第68話 コンラート・ソーディアンの半生3
コンラートどころか、アレクシアさえも気づけなかった問題は、こうして表面化した。
娘の今までの我慢。『母に似て大人しい子だな』だなんて気楽に考えていた自分たちの罪深さ。第二王子の本性。子供たちの社会の想像さえしていなかった残酷さ……
あらゆる問題が『第二王子の婚約破棄騒動』によって表面化し、ソーディアン家はすぐさま王家に対し抗議をした。
これは第一王子とランサー家も協力し、カリバーン王国を真っ二つに割るほどの騒ぎになる。
ただしアレクシアの実家であるビブリオ家は事態に静観を決め込み……
愛する妻との子である第二王子を、国王はかばった。
国王の動きは積極的ではなかった。しかし、消極的ならがものらりくらりとした攻めようのない、老獪な動きであった。
人としてはエリカに同情しつつも、親として我が子に罰を与えるつもりはない……そういう『敵とも味方とも言い切れない感じ』が、貴族たちの動きをにぶらせ、ソーディアン家をがんじがらめにした。
コンラートは産まれて初めて『怒り』を覚えた。
それはもちろん第二王子への怒りだった。注意深く観察すればするほど、この第二王子がいかに『うまく』やっており、エリカをないがしろにし、その人格形成に多大な悪影響を与え続けたのかがわかってしまうゆえに、怒りを抱いた。
第二王子の悪行を認めない国王に対する怒りもあったし、姪っ子にあたるエリカの一大事に静観を決め込む妻の実家への怒りもあった。
そして何より、己に対し、怒りがわいた。
すべての物事を『空をながめるがごとく』受け入れる自分。かつて『親友』との決別のさいに感じた欠落が、この時、伏せていた鋭い牙をぎらつかせて一気に喉元に噛みついてきたような心地だった。
コンラートはソーディアン家当主としての仕事を十全にこなしていた。
エリカのことも、十全に愛していた。
才能と生まれに恵まれた彼は、今までそれで万事うまくいっていたのだ。
変わらなければならないかなというぼんやりした思いはありつつも、それが具体的にどうすればいいかはわからず、また、自分に不足していた能力を補ってくれる妻との出会いもあって、心の中の『変化』を求める熱はすっかり冷めてしまっていた。
それが、この事態を━━
愛娘の苦境に気付けなかったという事態を招いたのだと、強く思った。
もしも自分がもっと人の心の機微に聡く、十全に見える物事の中でも目を光らせて、隠れた問題を暴こうという意思があったのならば。
たとえばソーディアン家のならいとしてエリカに剣術の稽古をつける時に、娘の赤い瞳がうっすらとよどんでいるのに気付けたかもしれない。第二王子と離れ離れにして剣術稽古をさせるのを申し訳ないと告げた時、その瞳が揺れたのに気付けたかもしれない。
怒り。後悔。無力感。
コンラートは人生において起こらなかった感情が次々と胸中に去来し、まともに呼吸もできなくなる感覚を初めて覚えていた。
それだけに彼の王家への責めは苛烈であり……
……通常、若いうちに済ませ、教訓を得ておくべき『感情の暴走』をこの時初めてした彼は、政治的に見て、弱味をさらしすぎていた。
『ソーディアン家の猛抗議』によってエリカと第二王子との婚約は正式に解消された。
それは娘をいくらか救っただろう。
だが、それまで唯一の目標だった『第二王子の妻になること』というのがエリカの中から失われた。
加えて、コンラートの猛抗議は『強い要請』として王家に解釈され、『第二王子との婚約を破棄する旨をそちらが強く言い出し、事情をかんがみてこちらはその申し出を受けた』ということで、手打ちと扱われてしまった。
もちろん第二王子への裁きはなく、彼は【聖女】を新たな婚約者として得ることになる。
エリカは『第二王子との婚約を破棄した』ということになり、新しい婚約者を得ることも難しくなった。
コンラートは己の未熟と失敗━━『不足』を思い知らされた。
……それでも。
それでも、実家に戻ったエリカは次第に明るくなっていった。
友人に裏切られて婚約者をとられ、それまで自主性を持つことを許されずひたすら第二王子に自我をすり減らされた彼女は、次第に『己』を獲得していったのだ。
剣術に打ち込むようになったのもまた、いい変化ではあったのだろう。
エリカには才能があった。
コンラートがかつて望まれ、しかし当時の王から『資格を感じない』とされた『聖剣抜刀』━━それを成す剣士となると、みなが噂した。
