第15話 救護室

「はいはーい。今帰りましたよ、っと。飯はないんすか?」

「素晴らしい」

「何も素晴らしくねぇんだわ。余計な面倒ごと増やしやがってよド変態のクソが」


 外界の光から完全に隔絶されたその部屋では、主人が中身のないワイングラスを揺らし、何かを味わうように目を閉じていた。

 ラミィはため息をついてまともな会話をあきらめると、部屋の隅にある紫色の照明を灯してそばにあるソファに寝転がる。


「んんー……おや、ラミィ、お帰りなさい。血の臭いがしませんね?」

「落としたし着替えたわ。で、飯は?」

「ラミィ、私はね、解いたはずの問題が足を引っ張るような事態は避けたいと思っていました。ところが、存外、そういうのも悪くないのかもしれません」

「アタシが今までしてた仕事なんだったんだ? 殺すぞ」

「学園外部から【聖女】がおとずれました。……すべての生徒を平等に見ることこそ、教育者としてあるべき姿……ですが! ソーディアン君への好奇心が高まるのを抑えきれそうもないのです!」

「年齢をお考えになってくださいませクソジジイ。テメェが若いのは見た目だけだろうがよ。十六歳の女の子への好奇心が抑えきれないとかいうのやめろ。なんらかの罪に問われますよ」

「この世界にただ一つ存在する罪は、『若者の未来に立ち塞がること』だけだと私は考えています」

「立ち塞がるじゃん、アンタ」

「だからこそ、我らは『悪』なのです。さて……」


 黄金の瞳が開かれて、空のワイングラスに注がれる。

 本来は液体が入るはずのそこには━━男の目にだけ映る、学園都市の映像が入っていた。

 それを転がすようにグラスを振って、男は笑う。


「……私は君にも注目していますよ。『若者』とは、年齢でもなければ、立場でもない。もちろん、人生経験でもない。君が成長をする限り、君は若者なのです。そうでしょう? ねぇ、私のご同輩の君」


 グラスの中に、男は誰かの姿を見ていた。

 それが誰なのか、余人にはわからない。



「それで、エリカさんはどうなったんですか?」

「捕まった」


 目覚めたナギはハイドラに情報確認をしていた。

 真っ白いベッドがいくつも並んだ空間は学園に数ある救護室のどれかだろう。ナギが意識を失った地点から逆算すれば、たぶん、十三地区の十三番街か十四番街といったところだろうか。


 ハイドラが着ている白衣がヨレているのはいつものことだったけれど、その顔にあるのは『いつものこと』とは言えないとても濃い疲労のように感じられた。


「聖女からソーディアンさんに接近したようだ。そして、二人は導かれるように出会い、流れるように言い争いになり、ソーディアンさんが魔法剣を抜いて斬りかかった」

「それで捕まるんですか?」

「君ね、剣を抜いて斬りかかったら普通、捕まるんだよ」


 とはいえナギは学園都市に来てから荒事に出会うことがあまりにも多かったので、もしかしたらこの都市では剣を抜いて斬りかかっても捕まらないんじゃないかという可能性も一応想像していたのだった。

 ちなみにアンダーテイル侯爵領ではもちろん捕まる。帯剣自体をとがめる法はないが、人の居住区で許可なく、もしくは緊急時以外で剣を抜くと、抜いただけで衛兵が取り押さえる理由になるのだ。


「まあ予想できた流れだけに大事に至る前に抑えられたが、ソーディアンさんはたぶん、またやるぞ。というか聖女と会話するたび剣を抜くほどキレると思う」

「どうして」

「聖女と話してみればわかるはずだ。あれは性格的にソーディアンさんとあまりにも相性が悪い」

「エリカさんと相性のいい性格の持ち主ってそんなにいます?」

「少年、覚えておきなさい。発言をする時には発言者の性質も見られているんだよ。つまり『お前が言うな』と私は思っている」

「いえ、僕は相性がいいほうだと思っていますよ」

「そうだな。だが、相手はそう思っているかどうかわからない。……話を本題に戻すけれど、とにかく聖女は正式な入学者になってしまったので、これから超面倒くさい裏方のあれこれが大量に発生し、私は忙殺される」

