断章
第57話 質疑応答
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次章冒頭に入れようと思ったけれどテンポの問題で断念したエピソードです
これまで出てきた用語、設定についての解説回みたいなものになります
次章はまだです
よいお年を
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「これから始まるのは、きっと君の物語になるでしょう。他の誰でもなく、君自身のね。━━そうは思いませんか? ナギ先生」
トリスメギトス『王城』……
夕暮れの光が差し込む巨大な窓ガラスを背にして、黒い革張りのソファに腰掛けた人物が問いを投げかけてくる。
いよいよ正式授業開始を翌日に控えて呼び出されたナギとしては『こんな時ぐらい、もって回った言い方はよしてほしい』という気持ちだが、残念なことに、この人物がもって回った言い回しをするのはいつものことだ。
長い黒髪を肩甲骨あたりで一つに束ねた黄金の瞳を持つ男は、重厚な木製の机の向こうで長い脚を組み替え、にこにこと笑っている。
顔の造作は悪くない。むしろいい。
だというのにそこに浮かぶ笑顔は、あらゆる魅力を減衰させて、信頼しようという気持ちまでを根こそぎにする、どうしようもないうさんくささがにじんでいた。
ナギはとりあえずやりとりをしないと仕事に戻れないことを察して、話を合わせてみることにする。
「僕の物語、ですか?」
学園長ヘルメスは『我が意を得たり』とばかりにうなずいた。
「ええ。君の物語です。君がかかわったアレコレは、たとえばソーディアン君の物語だったり、レオン君の、あるいはリリティア君の物語でした。けれど、このたびのカリバーン王国への修学旅行において始まるのは、間違いなく君の物語なのですよ」
「……根拠をうかがっても?」
「嫁の実家に行く時、男は誰でも主人公になるのです」
カリバーン王国へ修学旅行が決定したのは、レオンという生徒の中に聖剣がある(?)という事態が発覚したせいで『調べるから来いよ』と言われたのが原因だが……
その時に宿泊先などの面倒をみると名乗りを上げたのは、カリバーン王国三大公爵家が一つ、ソーディアン家である。
つまり、ナギの書類上の妻にあたるエリカの実家だ。
なるほど確かに嫁の実家に行くシチュエーションである。
まあ、エリカと婚姻関係を結んでいる理由ももうないし、エリカだっていつまでも自分みたいな取り柄のない平民を夫にしておくのは将来的にどうかなという感じだろうし、ちょうどいいから事情を話して別れようかなとナギは思っているぐらいなのだが……
それよりもナギは気になったことがあった。
「学園長、もしかして結婚のご経験が?」
「実はベテランですよ。前世をふくめて七回結婚していますからね」
「『何度だって禁煙してるのでその道のプロ』みたいなこと言い出した」
「私の場合はちょっと事情が異なりますが。まあ、しかし、相手がたのご両親にあいさつをするシチュエーションは未経験ですね。がんばってください」
「参考にならない……」
「それで、しばらく会話ができない状況になりますので、今のうちに話すべきことを話そうと思い、本日はこうしてお呼び立てしたわけです」
「教員免許での通話は学園外とはできないんですっけ?」
「できます。しかし、私が受け取れるとは限りませんので。疑問、質問、いっぱいあるでしょう? なので暇を見つけて、こうして時間をいただいたというわけです」
「まあ僕の暇は『どこ……?』みたいな感じですが……」
新学期も始まっていないうちから色々ありすぎた上に、赴任が新学期開始二週間前で、なぜか始まり早々に修学旅行の引率をするという無法極まりないスケジュールになっているので。
まあ学園都市の教師は『外』とか『前世』とかの学校の教師とはだいぶ業務内容が異なるようで、用務員とか事務員とかに近いのだけれども。
「それに学園長、質問と言われましても。聞くべきことが多すぎて『何がわからないかわからない』みたいな状態です」
「では話題デッキを開示しましょう。『文明のリセット』『【文字化け】』、このあたりでしょうか」
「あー……」
生徒には『魔王』であるリリティア・グリモワールがおり、彼女も当然、修学旅行に同行する。
そして『魔王』とは【
その【
学園都市およびグリモワール王国は、この魔王に教育を施し、スキルを制御させることによって『文明のリセット』を回避しようとしているわけだ。
ナギはそこまで整理してから、浮かんだ疑問を口にした。
「まず、『文明のリセット』って、本当に可能なんですか?」
「ふむ?」
「人が消えて世界人口が半減するとか、消えた人にかんする記憶や記録が消えるとか、そういう話はされましたけど……なんていうのかな。たとえばスマホを作った人がスマホを作った記録ごと消えても、手の中のスマホは消えないし、それを使用することはできると思うんですよね」
