第31話 四番テーブルのよく食うお客様
「というわけで自由行動の時間なんだけどね、トリスメギトスって支払い方が特殊じゃない? お金はあるんだけど支払いができないっていう状況になったんだよ。いやここの料理すごいね? 給仕の人、『エビとマヨネーズのピザ』っていうのくれない? 『マヨネーズ』の文字がめちゃくちゃアピールしてきて笑っちゃったから食べないといけないよこれは」
「あの、先生、その子は誰?」
「僕の師匠で【死聖】のノイさん」
「なんで【死聖】が当たり前みたいに食卓に混ざってんのよ!」
それはナギも気になる。
いや、説明のようなことは述べていたのだ。けれどめちゃくちゃ食べながらだったのであっけにとられてしまったというか、その子供みたいな体によく入るな! とみんな唖然としてしまっていた。
ノイは顔よりデカイジョッキのエールを飲み干して(エールは学園外では水代わりに飲まれているものであり、その親しみから生徒たちからの強い要望でメニューに入っている)、それからまったく感情の宿らない目でエリカを見た。
「な、何よ……」
いきなり出現したやつに見つめられているというだけでも戸惑う状況だが、その『いきなり出現したやつ』が【死聖】なら、その視線によからぬ意味を感じ取ってしまうのは仕方のないことだろう。
ここにいるのは久々にまともな食事にありつく浮浪児ではない。限りなくそう見えるだけの、年齢にしてすでに二十歳を超えている『死』を司る
【死聖】ノイは灰色の瞳でエリカをじろじろながめたあと、「あ」と気の抜けた声を出した。
「君、ソーディアン公爵のとこの子?」
「え? そ、そうだけど」
「そっか、どこかで見たことあったなと思ったんだ。いや、思い出せてよかったよ。すっきりした。すいません、エールお代わり」
「どこで見たのかまで言いなさいよ!? こっちがすっきりしないんだけど!」
「いや、暗殺依頼でターゲットにされてたなあと思って。支払い額がゴミだから受けなかったけど」
依頼主が誰かわかってしまった。
たぶん第二王子だろう。今は国外追放されているのでもう『第二王子』ではないはずだが、そいつがエリカを狙っていた時期があったのだ。
ナギは冷や汗をかく。
入学初日に巻き込まれたあの事件にもしもノイが『敵』としてかかわっていたなら、今ここにエリカはいなかっただろう。
「やっぱ金を積まれたら誰でも殺すのか?」
物怖じしない問いを投げかけたのはレオンだった。
コワモテに浮かぶ目がぎゅっと細められて剣呑な迫力をかもし出す。
……暗殺者というのは一般に認められた職業だ。
そもそも、暗殺者系の潜在スキルが存在するのだからその仕事の存在は神に保証されていると言える。
だが、それとは別に、人には感情や倫理というものもある。というか、人を殺すのはどの国家であろうとも犯罪だ。
暗殺者というものがスキルによって神に認められているのは理解しつつ、人を殺すことで糧を得ている存在については呑み込み難い━━という人は多い。
だから暗殺者系の人たちは同じ潜在スキルの持ち主同士で固まって互助会を形成し、滅多に『一般人』の前に姿を現さない傾向があった。
レオンの質問はそんな暗殺者という在り方を責めているようにも感じられたし、単に興味本位での質問かもしれなかったし、あるいは過去に暗殺者に煮湯を飲まされたことがある者のうらみがましい物言いにも思えた。
ノイのほうは穏やかなものだ。というより、この師匠は表情を変えないし、声に抑揚もない。ただ、灰色の髪の陰からのぞく同じ色の瞳で、レオンの顔の右側にある切り傷あたりをじっと見た。
「君は顔の右側に傷があるね」
「あ? ああ、こいつはまあ……」
「ぼくは顔の左頬に傷がある」
「ん? そうだな?」
「いや、それだけ」
「なんなんだよ今のは!?」
「ぼくに気まぐれで話をされたら困るでしょ?」
「わかってやったのか!?」
「『金を積まれたら誰でも殺すのか』と君は問うた。じゃあ、逆に質問するけど、ぼくが『謎の条件で誰でも殺す』存在だったら、どう思う? それこそ気まぐれで、好き勝手に、【死聖】が思いつくままに人を殺すんだ。この存在をどう思う?」
「そいつは……アレだ。『魔王』みてェなモンだな……」
「そうそう。だからぼくは、『金』というわかりやすい指標を掲げて力を振るうんだよ。ぼくを動かしたければお金を積めばいい。ぼくを動かしたくなくてもお金を積めばいい。誠意、絆、想い……この世にはいろんな価値あるものがある。でも、それは絶対的な指標たり得ない。だからぼくは『金』を基準に人を殺す。だから今、君たちは死んでない。そういうことだよ。ピザをお代わりするね」
