第29話 『少女』を巡る勢力
「とりあえず謝罪をさせておこうか」
「ご迷惑をおかけしました」
ナギは救護室にいた。
まだ新学期が始まっていないせいなのか、それともベッドの数ほどには利用者がいないのが常なのか、相変わらずハイドラの詰める救護室にはナギ以外に寝ている人がいなかった。
窓からはうららかな日差しが差し込んでいる。朝か、昼か。時計を確認すれば、だいたいそのあいだぐらいの時間帯だった。
ナギの横たわるベッドの横で足を組んで座る、ヨレた白衣姿の黒髪の美女はやっぱりどこか覇気のないオーラをしていた。疲れ果てている、というほどでもないだろうが、なかなか濃い疲労の色が見える。
さて、起き抜けにいきなり謝罪から始まったわけだが、ナギはここまでに何があったのかを思い出し……
「レオン君と女の子は無事ですか?」
「無事だよ」
「え、無事なんですか?」
「なんだ、無事だとまずいのか?」
「いえ、まさか。でも……」
【死聖】ノイの言葉を思い返せば、少なくとも女の子の方が無事であるとは想像しにくかった。
たぶん、ノイのターゲットはあの女の子だ。明言されていないが、そうでなければあのタイミングでナギの目の前に姿を現す理由がない。
それとも別件が同時に起こっていて、ナギがそちらにかかわっていると勘違いでもしたのか……
「すみません、気になることがあるので、ちょっと細かく確認させてもらってもいいですか?」
「いいよ。そう来るだろうと思ってこうして起きるのを待っていたんだ。いや本音を言えばこのあとタスクが山盛りなので仕事に取り掛かる前の覚悟の時間を過ごしていたんだよ」
「ハイドラ先生はいつも僕の寝てる横で覚悟の時間を過ごしていますね……」
「そうだね。倒れた君と同時に厄介事が舞い込んでくるからね」
「今回も先生に厄介事が?」
「まあ、説明の必要があるだろう。そういうわけで、何から聞きたい? こちらの用意できるトピックスは『レオンという特別クラス生徒のその後』『彼が連れていた女の子について』『二人は今どこにいるのか』『そのせいでどんな問題が発生したのか』の四点だね」
「順番にお願いします」
「まず、レオンさんと女の子は留置場に入った」
「嘘……僕の生徒、拘禁されすぎ……?」
「出会った生徒の三分の二が留置場でお世話になっているのは確かにすごいな……」
「一応、
「そうだね。普通の生徒は留置場にお世話にならないで卒業していくね」
「やっぱりか……」
「なんなら近いうちに三分の三になるよ。アリエスさん? あれも近々捕まると思う。フェニクス警備保障の子らが息巻いてるから。明確な証拠はないけど『ウルフウーマン』はアリエスさんだろう?」
「すみません、わかりません」
「……まあ、君がそう言うなら本当にそうなのかもしれないね」
ハイドラはため息をついた。
ナギは実際に知らない。アリエスがウルフウーマンとかいう愉快なあだ名で呼ばれているのは初耳だ。たぶんアリエスのことで間違いないんだろうとは思うけど。
「というかハイドラ先生、レオン君はなんの罪で捕まったんですか? 彼は特に悪いことをしていないような……」
「まあ『悪いことをしたから』というよりは『悪いことをした可能性があるから』だね。見知らぬ、明らかに学園入学年齢前の少女を連れて夜の街を駆け回るとか、犯罪の気配がするだろう?」
「ああ……まあ……」
「なので一応取り調べと事実確認の必要があってね。レオンさんもそれでいいということだし、留置場の看守とも顔見知りのようだし、ちょっと泊まってもらったというわけさ」
「顔が広いですね、レオン君」
「いや、捕まった回数が多いんだよ彼。よく器物破損とか建造物損壊とかの現場に居合わせるし、女の子も毎月拾うから」
「先天スキルのせい……ではないですよね?」
