第26話 『あいつ』

 ナギがレオンと路地裏で遭遇する前の話だ。


「勘違いしないでください。私の好みは『権力者とツテがあって、安定した職業についていて、歳下の、かわいい系のイケメン』です」


 唐突になんの話かと思ったが、どうやらそれは、これから述べる用件の前振りらしい。

 この無意味な前振りからしてさほど緊急性のある用件だとも思えなかったので、ナギはテーブルの上に広げていた『学習指導要項』の冊子を閉じて、椅子の背もたれに深く背中をあずける。


 授業開始まであと一週間。

 ナギはとりたてて学業を修めていない。


 だから直属の上司に「はいこれ、授業開始までに読んでおいて」と言われて渡された資料を読みつつ、心構えをしておくしかないのだ。

 ……その『渡された資料』が床に積むと幼児の身長ぐらいの高さになる分量なので、ナギの生活はほとんど資料読みに支配されてしまっているわけだが。


 そんなおりに唐突に来た通話をナギは休憩時間と認定する。

 窓の外に見える街並みはとっくに夜だった。煌々と明かりの灯るビル街……この世界で生まれてからトリスメギトスに来るまでは、見ることもないだろうと思っていた景色がそこにある。


 だからのんびりと通話相手のアリエスの声に耳をかたむけて、「どういうご用件かな?」と問いかける。


 するとアリエスはよく通るハキハキした声でこう述べた。


「クラスメイトが危ない連中に追われてるらしいんです」

「……あの……学園都市の治安どうなってるの……?」


 ナギは入学二日間で『大量の暗殺者に襲われる生徒』とか『街一つ消滅』とかの事件にでくわしている。

 そして今回は『学生が危ない連中に追われている』だ。この都市の治安維持機構に問題を感じてしまうのもやむなかった。


 というか、たぶんまた学園長が何かをたくらんでいる気配がする。『若者、成長、試練』という言葉をつらつら語る学園長の、うさんくさい笑顔が頭の中で踊り始めた。


「いえ、まあ、そいつが危ない連中に追われるのはいつものことなんですけど……」

「学園都市の治安どうなってるの?」

「表通りはかなり治安がいいですよ。エリカが好きなスラム街とかは不法滞在者が勝手に増改築して『ダンジョン』とか呼ばれてますけど……」

「治安……いやでも、まあ、都市部でも表通り以外はそんなもんか」


 この世界の治安はナギの前世に比べてまあまあ悪い。

 そしてナギの前世も都市部の裏ではわりと変な事件が起こることがあった。どれほど監視してもどれほど管理しても、『行き届かない暗闇』というのは存在するのだろう。問題はその『暗闇』が入学したてのナギに次々『ここにいますよ、闇』とアピールしてくることだ。


「追われているやつは『学園正義連盟』の一人でして」

「何その反社会的な集団」

「社会に裁かれない悪を発見次第向かっていって殴ってスッキリするという連盟です。……あ! 部活動として申請したら通ります?」

「通る気はするけど予算は出ないと思う」


 ちょうど今、部活動にかんする項目を読んでいたところだ。

 学園の部活動の立ち上げは『起業』とほぼ同義だ。そのコンセプトが認められれば学園の対応した委員会から予算が降りる。

『学園正義連盟』が警備員的な活動を表明するなら物好きが予算を降ろそうとするかもしれないが、アリエスのはたぶん違う。シティで悪者をハントする系だ。人狩りに金を出すほど狂った人がいないことと、正義をいち部活動に委託する危険思想の持ち主がいないことぐらいは期待してもいいだろう。


 ナギは気を取りなおすためにため息をつく必要があった。


「で、あの、のんびりしてるようだけど、状況はまずいんじゃないの?」

「まあ、あいつならなんだかんだ大丈夫だと思いますけど。エリカの件にも巻き込まれたけど生還してますし」

「そうなんだ」

「でも今回はちょっとことがことなんで、先生にご報告すべきかなって」

「ふぅん。どうしたの?」

「あいつ、ついに人さらいに手を染めたようなんです」

「それ僕の仕事かな……」


 学園の治安維持には『ガード』と呼ばれる組織がいる。

 どうにも実態を聞いてみると『ガード』と呼ばれる治安維持組織はせいぜい『司令塔』の役割で、実際に現場に行って悪者を拘束したり鎮圧したりするのはガード下部組織の『風紀委員会』……が予算を降ろしている警備系の部活動のようなのだが……

 ともかく全員が持っている生徒手帳からでも、あるいは学園ギルドという学園内の総合事務案内所でも、どこからでも通報先はガードになるし、ガードというのは治安維持機構として学園内の人たちに認識されている。


 なので学園の治安についてお困りの人から『教師に相談』というフェイズは発生し得ない。

 だからアリエスからの連絡理由を考えて、


「……もしかして生徒から誘拐犯が出ると教師の世間体が悪くなるっていう忠告?」

「いえ。というか生徒の行いで教師の世間体が悪くなるなんていうことあり得るんですか?」

「あり得ないの?」

「関係ないと思いますけど」


 ここもトリスメギトス独特の価値観だ。

 生徒の権限が強いこの学園都市において、教師の『監督責任』は弱い。つまり生徒に何かをさせようと思ったら教師自身の実力を示して生徒を従えないといけない代わりに、生徒が勝手にやっちまったことに対して教師が責任をとることもないのだ。


 だいたい、そこで責任を問われるなら入学初日で妻になった生徒のエリカが、外部から来た聖女を相手に剣を抜いて留置場でお世話になった時点でナギの世間体はおしまいになっている。

