第70話 幸福のかたち

 ソーディアン公が『決闘の場』として用意したのは、迎賓館の広間だった。


 ここは他国との国境線だ。

 実際の国境線はもっとここから離れた場所にあるが、東にある学園都市や南にある『商業連盟国』などは『気を許せる国家』ではないし、南東のグリモワール王国とも過去に事件があった影響で、実際の国境線より『入国のための関所』は離れた位置にある。


 国の窓口、国の顔にあたるこの場所には高貴なお方に旅の疲れを休めていただくための館もあり、そこにはダンスパーティーなどを行うためのフロアも存在した。


 立食式ならテーブルが、ダンスがメインなら楽団が配置されるその空間は、収容人数三十名ほどを想定している。

 ……『高貴なお方』三十名を収容するフロアが『ぎっちり詰めて三十名』などという計算で設計されているはずもなく、壁から天井から赤を基調にした美しい石ででき、細やかな金銀細工なども埋め込まれているその空間は、たった二人が向かい合うにはかなりの広さがあった。


「……なるほど。そう来るのか」


 向かい合う二人のうち片方は、赤毛の、背の高い、美しい男だった。

 実年齢を知ればおどろかれることだろう若々しさを持つその男性こそ、カリバーンという『聖剣使い』を祖に持つ王国の、国祖直系の家が一つ、代々『国家の剣』を輩出することで知られたソーディアン家が当主、コンラート。

 その名も高き『千のつるぎのコンラート』。……武名を轟かせるほどの大事件が長らく起こっていなかったカリバーン王国において、その攻め手の多彩さ、剣術への造詣の深さ、何より圧倒的な速度をもって『千の剣』という異名を賜った不世出の【剣聖】であった。


 貴族には深く信じられ、歴史を見ても誤りとは思えない『血の継承』という概念がある。


 これは『スキルは血脈に宿り、剣の家系には剣士が生まれやすく、ランクの高い剣士を輩出し続けた家ならば、ランクの高い剣士が生まれやすい』というような概念だ。


 その歴史を積み重ねた『剣のソーディアン』においても【剣聖】は珍しい。

 コンラートは実に五世代ぶりの【剣聖】であり、若きころから多くの人に期待され、その期待にことごとく応えてきた天才であり、努力家でもある━━


 ━━コンラートが主観的に『努力』をしたかはさておき、世間からはそのように見えるほどの鍛錬を、彼は続けてきた。


 剣の化身とも言うべき男が護拳ナックルガードのついた片手剣を構えれば、彼の細くも見える体が膨れ上がったようにさえ感じられた。


 その冷徹で神経質そうな顔立ちには勘違いでなく不機嫌さがにじんでいるのだろう。

 何せコンラートは、対戦相手として目の前にいる少女ではなく、その少女を離れた位置から見守る男をにらみつけている。


 もちろん赤い視線の先にいるのはナギであり、コンラートの視線には『なぜ、自分の目の前に立たず、あまつさえこの者を代理に立てたのだ』という怒りがあった。


「お父様」


 対戦相手である少女に呼びかけられて、コンラートは視線をそちらに向ける。


 目の前に立つのは愛娘のエリカだ。


 長かった赤い髪を肩口でばっさり切り揃えた娘は、母親ゆずりの気が強そうな目で、まっすぐにコンラートを見据えている。


 その手には何もなく、腰に剣を帯びてもいない。

 だが、戦いが始まれば彼女の手には燃えるような赤い魔法剣が出現することをコンラートは知っている。


【燃焼】【魔法剣士】という道標スキルを持って生まれてきた娘は、最初、『何をするにも魔力・体力を過剰に消費する』という呪いめいた先天スキルのせいで、幾度も生死の境をさまよった。

