第36話 勇気

 暗闇の中に黒い輝きと白い輝きが、閃き、またたき、弾けて舞う。


 軌跡だけが闇の中にあった。二つの輝きは自在に踊る。妖精が光の尾をたなびかせながら遊んでいるような幻想的な光景でさえあった。

 もっともそれは、『音がなかったなら』の話。


 あまりにもけたたましい金属音が耳をつんざく。

 地面を叩き、踏み込む音が腹の底まで震わせる。

 空を切るだけの音でさえ衝撃となって全身を叩いた。


【槍聖】と【魔法剣士】の戦い。


 すぐそばで行われているそれをレオンは見ている。

 少しでも巻き込まれれば一瞬で体が消し飛びそうな暴力的な余波を受けながら、しかし、まるで遠い世界の光景のようにその戦いは映った。


 ━━中途半端。


 手を差し伸べておきながら途中で振り払い、決断しておきながらあとでひるがえす。

 情けないにも程がある。才能に見合わない正義感を持って生まれた末路。永遠に後悔だけが積み重なる人生という旅路。


 腕の中でぐったりする少女を抱えながら、レオンは片方の手で自分の顔を……額から右目を経由して顎まで伸びる傷を撫でた。


 この傷は本当に、くだらない理由でついたものだった。

 故郷の山で遊んでいた幼いころのレオンは、斜面から滑落した。その時に木の枝か、あるいは石か何かで引っ掛けた傷だ。

 ずいぶん田舎だったから神殿もなく、すぐに治療を受けられなかったのでこうしてあとが残ってしまったけれど、視力も無事だし、コワモテは傷とさほど関係がないし、本当に、過去、現在、そしておそらく未来においても、とりたてて語るほどではない経緯でついたくだらない傷。


 でも、傷つくのが痛くて怖いのだと、幼い日のレオンに刻み込むには充分だった。


 こんな、なんてことない傷だって、皮膚が裂けて、肉を削って、血が出て、死ぬかと思ったほどだった。

 当時から同い年の子供の中では大柄だったというのに、泣きわめいて親に助けを求めた。


 こんな痛みと苦しみと心細さを何倍何十倍にもしたようなものを他人のために負う覚悟はない。そんな勇気など出るはずがない。


 彼とは、違う。


 衝撃音、炸裂音、破裂音。

 魔法剣と槍がぶつかり合って火花を散らす。火花があたりを一瞬明るくして、二人の姿を映し出す。


 やめてくれ、耐えられない。血が流れているじゃないか。筋肉が千切れる音がここまで聞こえてくるじゃないか。骨がきしむ音さえも耳にまで届くようだった。


 だというのに、戦っている。

 ナギは戦っている。


 自分のせいで戦っている。……その姿は、レオンに勇気を与えなかった。

 ただただ、怖い。


「俺は、『ああ』はなれねェよ……昨日今日会ったばっかの他人のために……いや、親のためにだって、『ああ』はできねェ……」


 できない。

 できない、くせに。


「俺を頼ってくれたヤツを見捨てることも、できねェ」


 進むことも、戻ることも、何もできない。

『やるしかない』はモチベーションにならない。『やるしかない』でできるヤツは、最初から『できる』ヤツだ。

 どうしたって勇気を奮い立たせることができない人間はいる。何をしたって決断できない人間はいる。死ぬ瞬間まで悩んで、困って、丸投げできる誰かを探し続けながら死んでいく人間はいる。

 むしろ決断しないで死んでいけるならそれはとてもいいことのように思う。誰も巻き込まず、誰にも迷惑をかけず、醜態をさらさずに死んでいけるなら、どれだけ……

 しかしそれは『死ぬ覚悟』とも違うのだ。『こんなに悩むぐらいなら、痛くもなく、あっさりと、気付く暇もなく殺してくれないかな』という願望であって、『どうせなら死ぬ気でがんばろう』というのとはまったく方向を逆にする願望なのだ。


 だからレオンは、何を盾にされても、何を背負っても、何を抱えても、勇気を出せない。決断できない。


 彼は考えたすえに自分の行動を決めることができないのだ。そんな度胸がないのだから。


 ……だから、彼を動かすものがあるとすれば。


「……先生、あのままじゃ、ヤベェよな」


 そっと『魔王』を地面に下ろす。


「傷ついてた。相手は【槍聖】なんだから、そりゃそうか。【魔法剣士】ってのは確か、『ひじり』と同じぐらいレアだけど、『聖』にはちっとばっかし及ばないぐらいのスキル、だったか」


