第62話 敗北条件

「手ぬるい……」


 レオンの生徒手帳からナギにより『逃げ切る』という方針が発表された直後のことだ。


 響いたのは不整地を走る馬車の車輪の音に混じるような小さな声だった。

 しかし、レオンの耳にはハッキリと届いた。ぞっとするような冷たい声━━あるいは激情をつとめて抑えたかのような、裏側にいろいろなものが凝りすぎているために表面上は冷たく聞こえる、『真の憎悪』とでも呼ぶべき感情の潜んだ声……


 その声の主は、御者をしているアルティアだった。


 学園都市の宮廷服━━と言っていいのかはわからないが、とにかく理事長の着ているスーツを女性用に仕立てたようなデザインの、白い衣装を身にまとった、白髪はくはつの女性だ。

 今まさに馬車席の隣でレオンに引っ付いてる『白い少女』の母親でもある彼女は、聞いた者の心胆を寒からしめるような声でつぶやいたあと……


「あらあら」


 今さっきこぼした声は幻だったんですよ、幻だと思え(威圧)みたいに、柔らかく高い声を出した。


「ナギ先生はずいぶんと穏健派のようですね。緩衝地帯とはいえあれだけの集団で追いかけてきた神官連中など、撫で斬りにしてしまってかまわないと思いますけれど。多少両断しても生かしておくことはできますし」


 そう述べるアルティアは先天スキルが【聖女】、潜在スキルが【剣聖】だ。

 そりゃあ『撫で斬りにする』のも『両断しても生かしておく』のもできるだろう。それを可能にするだけの才覚は持っている。


 ガタゴトガタゴト、車輪がデコボコの道を踏んでひっきりなしに音を立て続けている。

 こうしているあいだにも馬はどんどん速度を上げて、学園都市謹製のサスペンション付き馬車でさえも殺しきれない振動と、それに伴う音がひっきりなしにレオンの耳を叩いていた。


 だというのに、アルティアの声は、まるで静かなカフェで世間話でもしているかのようによく聞こえたし、緊迫感がなかった。


「リリィ、見えている以外に気配はある?」


 リリィ━━リリティア・グリモワール。

 レオンの腕にくっついたままの少女は、しばし目を閉じる。

 髪も瞳も白い、まだ潜在スキル鑑定も終えていない年齢の少女は、幼さゆえのおびえからこうしてレオンの腕に抱きついている……というわけではなかった。

 むしろ『いきなり騎乗した神官戦士集団が背後から追いすがってきた』という状況にビビっているのはレオンの方であり、リリィの方はまったくの無表情で堂々としたものだった。


 しばしの沈黙のあと、リリティアは首を左右に振る。


 その動きが真後ろで御者をしている最中のアルティアに伝わるはずはないのだが、アルティアは「そう」と述べて、しばし考え込む。


「……まあ、追いつかれたら斬りましょう」


 白いタイトスカートスーツを着て御者をするその女性の腰には、ひと振りの剣が存在する。

 真っ黒い鞘の中にドス黒い刀身を持つそのロングソードは、『学園長に創造していただいた神官殺しの剣なのですよ。これで神官に襲われても安心ですね』と『打ち解けるためにここで小粋なジョークを一つ』みたいなノリで出発前に見せられたものだった。

 神官戦士の異様なタフさ、というか『折れない』感じにはレオンも経験があるため、まあそりゃア襲われた時にそういう装備があれば心強いけども……とは思った。

 思ったが、笑顔で『この剣で神官を殺しますね』といきなり言われたレオンはいっぱい胃が痛い。『それ』を使う機会が真後ろから土煙を上げつつ追いすがってくる状況ならなおさらだ。


 大前提だが、人が死ぬのはイヤだ。

 それが自分に敵対的な人たちでもだ。


 これを『善良』と表現するほどにはこの世界は終わっていない。

 レオンの価値観は戦争を知らない世代の一人として至極当然のものであり、日常的に荒事にかかわっていない(レオンがそうかどうかは第三者のあいだで評価がわかれるが)彼からすれば至極自然なものだった。