がむしゃらに剣術に打ち込むエリカには、確かにコンラートに唯一不足していたものがあるように見えたのだ。
それは『熱意』とでも言うべきもので……
十五歳になった日、成人の儀式において【魔法剣士】という潜在スキルがあると明かされ、エリカはますます『聖剣を抜く者』として期待されることになる。
なぜならカリバーン王国の祖である『聖剣使い』もまた、【魔法剣士】だったという説があるからだ。
……『諸説ある』うちの一つではあるけれど、その見方は一般的だった。
第二王子からの婚約破棄の痛手もすっかり癒えたように見えた。
また、第二王子は成人と同時に神官として神殿に入ることが約束されていた。
本来はもっと幼いころから神殿で過ごすべきなのだったのだが、第二王子当人がいやがったため、それはなされなかったのだ。
……また、『婚約者がいること』が神殿に入らないでいい理由の一つとしても使われていた。
婚約成立の最初の最初から、エリカは第二王子が自由に生きるための道具のごとく…………
コンラートは、湧き上がりそうになる怒りを再び抑えざるを得なかった。
彼は『ソーディアン家の猛抗議』で学ぶことができたのだ。激しい感情に支配されてはならない。自分が何に対しても強く反応できなかったのは確かに欠陥だけれど、『空をながめるがごとき気持ち』こそが自分には大事であり、感情に支配されてしまえばまた手痛い失敗をするのだと思っていた。
だが、すでに妻や娘のことで人並みの情動を身につけつつあったコンラートには、かつての己がしていたような『空をながめるがごとき気持ち』を維持するのが難しい瞬間もあった。
そういった時は奥歯を噛み締めて耐えることになる。
……このころから、コンラートの表情には凄みが出たとささやかれるようになっていった。
ともあれ、エリカは今、幸福……に向かって生きている最中だ。
貴族家の一人娘なのだから、結婚をして子を残さねばならないというのは理解しつつ、コンラートは必ずしもそうしろとエリカには言わなかった。
いい話があり、エリカが望めばそうすべきだと、そのように思っていた。それは償いの気持ちもあったし、コンラートが自分の目ではエリカにふさわしい婿の人格を判断できないという気持ち━━あの第二王子をあてがってしまった失敗からくる自信喪失によるおびえの気持ちもあった。
だが、ここで過ぎ去ったはずの問題が再び表面化する。
第二王子が、【聖女】との婚約を唐突に白紙に戻し、エリカを再び婚約者に据えることを発表したのだ。
ソーディアン家は何も聞いていなかった。
というより、それは『第二王子の成人記念パーティー』において、王家さえもなんの相談も受けずに唐突に発表された、完全なる第二王子の独断だった。
そして、第二王子はこのころになると幼いころから才覚のあった『派閥形成能力』をさらに進化させており、彼と同年代の有力貴族の子女たち……エリカがソーディアン家当主になるころに政治を担う重臣たちを、すっかり手中に収めていたのだ。
王の甘さだけではなく、第二王子そのものの派閥形成能力によって、エリカとの復縁が断りにくい状況が出来上がっている。
しかも、さらにエリカに心的負荷をかけるものがあった。
【聖女】からの手紙だ。
その内容はエリカがすぐさまぐしゃぐしゃに丸めて切り裂いてしまったため、コンラートもすべてを知ることができたわけではない。
だが復元できた部分から読み取れば、『第二王子がエリカへの仕打ちを後悔し、心を入れ替えた』だの、『自分も第二王子とエリカとの復縁を応援する』だの、エリカの気持ちや第二王子の品性についてしっかりした観察ができていれば絶対にありえない、この世の『善なる面』しか見えていないような言葉が並んでいた。
コンラートは、エリカにたずねた。
「王と王子を、斬るか」
エリカは父がそのような提案をするとは想像もしていなかったらしい。
コンラートが書斎に呼び出した時のエリカは、失意と絶望と諦念の濃い表情をしていた。きっと復縁をしろと言われると思っていたのだろう。
コンラートは自分への耐え難い怒りを感じ、奥歯を噛み締めた。
エリカに信用されていなかった。信用を得る努力をできていなかった。エリカの気持ちをわかっていないのだと、そう思われていた。
『僕の気持ちはわからない』