「それなのに僕の看病を?」

「君に一言言っておかないと安心して仕事に打ち込めないという理由で、覚悟を決める時間をもらっているんだ。私は基本的に余計な仕事はしたくないと思っている。余計な仕事をする前にはね、だらだらしながら覚悟を決める時間が必要なんだよ」

「その『余計な仕事』は神殿関係者としてですか?」

「なおかつ学園教師でもあるからだね。最近の私の運勢はどうなっているんだ? 君を契機にして次々と面倒ごとが舞い込んでくるのだが? ……いや、さすがにこれは言いがかりか……すまないな」

「いえ」

「とにかくこうなっては君の仕事はただ一つだ。どうしても接触しようとする聖女と、聖女から逃げようとしないソーディアンさんはこの広い学園都市の中できっと頻繁に出会い、そのたび刃傷沙汰になるだろう。君はソーディアンさんの夫として彼女の苛立ちをどうにかしてくれ」

「エリカさんは捕まってるのでは?」

「そろそろ釈放になる。さすがに剣を抜いて斬りかかっただけではそこまで長く勾留できないんだ」

「剣を抜いて斬りかかったのにか……それって『お前を殺す』って意味の行動だと思うんですけど」

「正確に言おう。聖女のほうが罪に問う意思がない。よって我々にはソーディアンさんを留置場に留めおく大義名分がないのだ」

「剣を抜いて斬りかかられたのにか……しかも魔法剣をですよね?」

「聖女はそういう性格なんだ。だからソーディアンさんのフラストレーションがこのままだとまずいレベルまで溜まることが予想される。【燃焼】持ちの魔法剣が強固な『ぶっ殺す』という意思で振るわれてみろ。街が一つ消える事態になるぞ。そうなるとソーディアンさんはさすがに学園に置いておけない。……いやあの学園長ならどうかはわからないが、とにかく君もそれは困るはずだ」

「わかりました。全力を尽くします」

「素直な時の君は好ましいと思うよ」

「ところで聖女さんのほうを拘禁しておくわけにはいかないんでしょうか?」

「なんの罪もない学生を拘禁するっていうのはね、一般的に『拉致』っていうんだよ」

「できませんか?」

「伝わらないようなのではっきり言おうか。できないよ」

「……まあ、僕が思いつく対策はだいたい『できない』んでしょうね」

「そうだね。遠ざけようにも二人がおのずから近づいていくし、それを強制的に止める法的根拠がない。よかったね。君、法的根拠好きだったろう?」

「え? 別に……」

「ははは。こいつめ。……そういうわけでね、君の腕は復元しておいたから、引き続きソーディアンさんとご機嫌なデート大作戦をしてきてくれよと、そういうことを言いふくめたくて起きるのを待っていたんだ。というかなんだあの腕のちぎれかたは? 【拳聖】にでもぶん殴られたのか?」

「よくわかりますね?」

「幼いころからいろんな傷病を見せられてきたからね。……まあ、事情は知らないので私は君にこうして引き続き仕事を依頼するわけだが、大丈夫かな? ソーディアンさんとは別な厄介ごとに巻き込まれている最中なら配慮するよ?」

「大丈夫です」

「言葉というのは何を話すかより誰が話すかだな。信用ならない。……まあ信用するしかないのだが。ああ、そうそう、手伝い要員に志願した者が部屋の外で待っているから、合流してことに当たるように。では」


 ハイドラは白衣のポケットに手をつっこんで、深く深くため息をつきながらトボトボと救護室を出て行った。

 もともと覇気にはとぼしい人だったが、その後ろ姿はなんだか出会った当初より十も二十も老けているように思えた。昨日の今日なのに。


 時刻は昼━━救護室の壁にはナギからも見える位置に時計がある。十二時間表記の時計。『一秒』が前世の一秒よりやや長いきらいはあるが、おおむね前世と同じく時間や一日や週や月がすぎていく。とはいえそれは、自転・公転をもとにした暦ではなさそうだし、そもそもこの世界が球体かどうかも不明なのだけれど。


 ベッドを出るさいに自然に右手をついていた。

 袖は消失しているが、それ以外は腕がちぎれたのなんかなかったみたいに『以前の通り』だ。

 神官でも上位なら欠損部位の復元ができるということだが、それはしばらくぎこちなかったり、ひどい時にはずっと『なにか自分の体ではないものがくっついている』という感覚になって、せっかく生やしてもらった部位を再び切除することを望む人さえいるようだった。