 エリカから聞いたことがある。

 いや、エリカではなくアリエスからだったか? 人のスキルの弱点をべらべらしゃべりそうなのはどっちかといえばアリエスだ。それとも他の連中だったか。


 まァ、とにかく……


 このままだと、ナギは負けるのだろう。

 何せ、この世界は『スキルが絶対』なのだから。


 ……レオンは決断できない。勇気もない。少しでも頭を働かせる余裕があると、うじうじ悩み続けて、丸投げできる『誰か』を探す。


 でも。


 目の前で助けを必要としている誰かを、黙って見過ごすことも、できない。


 先天スキルが『呪い』ならば、その衝動こそが彼の帯びた呪い。


 衝動的に湧き上がるこの感情だけが、彼に勇気ある行動を取らせるに足るもの。


 ……その『呪い』が表すもの、それは。


 優しく、困っている人を見て見ぬふりなどできず、その者が困難に見舞われていれば助けようとし、あらゆる敵から守り抜く者。


 この世に絶望という闇が満ちた時、人類に光をもたらす者。


 勇気を保証されているはずの『呪い』。そのスキルの名は━━


「黙って見てられるかよ、クソが!」


 悪態をつきながら飛び出す。


 彼の先天スキルの名は、【勇者】。


 その勇気の量に応じてあらゆる能力に補正をかけるスキル。


 もっとも暗い夜にこそ輝く、誰もが見上げざるを得ないような、希望の星。



 戦場に乱入した三人目は、一瞬だけ【槍聖】の注意を引いた。


 その瞬間にナギは魔法剣をもって斬り込む。

 しかしそれは、槍に受けられる。


「そのスキルは一流だが、使い手は三流のようだ」


【槍聖】ジルベルトは低い声でつぶやきながら、力づくでナギを弾きとばした。

 踏ん張ることもできずに都市部暗闇のビルの外壁に叩きつけられたナギは、咳込み、血を吐き出す。

 彼の体はすでに大小様々な裂傷が刻まれていた。内出血は数えきれず、【槍聖】の剛槍を受け続けたことで骨にはヒビが入り、筋肉もあちこち断裂していた。


 とうに壊れた肉体を、壊れたまま動かす。


 しかし対応は間に合わない。槍の穂先がナギの胴に迫り━━


 それは、ナギが叩きつけられていたビルの外壁にめりこんだ。


 ジルベルトがすぐさま槍を引いて構えた先には、ナギを抱えるようにして立つレオンがいる。


「先生、悪い。決断をひるがえすけど……やっぱ俺、見捨てらんねェわ」

「君の決断を尊重しよう」

「んで、先生に任せてもいらんねェ。あんたのことも助けたいんだよ、俺は! ……ああ、クソ、あとで死ぬほど後悔するんだろうなァ! なんだよ【槍聖】に立ち向かうって!? っていうか今すでにちょっと後悔してるわ!」

「後悔できるなら上等じゃないか。それは生きてるってことなんだから。はいこれ」


 と、ナギが差し出したのは、黄金にきらめく魔法剣。

 レオンはいぶかしげな顔をしながらそれを受け取り、魔法剣が維持されていることにおどろく。


「スキルの持ち主以外も使えるのかよ」

「スキルの持ち主以外は使えないとは読み取れないからね」


 ナギがレオンから一歩離れる。


 レオンは黄金の剣を大上段に構えて【槍聖】をにらみつける。


【槍聖】は、「ふ」と笑うように息を漏らした。


「……惑わされた。今、突きかかれば殺せたな」

「ジルベルト閣下、あなたは大変強い。しかし、あなたは罠を扱えない。あなたは気配を隠せない。あなたは詐術を使えない。……あなたにもできないことは、あるのです」

「そうだな」

「僕は、あなたや、他の『ひじり』たちを相手にどうしたら勝てるのか、考えました。そして、結論にたどり着きました」


 ジルベルトは黙って話に耳をかたむける。

 その穂先は油断なく二人を狙い、隙があればすぐさま伸びて相手を貫けるように『初動隠し』のための動きをしている。


 だが、突けない。


 どちらかを突いた瞬間、どちらかに斬りかかられて重い手傷を負わせられるのを予感できた。

 ……槍の穂先は一つしかなく、ジルベルトも一人しかおらず……


 相手は二人おり、そして、【死聖】もまだ生きている。


 いざとなれば死ぬ前に魔王だけでも突き殺してみせる覚悟はある。だが、その前に立ち塞がるであろう【死聖】へ対処できない状態にはなれない。


 だから、ジルベルトは笑った。

 口元をわずかに上げるという、ほんの少しの表情の変化だけれど、いかめしい老人は確かに笑ったのだ。


「この状況が『ひじりを殺す方法』か」

「おみそれしました。答えはご承知の通り━━『一人でやって勝てないなら、複数人で囲んで叩く』です。そして、僕のスキルは仲間を増やすのに適している。それこそ、僕がこの年齢で教師として招聘しょうへいされた理由でもあります」

