第18話 聖女問題

 聖女は帰った。


 言葉が通じたというよりは、いろんなものをぶった切って圧力を発するアリエスに気圧されて退散したという感じだった。


 ホイップクリームがとろけかけたクレープを頬張りながら三人でベンチに座る。噴水すぐそばのベンチは人が多かったので駅のほうまで来てベンチを探した。そこもいっぱいだったので駅の中に入って食べている。


 自転車道駅にはベンチはあっても座っている人はあまりいなかった。

 そもそもここの駅には『待ち』の時間がないのだ。


 自転車を借りる。専用自転車道路を走る。このペースやスタート時間は各人の自由であり、たいてい駅に来た人は『いったん休んで』などせずにすぐ出発する。なぜって利用者がだいたい若い。休憩なんかせずにガンガン進んでいくのだ。


(僕の自意識はどうなんだろう。今生だけなのか、前世もふまえているのか)


 前世と今生が入り混じっている。今生優位で前世の人格みたいなものの影響をナギはあまり感じていないけれど、もしかしたら無意識下に『前世』の強い影響があるのかもしれないとは最近思う。


 スキルの受動的パッシブな技能がスキル鑑定前から発動しているのと同じ原理だ。妹に攻撃された時に前世が来たのではなく、ずっと潜伏していた前世が攻撃をきっかけに発症したのだと考えれば、ナギの人格は前世の影響を受けていたことに……


「なんか遊ぶ感じでもなくなっちゃいましたね」


 アリエスがつぶやき、エリカが「そうね」と返した。

 二人は隣り合うように座っている。ナギはエリカを挟んでアリエスの反対側だ。なんだか二人のあいだに挟まるのが申し訳なくって、ベンチの端っこで気配を消しながらクレープをかじっていた。


 そうしていると学生たちが駅にばらばらと来て『自転車』を借りて自転車道を駆け抜けていくのを何人も見送ることになった。

『自転車』は前世で言う原付みたいなものとキックボードみたいなものがあって、人気なのは原付タイプのようだった。長距離移動だと『座って乗れる』がメリットのようだし、バランス的にも安定しているのが理由だろうか。


「……なんか、悪かったわね、二人とも。あたしの因縁のせいで、つまんない思いさせちゃって」

「本当ですね……」

「いや、あの……こう……もっと……ううん。いいわ。本当に悪いと思ってるもの」

「冗談ですよ」

「だから目がごまかしきれないぐらいマジなのよ」

「でも、エリカの話を聞いてるだけだとさっぱり実感できなかったんですけど……聖女さん、ヤバいですね」

「本当にそうなの」


 たとえば『態度が高圧的』とか『こういう悪口を言ってくる』とかなら、エリカも危機感の共有を簡単にできただろうし、そもそもそういうわかりやすい相手にはキレないようにうまくコントロールできるだろう。

 聖女のヤバさは説明しにくい。空気も言動もまさしく『聖女』なのだ。人に優しい。自己犠牲をいとわない。友人を助けたい。思いやりだってあるのだろう。

 ただ、どうしようもなく人の神経を逆撫でする。

 その理由は━━


「あいつ、当事者意識がないのよね」


 まさしく、それだった。


「あとなんていうの? ナチュラルに自分の価値を高く見てるっていうか……いや、わかるのよ? だって【聖女】って【女神】の次ぐらいに尊い先天スキルじゃない? まあわかるのよ。あたしだって尊敬すべきとは思うの。でも、こう……実際に『我、聖女』みたいな感じで来られると……ぶっ殺したくなるのよね……」

