第67話 コンラート・ソーディアンの半生2
「謀略の家の女はおそろしいでしょう?」
「特にそうは思いません」
コンラートと、その妻となるアレクシアとの最初の面会で、会話はそれだけだった。
カリバーン王国三大公爵家たる『書物』のビブリオは、謀略家を多く輩出すると知られる家だった。
もちろん家格の高い歴史ある家だ。カリバーン王国の祖たる『聖剣使い』に三人いたとされる妻、その子が祖となった家であり、代々カリバーン王国の『知識』を管理し、『知恵』を司るとされている。
だが、それは『謀略に通じ、油断ならない者たちの生まれる家』という風聞をも呼んでおり、特に女性が生まれると婿のなり手探しに苦労させられるという慣例があった。
特にコンラートと同年代に生まれたアレクシアは【軍聖】と呼ばれる大軍指揮と大軍運営において強力な補正のかかる潜在スキルを持っており、これと『常に何かをたくらんでいるがごとき笑み』が合わさり、多くの貴族男性から遠巻きにされていた。
一方で少数の男性から熱烈に求婚される側面もあり、これがのちのちコンラートを悩ます問題━━『親友』との決別なども引き起こすことになる。
しかしこの時の会話の何が気に入られたのか、コンラートとアレクシアとの婚約は成立し、『親友』との決別を経たのち、成婚となった。
アレクシアはコンラートから見て美しい女性であった。
言われてみればたしかに『常に何かをたくらんでいるがごとき笑み』にも見えるのだが、それは彼女が生来持ち合わせた気が強いように見える顔立ちが理由であるとコンラートには理解できた。
特に口がやや大きく、目が吊り上がっているあたりに要因があったし、アレクシアはそのことを気にしている様子だった。
のちに頑固なところ、いわゆる『芯の強さ』も発覚するのだが、アレクシアは基本的に気弱な女性であって、自分の婚約者がなかなか決まらない気配などを実家に申し訳なく思っており、それを覆い隠すためにいっぱいいっぱいになり、かえって強気の口調になってしまう━━というのもまた、彼女に『何かの陰謀の気配』を常にまとわせる、『強そうな様子』の一因となっていた。
コンラートはそのあたりをまったく気にしなかった。
婚約成立時の彼は『空をながめるがごとき気持ち』でいたために、相手が誰であろうと、家と家がすすめるのであれば受け入れるという程度の気持ちであったし……
『親友』との決別を経て、己の欠落、欠陥に気付き、どうにかしなければならないというぼんやりした焦りを抱えていたころの彼は、むしろアレクシアの『気が強そうな様子』を好ましいと感じていた。
『好ましい』
これはコンラートにとってなじみのない感情だった。
楽も苦も感じられない。好きも嫌いも思わない。『どうでもいい』というほど厭世的な気持ちでさえなく、すねたところなく、ただただ自然に、何もかもに反応できない男。
それが『好ましい』と何かに対して思ったのはこの女性が初めてであり、コンラートは己の気持ちを分析するようにアレクシアとの逢瀬を重ね、二人は世間から見て『睦まじい夫婦』としての生活を始めることとなった。
また、二人は能力的な相性もよかった。
言われたことはこなせる能力を持つのだが、自分では課題を見つけることが苦手なコンラート。
それに対し、アレクシアの方は日常の中から『課題』を見つけ出すのが得意だった。
それは彼女生来の気の弱さ……常に何かに対し『申し訳ない』と思ってしまう『頭下げたがり』とでも言うべき気質が……
日常生活のあらゆる点から改善点を見つけてしまい、それを解決しないことにはなんだか申し訳なくてたまらなくなるのだが、しかし多くのことを自分一人でやるためには『人付き合い』が不可欠であり、これを苦手としている……という性質を持っていたことが、相性のよさの理由だった。
『課題を発見できるが解決能力に乏しいアレクシア』と、『課題を発見できないが言われたことは十全以上にこなせるコンラート』はとても相性がよく、彼らが当主になるころ、ソーディアン家は『家の興り以来』と言われるほど栄えていた。
コンラートはアレクシアに対する気持ちを『愛』なのだろうと思い、『どうしたらアレクシアに愛していると伝えることができるか』ということについて考え、思いついたことを実行した。
それは的外れというか、余人からは意図のわかりにくいものも多かった。
が、アレクシアは細かいところを見てしまう性質を持っていたので、夫の不器用な愛をよく分析し、解説し、『人に対して命令や指摘をするのが苦手』という性質を持っていた彼女ではあったが、コンラートにはよく素直に改善点を語った。
それはコンラートがアレクシアの指摘や指示を『そうか』と素直に受け入れ続け、意に沿うように尽くし続けた実績の賜物だろう。
夫婦はうまくいっていた。
コンラートがソーディアン家の当主になるころには、一人娘も産まれる。
エリカと名付けられた赤ん坊は、父親ゆずりの燃えるような赤い瞳と、母親ゆずりの気の強そうな顔立ちをした、かわいらしい子だった。
先天スキルが【燃焼】というものであり、乳児期から幼児期まではよく『異常に疲れ果てて死の淵をさまよう』という事態にさいなまれたが、母の『課題を見つけ出す力』と父の『実行力』のおかげで成長し、満足に言葉をしゃべれる年齢になるころには、かなり【燃焼】との付き合い方を習熟し、すぐに倒れるようなことはなくなった。
そのころ、ソーディアン家にさらなる吉報が舞い込むこととなる。
……この時点では、間違いなく『吉報』だったのだ。
第二王子と、エリカの婚約。
どのようなわがままも『幼い子供ゆえのもので、大きくなれば改善されるだろう』と思われる年齢に結ばれたこの婚約が、ソーディアン家の愛娘を苦しめることになろうとは、アレクシアでさえもまだ、予想できなかった。
