『次』がある。

【剣聖】があった。【魔術聖】があった。極みたる『神』にもっとも近い『ひじり』でさえもまだストックがあるのだ。貴重ではありつつも一つずつしかないわけではない。アンダーテイル侯爵の教育はこうしてナギの中で確かに財産になっているのだ。


 それでも、ナギは、それら財産に手をつけない。


「もうちょっと食い下がりたかったんですけどね。僕はここらで時間切れです。殴り合いはここまでになります。ありがとうございました。本当に強い人とはやっぱりスキルが同じというだけでは勝負にならない。勉強になりました」

「お、おう。なんだ、それは? 命乞いなのか?」

「いえ、言葉のままです。『勝てない。勉強になった』。これだけですよ」

「……いやいや。つまんねーこと言うなよ。もっとあんだろ? ここまで傷を負ったのは久々なんだよ。もうちっと楽しませろや」

「いえ、これで終わりです。僕らは二人とも勝者になれない」

「…………あ?」

「ちょっと通話いいですか?」


 言うなりナギがさっさと教員免許を取り出してしまうもので、ラミィはすっかり止めるのも忘れてぽかんとしてしまった。

 ナギのぐしゃぐしゃだった右手はいつの間にか治っている。……こしゃくなことだ。きっと、しゃべっているあいだになにかしたのだろうとラミィは判断した。

 拳士系の回復術は『痛みを和らげる』『打撲による内出血を治したり、血が出過ぎないように止める』だけで骨折を瞬時に治すものではない。たぶん神官系の先天スキルのようなものだろう。

 まあ、【聖女】などよりだいぶ劣るみたいだけれど、【拳聖】と打ち合っていたくせに神官なみの回復までやってのけるだけで規格外だ。


 たっぷり観察したころ、ようやくナギの通話がつながったらしい。

 待ってやる理由はない。だが、待ってやる義理はある。一度自分の通話を待ってもらったからだ。ラミィはこう見えて義理堅い。それに、そもそも勝負を願っているのだから、あんなスキだらけのところを攻撃して勝っても面白くない。通話を待つしかなさそうだった。

 だから会話に耳を傾けて、


「もしもしエリカさん? うん、あのね、突っ込んではみたけど勝てなさそうだから助けてほしいんだ」


 あまりにも情けないことを言い出したもので、「なんだそりゃ」とずっこけそうになった。



『助けてほしいんだ』


 通話を受け取ったエリカは言葉の意味をうまく理解できなかった。

 いろんなことが頭によぎったが、真っ先に出てきたのはこんな言葉だ。


「あの感じで出て行って助けを求めるの……?」


 エリカのことを敗北者とかなんとかめちゃくちゃ言って出て行った気がするのだけれど、もしかしたら記憶違いだったのかなとさえ思った。たぶん記憶違いじゃないのだけれど。

 混乱する。


 そんなエリカの様子が気になったのか、ハイドラとアリエスが『自分にも通話を聞かせろ』みたいな顔をしているのに気づいた。エリカは生徒手帳をベンチにおいて、周囲にも聞こえるように操作する。


「【拳聖】の人が聖女さんを守ってたんだけど、強くてなかなか勝てそうもない。今、左腕がちぎれてる感じ」

「本当に?」


 ナギの声音はだいたいいつもこうなのだが、とてものんびりしている。

 そして重大な発表と思われることほどあっさりと言う。

 そのせいでにわかには信じられなかった。もっとこう、あると思うんだ。左腕がちぎれてそうな声音みたいなものが。


「本当本当。だからエリカさんの助けがほしくって」

「あの、あたしを退学にさせないために、一人で理事会に立ち向かいに行ったのよね? いや……助けてって言うなら行くけど、そのへんはいいわけ?」

「薄々予想してたけど、なんか歯向かっても退学にはならなそうだよ。なりませんよね? ……ならないって」

「誰と話してるの?」

「僕の左腕をちぎった【拳聖】」

「会話できる状態なの!? 勝負してるんじゃなくて!?」

「勝負は終わった。僕の負け。勝たないと聖女さんをどうこうできないんだけど、勝てなかったんだ。だから【拳聖】を倒すために助けを求めてる」

「いやあの、本当に、あたしはいいのよ? あたしが原因の問題だし、助けてって言われるの、ちょっと嬉しいし……あたしはいいんだけど……本人的には、格好つかないとか思ったりしないの?」

