第19話 『いい人』
「もしかして君の【文字化け】の中身は【天眼】なのかな? こうもタイミングよく連絡をよこすというのは、私の行動をどこかで俯瞰しているようにしか思えないのだけれど」
「いえ、僕の【文字化け】の中身はですね、」
「言わなくていい!!」
ハイドラとはそんな通話をしたあと、「エリカ・ソーディアンさんをまじえて話したいので連れてきてもらえるかな。ああ、例のアリエスさん? 彼女もいっしょでいいよ。覚悟があるなら」と言われた。
なので三人で合流場所に向かう。
たどりついた時にはとうに夕暮れ時になってしまっていた。
びょうびょうと不気味な風が吹き抜ける十三区画の南西……十三番街。
そこにあるのはどことなく退廃的な印象のくすんだ白い建物だ。
それは学園都市トリスメギトスのどの建物より古びて見えた。
二階建ての大きな建物はナギの知識だと病院を思わせる。それも、とっくに廃業して人が寄り付かなくなったが、建物が取り壊されることなく残っているホラースポットとしての廃病院。
しかもナギたちの来るタイミングに合わせて出てきたのは、ヨレヨレの白衣を着て量の多い黒髪を顔にかけた女性なのだから、あわや幽霊でも出たかとナギは一瞬身構えてしまった。
それはもちろん幽霊などではなくって美人な教師にして先天スキル【女神】を持つハイドラなのだけれど、果たして幽霊とどっちがマシかというぐらい彼女は疲れ果てていた。
「こちらへ」
建物内に招かれた時に『なんだか招かれるまま入ったら二度と戻れなさそうな気がするな』というのが一瞬よぎるぐらいには不吉な声だった。疲れ果ててかすれているのだ。
しかしここまで来て『帰ります』というわけにもいかない。ナギはハイドラについていくことにして、エリカとアリエスもそれに続いた。
壊れた門扉を通って内部に入るとそこはやはり病院のロビーを思わせる空間で、いくつかのベンチが『かつては規則正しく並んでいたんだろうなあ』という名残を感じさせる様子で存在する。
ただし三分の二以上のベンチはなにかとてもない力で上から殴られたように真っ二つだったり、あるいは半分風化して瓦礫になっていたりする。
「あの、この場所は?」
さすがに場所が気になりすぎてナギは聞いてしまった。
そのへんのベンチに座ってため息をついていたハイドラは「ああ」とつぶやき、
「私が経営していた……いや、私の恩師が経営していた孤児院の名残なのだがね。ここを取り壊さないことを条件に教師として学園都市に在籍しているんだ」
「……孤児院というよりは、病院に見えますけど」
「ははは。これが病院? 薬草を置く棚も、祈祷のための神像もないが。そんな表現をしたのは君が二人目だよ。一人目は学園長だ。……さあて、うん、いい感じに『面倒ごとをするための覚悟』も決まったし、本題に入ろうか」
ナギはちらりとエリカを振り返った。
所在なげに立ち尽くしていたエリカは、ナギの視線を受けておそるおそるという様子で横に座る。
そこには憧れの【女神】と出会った喜びよりも、この場所のなんともよどんだ空気や、疲れ果てて笑う白衣の人が【女神】だとは思えないような戸惑いが感じ取れた。
アリエスもナギの隣に腰掛けたあと、ハイドラは「ふぅ……」と細く長く天井に向けて息を吐いて、語り始める。
「世界にとって悪い話と、私にとって悪い話と、君たちにとって悪い話がある。どれから話そうか?」
「いい話からお願いします」
「ないんだ」
「では僕たちにとって悪い話から」
「聖女さんが理事会入りした」
理事会。
そう言われて思いだすのはあの、顔色の悪い、ピアスまみれのメイド【拳聖】だ。
学園長付き秘書だったか。つまり理事会は学園長直属の組織ということになる。
そこに聖女が入るというのは、つまり……
「彼女はずっと学園に残るということですか?」
「うん。しかも理事会権限を持ってね。どうかな? 君たちにとって悪い話だろう?」
「なんでそんなことに……」
「では次は世界にとって悪い話にしようか。『なぜ、聖女さんが理事会に入ることになったのか?』。それはね、学園長がそう望んだからさ」
「……つまり?」
「学園長は神殿に聖女さんを返さないことを布告した。ようするに、引き渡し要求をしていた神殿との決裂であり、明言こそなされていないが、学園都市トリスメギトスは『神の否定』に加担したことになる。実質ね」
「……神殿からの圧力が来る、と?」
「ううん。神官戦士団が派遣されたそうだ。圧力じゃない。武力だ。つまり戦争だよ。まあ最初は武力による威圧だろうが、学園が折れないなら戦争に変わるだろうね」
「じゃあ、ハイドラ先生にとって悪い話というのは?」
「私は神殿勢力に所属しつつ学園都市トリスメギトスで教師もやっている。つまり、板挟みの状態になっているわけだ。これまでは兼ねられていたんだよ。これからは、兼ねられなくなる。つまり、どっちに味方するかを明確にしないとならないわけだ」
「どうします?」
「そこで君たちをここに呼んだ」
どういうことだろう?
