第16話 『神』と【女神】

「……何よ」


 きらめく赤い髪を肩口でばっさり切りそろえた少女は、手持ち無沙汰そうに顔の横に上げた手で、親指と人差し指を擦り合わせていた。

 そういえばエリカには何か考え込んだりする時には髪の毛をいじる癖があったなと思い出す。昨日、何を思ったかばっさりいってしまったので、いじるべき長い髪がないから、指パッチンのなりそこないみたいな動作をさっきからしているのだろうとナギは思った。


 ちょうどいいので救護室に呼び出したわけだが、エリカは最初慌てたように来たのだけれど、ナギがベンチでアリエスと並んで座っているのを見ると急激に不機嫌そうになり、舌打ちなどして、今はこうして敵対者の距離でにらみつけてきている。


「浮気じゃないよ」


 ナギはなんとなく察して告げた。

 エリカは動きの一切を止めてから、顔を真っ赤にして、


「うっ、浮気とかないんですけど!? そもそもあたしたちの結婚は……っていうか! あたしが嫉妬に狂って今にもアンタに斬りかかりそうに見えたってわけ!? 斬るならアンタより先にアリエスを斬るわよ! 【獣化】で逃げられたら厄介だし!」

「冷静に戦力分析できてて偉いね」

「なんなのよアンタは!? それでなんの用!? っていうかアリエスはなんでまだいるの!? コイツがあ、あたしとデートしたいっていう話だったでしょ!? 帰れよアリエス!」


「いーやーでーすー」


「なんでよ!? 『先生がエリカの連絡先知らないから代わりに連絡しますけど……』って通話口で言ってたじゃない!? もう用事すんだでしょ!?」

「エリカ、聞きましたよ? 偽装結婚なんですって?」

「……」


 赤い瞳が炎でも宿しているかのようにぎらついてナギを捉えた。

 ナギは首をかしげる。


「隠すべきだった? アリエスさんはお友達なのかと思ったんだけど」

「クラスメイトよ。っていうかあたしに友達いるわけないでしょ!?」

「そんなこと言われても知らないよ……」

「だって、あたしと個人的な付き合いなんかしたら、バカのバカなバカにバカされるじゃない! あたしはね、弱みを作りたくないの。だから友達はいない」


「まあ人格の問題もあると思います」


「うっさいわね!? 今のあたしはちょっとなんていうか……普段より剣が出やすいんだから、あんまり怒らせないでよね!」


「僕が呼び出したのは、それがメインの理由なんだ」


「どういうことよ?」


 ここでようやく話ができそうな気配になってきたので、ナギはハイドラからの依頼を正直に打ち明けることにした。


「【聖女】さんと接触した結果、魔法剣を抜いて留置場でお勤めだったんだろう?」

「……ちょっとした外泊みたいなものでしょ」

「教師として無断外泊は捨ておけないよ。まあ、そういうわけで、君のフラストレーションをおもんばかったハイドラ先生に君のストレス解消に付き合うように言われた。……ああ、いや、君を聖女さんから遠ざけるのが主目的なのかな?」

「まあアンタに他人のストレス解消役を求めることはないと思うけど……っていうか【女神】じきじきのご依頼なのね」

「もしかして【女神】を尊敬してる?」

「いや……あの……【女神】よ?」

「たしかにすごい先天スキルではあると思うけど……ああ、そうか。先天スキルを持ってたりレア度の高い潜在スキルだったりすると無条件で尊敬の対象になるよね。まあ【スカ】みたいなものを除いたら」

「っていうか……わからないの? アンタ、どういう宗教観で育ったわけ?」

「どういうこと? 普通の唯一神教を崇めてたけど……」


 唯一神教の神に名前はない。

 なぜなら『神』と呼べばその神のことを指すからだ。

 もっとも、高位の神官などはその名を知っているらしいけれど、畏れ多いとかで広められてはいない。


 この世界においてはその『神』を信じて過ごすのが当たり前になっていて、冠婚葬祭のみならず生活様式や習慣のあちこちに宗教が深く根付いている。

 そしてその『神』こそが人々にスキルというかたちで指針を示してくださっているので、よいスキルを持っているのはそれだけ神から期待され世界にとって重要な役割を持っているので尊敬される━━というような背景があった。