かつて決別した『親友』の声が、呪いのように頭の中でこだまする。
コンラートは人の心がわからない。確かにそうかもしれない。
けれど今のコンラートは寄り添う努力をしている。けれどそれは伝わらない。伝えることができていない。
この件にかんして、コンラートよりエリカの方が冷静だった。
王と王子を斬る━━すなわち謀叛をやめるようにコンラートをいさめ、どこかに身を隠すことを提案したのだ。
ほとぼりが覚めるまで。
……それがどのぐらいあとになるかは、わからない。とにかく国から出て、第二王子といえど簡単には手出しのできない、どこかへ……
学園都市トリスメギトス。
五十年ほど前に『出現した』と言われるその場所は、国のようでいて国でなく、独自の文明と法則を持ち、何よりやすやすと手出しできないほどの力を持っている。
資格さえあれば学生を無尽蔵に受け入れるその場所に入る資格を、エリカも持ち合わせていた。
ほとぼりが覚めるまで。
……果たして『学園から卒業を要求されるころ』にほとぼりが覚めるのかはわからない。だが、第二王子とはいえ王族の血は残さねばならず、成婚は二十歳になるまでにはしたいはずだ。
ならばエリカがそれまで学園都市にこもれば、きっと……
その後、エリカが誰かと結婚できるかどうかは、わからない。
国家をゆるがす問題の中心人物ではあるし、第二王子の派閥形成人心掌握能力は本当にすごかった。
学園を卒業するころにはもう、この国にエリカの居場所はないかもしれない。
それでも、あの男の妻とされるよりはずっとずっといいし……
それで『三大公爵家』のソーディアン家が潰えるなら、それでもいいとコンラートは思った。
家の存続という貴族の大事よりも、娘が不幸にならない道を選びたかったのだ。
……『不幸にならない』が『幸福になる』と同義でないことはわかっていたけれど、それでも、精一杯選びうるのが、『不幸にならない』程度の道しかないのがはがゆかったけれど……
コンラートは……
コンラートとアレクシアは、その道を選ぶことにした。
彼らの人生は深い深い絶望の渦の中にあり、その中でどうにかか細い希望をつかもうとあがくだけのものだった。
未来は暗闇に閉ざされてしまって、この暗闇を晴らす光はどこにも見つからなかった。
けれど。
ある夜、『内部の様子を外からはうかがうことができない』という魔道具の効果に守られた学園都市に、一条の、巨大な光が顕現した。
その真っ赤な、天を突く輝きは━━
闇を斬り裂く、エリカの魔法剣。
……その日以来、嘘のように事態が好転した。
第二王子の派閥が瓦解していき、王と第二王子の母にあたる妃が政治的権威を失っていく。
しかもエリカからは『夫ができた』と分厚い手紙が届いた。
コンラートも、アレクシアも、状況をうまく理解できない。
ふってわいた『幸福』は、なんだかたちの悪い詐欺のようでさえあった。
これまで静観を決め込んでいたビブリオ家が唐突にその陰謀能力を発揮し、ランサー公や自分たちをも巻き込んで、第二王子の『神に保証されない才覚』ではなく、潜在スキルで保証された謀略能力によって第二王子派閥を解体していった━━というのが、コンラートたちから見えるすべてだった。
なぜ、急にビブリオ家が動いたのか、わからない。
ともあれ、学園都市に見えたあの赤い光が振り下ろされたあと、すべての暗闇は斬り払われたのだが……
コンラートは、もう二度と、失敗できない。
すでに娘が我慢強く、両親のために自分を抑え込む性格であることを知っている。
ゆえにこそ、エリカの『夫』が、本当にエリカに望まれた夫なのかどうかは、見定めねばならない。
だが、コンラートに人の気持ちはわからない。
エリカの夫を前に冷静にその人柄を見定められるとも思えない。『空をながめるがごとき気持ち』は、娘のこととなれば荒れ果て、曇り、とても維持できないことを知っている。
コンラートにわかるのは、ただ一つ。
コンラートにできることは、ただ一つ。
どのような時でも自分に『空をながめるがごとき気持ち』を与えてくれるのは━━
ただ、剣を振る時間のみ。
ゆえにこそ、コンラートは剣で『夫』を見定めることにした。
娘の幸福のために何ができるのか、課題を見出そうという必死の努力のすえにとった行動が、『夫との決闘』なのであった。
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