「【教導】か」

「わかりますか。ですが、むしろ今回僕が注目したのは【スカ】の方です」

「……なんだと?」

「自分に何もできないことを、僕はもっと素直に認めるべきだった。【槍聖】が槍しか扱えないように、【死聖】がせいぜい短剣や暗器の扱いにとどまるように、『何もできない』というスキルを理解して、自分だけで何かをするのはやめたんです。まあ……」


 ナギの姿が霞む。


 これまでの打ち合いを経てのジルベルトの予想を上回る動きに、一瞬、反応が遅れる。

 漆黒の魔法剣が気付けば眼前まで迫っていて、それを槍の柄で受けさせられた━━


「その『何もできない』を覆すのが、真の自由だとも思いますけどね。でもそれは最終目標ということで、今は妥協しましょうか」


【槍聖】の顔がおどろきに歪む。

 そこには賞賛とわずかな喜びがあるように見えた。


 一方でナギは内心でため息をつく。


【勇者】【魔法剣士】。

 勇気の量だけ能力に補正をかけるスキル。本来有限な力、上限のある力を無限に変えることも可能なその先天スキルはしかし……


(やっぱり僕じゃあ、このぐらいが限度か)


【槍聖】の見立てを一回だけ裏切り、彼の予想外の動きを一瞬して、スキを作る程度のことしかできない。


 ナギは困難に立ち向かうことができる。

 ナギは痛みをいとわず戦うことができる。

 ナギは平常心を失わず危機に挑むことができる。


 だが、それは『勇気』ではない。


 勇気とは。


「先生、どいてろ!」


 レオンの手にある黄金の剣が輝きを増していた。

 膨大な魔力を受けた魔法剣は膨らみ、煌めき、膨張し……砕け散る。

 いや、砕け散ったように、その表層にあった『余計なモノ』を吹き飛ばす。


 そうして彼の手の中に現れた『それ』。


 ……仮にジルベルトが『それ』を実際に見たことがなかったのならば、きっと、ここまでの動揺は生まれなかっただろう。

 何せレオンが自らの勇気で生み出したその剣の形状、装飾、刃は━━


聖剣・・だと……!?」


 老獪な槍使いの目がおどろきに見開かれる。

 ……カリバーン王国の王都王城。それは、かつて『聖剣』と呼ばれるものがあった場所に建っているという。


 聖剣の存在自体はもはやおとぎ話の領域だが……

 王家に仕える三大公爵家の当主は、その剣が実在することを知っている。


 柄の太さ、長さ。鍔にはまったきらめく黒い宝玉。

 何よりまばゆいばかりに黄金に輝くあの、両刃の刀身━━


 まさしくジルベルトが実際に見た聖剣と、まったく相違ない。


 台座にあって誰にも抜くことができなかった剣。

 エリカがいずれ抜くかもしれないと期待をかけられ、しかしその実物を未だ見せられてはいないそれが……


 今、【勇者】の手の中に。


「何がくて何が悪いのか、わかんねェけどよ……」


 高く高く振りかぶられた聖剣から、目が離せない。


「女の子を守って世界も守れたら最高だろうが!」


 ━━勇気とは、恐怖を知らぬ者の行動には宿らない。


 勇気とは、恐怖を知り、恐怖にくじける弱々しい心の持ち主が、それでも前に進もうとする時に心に灯る一番星である。


 黄金の煌めきがジルベルトを斬り裂く。

 回避できたはずだった。反撃できたはずだった。追撃までもできたはずだった。


 しかし、その煌めきに魅入って、動けなかった。


 だから老兵は、笑うしかなかった。

 だって、名剣に見惚れて対応を誤るなど……


「わしも、まだ小僧であったか」


 夜を斬り裂いて一条の黄金が走り抜ける。


 夜明けはまだ遠く。しかし、風に流された雲の陰から、月明かりが煌めきの通り過ぎた場所に静かに降り注いでいた。

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