第34話 陰謀の溶けた闇

 とはいえ、ナギには魔王をどうやって『魔王』だと判別するのか、心当たりがあった。


 何せこの世界は『スキルがすべて』なのだから。


(たぶん、『魔王』っていうスキルがあるんだろうなぁ)


 ノイ師匠の口ぶりだと『魔王』は人物とは限らないらしいので、『人物が魔王だった場合』に限るとは思うけれど、『魔王』というスキルはあって、それは神官系のスキル鑑定技能で判別できるのだろう。

 あの女の子が一言もナギと会話してくれなかったので、ナギの【複写copy】は発動しなかった。だから確定的なことは言えない。


 だが、そうすると疑問がある。


 あの女の子はなぜ、今まで生きていたのか?

 少なくとも、あんな外をふらふらして学園都市に迷い込んだところを保護されるような扱いにはならないはずだ。


 先天スキルはたいてい生まれた時に鑑定されると……ああ、そうだ、『絶対にそう』とは言えないのだ。鑑定されないケースもあるし、鑑定された先天スキルの情報が喪失する可能性もある。

 この世界には結構な割合で『孤児』がいるのだ。戦争などではなく、単純に病気で死んでしまったり、あるいは魔物なんていう脅威までいる。

 その中でも神殿が経営している孤児院に世話されるようになれば拾われた時点で先天スキルの鑑定はされるだろう。しかし、一般家庭に拾われたり、あるいは『拾われずに』育ったり……強い先天スキル持ちなら幼くして一人で生きることも可能だろう……すれば、その限りではない。


 もしくはナギが無意識に判断したように『先天スキル』ではなく、潜在スキルだった場合、十五歳まで判明せずに普通に暮らすことになる。

 十五歳の潜在スキル鑑定で先天スキルもいっしょに判明すればその時点でバレて、そこから追われる身になるという可能性も……


(……あの女の子が今まで放置されていた理由については、可能性が多すぎる上に情報が少なすぎて絞りきれない。そもそも、【魔王】というスキルがあるかどうかさえ、僕の想像にしかすぎない)


 だから今考えるべきはそこではない。


 夜の街を駆け抜けながら悩むべきは、二点。


 一つは、どうやって理事会の拘束から逃げ出したのか?

 もう一つは、なぜレオンを頼ったのか?


 ……さすがに理事長が『試練です』とか言いながら放ったという可能性は考えたくない。

 そもそも事前の指示と矛盾する。学園はあの『魔王』を手放さないという意思を持っていて……いや本当に『試練になるかと思って』という気まぐれで解放しそうなところがあってなんにも信用できないなあの学園長!


 でもひとまず、その可能性は考慮の外においておきたい。


 単純に考えれば、理事会が拘束する場所に護送する途中で襲撃されたとか、拘束場所を襲撃されたとか、そういうことになる。


 では、次に考えるべきは『犯人は?』ということだが……


(神殿、【槍聖】、アンダーテイル家……ああ、師匠もけっきょくどこの勢力の味方なのかわからないんだよな……とにかく引き渡し要求をしていた三つの勢力が力量的にも動機的にも怪しいし、それ以外の勢力となると、これも情報が足りない……何もかも情報が足りなさすぎる)


 ナギは駆け抜けながら教員免許を取り出す。

 そうして、直属の上司であるハイドラに通話を試みるが……


 ……出ない。


 実のところ、レオンからエマージェンシーを受けたあとに、幾度か試みているのだ。

 そして一度もハイドラは通話に出ていない。


 学園長と違って、ハイドラは普通に忙しいのだろう。

 すでに『魔王』が脱走した旨、あるいは連れ去られた旨の報告を受けていてその対応に四苦八苦しているのかもしれない。ハイドラの職分は知らないが、こういうどこの部署に持っていっていいかわからない案件が集まりそうなオーラがある。


(とにかく、【死聖】、もしくは【槍聖】、あるいはその両方がこの件にかかわっていて、レオン君と合流する場所にいる前提で動こう)