 そして【燃焼】の習熟が進んでどうにか日常生活に支障がなくなったころ、第二王子の婚約者としての道を歩ませてしまった。


『不幸な娘だ』━━などという表現はできない。それはあまりにも他人事すぎる言葉選びだ。

 まぎれもなく、コンラートが、その未熟さと、あらゆる事象への無関心さから不幸にしてしまった娘であり……

 彼女にはこれから、不幸だったぶんの幸福があるべきだと強く信じているし、そのためにコンラートはいかなる行動も惜しまないつもりでいる。


 だというのに、


「なぜ、お前がそこにいる」


 男の盾として立っているのだろうか。

 エリカは我慢強い。エリカは忍耐強い。エリカは自分を押し殺す。そしてエリカは……『望まれた役割をこなす』。


 母の気弱さと、己から受け継いだ『他者の望みを察し、そのように振る舞う』という……『己の乏しさ』とでも言うべきものを持ち合わせてしまったのだ。


 その彼女が目の前に立つ意味をコンラートは、半ば反射的に、このように解釈してしまうのだ。


『また、自分を押し殺し、犠牲にして、男の望むように振る舞っているのではないか』

『また、自分が我慢を強いてしまっているのではないか』

『自分たちが彼女の幸福を望みすぎたあまり、自分たちに幸福だと示すために無理をしているのではないか』━━


 ……そうとは限らないが、そうかもしれない。

 だからコンラートは知りたいのだ。真実を。エリカの思いを。エリカが選んだ男を。その男が本当に信用できるのかを。


 そして、今、エリカを目の前に立たせた『ナギ』という男の行動は、コンラートの価値基準から言えば、『信用できない』となりつつある。

 貴族社会には『弱者を守るのが強者の責務』という価値観がある。それと同じぐらいに『女性を守るのが男性の甲斐性』という価値観もあった。

 スキルによって能力が決まるこの世界において、男女差というのは気にすべき能力的差異ではないけれど、やはり子を産む存在というのを守るべしという価値観はあるのだ。


 だからコンラートの視線にはどうしても、強い怒りがにじんでしまう。

『空をながめるがごとき気持ち』を維持するのが難しくなりつつある。


 だが……


「お父様、一つよろしいですか?」

「……なんだ」

「ソーディアン家当主への無礼を承知で、申し上げます」

「?」

「……あのねぇ! 価値観が古いのよ!!!」

「…………!?」

「『騎士道』とか『貴族としての責務』とか、そりゃあ、大事よ!? そういうのを重んじる社会も、人も、馬鹿にするつもりはないわ。でもねぇ、それは学園のルールとは違うの!」

「……どういうことだ」

「どうせ『妻を盾にするクズ野郎』とか思ってるんでしょ!? でもねぇ、学園じゃ生徒が教師を守るのが普通なのよ! そこをまずは理解して、先生をやぶにらみするのをやめて!」

「……しかし」

「あと! 剣を交えてわかるのは強さだけだから! 人柄なんてわかんないわよ!」

「……」

「それから」


 エリカが腰に手をやり、剣を握るような動作をする。


 そして抜き放つのは、真っ赤に燃える魔法剣。

 燐光をまとう剣の形の炎。……『第二王子や王族に楯突いた』ということで『狂犬レッドハウンド』などという異名を冠されてしまった娘は……


「あたしは夫より強いから、ここに立ってるのよ。自分ができる役割を伴侶のためにこなすのが、夫婦じゃなくて?」


 獰猛に、凶暴に━━

 誇らしげに、笑っていた。


「…………そう、か」


 コンラートもまた、笑いそうになってしまった。

 自分の未熟さを娘に思い知らされた気持ちだ。だから情けない自分を笑いそうになった。

 娘の強さを目の当たりにした気持ちだ。だから誇らしくて笑いそうになってしまった。


 今、この瞬間。


 もう、剣を交える必要性もないほど━━


「お前はそこで自己おまえになることができたのだな」


 耐え忍び己を削り続けた娘はもういない。

 己らしさを手に入れて燃え盛る炎がそこにある。


 だから、コンラートは剣を握り直した。


「……剣士として興味が出た。手合わせ願えるか」

「そのためにあたしはここにいますから」


 誇りを懸けた決闘に開始の合図は必要だが、剣士がその腕前を見せ合うための立ち合いは、『間』が合った瞬間に始まる。


 だから二人が同時に互いの方へ飛び出したのは、そういうことだった。


 ……戦績において、コンラートはエリカに負けたことがない。

 というよりも、本気で立ち合ったことそのものがない。


 コンラートがエリカと剣を合わせるのはいつも『エリカを鍛えるため』であり、エリカは剣術に打ち込んではいたけれど、その疲れやすさから鍛錬だけで精一杯であり、コンラートと本気の勝負ができるほどの体力的余裕などなかった。


 また、エリカは潜在スキルの都合で木剣などを扱った場合、十全に力を発揮できない。

 彼女は【魔法剣士】だ。魔法剣を扱った時にこそ本領を発揮する潜在スキルの持ち主であり、いわゆる『物質』の剣だとかなり実力が落ちる。


 そもそも、純粋な剣術使いとしては【剣聖】が一歩も二歩も【魔法剣士】より勝る。

 なので殺し合いでもない限り、エリカの適性な実力を見てやることはできないというのがコンラートの見立てであったが……


 これは、いかなる奇跡なのか?


