第28話 師

 環境に溶け込むのは狩人の基本技能だ。


 闇夜から湧き出してくる追手は数こそ少ないが質がいい。【中級狩人】では手に余る可能性が高そうに思えた。

 もっともそれは、まともな追いかけっこをした場合の話。獲物を追いかけている最中の追手を横合いから射るだけならば【中級狩人】でも事足りる。


(しんがりをやるって言っておいて、囮に使うみたいになってるのは申し訳ないな……)


 ナギはそう思いながらまた一人を射倒した。

 矢は追手のふとももに突き刺さる。普通に見れば太い血管を傷つけているので致命傷たりうる。しかし向こうに神官系中級以上の先天スキル持ちがいれば足止めだけが適う傷にしかすぎない。いない場合はその場で大人しくしていてくれれば回収して尋問がてらハイドラ先生を頼るか、ナギの持つ【中級神官】の出番になるだろう。


 ナギの【複写copy】でスキルを複写するには『会話』が必要だ。

 しかしこういった追手はたいてい会話に応じてくれないし、追手と遭遇することになる状況は会話を許すほどのんびりはしていないので、この追手たちがどれぐらいのスキルの持ち主かはわからない。

 だが、感触から言って中級の暗殺者もちらほらいるように思われた。上級はまだ見かけていない感じだが、すでに倒した中にいたと思いたい。


 その中でようやく作り出した時間で、ナギはハイドラへと通話を開始した。


「もしもし? また問題か?」


 ハイドラはすぐ出た。ナギが通話を試みる人、待ち構えていたみたいに素早く出る人ばかりだ。


 ナギはあらかじめ考えていた文言を告げる。


「僕のクラスの生徒が女の子を拾いました。その女の子は謎の連中に追われているので、ハイドラ先生に保護をお願いしたいのです。今、例の『孤児院』に向かっています。全部終わったら説明と補填をしますのでよろしくお願いします」

「あー…………わかった。今から向かう」

「お忙しいところすみません」

「謝罪は本気だが反省をしないからなぁ、君……とにかく急いでいるんだろう?」

「はい。僕はたどり着けないかもしれませんけど、レオン君をよろしくお願いします」

「……君の居場所も聞いておこうか」

「十三区画の十二番街城壁沿いのあたりです。でも来ないほうがいいと思います」

「何があった」

とんでも・・・・ないの・・・に見つかりました」

「は? おい、ちょっと」


 通話を切る。

 すぐさま先天スキル【獣化】と潜在スキル【狩猟聖】を起動。


 ナギは暗闇からゆっくり姿を表す人物のことを、知っていた。


 そして、その人物を一瞬でも認識できなくなった瞬間に、自分は死ぬだろうことも知っていた。


「やぁ、ナギ・アンダーテイル」


 親しげな声音を発するのは、暗闇から抜け出てきた女性だった。

 言葉選びはフレンドリーで快活。しかし声の抑揚はきわめて平坦であり、表情も皆無。


 浅黒い肌の左頬に走る一筋の傷。暗くよどんだ灰色の瞳に、フードからこぼれる硬そうな灰色の髪。

 体は以前に出会った時とまったく変わっていない。子供のように小さく、子供のように細い。


 けれど、彼女は、間違いなく二十歳より上のはずだった。

 何せナギが十歳の時から、あの様子なのだから。


 少年のような女性。

 ボロのフード付きローブで小さく細い体を包んだその人は━━


「……お久しぶりです、ノイ師匠」


 ━━【死聖】。


 かつてアンダーテイル侯爵がナギにもたらした『財産』。あまたの才能あふれる師匠たちのうち一人。

 暗殺者系潜在スキルにおいて、現存が確認されている中では最高位の、『死』を司るひじりが、学園都市の暗闇の中から、ナギの目の前に現れていた。


「ぼくが君の前に姿をさらした理由は、わかってもらえるかな?」

「久しぶりなので一緒に買い物でもしますか?」

「時間稼ぎは君の不利にしかならないよ? それでもいいなら付き合おうか。君のおごりで。さすがに任務中にお買い物しても経費にならないし、ぼくがお金にならないことをしないのは教えただろう?」