「生徒だろうが教員だろうが、先天スキルはおいそれと知らされない。すべてのデータを持っているのは学園長ぐらいじゃないかな? つまり、私もレオンさんの先天スキルは、『あるかどうか』もふくめて知らない。【闘士】だけでもレア度で言えば入学条件は満たせるからね。というか君、彼と会話したんだろう? スキルを知ってるんじゃないのか?」
「知ってますけど、別に毎月女の子を拾う効果は見受けられなかったので……」
「詳しいことは言わなくていいぞ。プライバシーだからな。特に鑑定を使える神官系の先天スキル持ちがみだりに人のスキルを知ってるようだとうるさいんだよ、世間が」
「そういうのこの世界にもあるんですね……職業倫理というか」
「……とにかく本題を済ませてしまおうか。二人は勾留中というわけで留置場にいる。そしてレオンさんの連れていた女の子だが、正体不明だ」
「その後の措置はどうなります?」
「ではお待ちかねの『そのせいでどんな問題が発生したのか』についての説明をしていこうか。その女の子だがね、三つのそれぞれ無視できない権力を持った勢力が『うちの子だから見つけたら連絡してくれ』とほとんど同じ連絡を学園都市にしてきている」
「お疲れ様です」
「ところが今回は私だけが苦労して調整するわけじゃないんだ。君に手伝わせる大義名分もある。私はね、人が自分と同じ苦労をしょいこむ姿が大好きなんだ」
「ゆがんでますね……」
「幼児期にいろいろあったからね。主に君の母親のせいで」
「それで、『三つの無視できない権力を持った勢力』っていうのは? 神殿と?」
「まあ私が調整に駆り出されるしそれはわかるか。そしてあとの二つが君にかかわりのある案件だよ。やったね」
「嬉しそうですね」
「うん。君もいよいよ『こちら側』に来てくれたと思ったらはしゃいでしまうね。一つはカリバーン王国だ。君の奥さんの実家……はまあ、今回は関係なさそうだが、ランサー公爵家の【槍聖】じきじきに、神殿とは別口で少女の回収を要求している」
「【槍聖】って僧籍もあるんでしたよね? それが神殿と別口って……うわあ、厄介そうな気配がしますね……」
「うん。厄介すぎてもう笑ってしまうよね。そして最後の一つだが……ふふふ。これは君もびっくりするんじゃあないかな?」
「すごく嬉しそうな姿を見てオチが読めてしまったので言っていいですか?」
「だーめ」
「だめかあ」
「そう、君も予想している通り……最後の一つは『グリモワール王国』からエントリーしてきた『アンダーテイル侯爵家』だ。つまり君の実家だよ。ハイタッチしよう」
ハイドラのはしゃぎようで自分に特大の厄介が降りかかってくることは察していたが、察していた中でも最悪に近い『厄介事』だった。
ナギは光の消えた目でハイタッチを要求してくるハイドラと『ぱちん』と手を合わせてから、
「でも僕、もうあの家と無関係なんですよね……」
「まあ公的にはそうだね。しかし君はアンダーテイル家と深い付き合いをしていたことにはなっている。何せ侯爵じきじきに目をかけられて家に同居を許されていた━━だったか?」
「『だったか?』というか、実は僕、そこの実際のところを知らないんですよね。アンダーテイル侯爵が用意しそうなカバーストーリーがわかるってだけで、事実はまだ聞いてないんです。僕はどういう扱いなんですか?」
「また説明してないのか私ィ!? どうして君は入学初日に結婚して二日目に街を消滅とかやってのけるんだ!?」
「街の消滅は三日目だったような……日付的には」
「どうでもいいよ! この歳になると一日程度の差なんか誤差だ誤差! ……まあそういうような話になっているんだ。そこで君は学園教師として、アンダーテイル侯爵家からの使者と交渉してほしい」
「まあ実際に関係あるの、アンダーテイル侯爵家だけですしね……神殿も【槍聖】もぶっちゃけほぼ無関係っていうか」
「そうだね。『妻の実家のある国の三大公爵家のうち一つ』はまあ、無関係だ。それに、格から言っても【女神】が行くべきだろうね……【スカ】を矢面に立たせたら先方から悪印象を抱かれかねない。こればかりはなんというか、神殿のスキル重視のせいだね」
