第14話 学園長付き秘書ラミィ

「先生、道案内の途中ですが、ちょっと付き合っていただけますか?」


 そう言って路地裏のほうに引き込もうとしてくるので、ナギは困ってしまった。

 今はハイドラに頼まれてエリカとデートをしに行こうというところなのだ。正しくは『エリカを学園都市西門に近づけないようにするところ』で、それにはまずエリカと合流せねばならず、その合流の途中である。


 だから時間はない。


「申し訳ないけれど、緊急じゃないのなら案内を優先してほしいと思っているんだけれど……」

「血の臭いがするんです。一人で行ってもいいんですけど、ご案内が半端になってしまうのでちょっと付き合っていただけたらなって……」

「わかった。行こう」


 ナギにはなにも感じ取れないけれど、アリエスがそう言うならきっとそれは真実なのだろう。


 アリエス。

 先天スキルは【獣化】。

 潜在スキルは【上級狩人】。


 会話の中でコピーされたのはそういったスキルだった。【獣化】の本領は変身することによって発揮されるようだけれど、通常状態でも身体能力、特に嗅覚にかなりの補正がかかるようだ。

 加えて【上級狩人】。彼女が『血の臭い』を誤ることはまずないだろう。


「走っても大丈夫ですか?」

「……がんばるよ」


 かなり緊急性が高い案件らしく、アリエスが急かすように問いかけてくる。

 今日一日ですでに【下級剣士】【中級剣士】【魔法弓師】とスキルを三つも消費してしまっているが、この焦り具合から出し惜しむところではないと判断する。

 ストックに余裕がある【下級剣士】を発動させ身体能力を向上させ、緊急時に向けて【中級拳士】……素手で戦うスキルの発動も視野に入れておく。相手によっては安物の剣を一瞬で折られる事態もあり得るかもしれないので。


 アリエスはナギの手を握ったままググッと体を沈み込ませると、爆発したような勢いで走り出した。

 狩人系のスキルによる加速ではないだろう。おそらく【獣化】のほうの恩恵だ。変身後が本領というスキルのはずだが、変身前でもこれだけの身体能力補正があるのだ。

【下級剣士】では引かれている腕が抜けそうに感じたので、【中級拳士】に切り替える。切り替えても使ったスキルが戻ってくるわけではないけれど、武道系の『先生』はお弟子さんをたくさん連れてることが多かったので、下級の近接系スキルのストックにはまだ余裕があった。


「すごい、先生、下手すると腕だけしかついてこれないかと思ってました」

「ちぎれてるじゃん、その場合」

「血の臭いを嗅ぐと冷静な判断力がなくなってしまって……つきますよ。とりあえず近場の建物から現場を観察しましょう」


 高く跳躍したアリエスだったが、跳躍しただけでは近くの建物の屋根の上にのぼれない。

 しかし彼女は爪だけを【獣化】させるとそれを壁面に突き刺しつつ垂直な壁を駆け登り、屋根の上までたどりついてしまった。

 その身体能力と部分獣化をこなすスキル習熟度もそうだが、特筆すべきはこの間に一切の物音が立っていないことだろう。狩人系スキルには物音を始めとして気配を遮断する技能があるけれど、獣化しつつそれを扱えるぐらいに、彼女は『慣れている』。


「先生……壁を駆け上る女はお嫌いになりましたか?」

「いや、普段から意味もなくやってるならちょっと付き合い方を考えるけれど、緊急時だからね」


 すでに夜のとばりは降りていて、学園暗部である路地裏には深い闇があるだけだった。

 のっぺりした真っ黒な世界は見通しが効かないのだけれど、それはナギにとってだけらしい。アリエスが目をこらすと栗色の瞳が赤い輝きを宿し、闇の中を正確に捉えているようにその眼球が動いた。


「あ」


 間の抜けた声。


「どうしたの?」

「すいません、先生、狼藉者に気付かれました。油断したところを背中からざっくりいく予定だったのに……」

「ところで君、どういう目的で血の臭いを追ってきたの?」

「そりゃあもちろん悪を倒すためですよ。人を傷つける者を倒すことで渇きが癒える感じがしませんか?」

「君が僕のクラスに配属されている理由がわかった気がする」

「……まずい、こっちをにらんでる。先生、あいつヤバいです」

「どうヤバいの? 逃げるべき?」

「間に合いません」


 ズドォン!