「……今回の件に師匠がかかわっているとは思いませんでした」


 時間稼ぎがこちらの不利になるという言葉の真偽はわからない。けれどきっと、嘘ではない。少なくとも、ノイの認識においては。

 ならばナギがすべきことは何かと言えば、それはやっぱり、『時間稼ぎ』以外にあり得ない。


 なぜなら今夜の襲撃に目の前の【死聖】がかかわっているのなら、彼女こそが追手の中で最強の存在。時間稼ぎがこちらの不利になるのが本当だとしても、彼女を釘付けにするのがこちらのとれる最善手であることに変わりはない。


 ひじりの出現はそれだけの大事件だ。

 本当に、ここでナギが足止めされて、そのあいだに十を超える数の暗殺者がレオンと少女のもとに向かうとしても……【死聖】ノイただ一人の足止めを優先すべきだ。


 ノイは「あー」と抑揚のない声を発しながら、どこかへ視線を逸らした。

 ナギはノイから視線も、そのほかの知覚も外さない。


 ノイは満足そうにうなずく。


「うん、忘れてなくてよかった。ぼくも師匠なんてしたのは初めてだったから、不安だったんだ。ぼくに釣られて視線を外したら十回は死んでたよ」

「……」

「まあ、現状でも三回は死んでるけど。……つまりね、今回、ぼくのターゲットに君は入ってないんだ。厄介そうだし、昔ちょっと教えたこともあるし、問答無用で倒すより、こうしてお話をしようと思ったんだよ。足止めのためにね」

「……そうですか」

「だからできたらぼくの仕事を邪魔せず、今夜のことは忘れて、ぐっすり眠ってほしいって思うよ?」

「すみません師匠、僕は教師なので、生徒を守るという矜持があります」

「ぼくのターゲットは君の生徒でもないよ」

「訂正します。僕が守るのは、生徒の生命だけではなく、意思もです」

「でも、それはぼくがこうしてここに立っているだけで詰んでるんだ。だから、お互いに手間のない方法をとろうっていう提案をしているんだけど……うーん、まあ、そうだなぁ。おしゃべりしててもいいんだよ、本当に。時間は君たちを不利にするだけだから。でも、久々に再会した弟子へサービスしておこうか」

「…………」

「どのぐらいできるか見てあげよう。殺す気はないけど、死なないように努力してね」


 ノイが闇に溶けた。


 ナギの背筋を震わす危機感がとっさに技能を起動させた。

 獣化。

 前腕に鋼鉄もかくやという丈夫な毛が生え、頭上にはオオカミの耳が立ち、尾てい骨の後ろにしっぽが生える。


 鋭敏になった五感は【狩猟聖】とのシナジーを起こし、学園都市城壁の陰となるこの場所の暗闇を満遍なく見通し、地を這うネズミ、虫の気配さえも鋭敏に捉えた。


 だというのに、ノイの位置を捕捉できない。


 習熟度。


 かつて【魔神】に【魔神】で対抗したことがある。その時はかろうじて勝利した。

 つい先日【拳聖】に【拳聖】で健闘した。勝利はできなかったが、あのままナギ単身でやれば勝てる確信があった。もちろん『財産』たるスキルを惜しみなく放出すればの話ではあるが、勝利を想像することはできた。


 だが、今。


 暗闇に溶け込んだ【死聖】に狙われている状況では、『死』以外の未来を描くことができない。


 習熟度が違いすぎる。


 ざわり、と獣の直感が首の後ろを震わせる。

 ナギは振り返りざまに長く伸びた爪を振るう。


「お、いい反応。よかったね、二回ぐらいしか死んでないよ」


 爪を振った先には確かにノイがいた。

 しかし彼女はすべるように後退して爪をかわすと、また闇の中に溶けていく。


 ……そして、遅れて気付く。


 ナギの腹部と肩に、投げられたナイフが突き刺さっていた。


 いつ投げられたのか、いつ刺さったのかもわからない。

 本当に恐ろしい。もしもこれに毒が塗られていれば? 致死性の毒ならその時点で死んでいた。よしんば【獣化】が生命力に有利な補正を与えているとしたって、確実に動きはにぶり、知覚能力はおとろえていた。