【狩猟聖】のストックは尽きてしまった。

 ノイ師匠とは再会してさんざん話したが、やはり【死聖】をもう一個ストックはできなかった。時間が空いても同じ人からはスキルを複写はできないのだ。

【下級錬金術師】【下級剣士】【中級剣士】【中級拳士】【燃焼】【獣化】【騎士聖】【拳聖】【下級術師】【下級神官】【上級狩人】【狩猟聖】【魔神】……

 そして今もまた【中級拳士】を一つ使って、現場に急行している。


 たしかにナギの手札は人との出会いで増える。

 しかし、この学園に来てからというもの、使用ペースも早い。

 パワープレイはできない。考えて使っていかねばならないのだ。


(僕の習熟度で【死聖】【槍聖】と戦って勝利するには)


 先天スキルを併用して能力の底上げをするだけではダメだった。

 習熟度を高めたスキルというのは習熟度が低いスキルよりも基本能力補正と技能効果補正が高い。

 だが、それだけではない。『本気で向き合い続ける』という心構えが『自分のスキルでできること』をすみずみまで把握させる。そのことで戦術・戦略に対する造詣が深まり、戦い方に『厚み』が出る。


 単純に『補正差で負けた』のではない。スキルを用いた戦いにおける戦術的判断で完敗していた。


(僕の強み、僕にしかできないこと……【複写copy】というスキルを、【教導】というスキルを、それから、【スカ】でさえも、もっと理解する必要がある)


 悩みながら駆け抜ける。


 ……そのせいだろう。


 鋭い殺気が前方から向けられていることに、気づくのが遅れた。


「オイ」


 剣呑すぎる声がナギに突き刺さる。

 ほんの短い発声で、そいつは全力で駆けていたナギの足を止める。


 ……学園の夜。街灯に煌々と照らされた表通りと対照的な、自分の手も見えないほどの暗闇の中……


 複雑に入り組んだ路地裏を避けるようにビルからビルへ飛び移っていたナギを待ち受けるように目の前に立ち塞がったのは、


「いちおう聞くがよ、テメェが犯人か?」


 ……雲が流れて月明かりに照らされてきらめくピアス。

 顔の左半分にたっぷりとそれをつけた、メイド服の、背の高い、細すぎる、目つきの悪い女性━━

【拳聖】。


「……ラミィ先生、あの」

「いいから質問に答えろ。テメェが犯人か?」

「あの、すいません、僕も急いでいるので、問いかけは明確にしてください。なんの容疑ですか?」

「…………」


 ラミィは紫色の目を細めた。

 それだけで場の空気が十倍以上も重くなったように感じられる。


 ただ見られているだけで呼吸さえできなくなるんじゃないかというほど、その視線には切迫した殺気があった。

 このあいだ対峙し、実際に殴り合った時でさえ向けられなかったほどの殺意。……だが、本当に理由がわからないのだ。

 ナギは動くこともできず、レオンが救援を待っているという状況において貴重な時間を差し出し続けねばならなかった。


 時間の流れがあやふやになるほど濃密な空気が、ふっと解ける。


「……悪かった。お前じゃねぇな」

「すいません、急いでいるんで、手短に問いかけの意味を教えてもらいたいんですが」

「…………まあ、お前ならいいか。……うちのジジイが殺された」

「……え?」

「だから、学園長のヘルメスが、殺されたんだよ」


 ぶっきらぼうに、面倒くさそうに。

 血が滴るほど強く拳を握りしめながら、目つきの悪いメイドは絞り出すような声で言った。



 その刃は闇が鋭さを持ったように唐突に現れる。


 しかし【槍聖】はあらかじめ攻撃を受ける位置をわかっていたように最小の動作でそれを回避し、手にした十文字槍を『攻撃の発生した場所』へと叩きつけた。


 あまりにも豪快な一撃は舗装された道路を叩き割って地面のカケラをあたりに振り撒く。

 しかし、『捉えた』気配がない。

 ……老人は「ふむ」とつぶやいた。


「おぞましい。闇そのものを相手取っているかのようだ」


 シワの刻まれた顔。年齢を感じさせる肌。

 しかし袖を『たすき』でまとめた神官服からのぞく腕はよく筋肉が張り詰めて太く、膝の動きを隠すようなズボンの内側にもそれ以上にしっかりした筋肉のついた下半身があることが、ゆるぎない立ち姿でわかる。