「その時は『あの人はやると思ってました』って証言しますね」

「いや耐えてるでしょ!? さっきだって危うく魔法剣抜きかけたけど! 実際に抜かなかったから!」

「まあ、エリカさんと相性が悪いのはわかります。遠くで見てるぶんには綺麗だしいい感じなんですけどね」

「そうね……遠くで見てるぶんにはいいのよね……」

「ああいうのに男の人って騙されるんですよね……」

「そうね……ああいうの、好きそうよね、男って……」


 視線がチラチラとナギに向いている。

 ようやく謝罪のチャンスが回ってきたかなとナギは思った。


「助けに入れなくてごめん」

「……いや、まあ、アンタの役目を思えば『そうね』としか言えないんだけど……気にしないでいいわよ。アンタが出てたらたぶん、余計こじれてたから」

「でも僕、会話中の人を静かにさせることについてはちょっと自信あったんだけどな」

「そうね。そんな気がするわ。きっとアンタが混ざった途端に困惑顔で黙るんでしょうね……『え? どうしたの?』みたいな」

「うん」

「育てていきましょうね、コミュニケーション能力」

「ありがとう。がんばるよ」

「というかアンタ、潜在スキルが【スカ】なのよね?」

「うん」

「どうして先生になれたの? しかもこのトリスメギトスで」

「先天スキルで【教導】を持ってる人を求めてるとかいう話で、紹介状を持たされたんだ」

「教育者の経験は?」

「ないよ?」

「……教育できるの?」

「わからない。カリキュラムについても何も知らない」

「……まあ【教導】があるなら先生として不都合はない……のかしら。わからないわ」

「ここでもやっぱり【教導】持ちの教師は珍しいのかな?」

「親しくない相手の先天スキルとかわからないけど……少なくとも【教導】を持ってるとアピールしてる先生に会ったことはないわね。みんな、なんていうの? まともな手段で教師っていうか、講師についてる感じで……」

「別に教師全員が【教導】持ちっていう条件で集められてるわけでもないのか」

「不可能でしょ。世界にそんなにいないわよ、【教導】持ち。だって自分の潜在スキルを人に移せる異能じゃない。いてもどっかが引き抜いてるわよ。まあ、アンタは【スカ】だから【教導】の強さが死んでるけど……」


 たしかにエリカの言う通り、本来、【教導】というのは『潜在スキルを他者に移すことができるスキル』だ。先天スキルを移すことはできない。

 なので潜在スキルがダメなものなら、【教導】はとたんに価値のない先天スキルになる。まあ、スキルには技能と呼ばれるものが付属しているから、その技能のお陰で教師適性があるので、まったく意味がないスキルというわけでもないけれど……


 そして潜在スキルは通常、一人につき一つだけだ。

 先天スキルは最大で四つ発現した人も確認されているらしいけれど、潜在スキルが一人につき一つというのは、もはや定説として根付いている。

 実際、『ナギの』潜在スキルは【スカ】の一つきりだ。

 ただナギには自分のものではない潜在スキルがある、というだけで。


「そういえばエリカさんには、僕の秘密を話す約束をしてたね」

「そうね。まあ、でも……いいのよ別に。覚悟してもらったっていうだけで、アンタのこと信じられるし……」

「でも、約束した以上はきちんと言うよ。嘘はつきたくないんだ。これ以上の嘘はバランスが悪いから」

「何その、何?」

「僕は一つ大きな隠し事があるから、それ以外ではなるべく嘘をつきたくない。これはなんていうのかな……嘘が苦手で、嘘をつこうとすると我慢できなくなるような感じなんだ。嘘をつくのって、申し訳ないだろう?」

「そうね。アンタの正直さだけは認めるわ。言わなくていいことめちゃくちゃ言うものね」

「僕が先天スキルを二つ持っているという話はしたよね?」

「ねぇ、ここ、公共の場でさっきから周囲を人が行き交ってるし、そこにアリエスもいるんだけど、ここでする話? 『先天スキル二つ持ってる』の時点でだいぶ人には言わないほうがいいことなのよ? コンプライアンス概念育ってないの? 学園都市の外側ってそんなに正直な世界だったかしら?」