ナギはエリカたちを見た。けれど、連れ立って来た二人ともが、『わからない』という顔をしている。
ハイドラは「ははは」と笑い、
「君たちには、私の個人的な味方になってもらいたいんだ」
「つまり、『眷属』?」
「眷属? なんだそれは?」
ハイドラの使いっ走りをオシャレに言うと『眷属』ということだったが、どうにもハイドラ本人は知らないやつだったらしい。エリカからめちゃくちゃ肘打ちされてる。折れる、肋骨。
ナギは「なんでもありません」と述べて、
「まあお手伝いならしますけど」
「いや、こればかりはよく考えたほうがいい。私は……学園にも神殿にもつかないのだからね」
「まあお手伝いならしますよ」
「よく考えろって言ってるのだが!? 説明ぐらいさせてくれよ!」
「でもこの学園で味方したい人、ハイドラ先生とエリカさんとアリエスさんしかいないんですよね、僕。なにせ昨日来たばっかりだし……」
「というか来訪二日目のイベント密度じゃないよ君。どういう運勢だ?」
「ぶっちゃけてしまうと、僕が原因になったイベントはまだ一個もありませんよ」
「そうなん……いや、そうか? まあ……これら一連の事件のキーマンは━━ソーディアンさん、君だ」
ハイドラの視線がエリカを捉えた。
エリカはちょっとおびえたようで、その手がナギの手にこつんとぶつかる。
ナギは迷うことなくエリカの手を握った。不安な時はこうすると安心するだろうことを、妹で知っていたからだ。
エリカはびっくりしたようだった。けれど、手を振り払わないまま、キッとハイドラを見つめた。そこには出会った当初の『強さ』が確かに宿っている。
「……キーマンはあたしかもしれませんけど、原因はあたしじゃないですよ?」
「そうだね。カリバーン王国第二王子……彼がすべての発端と言えるだろう。だがね、事件はやはり、君の周囲で起こっているし、君の決断がこれら事件の落とし所を決めるんだ」
「落とし所って言われても……」
「君は、『帰る』か『残る』かを選んでほしい。それによって……誰が味方で、誰が敵か、決まる」
「……あたしが帰ったって、なんにも解決しないと思うんですけど」
「いや、君が帰れば聖女さんが君について帰る。そうすれば少なくとも学園都市は神殿と戦争をしなくてよくなるんだよ」
「……そんなの……! あ、あたし……なんであたしのせいみたいに……悪いのは、あいつが残ってるからでしょう!?」
「少女、一つ教えてあげよう。『善意に基づいた行動ならばすべて許されると思う人』というのは実在する。『よかれと思って』ですべてが許されると思いながら、各方面に多大な迷惑をかける人は、いるんだよ。そして聖女さんは善意の塊だ。君も知っての通りね。だから、彼女は己の行動の結果で被害が出るというのを想像できないし、想像しない」
「……」
「わかるだろう? 彼女は『話が通じない』んだよ。だから私は、話が通じる君に提案している」
「でっ、でも……! なんで、あたしが、あいつのせいで……!」
「それはね、話が通じるのが悪い」
「……」
「もしかしてこの世界で誰かの出した損害を補填している者は、すべて『その損害を出した誰か』だと思っているのかな? だとしたら現実が見えていなさすぎる。尻拭いというのはね、関係者の中で一番立場が弱くて、一番面倒見がよくて、一番話が通じそうな、一番『いい人』がすることになるんだよ。『都合のいい人』がね」
「……」
「君は今回の件でもっとも『都合のいい人』だ。なにせ、こうして説得すれば、学園を出て行くまであとひと押しという感じだからね。だって君、『自分のせいで学園都市と神殿が戦争』という話をされて、きちんと責任を感じられるだろう?」
当たり前だ。
……だが、それは、エリカだけの『当たり前』のようだった。
すべては聖女が帰ればそれですむ話だというのに、やつはなぜ自分が帰らなければならないのかがわからない。理解しようとしない。
しかもその聖女を学園長というトリスメギトスの王が説得するどころか保護してしまっている。
「が、学園長は優秀な人なんじゃないの!? 一代でこんな、立派な都市を築いて……! そ、そんな人が、神殿と戦争なんて愚かな選択をするなんて、信じられません! 何か作戦でもあるんじゃ……」
「そうかもしれない。だが、そうじゃないかもしれない。……学園長の能力については、私も疑わないよ。ただ、人格に期待するのは間違えている」
「こんな素晴らしい都市を作り上げたのに!?」
「いい成果を出す者が、優れた人格者だけだと? 権力の座にある者が、みな優れた理性と平和を望む心の持ち主で、可能な限り人の命や損害をおもんばかる人ばかりだと? 無私の精神で人民に奉仕する王や貴族に君は出会ったことがあるのかな?」
「き、貴族はそうあるべきです!」
「なぜ『べき』と思うのかを考えたほうがいい。『そうではない』からだ。『理想的な素晴らしい姿』であることは否定しない。だから現実はそうじゃない」