「僕の格好より大事なものがあるんだ」

「……それは何?」

「今ね、僕もそこそこ【拳聖】を追い詰めてる。そして、【拳聖】の目的は聖女さんを守ることだって確認もとれてる。それからさっきも言ったけど、歯向かっても退学にしないでくれるっていう話なんだよ。つまり、【拳聖】は聖女さんをかばい続けなきゃいけなくて、攻撃しても学園に在籍し続けられる保証をしてもらってるんだ」

「それが?」

「君が剣を一振りすれば、すべてに勝利できる状況が整ったんだよ?」

「…………」

「勝ち取るなら、今しかない」


 ━━負け続けてきた。

 政治的な手腕、謀略、社交。負け続けて追い詰められてきた。

 もちろん陰謀家の潜在スキル持ち以外が陰謀をくわだてないわけではない。政治家の潜在スキル持ち以外が政治をしないわけでもないし、社交系の潜在スキル持ち以外だって社交はしなければならない。

 世界は平和だ。だからそういう『暴力によらない力』を潜在スキルとして持つ者の価値は高い。そして数も少ないらしく、ソーディアン家はまともにそういう人材を確保できていないから、剣士だって政治をする。それは当たり前だ。


 でも、スキルは神がくださったものだから、どうしても『神に選ばれた者』と『そうでない者』には埋めがたい差がある。

『そうでない者』が謀略を学ぶより、自分の潜在スキルに合った鍛錬を積む方が大事に決まっていた。だからエリカは剣を振り続けた。神にいただいたスキルが【魔法剣士】だとわかってからはますます打ち込んだ。

 いつかこの剣が、苦難を斬り払うと信じていた。


 ところが、負け続けた。

 謀略に負けて学園都市に逃げ込まざるを得なかった。隠密行動をする集団を相手に馬鹿みたいに路地裏に陣取って、まったく向かない持久戦を強いられて負けた。


 助けられなければこの身はすでに王子のもとへと送られていただろう。


 一度も勝てなかった、エリカの戦い。


 それが、今。


 剣のひと振りで、勝てる。


 ……だというのに、エリカはまだ、踏み出せない。


「……でも、それは……誇りある振る舞いじゃないわ。『最後にちょっと出ていって、おいしいところだけを持っていく』なんて、王家の剣であるソーディアンの令嬢として……」

「君がそう言うなら、それでもいいよ。じゃあ、この勝負は僕が勝つことにするから」

「……勝てるの?」

「惜しまなければ、それなりのものを失いつつ勝てる」

「……」

「だから君は、守られているといい。学園にいるあいだは、僕が君を命懸けで守るよ」


 それは本気の物言いだと理解できた。

 ナギを相手に『なんで?』はもはや出し尽くした。彼は『そういう人』なのだ。会う順番が違えばきっと、彼は聖女の側について、なんとしてもエリカへの謝罪を受け取らせるために謀略を巡らせ、利益を提供し、感情にうったえ、最後の最後には力で押し通ろうとしただろう。


 彼が敵になっていないのはただ運がよかったからだ。


 すがっていればすべて解決をしてくれる『精霊の小箱』。蓋を開けた者の願いを叶える伝説のマジックアイテム。ナギはそういうものだ。たまたま拾ったエリカは、だから本当に守られるのだろう。それでハッピーエンド。穏やかで幸せな未来。拒否する理由など一つもない、多くの人にうらやまれるであろう安寧が手に入る。


 でも。

 右手が、剣を握ろうとしている。


「冗談じゃないわ」


 なんのために剣をやってきたのか。

 何を思って髪を切ったのか。

 なぜ聖女の謝罪を受け取らなかったのか。

 どうして第二王子のものになるのをこんなにも拒絶し続けたのか。


「勝手なことしないで。あたしは……勝ちたい。勝つために、ここまであがいてきたんだから……!」

「じゃあ、このお膳立ては結婚指輪の代わりにしよう。受け取ってくれるかな、エリカさん」

「……そう言われたら受け取るしかないけどさあ……!」

「安心していいよ。おあつらえ向きに戦場は無人だから。君は本気で剣を振っていい。倒れても支えてくれる人、そこにいるでしょ。っていうか相手は【拳聖】だから、思い切りやっちゃってよ」

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