第61話 緩衝地帯
ガタゴトと、車輪の音が変わった。
ここまではそれなりに舗装された道だったが、ここからはほとんど未舗装に近い場所に出たようだ。
屋根付き天井なしの『フタのない箱にルーフだけつけた』馬車から周囲を見回せば、『雰囲気が変わった』感じがある。
景色の色調が黒・灰色多めの学園都市周辺を抜けて、一面の短い草の生い茂った緑のものに変化したのだ。
つまるところは『国境を越えた』。
敷地で言うならば、ここらあたりからが『学園都市』ではなく『カリバーン王国』となる。
もっとも、二つの国家の行き来を管理する関所は、だいたいが国境線からやや離れた位置に存在する。
なので実際に『外国に来た』という実感をするのは、このあと国境の関所でさまざまな手続きをしてからのことになるだろう。
ここは緩衝地帯なのだ。
……その言葉は『対立する国と国のあいだにある……』というような意味を帯びるのだが、大意においてそう間違いではない。
学園都市は、あらゆる国家と同盟を結んでおらず、協調もしていない。
学園都市と他国とのあいだにあるのは業務提携であり技術供与であり、『学園都市で学んだ生徒との個人的な縁』にしかすぎない。
あらゆる戦争、政争に不干渉であり、誰にも味方しない代わりに誰とも敵対しない『中立』……少なくとも公式発表上はそうなっている。
そして言うまでもないが、『中立』という立場を維持するのにもっとも必要なものは力なので、他国から見た学園都市は『異常にして異質な技術を持ったおおっぴらに敵対を表明していない、優れた人材と設備が山盛りの場所』となり、緩衝地帯を設けられるのも当然という立ち位置でもあった。
(本当に複雑なものに取り巻かれた場所だ)
ナギは馬車の中から背後を振り返り、思う。
教師として就任してから初めて『他国』に立って振り返ると、学園都市の異質さが際立つように思える。
学園都市というのは、交わしている条約やら立ち位置やらを加味して他国から見ると、危険極まりない『いつこちらに攻め込んでくるかわからない、国家一つを一夜で滅ぼせるような要素をたくさん詰め込んだ火薬庫』である。
一方で『外国からスキルレアリティによる足切りこそあるが優秀な人材を無償どころか有給で招き、先進的な教育を施す機関』でもある。
さらに生徒たちの行き来を基本的に制限しないので『ただただ危険な知識や技術をむやみにばら撒いている、目的のわからないブラックボックス』でもあり……
総じて『いいものも悪いものも飛び出してくるびっくり箱』といったところだろうか。
だから警戒をされるのは当然であり、その一方で、レアなスキルを持つ貴重な国民を留学させ教育を受けさせるのもまた自然な場所なのだ。
ようするに『つつきかた』を間違わなければ利用価値は高い。
そして……
昼日中の草原は濃い緑のにおいに包まれていた。
カリバーン王国は昨日、雨が降ったのだろうか? 露のきらめきを残した短い草が、柔らかい風にゆられてざわざわ音を立てながらきらめいている。
学園都市〜カリバーン王国間にある緩衝地帯は、領土的に言えばカリバーン王国の持ち物だが、政治的に言えば『まだ、どこの国でもない』。
そのために本格的な整備はされず、建物もたまに休憩用の小屋が見える程度で、基本的にはだだっぴろい草原が広がるのみであった。
その場所で。
アリエスがピクリと何かに反応する。
「先生、何かが来ます」
『だだっぴろい草原』で目視範囲にない『何か』を感知するその技能は、【上級狩人】と【獣化】による広大な気配感知能力の賜物だろう。
問題児クラスと言われているこのクラスのメンバーは、能力の高低によって問題児扱いされているわけではない。普通に性質が問題児なので問題児扱いされているだけで、先天スキル持ちやレア潜在スキル持ちばかりが集う学園の生徒たちは基本的に大変有能だ。
そして有能な狩人はこう続けた。
「倒しますか?」
「物騒がすぎる。……あの、ここは学園都市ではないので……」
そう、ここは学園都市ではない。
だから、ナギはこれを言わなければならない。
「あまり派手に暴れると本当に国際問題になるよ。ただでさえ学園都市は政治的に厄介な立ち位置の都市国家で、しかも今はグリモワール王国側に寄ってるんだ」
言うまでもなく、政治的立ち位置の話だ。
リリティア・グリモワールの正体を知った上で保護および教育をすると宣言された影響から、今の学園都市はかなり政治的にグリモワール王国寄りとみなされている。
そしてグリモワール王国とカリバーン王国は国境を接しているので過去にいろいろとあった。
たとえば『カリバーン王国の【燃焼】【魔法剣士】持ちがグリモワール王国に向けて最大威力の魔法剣をぶっ放した』事件など、すでに百五十年前のことだが、まだまだ人の口にはのぼることもある。