 そうなればあとはなぶり殺した。


 ……いや、今だって、すでに……


「君は頭を使いながら戦おうとするのが悪いクセだね」


 ぽん、と頭をなでられる。

 つまりそれは、その気であれば脳天に刃を突き刺せたということ。


 ……【獣化】【狩猟聖】……【死聖】と同格たる『ひじり』を使い、なおかつ【獣化】で全能力の底上げをしている。特に知覚能力、隠密能力においては間違いなく【死聖】より上のはずだった。


 けれど、遊ばれている。


 ナギが潜在スキルを判定される前から現役で活動を続けていた『聖』の習熟度は、同格の『聖』を相手にして、ここまで圧倒的な差を見せつけるのか━━


(違う、習熟度だけじゃない)


 環境。

 たとえばここが森の中であれば、狩猟の聖はもっと明確にノイの痕跡を捉えられただろう。

 あるいは夜でなければ。そもそも接敵せず、こちらが遠くに潜んだ状態から狙い撃つような戦闘開始であれば。もしくは罠を仕掛けるなど事前準備をしていたら。いや、最初から『聖』の存在する可能性を念頭において立ち回っていれば……

 無数の『もし、こうだったらいい勝負ができたかもしれない』が頭によぎる。実に今さらだ。つまり、ようやく、ナギは学んだということ。


(……ようするに僕は、まだ、複数のスキルを適切に使いこなせていない、ということなんだ)


 ……気付けば全身に短剣が突き刺さっていた。

 そのすべてが太い血管を避け、致命的な神経を避け、何より毒の一つも塗られておらず、刃先ほんの数ミリを突き刺しただけで、深い裂傷など一つも与えていなかった。


「君は【スカ】だったことが原因で追放されたという話を聞かされたけれど、それはどうにも虚偽の申告か、あるいはアンダーテイル侯爵の把握してない何かがあるね。……君は百回以上、ぼくからの『死』を避けている。誇っていいよ。まあ、それだけ避けてなお、五十回以上死んでるわけだけれど」


 致命傷は一つもない。

 けれど極度の緊張と疲労、それから失血が意識を朦朧とさせている。


「ん。弟子の思わぬ健闘というのは、なかなか嬉しいものだね。貴族様の道楽に付き合うのはお金のためだったけれど、君という弟子に何かを教えられたのは、なかなかいい体験だったと今になっても思うよ。ナギ、君はいい弟子だ。もう少し教えてあげたいけれど━━まあ、スキルが【スカ】なら意味がないよね」

「…………ノイ師匠」

「うん?」

「ご指導ありがとうございました。僕は……もっと、強くなります」

「『不可能だ』と言うところだけれど、君はやってくれそうな気がするから、『楽しみにしてるよ』と言っておこうか」

「……」

「おお、立ったまま気絶してる。ん、よくやったねナギ。君は負けたけど生きてる。【死聖】を前にそれは大勝利だよ。まあ殺す気はなかったけど」


 ノイはナギのそばに近寄って、額を指先で押す。

 するとナギの体は仰向けに地面へと倒れた。……先ほどまであった鋭い爪も、獣めいた耳も、しっぽも、もう、ない。


 その寝顔を【死聖】の夜目で捉えて、無表情な暗殺者は……


「なんでそんな、満足そうな顔で負けられるんだい? まったく、君は……楽しいやつだなあ、ナギ・アンダーテイル」


 にっこりと、笑うと、倒れた弟子の髪を撫でた。

 愛おしそうに。慈しむように。

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