 それをふまえた上で、


「……アンタね、【女神】は『神』が『神』っていう名前を与えたスキルの持ち主なのよ? 本来ならこんな場所で教師なんかしてていいおかたじゃないんだから」

「本来はどこで何をしてるべきなのかな」

「そりゃあ、唯一神教の総本山の奥まったところで……お祈りとかそういう……とにかく、おいそれと拝謁できていいお方じゃないのよ。尊敬の念を抱くのは当たり前じゃない」

「アリエスさんも尊敬してるの?」


「なんかすごい人だなあって思ってます」


 どうにも宗教関係者と根深い付き合いがある貴族と、たまに礼拝に行く程度の平民とでは【女神】やそもそもの『神』に対しての敬意に差があるようだった。

 ナギのこの信心浅さはどうだろう、前世の記憶が目覚めたせいで価値観の変化が起こったと言われればそんな気はするけれど、もともとナギ自身が『神』に対してやや懐疑的だった感もある。

 うっすらと覚えているのは、『神様が僕に先天スキルなんか与えたせいで遊べない』という不満だ。子供だったからしかたない。


 ナギが考え込んでいるあいだ、エリカも何かを考えていたらしい。シリアスな顔をして口を開く。


「……でもそっか、【女神】にまでご心配をおかけしてしまっているのね……わかったわ。聖女の野郎と会っても……なるべく我慢する」

「『聖女の野郎』」

「あいつね! まともに会話しなかった四年間でますます磨きがかかってんのよ! あいつは『優しさ』とか『償い』とかのつもりであたしに会いに来たのかもしれないけど! あたしからしたら『巨大なお世話』なわけ! わかる!? わかんないでしょうね! このムカつきっぷり!」

「『我慢する』って言った直後にキレ出したことでなんとなく伝わったよ。本当に相性が悪いんだね。……っていうか、エリカさんに会いに来たの? それでなんで宗教的亡命とかいう話になってるんだろう」

「『友人の危機に神殿にこもっていた私など、聖女にふさわしくありません』って言って逃げてきたらしいわ。……遅いのよ! 何もかもが! そして役立たずなのよ! 何もかもに!」

「……あー、そうか。先天スキルで【聖女】だもんね。そもそも『還俗』の概念がないからその発言がまずいのか」


 神から『聖女』という役割を賜った者が、『自分は聖女にふさわしくない』と言う。

 これは『スキルによって人の行く末を示す神』への真っ向からの叛逆はんぎゃくにあたる。聖女の発言はめちゃくちゃロックだったというわけだ。


「ようやく全貌が見えてきた気がするよ。というかハイドラ先生、説明をはしょりすぎでは?」

「【女神】はお忙しいのよ」

「僕が出会った時は宿舎のロビーでぼーっと天井見てたけど……」

「神の声を聞いてらしたんだわ」


 エリカ、【女神】にまつわることになるととたんに目が曇る。

 貴族全般がそうなのかエリカが特別信心深いのかはサンプルが足りない。少なくとも妹のソラはここまでではなかったし、ソラのほうが特殊である可能性はとてもある。


「まあそういうわけで、直属の上司にあたるハイドラ先生からのご命令もあって、エリカさんの気分転換に付き合おうと、そういう理由でデートに誘おうってところなんだよ」

「事情はとてもわかりやすいし、唐突に『デートしよう』って言われたら体調を心配するけど、でもそうやってベラベラ裏事情をしゃべられるのも複雑なのよね……嘘でもいいから自分の意思で誘ったことにしてほしいっていうか……」

