第4話 旅立ち

「…………」


 翌朝にソラが『ナギの部屋』をおとずれれば、そこに兄はいなかった。

 わかっている。昨夜のうちに出て行ったのだ。

 いや、兄はきっと『死んだ』ということになるか、最初からいなかったことになるのだろう。

 本当に殺さないところに父の理性をかいまみて、『実の子を本当に殺さなかったこと』が評価基準になってしまっているところに笑ってしまった。


 父は半ばソラを無視するように過ごしてきた。

 あからさまに遠ざけられていたり、ひどい扱いをされていたわけではない。けれど、無視されていた。父カイエンは兄のナギにかかりっきりで、ソラのことになんか、まったく興味がないようだった。


 そのことを寂しいと思っていた時期もあったけれど、寂しい時にはいつだって兄がいてくれたおかげで、次第に気にならなくなっていった。


 その兄はもういない。


 父が正式に追放して、これから存在そのものが抹消されるのだろう。

『いなかった』ことになる、兄。いや、兄でもなんでもない、ただの『ナギさん』。


『ナギさん』の部屋から離れて、ソラは書斎へ向かった。

 そもそもこんな朝っぱらから父に呼び出されて支度をしたのだ。きっと、さぞかし重要な話があるのだろう。


 こちらにもある。


 ソラは重々しい書斎の扉をノックもなしに開いて、中へ入った。


 そこには突然ドアが開かれたことにおどろきを浮かべる父と、年老いた執事の姿があった。


「ソラ、淑女のマナーというものを……」

「お父様、お話があります」

「……なんだ」

「その前に質問を。わたくしにお兄様はいなかった。あるいは、お兄様は死んだ。どちらにするおつもりですか?」

「……私に息子はいなかった」

「では、このあいだまでこのやしきにいた『ナギさん』は?」

「先天スキルがあるということだったから面倒を見ていた平民の子だ」

「つまり、わたくしの兄ではない、と」

「そうなるな」

「では、うかがいます。わたくしが平民を婿に迎えるためには、どの程度の功績が必要ですか?」

「……ソラ!?」

「質問に答えなさい」

「父に向かってその口の利き方は━━」

「【中級術師】が【魔神】に向かってその口の利き方はなんですか?」

「━━それ、は……」


 ソラは父の半生についておおまかに知っている。

 父はスキルに恵まれなかった。しかし努力を怠らなかった。その姿勢は長く家に仕える人たちに愛され、懸命に勉強を重ねる父は今や、領地経営においてもスキのない、『才人ではないものの立派な貴族家当主』だ。


 その努力にはソラも敬意を払う。

 だからこそ、ソラはこう思うのだ。


「『潜在スキル』というどうしようもない才能を前に必死に抵抗を続けてきたお父様のことは、尊敬しておりました。才能を理由に人を評価なさらないのは、血統主義、才能主義の貴族社会において特異で稀有で、立派なことだと存じ上げております」

「……」

「そのあなたが、才能のなさを理由にナギさんを追放したのです。で、あれば、才能を傘に高圧的に接されることに文句を言うのはお門違いではありませんか?」

「……だが……」

「申し開きがあるなら、なんなりと」

「…………」

「ないようなら、質問に答えなさい。平民を婿にすると認めさせ、後ろ指を指す者を黙らせるには、貴族社会でどれほどの功績をあげればいいのです?」

「あいつは、お前の兄だぞ!?」

「わたくしに兄はおりません。ただ、幼いころから共に過ごし、父にさえ半ば『いなかったもの』と扱われていたわたくしをずっと愛してくれた『幼なじみのナギさん』がいるのみです」

「し、しかし……」

「カイエン、質問に答えなさい」

「……ふ、不可能だ。それこそ五百年前の『魔王イトゥン』のような者が出て、その征伐で第一功を挙げるなどすれば、誰もお前の決定に文句を挟めなくはなるだろうが……現代、魔王はおろか、小さな混乱すらもない。時代は安定している。安定した時代に『特別な功』を挙げるなどできない!」

「わかりました。では、そうしましょう」

「話を聞いていたか!?」

「混乱は起きます。【文字化け】を読み解く者が出て、【魔神】などという我が家の開祖の時代にしかいなかった潜在スキル持ちまでいます。神はきっと、この先に起こる混乱を予期しているのです」