またその話題がのぼるたびに『そいつは最終的にカリバーン王国が処したし、破壊に対する補償もしたのだから、いつまで同じことで擦り続けるつもりなんだ』とカリバーン王国側も気分がいいものではない。
人命が失われたことは痛ましくは思いつつ、『現代』のカリバーン王国人にとっては『国家でももてあます狂人が大昔に起こした、今を生きる自分とは関係ない事件』なのだから。
政治的に敵対はしていないが、歴史的に敵対の火種はある━━そういうのがカリバーン王国とグリモワール王国との関係だ。
ゆえに、
「特にソラさんは何かあっても動かないように。グリモワールの【魔神】が派手に行動したらどういう難癖をつけられるかわからないよ」
「カリバーン王国の方々はずいぶんと戦争をしたがっていらっしゃるのね」
嗜虐的な笑みを浮かべながら、真っ黒い改造制服からのぞく細い脚を組み替える。
ナギはつい、ため息混じりに言ってしまう。
「ソラ」
「冗談よ。どこの国も一枚岩ではないということでしょう? 少なくともソーディアンの方々は信頼していますわ」
「……まあ、だから、何か問題が起こっても生徒のみんなは手を出さないように。学園都市の『国民』と認識されている教職員が対応するから」
生徒は食客、教師が国民、のような扱いである。
実際のところ、学園都市の王扱いされているヘルメスは、学園都市に『民』の存在を認めていない。あの都市国家は公式にはヘルメス・トリスメギトス以外の国民が存在しないことになっているのだ。
「あちらの馬車は大丈夫でしょうか?」
アリエスが横目で見るのは、おおよそ三十メートルほど離れた場所を走っているアルティアの馬車だ。
ナギは安心させるように答えた。
「あっちはリリティアさんが気付くと思う」
「そういえば、リリィちゃんの潜在スキルってまだ明かされてないんですっけ」
「まあ年齢の問題でね。一部の人は知っているけれど、ご両親の希望もあって本人にはバレないようにしているんだ。だから僕から君たちに教えることもないし、君たちも彼女が十五歳になるまでは聞かないであげてほしいな」
「あの子が十五歳になるころ、私たちは卒業してる気がするんですけど」
まあ、人によってはそうだろう。
少なくともエリカとソラは国に帰って『国の貴族としての教育』を受けるとは思う。
アリエスやレオンは実家の都合次第でもう少し学園都市に残って勉強してもいいだろうが……
なんとなく、『リリティアが十五歳になる』というのは、大変なことなんじゃないかとナギは思っている。
何せ『魔王』なのだから。
そのわりには修学旅行などに行くことを許可されているのだが……
まあこの旅行中には、ナギから彼女に『異世界言語』を教えることになっているので、魔王対策がまったく停滞するわけでもない━━
というか彼女が【
「……ああ、僕にも見えてきたね」
話し合いをしているあいだに、アリエスが感じたという気配の原因がナギの目にも映る。
それは、なんというか……
「アリエスさんがいきなり『倒しますか』とか聞いてきた理由がわかったよ」
その気配の原因は、騎乗した人間だった。
目視できるので、馬を駆る人の服装が、布の多い、白い、体のラインを隠すようにゆったりした━━神官服であることが、わかる。
そして、何より。
「……多いね、すごく」
その神官服の、近づくにつれ服の下に鎧を着込んでいることがわかる人たちは……現在見える範囲だけでも三十人はいる集団だった。
『たまたま近くを通りがかったんですよ』で通じる数と勢いではないし、その表情も真剣そのもので、何より殺気立っていた。
「勝利条件を確認しよう」
ナギは教員免許を起動し、レオンへの通話をつなげながら述べる。
「僕らの最上の勝利は『カリバーン王国関所まで逃げ切ること』だ。緩衝地帯で神官戦士団を相手に『戦い』になれば、神殿と学園都市の関係が徹底的に決裂する。それはまだ早い」
学園長からは『神官を見かけたら構わず倒していい』とは言われていない。
いずれ潰すつもりです、とは言われてしまったが、まだ『神殿潰しにふるってご参加ください』とは言われていないのだ。
ということは『平常通り』の対応━━あまり神殿を敵にまわしすぎない方向性での対応をとるべきだろう。
「だから、ここからは━━『レース』になる。エリカさん、御者を代わろう」
「いちおう聞くけど、御者の経験は?」
エリカが油断なく速度を維持しながら問いかけてくる。
ナギははっきり答えた。
「ない」
「……代わりましょう。そっち、飛び乗るわよ」
エリカの発言に「なんで今ので『代わる』っていう結論になりますのー!?」とカリーナが悲鳴を上げていた。
エリカが御者台を蹴って跳び上がる。
ナギは空いた御者台に飛び込む。
そして、コピーしたスキルを起動した。
……政治的背景から発生した『逃げ切る』ための戦いが始まる。
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