「僕が唐突にデートに誘ったら、エリカさんは来る?」

「…………行くかも」

「のちのち『実は命令されたから誘いました』ってことがわかったら?」

「怒るわ!」

「僕はリスクヘッジに成功してると思う」

「背負ってほしいのよ、そのリスクは……! っていうか【女神】が直属の上司なの!? 『眷属』じゃない!」

「何その、何?」

「【女神】の指示を直接受けて動く幸運な人たちのことよ!」

「つまりハイドラ先生の使いっ走りってこと?」

「やめて! 俗っぽく言わないでよ! イメージが壊れる!」

「まあ君がイメージを大事にするなら配慮はするよ……それで、気分転換、どう?」

「行くわ! どこに行くの?」

「エリカさん、君は大事なことを忘れているようだけれど……」

「何よ!?」

「僕はね、昨日、トリスメギトスに入ったばっかりです」

「…………」

「なので、『どこに行くの?』と聞かれても、僕からしたら『何があるの?』って感じなんだよね」

「……なんで【女神】はアンタに『デートに誘え』とか言ったの?」

「それはね、僕が聞きたいんだ。まあ君の夫だからだろうけれど……あと使える手駒が僕しかいなかったんじゃないかな……」

「『手駒』?」

「『眷属』が僕しか……エリカさんは学園都市生活僕より長いだろう?」

「そりゃあアンタよりはね」

「どこかいい場所知ってる?」

「……襲撃によさそうな路地裏とか……隠れるのに便利なスラム違法建築群とか……」

「すごいな、アリエスさんに言われた通りのラインナップだ」

「っていうかアリエスはいつまでいるの? もう帰っていいわよ?」


「私は今、お二人のアドバイザーとしてここにいます」


「帰っていいわよ」

「『路地裏』と『スラム』しか知らない分際で!? この流れで私を帰す!? エリカァッ! デートなめてるんですか!? デートガイドの角で叩きますよ!?」

「え、そんなの買ってるの? しかも物質書籍で?」

「いいでしょう!? 何買ったって!? 学園クエストでこつこつ働いて稼いだお金なんですよ! 実家に仕送りだってしてますし!」

「というかアンタ、先天スキル持ちなんだからけっこう奨学金もらってるでしょ? 学園でもまあまあ珍しいわよ、先天スキル持ち。明かしてない人が多いだけかもしれないけど……」

「奨学金は結婚資金のために貯めてます! 私はねぇ……! この学園でレアスキルとか先天スキルを持った、将来が安定した人と幸せな家庭を築くんですよ! 羊飼いの家に生まれた末っ子の将来わかりますか!? ねぇんだよッ! 学園を卒業したら! 出会いが! 貴族様と違ってなぁぁぁ!」

「ご、ごめん……あと頭上に耳生えてるわよ。【獣化】が漏れてるからほんと、落ち着いて……」

「ふぅっ、ふぅっ……そういうわけでですね、エリカが来る前にベンチで先生と並んで肩が触れ合いそうな距離でじっくり話した結果……」

「先生がめちゃくちゃ端っこに座ってた理由がわかったわ」

「私がお二人のデートアドバイザーとしてナビゲーションをする流れになりました。殺してやる……」

「ごめん……」

「勝者が敗者に謝るな! ……いえ、冷静になりましょう。この勝敗はまだついてない。そうですね?」

「はい……」

「なのでこれは、実質……私と先生とのデートでもあります」

「実質で言うとあたしとアリエスのデートにもなっちゃわない?」

「……公爵家で、先天スキル持ちの【魔法剣士】か……」

「えっ、ごめん、冗談だったんだけど……女性同士はそのなんていうか、あたしはちょっと……」

「…………なーんてね」

「それでごまかしきれるほど軽い視線じゃなかったわよ」

「とにかく二人は黙って私に従いなさい。いいですね?」


 わけのわからない迫力のある笑顔で言われて、ナギとエリカはうなずくしかなかった。

【聖女】除けのためのデートがこうして始まった。

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