「君の意見はまったくもって正しい。実に素晴らしいことです」
「そろそろ学園長との会話も慣れてきたので、今のが落とすための前フリであることがわかります」
「では落としましょう。確かに手の中のスマホは消えない。この世界風に言えば、石工が消えてしまっても、石工の削り出した石材で造られた建物は消えないし、消えてしまった石工が担当した石だけなくなることもない」
「はい」
「スマホ。いいですね。スマホ技術者がごっそり消えても、確かに手の中にスマホは残るし、起動するし、アプリゲームもできるでしょう」
「はい」
「しかしOSの更新はされないし、新しい機種も生まれなくなる。『今、手の中にあるもの』は残っても、『これから生まれる最新型』が生まれなくなるのです。『文明のリセット』とは、『技術ツリーの伐採』をふくみます。そして、伐採されたツリーは、少なくとも五十年は生えることがなく、『そこにかつて枝が伸びていた』ということさえ認識されなくなります」
……かつて『魔王』が発動しかけたらしいグリモワール王国では、いまだに『魔王』をうまく認識できない。
あの国では最新の魔王が五百年前のイトゥンということになっていた。
「……なるほど。つまり、該当技術者が消えたあとに残った技術は、『なんだかわからないもの』……オーパーツ化してしまうんですか」
「その通りです。それは、今、君が想像している以上に恐るべきことだと思いますよ。この脅威をはっきりと認識するには、経験してみるしかないと私は考えています」
「……そんなトンデモスキルを本当に制御できるんですか? 第一……リリティアさんは【文字化け】を読めるんですか?」
制御する。
すなわち『マスタリー』に至る。
そのためにはスキルの
「【文字化け】を言葉として認識できるのは、異世界転生者だけなんでしょう?」
魔王の脅威に抵抗するために、あるいは魔王を探して崇めるために、【文字化け】の研究はかなり力を入れてやられているらしい。
それでもなお、【文字化け】を『模様』として認識するのが精一杯というのが現状のようだ。
生粋の『この世界の人』には、【文字化け】の文字をうまく認識することができないのだとか。
それは、ようするに……
「リリティアさんも……というか、【文字化け】を持っている人は全員異世界転生者で、いつか記憶に目覚める可能性があると?」
「それはおそらく違います。どちらかと言えば、潜在スキルが【スカ】である者が異世界転生者かと」
「じゃあ、リリティアさんはスキルの制御をできないのでは?」
「かつて一例だけですが、【文字化け】を読むことができた現地人がいました。【
「……えーっと、現状を整理しますね」
「どうぞ」
「リリティアさんが【文字化け】を読めるかどうかはわからない」
「はい」
「そして読めたからといって、スキルを制御できるとも限らない」
「そうですね。少なくとも私の知る範囲で、【
「そして学園長がリリティアさん教育計画を打ち立てた段階では、リリティアさんが協力的かどうかも未知数だった」
「そうですね」
「………………めちゃくちゃ細い糸をたぐろうとしてませんか?」
「おっしゃる通りです」
狂ってる。
それで失敗した時、失われるものは人命━━いや、
あまりにも頼りない計画。
というか、博打。
『文明』を担保にやっていいギャンブルではない。
けれど……
ナギは、学園長の方針に賛同できてしまうのだ。
なぜなら、
「……まあ、僕らは教育者ですからね」
「そうですね。我々は『とりあえず教育してみよう』というところから始めるべきです。……ああ、君は勘付くだろうから言っておきましょうか。もしもダメそうなら、我々はリリティア君を殺す方向に計画をシフトします。そのさいにはおそらくアルティア君をはじめ、今まで味方だった人のいくらかが敵に回るでしょう」
「僕も敵に回るかもしれませんよ」
「なので先約を入れておきます。その時には私を助けてください」
「僕は別に見境なく先約を入れた人を助けるわけじゃないですよ。少なくとも、それをあてこんで利用しようとするなら、そこそこ不機嫌にもなります」
「なるほど。これは失敗してしまったかな」
……などと言うが、とても額面通りに受け取れる言葉ではない。
この学園長、わかったうえであえて敵対するように挑発してきた可能性もあるのだ。
まあ普通に人の心の機微がわからなくて地雷を踏んじゃっただけという可能性も高そうだし、だからこそ厄介なのだが……
「……そういえば会話デッキにない質問が浮かんだのですが」
「私のコミュ力が許す範囲で答えましょう」
「どうして神殿を滅ぼすとか言い出したんですか?」
なにやら学園長側には物語がありそうだし、ナギも最近ちょいちょい神殿が学園都市をおびやかそうとする様子は知っていた。
なんとなく、神殿にとって学園都市が邪魔なのかなーぐらいの感じもある。