「アンダーテイル侯爵家のほうは【スカ】でも大丈夫なんですか?」
「っていうか、君をご指名なんだよ」
「お腹が痛くなってきました」
「胃痛か? 私もだ。いや、いいものだな、苦しみと嘆きを分かち合える仲間がいるというのは。こんなにはしゃいだのはいつ以来だ? 仲間はいいぞ。喜びは半分こ、達成感も半分こ、タスク量と苦しみは据え置きだ。ようこそこちらの世界へ」
「ハイドラ先生が嬉しそうで僕も嬉しいです。それで必要な説明をしてもらってもいいでしょうか?」
「なんだったかな。ちょっと疲れすぎてて何を話してて何を話してないかわからなくなってきているんだ。私はなぜか事後処理を回されることが多いのだが、いつもキレながら発生する問題を片付けているうちに処理が終わっている感じでね。追い詰められると頭からいろんなものがすっぽ抜ける」
ナギは質問事項を整理するために、少しだけ沈黙して考え込んだ。
そして、
「学園教師として交渉の使者になるのはわかりました。でも学園の目的を聞いてません。『僕はいったい、どういう要求を通すためにアンダーテイル侯爵家の使者と交渉すればいいのか?』」
「ああ、学園はあの『白い少女』を誰にも渡さないことに決めた。だから、アンダーテイル侯爵家の使者には『なるべく角が立たないように、少女の受け渡しを拒否してほしい』ということになるね」
「なるほど。ちなみに少女を引き渡さない理由は?」
「学園長の思いつき」
「あの人は…………いやいや。さすがにこう、対外的に語れるような理由の一つぐらいあるのでは?」
「今回は珍しく理由があるらしい。だが、その理由についてはこう言われている。『あなたたちのクリアランスでは知ることができません』と。なんだクリアランスとは? そんな概念がこの学園にあったとは知らなかったな」
「……冗談なのか本気なのかわかりにくいんだよなぁ、あの人……」
「君たちよく似ているね。君、もしかして学園長の子だったりしない?」
「失礼な物言いになってしまいますが、あの人が父親というのはなんていうか、願い下げですね……」
「あの人望のなさでよく王をやれているなといつも思う。……まあ、『ツボ』を抑えるのがうまいんだろう。私も今のところあの人に忠誠を捧げていると言えなくもない状態に置かれているわけだしな……腹に据えかねるが……」
「忠誠を捧げているというか弱味を握られているというか……まああとは、交渉の日取りと、時間と、交渉のための場所と……あー……」
ナギはこの先の質問をしたくなかった。
だが、絶対に聞かねばならないことなのは理解していた。だから、いっぱいの覚悟を決めて、それから、口を開く。
「……僕を交渉担当に指名したのは、誰ですか?」
「アンダーテイル家当主だよ」
「……カイエン・アンダーテイル侯爵? ……うっわ、なんですかその澱んだ邪悪な笑顔は……先生、美人顔なんですから悪そうな顔やめたほうがいいですよ。必要以上に邪悪に見えます」
「これが笑わずにいられるか! 私はねぇ! 自分がデスマーチをしている時にデスマーチの列に加わった人が嘆き、頭を抱え、瞳の光を曇らせていくのが大好きなのさァ!」
「キャラが変わってますよ」
「三日間徹夜してるからねぇ! もう無理がきく歳じゃないんだよ! 肉体疲労はまあスキルでどうにかなるが! 心は疲労がたまるんだよ!」
「で、もうわかっちゃったんですけど、ハイドラ先生が言いたそうなのでお譲りします。……僕を指名した、現在のアンダーテイル侯爵家当主の名前は、なんですか?」
「ソラ・アンダーテイル侯爵」
「……」
「君の妹だよ」
にっっっっっっこりとハイドラは笑った。
ナギは肩を落としながら「先生が嬉しそうで僕も嬉しいです」とため息をついた。
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