 ところがナギの右腕はなんともない。むしろ、以前より健康的で血色のいい、『理想的な体調』になっているような感さえある。


 先天スキル、潜在スキル。


 神より賜るとされるそれは、人にとって道標みちしるべなのだという。

 人は自分の将来のことさえ自分では決められない弱者だ。だから神がスキルというかたちで将来の道を示唆してくださる。それに沿って生きることが人の幸福であるのだとか。


 それは『神』というよりもディストピアの『管理AI』というほうがしっくり来た。この世界はファンタジーではなくSFなのかもしれないとナギは思う。思ったところで起こせるアクションは一つもないのだけれど。


 ともあれこの世界の神は『いる』とされている。それはスキルというかたちをとって威光を示し続けており、だからこそ神官系の先天スキルを持つ者は鑑定という権能を授かって人が神にどう造られたかを見ることができるのだと言われている。

 そういう考えが支配的だからこそ、この世界には『神を疑う』という発想が少なく、最大宗教以外の宗教はすべて『滅ぼすべき邪教』と扱われていた。


 聖女が神殿に追われながら宗教的亡命をするというのは、だから、大事件なのだ。


 いまいちピンとこないナギでも、さまざまな問題が併発しているのがわかる。

 そこまでして学園都市に来ておいて、聖女のやってることはエリカを煽り散らすだけなのだ。意味がわからない。いや、煽ってるつもりはないんだろうなとハイドラの説明からはわかるのだけれど、結果が煽ってる。


 ガチャリとドアを開けると、救護室外にあるベンチに座っていた少女がスッと立ち上がった。


 アリエスだ。ずっとここで待っていたのだろう、その顔には濃い疲労が浮かんでいて、栗色の髪がへたって頬に貼り付いていた。『そういえば死ぬ母親の髪型だな』とナギは思った。


「先生、ごめんなさい。私が巻き込んだせいで、腕がちぎれたり、お仕事の邪魔になってしまったり……」


 そういえばそうだった。

 とはいえナギは気にしていない。あの状況なら『血の臭い』がわかればナギもそちらへ行っただろう。

 なにせ、ハイドラが感じていた『聖女とエリカが接触することのまずさ』にいまいち共感できていなかったのだ。それは近場で感じ取れる血臭よりも優先すべきものには思えなかった。

 今はわかっている。街が一つ滅びかねないとまで言われてしまえば、さすがのナギにも危機感がわいてくる。まあ、実に『今さら』だ。してしまった行動を変えることは神にだってできないだろう。


「気にしなくていいよ。腕もほら、生えてるし」

「だからそういう問題じゃないと思うんですけど」

「……まあ、教師として言うなら、ああいう危ない事態が起こった時には自分で突っ込むんじゃなくって、学園の、何? 衛兵的なもの、いるんでしょう? そういうところに知らせるべきかなって思うよ」

「でも……ガードに知らせたら私が悪を倒せないから……!」

「そこだけ反省してほしい。君は悪を倒さなくていいから。というか僕が怒るとしたら、君が一人で突っ込んでいた場合、君が死んでたことが理由になるかな。君の行為はとても危険なんだ。昨夜、君は偶然死ななかっただけ。そこだけ覚えて帰ってほしい」

「わかりました。償いとして私、先生のお手伝いをしようと思っています」

「いや、帰ってほしいんだってば」

「先生、私、ここで先生の無事を祈っているあいだに、大変な事実を思い出していたんです」

「何かな?」

「私……エリカの連絡先、知ってます」

「……」

「直接会いに行かなくても、エリカを通話で呼び出すこと、できました……」

「…………」

「ごめんなさい。本当は先生と同伴帰宅したくて黙ってたんです。先生も忘れているようだし、まあいいかなと思って……それがこんな事態につながると思ってなくて、それで……」

「……まあ、いいよ。過ぎてしまったことだから」

「先生、私の力は必要ですか?」


 ナギは悩んで、悩んで、悩んで、悩んで……


「そうだね。エリカさんを呼び出してほしい」

「先生のお手伝いができて嬉しいです。これからもよろしくお願いしますね」


 ため息をついた。

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