 それは宗教的価値観で言えばたしかにそう言える。

 だが生まれるよりずっとずっと昔から宗教が確立していたこの時代の人たちにとって、『神話は神話』であり、『現実は現実』だ。

 けれど、ソラは断言する。


「『その時』に備えて優秀な者を集めましょう。それに、わたくしも鍛錬が必要です。才能にかまけてスキル習熟を怠っては、いざという時に役立てませんから」

「……正気なのか?」

「お父様がわたくしの性格を知らないだけでは?」


 カイエンは黙り込んでしまった。


 そばで見ていた執事は、この時、アンダーテイル家の実権がカイエンからソラへと移ったのを確かに感じたのだった。



「旅人かい? ここがあの有名な『学園都市トリスメギトス』! ……の、すぐそばにあるさびれた村さ」


 村の入り口でたまたま出会った青年は、冗談を述べた時のように肩をすくめながら笑ってみせた。

 気持ちのいい人だと思った。だからナギは、問いかけることにする。


「今から歩いたら、どれぐらいでトリスメギトスに着くかな?」

「うーん、そうだなあ。実はおいら、この村から出たことがないんだよ。トリスメギトスに入るには先天スキルか特別な潜在スキルがないといけないからね」

「君は【羊飼い】?」

「お、よくわかるね?」

「まあ」


【文字化け】の中身を認識できなかった時からスキルの【複写copy】は始まっていた。だからナギの中には【狩猟聖】をはじめとした講師たちのスキルがストックされている。

 つまり、スキルコピーの技能は受動的パッシブスキルということになる。

 それは出会った人と一定距離でいくつかの言葉を交わすと発動するようで、ナギは今、まさに自分の中に【羊飼い】というスキルが入ってきたことを知覚したのだ。


「いやあ、トリスメギトスに行くってことは、お兄さんも先天スキルか特別な潜在スキルを持っているんだろう? うらやましいね。ま、羊飼いの一生のほうがおいらには合っているけどさ」

「僕は講師として紹介されたんだ」

「どっひゃー!」

「『どっひゃー』?」

「おどろいたのさ! お兄さん、まだ成人したてかそこらだろう? ということは、なんだっけ、アレかい? 【教導】持ち? その若さで招かれるってことは、そうだろうな!」

「まあ、そうだね。でも、先天スキルについてはあまり言いふらさないのがマナーなんだ」

「ああ、やっかみは怖いものな。了解だよ兄弟。おいらとあんただけの、男と男の秘密さ。そうだった。トリスメギトスまでの距離だね? ここから徒歩で二日ぐらいかかるって話さ。お兄さんの潜在スキルが足を速めるものじゃない限りはね」

「……ここはトリスメギトスのすぐそばにある村なのでは?」

「はははは! 『トリスメギトスすぐそばの村』はここが初めてかい? もっとあの学園都市から遠い場所にだっていくつもそう名乗る村があるよ! あそこはそれだけ有名で、是非ともあやかりたい都市なのさ!」

「そうなんだ」

「まあだから今日は泊まっていきなよ。もちろん、お代はいただくがね。こうやって小銭稼ぎをさせてくれるんだ。本当にありがたい都市だよ」


 ナギは青年の誘いに乗って、ここで一泊することにした。

 この、人との距離をするりと詰めてくる青年に親しみを覚えたのと、彼が間違いなく【羊飼い】だったというのが理由だ。


 先天的、あるいは潜在的に【盗賊】などの犯罪関連やそれに類するスキルを持っていない限り、犯罪を志すことはまずない。

 神から与えられたものは強固に人生を決めてしまうのだ。


 向いていないことをわざわざするより、向いていることだけしていたい気持ちはナギにもよくわかる。

 前世にもしも潜在スキルという概念があって、自分の適性が疑いようもなく判明したならば、きっとその適性に従って生きただろう。


 では、【スカ】の自分はどう生きるのか?


 ……無限に増えていく業務。ほぼ永遠に続く『誰かの尻拭い』。発生するオーダーをこなすだけで死にそうになっていた、前世の自分。

 生き方を選べるという自由と不安の中で、自分がどう生きていくのか、興味がある。


 まずは━━教師をやってみよう。


 カバンの中にはカイエン・アンダーテイル侯爵からもらった紹介状が入っていた。

 それに従う必要はないと言ってくれたからこそ、その紹介状を頼ることができる。

 思えばあそこで選択を委ねてくれたのは、父としての最後の贈り物だったのかもしれない。


 昼日中の空に目を細める。

 どこまでも歩いていけそうな青空だ。だから今日はここで足を止めよう。夕暮れはまだ遠く、夜はもっともっと遠いけれど、昼間は歩き続けなければならないだなんていう決まりは、世界のどこにもないのだから。

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