 むしろ『いざとなったな。殺すか』とすぐに切り替えられるアルティアは現代において少数派に属する。


「レオン君、大丈夫だよ」

「ジョルジュ先生」


 レオンは真正面で胃痛を覚えているような顔をしている、メガネの男性を見た。

 グリモワール王国出身のクソつよ女どもに囲まれた中で一服の清涼剤と化したこの男性は、ナギの補助要員として同行しているジョルジュ先生だ。

 ちなみにアルティアの夫でリリティアの父にあたる。


『家族馬車に偶然乗り合わせました』みたいな空気の中で緊張しきっていたレオンをしきりに気遣ってくれた大人しくも神経質そうな風貌の彼は、アルティアとそろいの色の白スーツ(言っちゃ悪いが似合っていない)の合わせあたりをさすりながら、不器用に微笑んだ。


「アリィはとりあえずナギ君の方針に従うつもりでいるから。追いつかれない限りは剣を抜かないと思うよ」

「いやすいません、あんまり安心材料にならないです」


 言ってしまった。


 だが実際、『追いつかれない限り』というのは本当になんの安心材料にもならないのだ。

 だって、追いつかれるから。


 ものすごく当たり前の予想なのだった。


 こちらの『足』は『四人乗りの部屋を曳いた二頭立ての馬車』。

 対してあちらの『足』は『一人が騎乗しているだけの鞍つきの馬』。


『馬二頭で馬車と御者ふくめ五人の重量を曳く馬』と『軽い装備と人一人だけを運ぶ馬』のどちらが速いかなど考えるまでもない。

 もちろん騎乗に有利な騎士系の潜在スキルか、あるいは先天スキルがあれば話はまた変わってくるが、レオンが把握している範囲でそういうスキルの持ち主はいない。


【剣聖】に多少の騎乗補正はあるかもしれないが、それはこれだけの重量的不利を覆すほどではないはずだ。剣士系はあくまでも自分の足で立って剣を振るうスキルのはずだし。


 ……いちおう、【闘士】である自分がギリギリ、騎乗補正があるのだが……


(この状況で運転引き受けるとか無理無理!)


 レオンのヘタレが発動している。

 馬に乗ったことがないのは事実なのだ。いくらスキル補正があって、それが騎乗を多少有利に導くとしたって、乗馬デビューがいきなり『馬車で人の命をあずかりながら最高速でカッ飛ばせ!』の状況というのは、レオンでなくとも二の足を踏む。レオンなら三の足四の足余裕だ。


 レオンの思ったようなことはジョルジュも思うのか、彼は胃のあたりをさすりながら「あはははは」と言葉を探すようなぎこちない笑い声をあげて……


「……まあ、それに、こちらにはソーディアンのご令嬢と、学園にはランサー公までいらっしゃるし、きっと、ここで多少騒ぎを起こしてもいきなりカリバーン王国が敵対的になるっていうことはないと思うよ」

「それもう『斬ったあと』の話ッスよね!?」

「あいつらの狙いはリリィだろうしね……いざとなれば斬る以外にないとは思うよ」

「この人も覚悟決まってるタイプじゃん……!」


 娘が狙われていれば、まあ、それはそう。

 レオンはジョルジュの穏やかさにすっかり忘れかけていたが、この一家は『神殿が娘を渡せと迫って来た時に迷いなく神殿と敵対した人たち』なのだ。そりゃあ覚悟なんかとっくの昔に決まっている。


「あの、修学旅行に反対とかなさらなかったんでしょうか! 学外に出すのは危険っていうか! 現に迫ってるんスけど! 危険が! 背後から! ひづめの音を立てて!」

「まあ、話し合いはあったけど、最終的には現状のようになったね」

「なぜ!?」

「娘が望まず背負ったあらゆるものが、娘が人生を謳歌する邪魔になってはならないという結論なんだよ」

「……」

「『魔王』は、教育するにしたって、閉じ込めて、安全に配慮して、徹底的に管理してしかるべきだ。……それはわかる。わかるし、他人が相手なら僕もきっと『なぜ、そうしなかったのか』と思っただろう。でも……」


 ジョルジュを見ていて、レオンは自分が見誤っていることに気付かされた。


 覚悟が決まっている━━の、『覚悟』の質を二段か三段ぐらい見誤っていたのだ。


 この人は、


(そうか、娘の自由のためなら、何を巻き込んでも構わないってぐらい、狂って・・・るんだ)