 お互いに殺気はないと断言できる。気迫に殺意はこもらず、相手の急所を狙わず、体に染み込ませた型を確認し、速度と速さを互いに示すような、そういう立ち合いに間違いがない。


 だというのに……


 コンラートは、『本気』を引きずり出されようとしていた。


「……」


 油断していたのかもしれない。

 慢心はあったのだろう。


 あくまでも、いい顔をするようになった娘の今の実力がいかほどなのかを『見てやろう』という気持ちであったことは否定できない。


 誤りだった。


 今のエリカは、かつてと比べ物にならないほど強い。


 気持ちの問題か? それとも、自分が知らないところで特別な鍛錬を積んだのか?

 それとも手紙に記されていた『暗器衆』との実戦が彼女を育てた?


 ……いや。

 そのような、あいまいな進歩ではない。


 この精度、この速度、この強さ。

 これは、まぎれもなく━━


「なぜ、お前が【剣聖】になっている」


 ━━潜在スキルによるものだ。


 あるいは【魔法剣士】がマスタリーに至ったのかもとも一瞬思った。

 だが、【剣聖】を習熟し続けた己のカンが告げている。これは、まぎれもなく己と同じ潜在スキルによるものだと。


 娘は楽しそうに笑っていた。


「スキルは呪いだと思ってた」

「……」

「でも、ちょっと違うのよね。生まれつき決めつけられたものが呪いっていうだけで、望んだ方向に行くために必要なものなら、それは祝福で……」


 エリカは言葉を整理するように沈黙した。

 そのあいだにも互いの剣は激しい戟音を打ち鳴らし続けている。


 一切澱むことのない速度、威力、精度━━きらめき。


 魔法剣の赤い軌跡が複雑な紋様を描く中心で、エリカはようやく、言葉を見つけたようだった。


「……あたしは、剣士を望んだ。人を守るために、勝利できる強い剣士を! ……『妖精の小箱』がそれを叶えてくれたのよ」

 

 もたなかったのは、コンラートの剣だった。


【燃焼】を持つはずの、人よりはるかに力尽きやすいはずの娘よりも先に、コンラートの剣が、切断された。


 二人の剣士は動きを止める。


 コンラートは半ばから切断された己の剣をながめる。

 炎熱によりとろけた切断面が、暖かいとはいえ炎には及ぶべくもない外気によって冷やされ、固まっていく。


「答えにはなっていないな」


 コンラートはつぶやく。

 エリカが「まあ、そうだけど……」と気まずそうに声を漏らした。


「……だが、お前が納得しているのであれば、それでいいのだろう。……剣の家に生まれ、家柄に拘束され、『かつて魔法剣によりグリモワールを襲った脅威があった』と関係のない誰かの悪行を持ち出され、剣才と過去の他人の逸話、それに王家への反発のせいで狂犬レッドハウンドなどという名をつけられ……」

「……」

「それでもお前は、『剣士』であることを望んだのか」

「はい。あたしは剣士であり続けます。勝利を得られる、強い剣士であり続けることを」

「……ふむ。なるほど。これはきっと……『嬉しい』のだろう」

「……」

「私もどうやら、剣が好きらしい。娘が私と同じものを好いてくれているのは、嬉しいものだ」


 コンラートは半ばから切断された剣を鞘に納め……


 ナギの方へと視線を向けた。


「非礼を謝罪しよう。娘を頼む」


 フロアの中に、熱くも冷たくもない風が吹いたような感覚を、その場にいる全員が覚えた。

 それは一つの事態が解決した時に、全員の肩にのしかかっていた重いものが取り払われて発生した『軽さ』であり『浮遊感』だった。


 だが……


「あの、その件で申し上げたいことが」


 ナギはここで言わねばならない。

 さすがにナギもここで言うのはどうかと思いつつ、しかし、ここを逃したら他にいつ言うのだという発言でもあるので、今後を予想しつつ、最後の機会であるこの場所で言うことを決断したのだ。


 その発言内容が何かと言えば、


「エリカさんとは別れるべきかなと思っているので、その件でご相談させていただきたいのですが」


 ……空気がきしむ『びしり』という音を、全員が耳にしたような気がした。

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