◆
それでも、エリカが十二歳になるまでは表面上問題なく、婚約関係は続いた。
……『問題なく』というのは『うまくいっている』という意味ではなく、『問題が起こってはいない』という程度の意味でしかないけれど。
第二王子は美しい見た目をした少年に育った。
しかしその口もとには常に傲慢な笑みが浮かび、目はいつも誰かを見下していた。
そして、『大人』に対して取り繕うのがとてもうまかった。
もしも彼に『派閥形成能力』『外面を取り繕う能力』『場の空気を支配する能力』のうちどれかがなかったのであれば、問題は大きくなる前に収まったかもしれない。
だが、第二王子にはすべてがあったし……
エリカは、この第二王子との婚姻を、『両親が自分のために決めてくれたこと』として成功させようとする生真面目さがあった。
この時代のエリカは母の気弱さを何倍にもして受け継いだような、無口で大人しい令嬢だった。
我慢し夫を立てることが美徳と信じており……そう信じなければやっていられないという事情もあったが……第二王子に従順だった。
第二王子は大人の前ではエリカを褒め称えたが、大人の目がないところではエリカをさんざんにこき下ろし、能力の不足を責め、先天スキルが【燃焼】であることを、かつて『カリバーン王国にいた【燃焼】持ちの【魔法剣士】が起こした問題』になぞらえ、エリカにさんざんな文句を言った。
この二人の間に『会話』はなかった。
なぜならエリカに口答えは一切許されていなかったし、行おうとするすべてを封じられ、否定され続けるだけだったからだ。
この二人の間にあった関係は『一方的にまくしたてて要求を押し付ける第二王子』と『それに対しうなずき従うことしか許されていないエリカ』というものであった。
……意見や発言を許されない環境は人の精神をたやすく削っていく。大事な時期を否定だけされ続けて過ごさざるを得なかったエリカは、第二王子に従うだけの人形となっていた。
これはこの第二王子の持つ強力な人心掌握能力の一環であった。
エリカにストレスを与え続け、エリカが自分で意思決定することがないように仕向け続け、エリカの幸福は我慢と第二王子の要求の先にだけあり、それ以外ではきっと『かつていた【燃焼】【魔法剣士】のごとく』国に大問題を起こすに決まっているから、それを自分が管理してやっているのをありがたく思え━━という、そういうことを言い続けたのだった。
幼いエリカは第二王子の『気遣い』に反発する術を持たず、従い続けた。第二王子の派閥形成のうまさもあって、エリカは派閥の者からも『お前は自分で考えると何もかもをダメにするのだ』と言われ続けた彼女は、すっかり自信を失い、『道理』を見抜く目も、『正しさ』を判断する基準も壊れていた。
彼女にとって救いは『いつか第二王子の妻になること』であり、現在味わっている苦しみのすべてはそのゴールに至るために必要な試練なのだと信じ込んでいたのだ。
……そう信じ込むように歪めた第二王子の才覚たるや、すさまじいものがあった。
彼の先天スキルは【中級神官】であった。
彼の人心掌握の才覚は、スキルによってすべてが見られるこの世界において、異質にして異端の才だった。
誰も気付けない中でエリカへの『調教』は進み、彼女がゴールと定めた『第二王子の妻』という地点に至ってさえ、彼女が救われることはなかっただろう。
その大人しいエリカにも、友人はいた。
彼女の交友関係はすべて第二王子の監視の中にあって、エリカ個人の友と呼べる者はいなかったけれど……
第二王子がどうしようもない『先天スキルゆえの義務』を果たすために神殿で修行をさせられている最中、エリカに話しかけてくる少女がいたのだ。
【聖女】という先天スキルを持って神殿住まいをしている、同い年の少女。
桃色の髪がかわいらしい彼女と過ごす時間は、エリカの精神にとって癒しだったし、【聖女】との時間の中で、エリカはどんどん『道理』と『正しさ』の輪郭をつかみ、自分の状況はもしかしたらおかしいのかもしれないと思うようになっていった。
【聖女】もまたエリカの状況のおかしさに気付き、憤り、こんなふうに提案してくれたのだ。
「わたくしが、第二王子と直接話します。エリカが困っているんだと、直談判します」
……常識、道理。そういうものがあれば、『第二王子との直談判』がエリカの状況を悪くすることはあっても、良くすることはないと理解できただろう。
エリカもわからないまでも『それは、よくないことが起こる』と思って【聖女】を止めようとした。
だが、この【聖女】は善意による行動を志す時、他者の意見に耳を貸さない悪癖がある。
それは神殿内での【聖女】への扱いが深く関係した問題ではあった。
神殿の中で【聖女】というのは『真摯に話せば、誰が相手だろうとその話に耳を傾け、悪ければ改善しようとしてくれる』という環境の中にいた。
……もちろんそれは『神より与えられた【聖女】という才能』を軽くは扱えない神殿内部の者が、【聖女】の前でだけ調子を合わせていたにすぎない。
だが幼いころから『調子を合わせる人々』に囲まれて過ごした【聖女】には、その偽装を見抜く術はなく、そもそも、それを偽装だと疑うことさえできない。
だから【聖女】は『問題を起こしている人と、真摯に話をする』という行動を正しいと信じ切って、断行した。
そして、エリカは解放されることになった。
ただし……
「エリカ、お前との婚約を破棄する。俺が本当に愛するべきなのは、彼女だったのだ」
エリカは第二王子の婚約者ではなくなった。
代わりにその位置に収まったのは、困惑顔の【聖女】だった。
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