 たぶん考えなしで結果的にこのクラスに所属する人たちを巻き込んでしまった・・・・ではなく。

 きっと・・・巻き込む・・・・とわかった上で、断行した。


 そしてそれは……


「あの子が大人になって思い出す青春が、ずっと変わり映えのしないどこかの閉じられた部屋の中だっていうのは、あまりにもかわいそうだと思ってね」


 娘が『魔王』と成って誰かに討伐される可能性など、みじんも考えていないような。

 我が子に『将来』があるのだと信じて疑わない人の態度だった。


 気弱で神経質そうな、嫁と娘に振り回される被害者━━レオンのジョルジュへの印象は、そういうものだった。

 改める必要があるだろう。

 たぶん、ナギや学園長までふくめても、ぶっちぎりで狂っているのはこの人だ。


 その人は、さらにこんな言葉を続ける。


「……とはいえ、僕は簡単な治療と占いと、あとは命を捨てることぐらいしかできないのが情けないところなのだけどね」


 気弱そうに笑う男にぞっとする。

 この人は、先天スキルによる治療行為と、潜在スキルによる占いと、まったく同列に『命を捨てる』を並べているのだ。言葉のあやとかではなく、実際にこの人にとって、その三つは優先順位が横並びであり、必要であればスキル行使のごとき気持ちでやってしまえることなのだろう。


 まったく立派ではないし、大迷惑だし、巻き込まれた側としては胸ぐらつかんでぶん殴っても許されるぐらい身勝手な人だとは思う。

 思いつつ、レオンはこの人に怒れないし、恨めないし、嫌いになることさえできない。


 むしろ、好意的な気持ちさえ湧き上がってしまうのだから……


(俺もやっぱ、おかしいんかな……)


 レオンは自分のことを『まとも』だと思っている。

 それはまあ、謙遜に謙遜を重ねて、『クラスの他の連中に比べればまとも』ぐらいの表現に留めてはいるのだが……


 この人の、強烈すぎて醜悪なまでの『大事な人を守りたい』という気持ちには、尊敬の念を抱いてしまうのだ。本当に『まとも』なら嫌悪感しか抱かないようなこの人に対して……

 ……いや、尊敬ではなく、これは……


(こうまで大事な『何か』を見つけられる人生ってのは……)


 憧れ、だろうか。


 こういう人になりたいとはまったく思わないし、やってることは普通に超迷惑だと思う。

 それはそれとして、絶対にゆるがない『大事なもの』があって、そのためならここまで迷惑な振る舞いを迷いなくできてしまう。そのぐらいのものがある人生がうらやましいと思った。


 いや。重ね重ね、大迷惑ではあるのだけれど。


「まあ、僕も最初に学園長から『是非リリティア君にもカリバーン王国に行ってもらいましょう』と言われた時は『本当にいいのか?』と思ったけどね。考えた結果、申し出に乗せていただくことにしたし、それを『間違いだった』で終わらせないためにも力を尽くす……」

「待って待って。学園長からの提案なんスか?」

「……うん? そりゃあ、まあ……そうだけど?」

「やっぱあの人が一番おかしいわ!」


 お前の立場でその提案はダメでしょ。

 レオンは学園長のことをぼんやりと『一代でこの都市国家を築いた人はちょっとおかしいのかもな。まあ間違いなく天才傑物のたぐいだからそういうこともあるか』と思っていたが、最近、認識のアップデートが激しい。

 かかわればかかわるほど単純におかしい人だし、深い考えがあるのかなと思っていたけど、今はもう『いきあたりばったりの人』ぐらいまで印象が下がっている。


 天才とか傑物とかじゃなくて『たまたまうまくいった変人』だ。


「ともかく、レオン君、僕たちは、備えよう。ここからどうやって『逃げ切る』つもりなのか、ナギ先生に期待しつつね。彼も胃痛を背負わされる立場だし、この重量的不利な状況で『逃げ切る』提案をするからには、きっと何かあるだろう」

「あるかなあ!? ナギ先生も言っちゃ悪いけどわりとその場しのぎの人のような感じがしてるんスけど!」

「少なくとも、リリィを奪われたら『学園都市としての敗北』なのは理解しているはずだから……自分側の馬車だけが先に緩衝地帯を抜けてもどうしようもないというのはわかった上で行動はしていると思うけど」

「……ちなみにですけど、何かここから追いつかれずに緩衝地帯を抜ける方法とか、想像つきます?」


 そこでジョルジュはちょっと考えるようにうつむいてから、首をかしげつつこう述べた。


「……『撫で斬り』?」

「お似合い夫婦め!」


 もう腕に引っ付いてる子の父親だから……みたいな遠慮はなかった。

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