騎士としての誓い

 目覚めると、涙でぼやけた視界の先に、見慣れぬ天井がきらきらと輝いていた。


 何の夢を、見ていたのだろうか? 首を傾げつつ、固く冷たい床から起き上がる。今日は、とても大切な日なのに。夢の内容は、思い出せない。だが、泣いていたことが不吉に思えて、ルージャは慌てて両目を袖で擦った。


「起きているか?」


 不意に、ノックも無く、扉が開く。


「寝てはいけないのに、起きているもなにもないだろ、レイ」


 規則に背いて眠っていたことが露見しないよう、ルージャは扉から首だけ出してにやりとしているレイの頭で揺れる濃い色の髪に強がってみせた。だがレイのにやりとした笑みは引っ込まない。


「ルージャだったら、緊張で眠れない、ってことはないと思うけど」


「いやだから、騎士叙任の儀式の前は徹夜で自省しないといけないって規則」


 だからこその、この粗末な小部屋なのではないのか? 少し湿った、そして何も無い石壁の部屋を見回して、ルージャはむっとした声を出した。


「まあ、それは良い」


 急に、レイの声が改まる。


「準備をしよう。女王陛下を待たせるわけにはいかない」


 そうだった。背筋がぴんと伸びるのを感じる。今日は、ルージャの十八歳の誕生日。そして『騎士叙任』の日、だった。ルージャはレイから渡された手拭いで身体中の汗を拭き取ると、レイが持って来た緋色の上着に袖を通した。普段は、こんな派手な色の服は着ない。でも、今日だけは、別だ。……古き国の騎士となる日、なのだから。目の前のレイも、いつも着ている青と白の、新しき国の制服ではなく、緋色と黒の古き国の制服を身に着けている。新しき国と古き国の騎士の両方を、レイは器用にこなしている。それが、ルージャにはいつも不思議でならなかった。……レイ自身が納得しているなら、それで問題は無いのだろうと、思ってはいるが。


「まあまあ良いか」


 漆黒のマントを銀色の椿の留め金で留め、きっちりと姿勢を正したルージャを確かめるように上から下まで見詰め、レイが頷く。そしてそのまま、ルージャは中々追い越すことのできないレイの、女性にしては大柄な背中を見ながら部屋を出た。


 狭い廊下を、レイに遅れないように歩く。代々の女王の魔法力の所為なのか、謁見の間までの通路は、日によって変わる。遅れてしまうと、この迷路のような地下の廊下で迷ってしまうから、必死だ。だが、心の余裕が無くても、廊下に飾ってある歴代の騎士団長の肖像画の一つの前で止まることだけは、忘れない。


「ラウド」


 濃い髪を肩まで垂らした、いかにも肖像画に描かれるのが厭そうな顔をした『狼』騎士団長の肖像画に、小さくお辞儀をする。このラウドという騎士団長は、冷静さと部下への的確な指示、そして自身の剣の力の為、歴代の騎士団長の中でも希有の存在として知られていた。ルージャの父が少年だった頃まで生きていて、年と共に身体の自由は利かなくなっていったが、その冷徹な判断力は死ぬまで衰えることが無かったという。


「ああ」


 ルージャの横に並んだレイも、ラウドの肖像画に首だけ動かしてお辞儀をする。ラウドの肖像画の横には、レイに良く似た、濃い色の短い髪に包まれた頭を昂然と上げている『熊』騎士団長リディアの肖像画が掛かっている。その隣には、ルージャの曾祖父であるルイスの肖像画、そしてまた隣にはロッタの肖像画。古き国が新しき国に滅ぼされた時、悪しきモノからこの大陸を守ることがより重要であると選択して、女王を守り地下へ降りた騎士達の、肖像画、だ。そして、今日、ルージャも、その気高き騎士達の系譜に連なる。


 これまでずっと、遍歴の職人に扮し、古き国の見習い騎士として大陸を巡り、悪しきモノを滅ぼす為の訓練を行ってきた。そのルージャに様々なことを教えてくれた古き国の騎士達は、数え切れないほどたくさんいる。だから、今日、自分がその者達と同じ騎士に叙任されることが、ルージャには素直に嬉しかった。


「行くぞ、陛下が待ってる」


 再び、レイがルージャにそう言って歩き出す。レイも、ルージャが尊敬する古き国の騎士の一人。その背中に遅れないよう、ルージャは小走りで歩いた。


 不意に、謁見の間に繋がる扉が見える。その扉の先で、待っていたのは。


「ルージャ」


 優しい声が、謁見の間に響く。騎士叙任の為の黄金の王冠を被り、赤い宝石が光る首飾りを身に着けた、幼馴染みで従妹であると同時に女王でもあるライラがいつも以上に眩しく見えて、ルージャは無意識に俯いた。ここへ来て、怖くなったかのように心臓が早鐘を打つ。自分は、古き国の騎士になって、良いのだろうか? 何度か胸に去来した痛みを、ルージャはもう一度、味わった。


 その時。明け方に見た夢を、不意に思い出す。あの時の、自分、は。そして。俯いたまま、ルージャはライラの前に跪く。そのルージャの右肩に当たった木剣の切っ先が、答えを示しているようにルージャには思えた。


「ルージャ、あなたは騎士になって、何がしたいの?」


 騎士叙任時に常に問われる、言葉。


「俺は」


 その質問に、ルージャは一息ついてから、揺るぎない声を出した。


「俺は、絶対に諦めない」


 そう言って、ゆっくりと顔を上げる。天井から差してくる微かな光にきらきらと輝くライラが、心が温かくなるような笑みを浮かべていることが、ルージャにとって最上の幸せ、だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

飛翔の先へ ―獅子の傍系 1― 風城国子智 @sxisato

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