「じゃあやめるよ」

「……いや、いいんだけど! いいんだけどぉ! ここまで言ってやめる!? そんなあっさりした撤退がありうるの!?」

「ハイドラ先生にもなるべく言わないように止められてるしね」

「じゃああたしにも言わなくていいわよ!」

「でも、君には言いたい」

「なんで?」

「夫婦だから、隠し事はなしにしたいんだ。それがいずれ解消されるかりそめの契約だったとしても」

「…………アンタ、鏡とか見ないほう?」

「え? 寝癖?」

「……いや、顔立ちの話……ああああああああ! あのね!」

「はい」

「人は中身よ!? 顔だけいいクズなんかこの世にたくさんいるんだから! どっかの国の第二王子とか! どっかの国の聖女とか!」

「『どっかの国』、顔と中身の乖離かいりした人が多そうだね……」

「とにかく、あたしは人を中身で見るから!」

「え? うん。わかったよ?」


「私は顔でも見ますよ!」


「黙れアリエス! ……とにかく、あんまり、こう、いいこと言わないほうがいいわよ。アンタを刺し殺したい女が絶対に故郷に五人ぐらいいると思うわ」

「五節の詠唱の魔術をぶつけられそうになったことはあるけど」

「大事件じゃない! それともアンタ、軍隊でも率いてたの!?」

「妹だよ」

「だからそれがなんの釈明になると思ってるの……? アンタと話してると本当に……まあその……聖女のこと忘れられそうだわ」

「なら、よかった」

「……でも、あいつがいる限り、いつかは……やっちゃいそうな気がするのよね」


 右手が握られ、開かれる。

 魔法剣の柄がその手の中に見えるような気がした。


「ゴール地点を確認しよう」


 ナギが言う。

 エリカとアリエスが、ちょっと身を乗り出した。


「『聖女さんと話しても殺意がわかなくなる』、あるいは『聖女さんが学園から撤退する』。これが君にとってのゴールなわけだ」

「まあ前者はありえないから後者ね」

「では、聖女さんを学園から追放するにはどうすべきか? 彼女の目的を達成することが肝要で、話を聞く限り、聖女さんは『エリカさんに謝罪し、受け入れてほしい』『暗殺集団が出張るような事態からエリカさんを助けたい』。これが願いのように思われる」

「前者は無理。後者は解決済みだっつってんのに聞かねぇんだわあいつ」

「それか聖女を殺す」

「アンタ『殺害』を提示しないと落ち着かない人?」

「いちおう解決手段として存在するから言ってるだけだよ」

「あのね、倫理的、法的にありえない手段は『存在しない』ほうに数え上げちゃっていいのよ?」

「倫理的、法的にありえてはならない事態に巻き込まれているなら、倫理的、法的にありえない対応をせざるを得ないケースも想定しなければならない」

「それも『先生』の教え?」

「うん。荒事のプランナーみたいな先生がいたんだ」

「……それで?」

「いや、情報がなさすぎてこれ以上は何もないよ。だって僕、聖女さんのことも、彼女を取り巻く周囲の状況もぜんぜん知らないし。ただ、ハイドラ先生が神殿関係者かつ教職員ということで忙しさで死にそうっていう話しかわからないんだ」

「あの野郎、【女神】の手までわずらわせやがって……!」

「そもそも、神殿はこの件にどういう関係があるの?」

「聖女が『自分は聖女にふさわしくない』って言って神殿を出たらヤバいのはわからない?」

「わかる。でも、具体的にそのヤバさにどう対処するのか……ようするに『神殿の目指すゴール』が想像できないんだ」

「そりゃあ……『聖女の問題発言をなかったことにする』のが神殿のゴールでしょうね」

「つまり?」

「連れ戻して監禁して再教育。それか……」

「殺す?」


 エリカは沈黙し、床のほうを見た。

 そして、


「……言っておくけど、あたしはあいつに『死ね』とまでは望まないわよ。永遠にあたしと関係のない場所で健やかに生きて寿命で死ねとは思うけど」

「たぶんね、僕らが傍観していれば、聖女さんにまつわる事態は神殿が『なんらかの解決』をするんだと思う。だからハイドラ先生は明確な期限を僕に告げなかった。まさかこれから一生エリカさんとデートしてろっていう話じゃないとは思うし、きっと、聖女騒動は解決するんだ。それがいつかはわからないけど」

「……そうね」

「君が聖女さんと距離をとって過ごしているだけで、聖女さんは『いつの間にか消える』と思う。まあ、学園が強硬に聖女さんを守るなら話は別だけど……」

「さすがのトリスメギトスでも『神殿』は相手が大きすぎるわよ」

「……」


 それでも、この学園の『なんらかの意思』がそう望めば、聖女はこの学園に居続けるような気はする。

 しかし、現実的に考えて、トリスメギトスは『一つの都市』にしかすぎない。そして『一つの学園』でもある。生徒たちの実家に神殿から圧力がかかるなどすれば、生徒はトリスメギトスから出て行かざるを得ないし、その結果として生徒がかなりの自治権を持つトリスメギトスを弱体化させることも可能だろう。学生のいない学園など、ただの空箱にしかすぎないのだ。

 この世界で唯一、トリスメギトスという超文明都市を殺せるのが、神殿という勢力であるという見立ては、ナギも支持する。


「……じゃあ、確認だけしようか。神殿が『穏便』か、それとも『過激』か」

「どうやって?」

「わからないことは先生に聞くよ」


 ナギは片手に教員免許を取り出した。

 そして手帳を開いて、唯一入っている連絡先に通話を試みようと━━


「あ、その前に」

「なによ」

「エリカさん、連絡先教えてくれない?」

「……いや、まあ、そういえばまだだったけど……そういう流れじゃなかったでしょ?」

「でも今聞かないと忘れそうだし……」

「そうかもしれないけど……!」


 エリカは何か言いたそうではあったが、けっきょくまとまらなかったらしい。

 連絡先交換会が急遽始まり、ナギはエリカとアリエスの連絡先を手に入れた。

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