だが、相手はこの世界に根付いた宗教なのだ。それを滅ぼすリスクというのは、ちょっと想像もつかない。うまいこと融和していく方がいいようにナギとしては思うのだけれど……
「ナギ先生に一つ前提として申し上げておきたいのは、私が神殿を滅ぼす意思を示した理由に、神殿が私を滅ぼそうとしている状況があったということです。私の攻撃性は、自己防衛のためのものなのだというのは、理解していただきたい」
「神殿、結構好戦的ですね……」
「というより、神殿の現トップである
「なるほど……」
「いえ、私は人生の目標を『歩み寄り』においているぐらいなので、そこで『なるほど』と言われると複雑な気持ちなのですが」
「でも心当たりはあるんでしょう?」
「ないんですよ。相手が打ってくる手で相手の目的が『ヘルメスからすべてを奪い、殺す』というものだというのはわかるのですが、その打ち筋を選んだ動機がわからない。カードゲームでも『やりたいコンボはわかるがそのコンボを主軸のデッキを組んだ理由までは察しきれない』ということがあるかと思います。あの感じです。特にtierの低いデッキが相手だと余計にね」
「まあ……わかってしまいますけど」
そういうのは往々にして『趣味』だ。
あるいは『なんとなく』と言い換えてもいい。
つまり、他者がその理由を推察するのはほとんど不可能である。
「しかしまあ、学園長、あなたは恨みをかいそうだから……」
「私から見ると、君の方こそいつか複数人の女性に背中から刺されそうな感じに見えます」
「それは本当に心当たりがないですね……」
「ないのか……」
なんだか微妙な空気になってしまった。
お互いに『確信はしているがうまく言語化できない』という感じだ。
学園長が咳払いをした。
「……そういうわけで、話すべきことは以上でしょうか」
「えーっと……ああ、『聖剣』についてはなにかご存知ですか?」
「それは本当にわかりません。私の人生経験においても該当するケースが見当たらない。是非ともレオン君には聖剣の実物を見せていただきたいのですが……まあ、追い詰められないと抜けないたぐいのものでしょうね」
「ふぅん? ……あ、ハイドラ先生は修学旅行についてきますか?」
「本人は行きたそうなので仕事が片付けば行くでしょう。私も頼まれれば許可はしますので」
「行きたそうなんですか?」
「旅行でもしないとやっていられないそうで」
「それはなんていうか、いらしても引率役としての仕事はさせない方がよさそうですね……」
「ソーディアン領は南西に海がありますからね。リフレッシュにはいいでしょう」
「泳ぐんですか?」
「たぶん見るだけかと」
「海に行って見るだけ?」
「ナギ先生、年齢を重ねるとね、海は『入るもの』ではなく『見るもの』になるのですよ。君もいつかわかります」
「わかりたい話ではなさそうな気がします……」
「というか君、合計でどのぐらい生きているのですか?」
「五十年はいかない……いきませんね。でも、僕は前世の記憶はあくまでも『記憶』って感じで、たぶん今生の意識が強いです。まあ、最初から無意識にある程度混ざってる感もありますが……」
「それはいい。そうか。君の故郷は『ここ』なんですね」
そう言いながら浮かべられた微笑みは、これまで学園長がよく浮かべていたものとどこか決定的な違いがあるように思われた。
だが、その『違い』がうまく言語化できない。
「ナギ先生、いろいろとやることはありますが━━よい旅行を」
「……まあ『いろいろ』の中身がドロドロ濃厚すぎて楽しめるかはわかりませんが……よい旅行にはしたいと思っています。生徒のためにも」
「大変素晴らしい。嫁の実家へのごあいさつの模様はあとでレポートにまとめて提出してください」
「それは業務ですか?」
「私の興味です」
「では、お断りします」
「残念です。ならお土産をお願いします」
そういうことで、ナギはようやく解放された。
……少しどころじゃなく気になる情報がいくつもあった気がするが、まあ差し当たって知っておくべきことは知れた気がする。
なんらかの深刻なチェック漏れもあるかもしれないが、最近の激務の中でいきなり呼び出されたにしては脳も働いていたのではなかろうか。
乾いた風がようやくやわらぎ始め、日差しがついに汗ばむほどの熱を地上に伝え始めるころ、ようやく、ナギの教師としての業務は始まりそうだ。
イレギュラーな事態だらけでイレギュラーがレギュラーになりつつあるが、今度の修学旅行こそ何も起こらないといいな、とは思う。
まあ。
この時期に修学旅行がインターセプトしてきた時点ですでに『何か』は起こっているし……
カリバーン王国。
神殿。魔王。聖剣。
あと、嫁の実家。
……何も起こらないはずがないのは、もう、手札を見ただけでわかりきっている感じでは、あるのだけれど。
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