「『話のついでに』みたいに追加注文すんじゃねェ! どんだけ食うんだあんた!?」
「メニューの制覇を狙っているよ」
「狙うな! いや狙うんだったら同じモン頼むな!」
しかしノイは食事に戻ってしまった。
テーブルいっぱいに並んだ皿がいつの間にか空っぽになっている。チーズを伸ばしながらピザを頬張り、エールをごくごく飲み干し、アクアパッツアを大皿ごとかき込んで、ムニエルを丸ごと口に詰め込む。
ガーリックのこすりつけられたバゲットで皿に残ったソースをぬぐいさると、それを一口で全部口に入れてしまった。
子供、それも少年のように見えるノイがほっぺたをぱんぱんにふくらませて料理を頬張っているのは小動物的なかわいらしさもあるが、そのほっぺたから十秒かからず『ふくらみ』が消えるのはもはやホラーの領域だ。
無表情なのにおいしそうに食べるのだが、食べ方が暴力的すぎてそばにいる者はただじっとノイの小さな体に大量の食事が消えていくのを見ているしかできない。
圧倒されているうちに食事は終わり、ノイが何杯目かもわからないエールをグビッと飲み干すと、ジョッキを置いたコトンという音で席に着いていた者たちは正気を取り戻す。
ノイは空の皿まみれになった丸テーブルを見ながら一言。
「支払いは誰?」
「さすがに僕が払います……」
ナギが小さく挙手すると、ノイは「ふむ」とうなずき、
「つまり君は、ぼくにお金を払った。ぼくの力を借りる権利を得たというわけだ」
「あいにく殺したい人はいません」
「わかってるよ。暗殺稼業は実のところ、実際に人殺しの依頼を受けることは稀なんだ。人殺しは犯罪だからね。依頼のほとんどは『侵入しにくいところに侵入して何かを持ち帰る』という仕事さ。それは情報だったり、宝物だったり、あるいは人だったりね」
「……それも犯罪では?」
「そういったケースもまったくないとは言わないね。けれどバレない犯罪は犯罪ではないし、暗殺者系のスキル持ちの表向きの立場はだいたい『斥候職』か『護衛』だよ」
「……まあ、そうですね」
「話を戻そう。つまり君は食事代のぶんだけぼくを使える。それで、どうする? 欲しい情報とかないのかな?」
「あの、もしかして師匠、僕に力を貸すためにこんな……大食いチャレンジみたいなことをしたんですか?」
「それは過大評価というものだ。ぼくはお腹が減っていて、しかし支払い方法がなく、そして君という知り合いを見かけたので、たかろうと思っただけなんだ。そこで『ちょっと食べ過ぎたかな……』と反省したものだから、君に力を貸すことにしようと、今思いついたんだよ」
「師匠、そこは過大評価したままでいさせてください」
「で、どうする? 他の依頼者と……他の『金払いのいい』依頼者と競合しないなら、たいていの仕事はやるよ」
「いきなり言われても……ああ、そうだ。『謎の女の子』……髪も目も肌もやたら白い、無口な、見た目年齢は十二歳ぐらい? の子の情報など持っていたら、くれるとありがたいです」
「うーん、その情報は微妙だな。デザートを追加しないと足りない」
「デザートの追加で情報をいただけるなら、追加してください」
「プリンとパンナコッタとティラミスと……」
一品だけかと思っていたが、ノイの食べっぷりを前にその予想は希望的観測過ぎた。
皿が慌ただしく片付けられて空いたスペースにデザートが運ばれてきて、ノイがそれを丁寧に、しかしまったく動きを止めることなく次々と頬張り、食後のコーヒーまで頼んだあと、ようやく話を聞くことができた。
「あれは『魔王』だよ」
「……え?」
ナギの反応に、ノイは「おや」と抑揚のない声でおどろきを表現した。
「君たちは授業で『魔王現象』について習うのだろう? 魔王現象、魔王という概念についてはトリスメギトス発だと聞いているけれど」
「すみません、まだそこまで学習指導要項を読み込んでないんです」
「そうなの? じゃあコーヒー代のぶんだけ説明しようか。そこの学生さんたちも、ぼくが間違ってたら指摘してね」
レオンもエリカもアリエスさえも、苦々しい顔でうなずいた。
「魔王イトゥンから始まった『魔王』という概念。そう呼ぶしかない脅威はたびたび世界に現れる。そして、その『魔王』の目的は━━『文明のリセット』。いわく『魔王』というものは、世界の進歩を巻き戻そうとする『自滅因子』なんだって」
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