【槍聖】ジルベルト・ランサー。

 カリバーン王国で最強の人物をあげろというテーマでの会話があれば、真っ先に名があがるのが、この七十歳に迫ろうという老人になるだろう。

 実物を知らない者は老齢を理由に別な候補をさらにあげるかもしれない。だが、実際にこの老人を目撃したことがあれば、そこで議論は終わる。

 老人の立ち姿には『武』という石塊いしくれを丹念に磨き上げて宝石に仕立て上げたような美しさがある。

 しかもこの老人は決して石塊ではない。そもそもが【槍聖】という輝かんばかりの才覚を持っている。それを五十年以上かけて鍛え上げたのだから、彼の『最強』は揺るぎない。


 その『最強』に、『おぞましい』と言われる相手。


 そいつは声を発さない。そいつは気配を残さない。そいつは殺意を飛ばさない。

 ただ闇に溶け、影より狙う暗殺者。『死』を司るひじりは『最強』の【槍聖】と対峙することなく向かい合っていた。


「……貴様、何年鍛えた? その気配のとぼけ方、五十年や百年ではきかんだろう」


 投げかけた問いは闇に吸い込まれて消えていく。

 返す音はない。路地の向こうにあるはずの若者ばかりの街の喧騒さえ、すべて闇にかき消されていた。


 月明かりは流れた雲が覆い隠した。暗闇の中でただ、【槍聖】ジルベルトの槍の穂先に宿る輝きだけが閃く。


 金属と金属がぶつかり、何かが無数に空を切る。

 ジルベルトは身のこなしと槍の取り回しで無数の投げナイフに対処する。『放たれた位置』を瞬時に察して反撃もする。

 しかし、追撃だけはしない。

 できないのだ。すぐそばにいるはずなのに、相手の位置がわからないのだから。


「超過労働だよ、まったく。おじいちゃんなんだから夜は早めに寝た方がいいと思うな」


 声が聞こえた方向に槍を突き出す。

 しかし何も捉えられない。同時に真後ろから迫った気配が首筋を震わせる。

 ジルベルトが体を半歩横にずらせば、真後ろから飛んできたナイフが顔の横を通過し、そして落ちる音も刺さる音も響かせず暗闇の中に消えていった。


「……【死聖】、わかっているのか? 貴様の行為は世界の滅びにつながるのだぞ」

「お話し、する? いいよ。ぼくは話すのが好きだからね。いやあでも、学園との交渉をぶっちぎっていきなり女の子を殺しに行くおじいちゃんのほうが、ぼくよりだいぶヤバい人だよ。襲撃したでしょ? 魔王の保管場所」

「五十年前の『魔王現象』を知らぬわけではなかろう。『魔王』は発見次第殺さねばならぬ。保管などもっての他」

「ぼくを普通にお年寄り扱いするのやめてほしいんだけどな……ぼくはただ『知ってる』だけ。五十年前のことも、百年前のことも、百五十年前のことも━━五百年前のこともね」

「……最初の魔王か。その知識を欠けなく知っておいて、なぜ、今、魔王を守ろうとする?」

「ぼくから情報が欲しいならお金を払いなよ。ぼくの目的は案外、魔王の守護じゃないかもしれないじゃない?」

「では、『あちら』が貴様の仕業か」


 暗闇が戸惑うように揺れる。

 老人は月日を刻んだ青い目で、ジッと暗闇を見据え……


「……トリスメギトスの王を殺したのは、貴様か」


 暗闇はぴたりと揺らぎを止めて……

 そこから、少年のような容姿の女性を吐き出す。


 まったくの無表情で現れた浅黒い肌の少女は、ぼんやりした灰色の瞳でジルベルトを見たあと、抑揚のない声で、


「よくわかったね」


 そう、応じた。

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