 そんな音が間近で響いた。

 もうもうと立ち込める土煙に、腕で顔をかばう。


 それが強引に吹き散らされた向こうにいたのは━━メイド。


 まぶた、耳、唇。顔の左側にたくさんの銀色のピアスをつけた、澱んだ目をしたメイド服の女性だ。

 ボディラインの出にくい服の上からでもガリガリに痩せていることがわかる長身のその女性は、濃いクマの上にある濁った紫色の瞳で、ぼんやりとナギとアリエスを捉えて……


「ウザ」


 心底けだるげに、つぶやいた。


「目撃者かあ。目撃者はどうすんだっけなぁ。……あー、アタシの裁量に任せるんだっけ。指示を手抜きしてんじゃねぇよジジイ。死んでくれ」


「先生、ヤバいです。なんていうかこう、人格がきっとヤバい人です。あの濁った目、見えます? あれは何人か殺してる目ですよ」


「余裕あんなテメェ!? その『何人か殺してる目』のやつが正面に立ってるんですけど。ハァ、クソ。……あー……そうだな、そういうことにするか。テメェらは何も見なかった。それでいこう。生徒とのむやみな争いはあのジジイの理念に反するからな」


「不当に人を傷つける人を見過ごせません。私の力は人を守るためにあるのです」


「…………あ、っそ」


 面倒くさい、という顔になった。

 瞬間、メイドの姿がかすんだ。


 気付いた時にはすぐそこにいて、振りかぶられた拳がアリエスの顔面に迫っている。


 それは【中級拳士】の動体視力では捉えきれなかったけれど、相手が何かしてきたらアリエスを守ろうと心構えをしていたおかげで、腕を割り込ませるのが間に合った。

 二人とも吹き飛ばされたけれど。


「ハァ? なんで反応できんだよ。雑だったかぁ?」


「……っ、う、先生、腕が……!」


 吹き飛ばされた先で、アリエスが悲鳴のような声を上げる。

 遅れてナギは自分の右腕を見た。

 それは前腕部分の半ばから千切れていた。


「ふぅぅぅ……はぁぁぁ……!」


 息吹による痛覚の鈍化と精神の安定をはかる。

 腕がないことの混乱、遅れて噴き出してくる痛み、そういったものにより冷静さを失うことはどうにか避けられた。


 しかし、目にも止まらぬ動きで、ただ一発拳を放っただけでこっちの腕を半ばから千切る相手が正面にいる事実は変わらない。


 ピアスまみれのメイドは、満月を背負って澱んだ瞳をこちらに向け続けている。

 油断さえもなかった。腰をかがめて腕をだらんと垂らした隙だらけの立ち姿だというのに、どう打ち込んでもカウンターで殺される予感がする。

 ナギもアリエスも動けない。


 その状況を打破したのは━━


 ぴるるるるるるる、という高い、そして軽い音だった。


「ちょっと通話するんで邪魔すんなよ。動いたら殺すから」


 メイドが背中のほうに手をやって、なにかを取り出す。

 それは学生証のようでもあり、教員免許のようでもあった。

 ただ決定的に違うのは、本来身分や顔を念写した画像があるべき表紙部分が、真っ黒に塗りつぶされているということだ。


 それ以外は機能もまた学生証と同じようなものらしく、通話に応答して謎の手帳を耳に当てたメイドは、通話先の相手にこう吐き捨てた。


「だから話がなげぇって言ってんだろ。こっちの状況見えてんだろ? まずあんたから死にあそばせ。……あーはいはい。わかった、わかった、わかりましたよ。若者の成長ね。はいはい。ウザ。クソ。ゴミがよ。切るぞ。だから話がなげぇんだよ!」