 あと、ナギの正式な勤務開始日は来週なわけだし、この時点で確かにどんな責任が発生するんだと言われればその通りではあるが……


「なんだかまだ、この学園の『感じ』になじむには時間がかかりそうだよ」

「ゆっくり育んでいきましょうね。私も相談に乗ります! 個人的な悩みとかもぜひ!」

「あの、僕のクラスの子が誘拐しちゃった話について掘り下げてほしいんだけど」

「ああ、はい。私、ナギ先生が授業開始時に舐められないように根回しをしてたんですけど」

「そんなことしてくれてたの?」

「ええ。学園都市の生徒は……っていうか、うちのクラスは全員こう……アクが強いので。でもあんまり先生に舐めた態度をとるとエリカがキレますし……」

「さすがにそこまで沸点低くないと思うけどな」

「エリカの沸点が低くないなら全人類の沸点について見直しが必要だと思います。……まあとにかく、みんなに連絡していたところだったんですよ。で、偶然レオンの番でして、あいつならこの時間もきっと何かに巻き込まれているだろうから起きてるかなと思って通話をしたわけです」

「レオン君ね」


 受け持つクラスの生徒たちのことは真っ先に頭に入れた。

 これは『前世』の経験ではなく今生の教育の成果だ。アンダーテイル侯爵領で未来の貴族家当主となるべく教育を受けていたナギは、社交界に挑むにあたって数々の人のデータを頭に入れるように叩き込まれていた。

 相手に興味を持つことが社交の第一段階であるというのがカイエン・アンダーテイル侯爵の教育であった。

 そして『興味を持つ』というのは、『相手のことをよく知る』ということである。実際に心の中に興味がわかなくても、興味を持っているかのように振る舞うことはできる。というか多くの場合、そうしなければならない。だからナギは得られる『かかわる人』のデータは全力で覚える習慣を持っていた。


「……潜在スキルは【闘士】。ずいぶん大柄でコワモテの子だったよね。今年十八歳になったばかりか。出身は農村。先天スキルはありそうな感じがするけどさすがにデータにはないな。……彼、そんなにいろんなことに巻き込まれる人なの?」

「超巻き込まれます」

「そうなんだ……」

「私もあいつの先天スキルは知りませんけど、たぶんなんかそういうスキルなんじゃないかなと思うぐらい、いろんな事件に巻き込まれます。なので『女の子拾ったんだけど』って言われて『また? がんばって』と返したんですけど……」

「いや、それはどうなんだ……」

「あいつ、いいやつなので、何かあったら先生には味方になってもらいたいんですよ」

「……」

「人さらいとかする性格じゃないので、今回も何か事件に巻き込まれたんだと思います。だからその、あとから悪い噂とかが聞こえても、先生にはあいつのこと理解しておいてほしいなって……」

「アリエスさんはレオン君のこと好きなんだね」

「いえ、それとこれとは別問題です。私が結婚相手に望むことは『安定』なので」

「そういう意味じゃないです……人間として、というか」

「そうですね。うちのクラスに三人しかいない常識人のうち一人なので」

「他の二人は?」

「私と……」

「あ、うん。わかった」


 その基準はあてにならない。

 ナギは苦笑しつつ、


「……でも偉いね。アリエスさんなら『変なやつらに追われてる』って報告されたらすぐに飛び出しそうだし。自分の身を危険にさらさなくなったのは成長だと思うよ」

「いえ、今、別件の最中でして」

「……」

「ちゃんと安全は確保してます! 先生の言いつけには素直に従っていますから! その証拠に【拳聖】とかは出てきてません! ね!?」

「……ほんと、危ないことはやめなよ。というか僕は行かなくて大丈夫?」

「もう終わってますから。あとは事後処理というか、まあ、その……とにかく、レオンのことよろしくお願いします」

「ちなみに彼が今どのへんにいるかはわかる?」

「たぶん十三区画の四番街あたりじゃないですか? この地区で事件が起きやすいの、城壁がまだ薄い四番地区か十三番地区、それと九番地区あたりですし。新設された城壁の陰とか悪者の吹き溜まりっぽくておすすめですよ」

「……わかった」

「また今度エリカに内緒でデートしましょうね。エリカの知らないところとかたくさん知ってますし」

「エリカさんに内緒でデートしたことは一度もないので『また今度』という表現には恣意的なものを感じるな……」

「先生、ガードが固くないですか?」

「先生が生徒に対してガードがゆるいのはどうかと思う」

「あっ、やばい。と、とにかくそういうことですから!」

「何があったの?」

「いえちょっとその、とにかく切ります。あいつのこと、よろしくお願いしますね!」


 慌ただしく通話が切られる直前、「『フェ二クス総合警備保障』だ! オオカミ女! 今度こそ捕まえ」というような発言が漏れ聞こえてきた。

 ……あっちもあっちで物語がありそうだが、まあ、あの感じならひどいことにはならないだろうと思う。もし捕まっても留置場まで迎えに行けばいい。


 だからナギはため息を一つついて、アリエスからのお願いを遂行することにした。


 つまり━━『あいつのこと、よろしくお願いします』。


 立ち上がって背伸びをして、とりあえずおすすめの四番街に向かうことにした。

 人探しをするなら、【上級狩人】がいいだろうか。……場合によっては使いそうなので、今日は弓でも持って行こう。短弓だが、ないよりはずっといい。この学園では思わぬところで思わぬ荒事に巻き込まれるのだと、ナギはもう知っているのだ。

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