第32話 『魔王現象』

 デザートを今しがた食べたばかりだというのに、なぜかピザを注文してから、ノイは語り始める。


「大前提として、学園都市トリスメギトスには多くの『レアな潜在スキル持ち』『先天スキル持ち』が集う。貴族家次期当主とか、一人っ子で家を継がなきゃいけないとか……ぼくみたいにすぐ『仕事』を始めたとか、そういうことがない『有資格者』の六割から七割ぐらいは、潜在スキルが判明したあと、この学園に集まるんじゃないかな」


 その異常とも言える集まりのよさの理由には、『歴史』がある。


 トリスメギトスは少し前に創立五十年を迎えた。

 最初のころはもちろん集まりが悪かったらしい。そもそも『スキル』というものが絶対的なこの世界において、レアなスキルを持った者を国外に出すというのを国が認めない。


 そこで最初、学園長ヘルメスは技術供与の代わりに留学というかたちで生徒を集めたそうだ。

 そうして留学した生徒に教育をほどこし、この世界からすれば『未来の』と述べてしまってもいいような知識と技術を惜しみなく注ぎ込んで、学園都市の評判を上げた。……まあその技術の多くは学園長のスキルなくしては再現できないもののようだけれど、それでもかなりのメリットをもたらしたのだろう。

 すると留学以外の手段でも人が入ろうとする。学園長はほぼ際限なくそれを受け入れ、学生たちに自治を委ねた。


 そうして学園都市で学んだ生徒たちはあまさず故郷で、あるいは異郷で要職に就き、その辣腕をふるう。

 要職に就いた者が自分と同じ教育を受けさせるために国の者に『トリスメギトス行き』を奨励し始めると、あとはもう『レアなスキルを持っていたらとりあえずトリスメギトスの門を叩こう』という風潮ができあがるまで、そう長くはかからなかった。


「お、ピザが来たね。いいかいナギ、学園都市トリスメギトスは、最初、このピザのようにまんまるで、切り分けられたピザのような十二の区画からなっていた。ちなみに、このずいぶんな広さの都市は一夜にして出現したと言われている」

「……ああ」


創造Creation】のおかげだろう。

 ノイは「さすがに君も知っていたか」という解釈をして、


「しかし十三区画と十四区画は違う。これはあとから生徒の手によって増設された地域だ。だから真円の都市の南西に十三区画が、北東に十四区画がボコッとつき出ているだろう?」

「なるほど……しかし、その説明は魔王とどういう関係が?」

「いや、これはぼくがピザを食べたかったから言い訳に説明しているだけだ」

「師匠、あの、そろそろ殴りますよ」

「そういうわけでね、トリスメギトスの卒業生の多く……いや、今となっては学生が多すぎるので割合的に半分か三分の一ぐらいが、国家に帰ると要職に就く。つまり国内での発言力を持つんだ。そういう人物に学園が教えているのが、『魔王現象』というわけさ」


 魔王イトゥンから始まったとされる、世界の『自滅因子』。文明をリセットする『何か』。


 しかし魔王イトゥンは学園長のことだ。ちょっとそこがよくわからない。学園長が文明をリセットさせたがる人だとはとても思えないからだ。

 もしかして改心して方針を真逆にした? このあたりは学園長に直接聞いたらめちゃくちゃイキイキしながら話してくれそうな気がする。


「『魔王現象』はたびたび手を変え品を変え姿を変え現れる。国家の要職に就いた元生徒たちはこれを警戒するように教え込まれ、実際にそうしている。『魔王』……正しくは魔王になる前の『現象の種』の確保と撲滅はどこの国でも秘密裏にやられていることだね」

「つまり師匠はあの少女を追っていた?」

「それがぼくの仕事かどうかを明かすのは、さすがに料金外だね。まあしかし、君を邪魔したのは、君の勢力を勘違いしたからだ。縁は切れてても関係は切れてないと思っていたから。そこはごめんよ」

「ああ……」


 つまり、アンダーテイル家の手のものだと思われたらしい。

 ……いやそれはかなり大きなヒントのような気がするのだけれど。けれどノイがこの情報をナギにもたらした理由がわからない。


 思い悩むのに下げていた視線を向ければ、いつの間にかピザがノイの胃袋に消えている。


 あまりの食べっぷりにナギが遅まきながら自分の財産と支払い額とを計算していると、レオンが厳しい顔で口を開いた。


「……確かに『魔王現象の種』なら、追われてたのも納得だ。けどよォ……その『種』が種かどうかは誰が判別してんだよ。そいつは本当に正確な見立てなのか?」

「君の質問に答えるには、君からお金をもらわないといけない」

「まだ食うのか!?」

「食べ物とは言ってないよ。まあまだ食べるけど」


「師匠、レオン君の質問に答えてあげてください」


「ではどさくさに紛れて注文したピザの代金として答えてあげよう。ぼくの答えは『知らない』だよ」

「は?」

「誰がどうやって、いつ、どんな手段で、どれほどの正確性で『魔王現象の種』を判別し、判断しているのか? ぼくは知らない」

「じゃああんた、本当に『魔王の種』かどうかも知らないで女の子を追いかけてたのか!? っていうか『知らない』っていう答えに金とんのかよ!?」

「『知らない』は立派な情報だよ。あとね、ぼくはお金を積まれたら仕事をするんだってば。いちいち細かい事情まで聞かないし、『それ』が仕事かどうかも言わない。依頼主がいて、お金を用意して、仕事を頼まれた。だから、依頼通りの仕事をする。ぼくはそれだけの存在さ」