 ぶちりと通話を切って、メイドがナギたちをにらみつけ、


「アタシは学園理事会のモンだ。今、下で相手してたのは不正入学者で、その討伐任務をしてた」

「えっ、つまり、正義の味方側? その見た目で!?」

「テメェ、ケンカ売ってんのか!? 買うぞコラ! ……まあ、ケンカ売ったのはこっちだな。説明するよか殴り殺したほうが早いかと思ったんだよ。アタシは話が早いのが好きでな」

「会話するより殺した方が早いって、思想が悪じゃないですか!?」

「というか理事会は正義の組織じゃねぇんだわ。悪の組織らしい。アタシもよくわかってねぇけど……いやまあ、どうでもいいわそんなこと。とにかく……腕は【女神】に生やしてもらいな。アタシの活動は公務だ。わかったらとっとと消えろ。アタシは忙しいんだからよ」


「一つだけいいですか?」


 ナギが口を開く。

 メイドは迷うように下を見てから、


「説明するのめんどすぎて殺そうとしたのに、苦しい思いさせちまったからな。一個だけ聞いてやる」

「名前を教えてもらっても? 僕はナギと言います。本日付けで教職員としてこの学園都市にお世話になることになりました」

「お前、アホなの? この状況で自己紹介する?」

「自己紹介は大事ですよ。それに、あなたが本当に理事会の人なのかどうか、あとで確認する必要が発生するかもしれませんし」

「あーあーあー、その理屈は納得だ。アタシは学園理事会学園長付き秘書のラミィってんだ。二度と会うことはねぇだろうがよろしくな。っていうかアタシが出張る事態にかかわるんじゃねぇよ。死ぬぞ」

「善処します」

「確約しろ」

「できません。何に巻き込まれるかわからないものですから」

「そりゃそうだ。まあ、腕は悪かったよ。一撃でぶっ殺してやれば面倒ごとが起こらないと思ったんだが、殺し損ねちまった。ごめんな」


 それは『苦しめてしまったこと』への謝罪であり、『殺そうとしたこと』への謝罪ではないようだった。

 ラミィの言っていることが真実であるならば、彼女は学園公認の組織に所属しているのだけれど、その思想はアリエスの言葉通り『運営側』には思えないもののようだ。


 あるいは、この学園そのものが、人が無意識に『為政はこうあるべき』と思うような倫理観によって運営されていないのか。


(……この人、【拳聖】だ)


 よく死ななかったな、と今さら思った。

 かなり手加減━━というか、舐められていたらしい。


「っていうかテメェら、急いだほうがいいらしいぞ。『さっさと行かせてやりなさい』って言われてんだよアタシは。腕生やしてる暇ねぇから早く目的地に行けよ」

「どういうことですか?」

「テメェの仕事内容まで知らねぇよ。学園長のジジイがそう言ってたんだから、テメェにとって急ぐべき事態が発生してるんじゃねぇの? ほら行け。アタシは戦いの続きがあるんだよ。昼までに帰りてぇからな」


 しっしっ、と手振りで追い払われたので、ナギはアリエスに「行こうか」と告げた。

 アリエスは深く沈み込んだ顔で、こう応じる……


「ごめんなさい先生、私の早とちりに付き合わせたせいで、腕が……」

「まあ生やしてもらうあてはあるからいいよ」

「そういう問題じゃないと思うんですけど」

「じゃあ償うなら、僕を全速力でエリカさんのもとまで、連れて、行っ…………あ、スキルが切れ……」

「先生? 先生!?」


「血ぃ流しすぎだな」

「あなたがやったんでしょ!?」

「テメェらが仕事場に来て殺気向けるからだろうがよ」


 その会話を最後に聞きながら、ナギの意識は途切れた。



 そして、目が覚めたあと、そばにいたハイドラから、このように知らされることになる。


「『聖女』がエリカさんと接触した」


 ……顔も知らない誰かが、手のひらの上で事態を転がしているような、そういう気配を感じた。

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