「でも……でも……!」
「ハイドラ先生、あまり生徒をいじめないでください」
ナギが声をかける。
するとハイドラは、疲れ切ったように笑った。
「すまないね。だが……エリカ・ソーディアンさん。私が同じような話を聖女さんにした時、彼女はどのように応じたと思う?」
「……わかりません」
「『しかし、みな、わかってくれます。私は友を救いたいだけなのですから、ひどいことなど、起きません』」
「………………ありえない」
「そう。君はありえないことを理解できる。だから責任をとるべき位置におさまってしまった。そういう不幸なことが起こっているんだよ」
「……」
「君の中に『聖女を殺す』という選択肢が芽生えたのを感じるよ。私の潜在スキルは【占い師】でね。今、君の未来が一つ増えたのがたしかに見えた。聖女を殺すルートだ」
「あいつを殺して、おさまりますか?」
「もちろんおさまる。君が罰せられてそれでおしまいだ。戦争は起こらない。神殿は引き下がる。まあ、一度『学園都市が神を否定した』という事実は残るが……『行き違いがあった』で収めてみせよう。私は神殿でも学園都市でもそれなりの発言力があるからね」
「なら……」
「ハイドラ先生」
ナギがもう一度声をかける。
ハイドラはまた、疲れ切った笑みを浮かべた。
「考えたほうがいい、と私は言ったな? どうだい? 君はそれでも、『私を』手伝うかな?」
「すみません、軽率でした。僕が手伝うべきは、エリカさんのようです」
「そうだな。それがいいと私も思う。で、どうする?」
「僕らのゴール地点はただ一つ、『聖女さんに帰ってもらう』というだけです。エリカさんを学園都市から出て行かせない」
「うん、だろうね。しかし、それは困難だ。まず、聖女には理屈が通じない。それゆえに説得ができない」
「そしてきっと、気持ちも通じないのでしょうね。聖女さんは自分のことにしか興味がない。自分の気持ちにしか目が向いていない。エリカさんの気持ちも、事情も興味がない。ただ自己満足のために暴走しているだけだ」
「で、どうする?」
「理屈も気持ちも通じないなら、力を示すしかありません」
「具体的には?」
「ぶん殴って気絶させて外に放り出します」
「だが、理事会が彼女を守る」
「それが何か、プラン変更の理由になりますか?」
「理事会にケンカを売った者が学園都市に居続けられると思うのか?」
「わかりません。でも、居続けられないでしょうね。普通の価値観なら」
「では、どうする?」
「だからプラン変更の理由はないんです。聖女さんを殴りに行くのは、僕ですから。エリカさんは残れる。その場合はうまいこと調整をお願いします。離婚処理とか」
「ちょっと!? 何言ってんの!?」
エリカが腰を浮かせる。
ナギは座ったまま彼女を見上げた。
「大丈夫、女の子も殴れるよ」
「そんな心配してるように思うの!? 本気で!?」
「ごめん、ちょっとふざけた」
「バカじゃないの!? こんな時にふざけないでよ! あ、あたしはねぇ……! そこまでアンタに守ってもらわなくちゃならないほど弱くないわよ!」
「いや、君は弱いよ。僕が知る限り、君はこれまで一度も勝ってない」
「…………!」
「本当に大事な勝負で君は勝利できるかもしれない。でも、本当に大事な勝負を、敗北しかしていない人に任せることはないんだよ」
「あっ、あたしは……! あたしは、ソーディアン家の令嬢でっ……! け、剣術だって、潜在スキルがわかる前から、ずっと……!」
「『それ』で勝利できたことはある?」
「…………」
「僕が失敗するかもしれない。でも、僕が失敗しても、君に被害はない。だから、とりあえず僕を行かせてみたらいい」
「……なんで、そこまでしてくれるのよ」
「理由がなきゃ選択しちゃいけないの? それっぽい理屈をこねたって、どうせ君は僕の行動に理解を示してはくれないと思う」
「頭おかしいわよ……!」
「でも、強いて言うなら」
「何よ!」
「誰かから自由を奪う人が許せないんだ」
「……」
「そして僕が先に知り合ったのは君だった。だから僕は、聖女さんの自由を侵害しに行く。出会う順番が逆なら、たぶん、敵味方は逆だった。そういう不幸なことが起こってるだけなんだよ。だから君は、責任を感じなくていいんだ。たまには、『いい人』をやめなよ。それは誰にも報われないから」
「…………なんで、あたしは、こんなに無力なの?」
「神様が強く作らなかったからだよ。この世界ではそうなんだろう?」
「あんたなんか、【スカ】のくせにっ……!」
「だからいいんじゃないか」
ナギは笑い、
「神様の決定を上回るの、最高に『自由』って感じがして楽しいだろう?」
立ち上がった。
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