「だからってよォ!」

「まあ生きてればそういうことは山ほどあるよ。自分がかかわった事件のすべてを知る機会なんかそうそうない。知る必要もないしね」


 それはレオンの主張をあらかじめ聞いていたかのような言葉だった。

 女の子を拾ったり、建造物損壊事件に巻き込まれたりするこの強面の少年は、まさに今、ノイが語った通りの理由であらゆる事件に最後まではかかわらないのだ。


 そして、それは正しい。


 ただ、レオンという少年の『とっさの行動』といまいち噛み合わないから彼の行動として違和感があるというだけで、よく知らない事件に巻き込まれたら逃避するのは何も間違っていない。


 知らない、命を失う可能性さえある事件に遭遇して、首をグイグイ突っ込む方がおかしい。少なくともナギはそのせいで『おかしいやつ』の扱いを受けている。


 ノイは知らないあいだに注文していた追加のエールを飲み干し、


「まあ、まとめると、あの女の子は『どこの誰かも知らない、誰がどうやって判断したかもわからない、なぜか魔王現象の種とみなされている女の子』というのがナギの質問への答えになるかな」


 ナギは悩む。


(あの女の子は『魔王現象の種』だった? それを三つの権力が狙っている? そして僕はともかく、ハイドラ先生にまで、学園長は情報を伏せていた? ……あの女の子を引き渡そうとしない理由も気になる)


 情報が集まって謎が増えるというのは本当に困る。

 ナギの脳裏には黄金の瞳を細めて笑うストライプのスーツの男性が、『試練です』と述べている映像が浮かんでしまった。


 もうここまで来ると『直接聞いた方が早い』という状態だ。

 頼っていいのだろうか? ……まあ、連絡しない事情も『なんかうさんくさいから』以外にないので、質問をぶつけてみるべきなのだろうけれど……


「それで君たち、ぼくは君たちに聞きたいことがあるんだけど、聞いていいかな?」


 ノイがぼやーっとした顔でテーブルに着く人たちの顔を見回すので、学生たちのあいだに緊張が走る。

 ノイは一見すると食いしん坊の浮浪児だが、この感じでも【死聖】なのだ。『金を積まれなきゃ殺しはしない』という主義を話されてもなお、気まぐれに自分を殺せる者の視線には説明し難い圧力が感じられる。


 ノイはじっくりと全員を見回してから、


「このあと屋台巡りに行きたいんだけど誰かぼくの財布になってくれる人はいない?」

「いい加減にしろ!」


 レオンがキレて、ノイが肩をすくめ━━

 一瞬、まばたきをした瞬間に、ノイの姿は消え失せていた。


 本当に支払いを丸投げされたのだ。さすがにしばし、愕然とする。



 学園長は通話を受け取ってくれなかった。

 ナギの教員免許にはいつの間にか学園長への連絡先も表示されている。だが、無視されたのだ。あるいは忙しくて出てくれなかったか……たぶん、無視の方だとは思うけれど。


 つまり学園長からこちらに情報をもたらす気はないという意思表示だろう。


 夜、ナギは自室で分厚い学習指導要項の熟読作業に戻るしかなかった。

 アンダーテイル侯爵家との交渉の日取りや時間は二日後になっている。それまでに細かい調整をしようにも、アンダーテイル家には生徒手帳も教員免許もない。手紙でやりとりをしているあいだに向こうが学園都市に到着してしまう。


 そう、つまり、アンダーテイル家はこっちが『来訪します』という手紙を受け取っても返信できない日程設定で来訪日を決めたのだ。

 向こうから学園に出向く上に、有無を言わせぬこの感じ。

 それだけ『魔王現象の種』が重大事項だというのを感じさせるが、もう一つ、ナギはソラからの圧みたいなものを感じてしまう。『拒否は許さない』という圧……


「……読み終えることができるかな、これ」


 まだ幼児の腰の高さぐらいまでの『読むべき事項』が机の上に積み上がっており、授業開始までは一週間を切り、なおかつアンダーテイル侯爵家との交渉も二日後に迫っている。


 明らかにデスマーチな進行だった。いや、まあ、自由には責任がつきもので、ただ全部放り投げるだけの『自由』は自由ではないというのはわかる。わかるのだが、学園長は『人間は寝ないでもいける』みたいな前提で仕事を回してはいないだろうか……?


 とにかくこれ以上のタスクは入れられない。


 ナギがそう思いながら指導要項読み込みスケジュールを頭の中で立てていると、甲高い着信音が響き渡った。


 相手は……


「……レオン君?」


 昼食を食べたあとその場のノリで連絡先を交換したわけだが、ぶっちゃけると彼と私的に連絡はしないだろうなというようにも思っていた。

 それがいきなり、その日の夜に着信だ。案外マメな男なのかも……と思いながら受け取ると、


「先生、悪い、助けてくれ」

「何があったの?」

「…………『魔王』が、また落ちてた。しかも……かなり、傷ついてる」

「……」

「こいつ、俺を探して……クソ、なんでだよ! 俺はそんな、頼られるような立派なやつじゃ……!」

「落ち着いて。居場所を教えて。すぐに行く」


 読みかけの指導要項を閉じる。

 ……煌々ときらめくビル群の明かりの裏で、暗い夜が始まろうとしていた。

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